論述問題の視点B
人口の移動〜華僑
 
 まず最初は東大の2002年の問題。
 世界の都市を旅すると、東南アジアに限らず、オセアニアや南北アメリカ、ヨーロッパなど、至る所にチャイナ・タウンがあることに驚かされる。その起源を探ると、東南アジアの場合には、すでに宋から明の時代に、各地に中国出身者の集住する港が形成され始めていた。しかし、中国から海外への移住者が急増したのは、19世紀になってからであった。その際、各地に移住した中国人は低賃金の労働者として酷使されたり、ヨーロッパ系の移住者と競合して激しい排斥運動に直面したりした。たとえば、米国の場合、1882年には新たな中国人移民の流入を禁止する法律が制定された。米国がこのような中国人排斥法を廃止したのは第二次世界大戦中のことであり、大戦後にはふたたび中国からの移住者が増加した。
 上述のような経緯の中で、19世紀から20世紀はじめに中国からの移民が南北アメリカや東南アジアで急増した背景には、どのような事情があったと考えられるか、また海外に移住した人々が中国本国の政治的な動きにどのような影響を与えたか、これらの点について、解答欄(イ)を用いて15行以内で述べよ。なお、以下に示した語句を一度は用い、使用した場所に必ず下線を付せ。

 植民地奴隷制の廃止   サトウキビ・プランテーション   ゴールド・ラッシュ  海禁
 アヘン戦争   海峡植民地   利権回収運動   孫文
 
 東大では86年にも華僑に関する問題が出題されました。
 19世紀半ば以降、各国植民地に中国・インドからの労働力の 移動が増大した。その理由、移動先、ならびに従事した仕事の内容について述べよ。(150字以内)
 
 偶然にも同じ86年には、筑波大でも華僑に関する問題が出題されています。
 東南アジアの華僑について、その形成、歴史的意義および現状に触れながら述べよ。(400字以内)
 
 筑波大では89年にも出題されました。
 19世紀に南中国から大量の漢民族が世界各地に移住した。その国内的、国際的要因、及びその子孫の現在の社会的地位について述べよ。(400字以内)
 
 私の予想としては、2004年あたりに筑波大で華僑の問題が出題されるかも、予想してい
たのですが、残念ながら1年早く2003年に出題されてしまいました。
 中国人の海外移住の歴史は古いが、明代以降、多くの中国人が海外に移住していった。明代以降の中国人の海外移住の歴史と中国本土との関係を以下の語句を用いて述べなさい。(400字以内)
   海禁   華僑   シンガポール   孫文   鄭和
 指定語句は前年の東大と極めて似ていますね。華僑テーマのポイントが、だいたい見えてきたのではないでしょうか?
 
最後に一橋大で出題された、華僑を扱った問題を見てみましょう。出題年は95年です。
次の文章を読み、以下の3つの問いに答えなさい。
 今日東南アジアと総称される地域は、豊かな自然や資源に恵まれ、しかも東西交通上の要衝の位置を占めた。ここには様々な人々が、ある時は大規模な集団をなしまたある時は少人数で、流入し続けた。新集団の登場は、しばしば新たな国家や政治権力の形成を促したし、また、社会の変質をもたらした。こうして、有史以来、この地域は実に多様な人々の移動。移住と国家の興亡の舞台となり、高度な外来文化を受容しつつも、同時に各地に独自の社会・文化を育ててきたのである。
問1.ほば16世紀に始まる西ヨーロッパ諸国の東南アジア進出は、この地域における経 済の仕組みにどの様な影響を与えたかを述べなさい。その際、貿易の担い手、貿易品目、 生産形態などの変化に留意すること。(240字)
問2.西ヨーロッパ諸国の進出以外に、東南アジアを舞台としてどの様な人々の移動・移 住があり、それがこの地域にどの様な影響を与えたかを、具体例を1つあげて、述べな さい。(100字)
問3.省略

 これらの問題から、華僑がテーマになっている問題で必要とされる知識が大体見えてきます。
 
 (1)華僑の人々が、中国から国外へ出ていった理由(pushされた理由)
 (2)華僑の人々が、東南アジアとアメリカ大陸に多い理由(pullされた理由)
 (3)華僑の人々が、中国本国および移動先に与えた影響(作用と反作用)
 
 これらはすべて、帝国書院の教科書『新編 高等世界史B』(平成15年度用の新課程版)に
すべて網羅されています。まずは199nの『華僑の東南アジア進出』の項目。
 一方、清朝のもとで中国経済が復興すると、海上交易が再び活発化した。明清交替期の難民に続き、18世紀には、中国の人口急増による海外移民も増加した。中国人(華僑)商人は、オランダ・スペインの植民地も含めて、貿易や流通をにぎる大きな力をもった。さらに、タイ・ヴェトナムの水田開発やジャワ島の製糖業、マレー半島・ボルネオ島・大陸部北部の鉱山開発などの技術者・労働者として多くの中国人が流入し、現地に華僑政権が成立することもあった。               
 次に286nのコラム『中国人(華僑)の世界ネットワーク』から。
 18世紀の海洋アジア交易圏で着実に発達していた中国人(華僑)ネットワークは、中国が近代世界システムに取り込まれた19世紀以降、全世界に広がることとなった。19世紀、人口過剰の中国人は世界各地に移民し、インド人と同様に奴隷労働の代替(苦力)となって、低賃金のきびしい労働に従事した。かれらは、出身地ごとにまとまって相互扶助していたが、孫文のナショナリズム運動などによって中国人としての団結意識が強まり、華僑の世界的なネットワークが形成されていった。こうして華僑は、近代世界システム下の世界の商業においても、有力な存在となった。そして、20世紀末のアジア経済の急成長の際にも、リー=クワン=ユー政権のシンガポールの経済発展の背景となった中国人ネットワークが、脚光を浴びた。
最後が295〜6nの『移民と人種差別』の項目。
 人道上の批判が強まり、経済的にも効率が悪くなってきたために、19世紀に欧米各国はあいついで奴隷制度を廃止した。しかし、プランテーションや鉱山では、依然として安価な労働者が大量に必要であったから、アジア人を中心とする移民が動員された。1833年に奴隷を解放したイギリス領のカリブ海植民地では、黒人奴隷のかわりに、中国人(華僑)やインド人(印僑)、日本人などの移民が、契約労働者として導入された。他の諸国の植民地も、まもなくこれにならった。奴隷労働にとってかわった中国人をはじめとするアジア系の労働者は、「苦力(クーリー)」と蔑称でよばれ、低賃金のきびしい労働をしいられた。
 
