ドーデー「最後の授業」を導入とした近現代独仏関係史
1.ネタ
@A.ドーデー作「最後の授業」
A平成14年12月7日(土)付け熊本