 またセンター試験のリード文でも触れられています。
 まず(2)の点については、1997年の世界史A(追試)に次のような記述があります。
 移民・植民などの人の国際的移動には、交通手段の発達などの技術的な要因だけでなく、様々な政治的・経済的・社会的要因が深くかかわっている。例えば、19世紀半ば以降、東南アジアヘの中国人移民は飛躍的に増大したが、それは欧米列強による植民地経営の積極化により、もたらされたものであった。
 そして(3)の点について、2002年の世界史B(本試)に次のような記述があります。
 中国人の海外への大量移住が始まるのは19世紀後半であり、列強による東南アジアの植民地支配が進むなか、中国人は商人として、あるいは労働者として渡航し、やがてその地に定住した。「華僑」と呼ばれるようになった彼らは、中国本土への関心を持ち続け、革命運動に多額の資金援助をした。そのため孫文は彼らを「革命の母」と呼んだ。
 2002年については、東大で華僑に関する問題が出題された年です。センター試験のリード文といえ、しっかり読んでおくに越したことはありませんね。
 
 まず(1)華僑の人々が、中国から国外へ出ていった理由(pushされた理由)としては、対象とする時代の開始時期によって、使い分けることが重要です。
   @15世紀以降なら、鄭和の遠征によって海外渡航への道が開かれたこと。
   A17世紀以降なら、明清交替期の混乱により海外へ脱出する人が増加したこと。
   B18世紀以降なら、中国における人口の急増。
   C19世紀以降なら、南京条約によって海禁が事実上廃止されたこと。
 次に(2)華僑の人々が、東南アジアとアメリカ大陸に多い理由(pullされた理由) としては、以下の二点があげられます。
   @東南アジアに関しては、ヨーロッパ諸国により植民地化された地域においてプランテーションが発達したことから、その労働力として華僑が流入したこと。
   Aアメリカ大陸では、奴隷制廃止にともなう代替労働力として導入されたこと。具体的にはカリブ海地域や大陸横断鉄道など(『高等世界史B』には大陸横断鉄道で働く中国人労働者の絵も掲載されています)。
   華僑の問題では、苦力(クーリー)という用語は必須! だと言えます。
 そして(3)華僑の人々が、中国本国および移動先に与えた影響(作用と反作用)
   @反作用として、孫文らの反清運動を経済的に支援したこと。
   A作用として、進出先の経済の実権を握り、政治的にも大きな地位を占めるようになったこと(そのためインドネシアのように反感をもたれる場合もある)。
 
 
 こうしてみると、2002年の東大の問題は、すべてを網羅した(帝国書院の教科書と、驚くほどポイントが合致している.....)良問といえます。しかし、指定語句は少々いただけません。全体的に使いづらい語句が多い。特に「サトウキビ・プランテーション」「ゴールド・ラッシュ」「アヘン戦争」など、これがなぜ華僑と関係あるのかと疑問に感じた受験生も多かったはず。「サトウキビ・プランテーション」については、華僑がカリブ海に進出していたなんて、なかなか知られていないでしょう。ただし、華僑が働いたサトウキビ・プランテーションは、東南アジアのジャワ島にもあったことは帝国の教科書にも書いてあります。カリブ海と東南アジアのどちらを使ってもよい。「ゴールド・ラッシュ」は西部開拓の進展から大陸横断鉄道と結びつけ、「アヘン戦争」は南京条約で海禁が意味を失い、その結果海外へ渡る人が増加したこととつなげるのがベスト。今年(2003年)の東大の問題もそうでしたが、帝国書院の教科書には参考となる記述が極めて多い。長崎書店などに注文して、ぜひ読んでおいて欲しい一冊です。
 
 最後に今後の注目して欲しい点を指摘しておきます。華僑以外の人口移動として、インド人(印僑)とアイルランド人に注意すること。また京都大学と東京都立大学では、私が知る限りこれまで華僑関係の問題が出題されていません。今後出題されるのではないかと私は予想していますので、この大学の受験を考えている人は要注意のテーマです。アイルランド史は今年千 葉大学で出題されました。
 下記のグラフ(省略)に示されているように、アイルランドの人口は1841年に約850万人を数えていたが、1851年には640万人に急減し、さらに1926年には425万人に減少したといわれる。こうした人口減少の背景と理由を、以下の用語をすべて用いて説明しなさい。なお、最初に用語を用いるときに下線を付すこと。
 アイルランド土地法  囲い込み  クロムウェル  ジャガイモ飢饉   アイルランド合同法  北米大陸
 授業でも指摘したことですが、アイルランドのジャガイモ飢饉(プリント【No.56】)、大陸横断鉄道におけるアイルランド移民の使役(プリント【No.72】)は、ぜひ押さえておいて欲しい事項です。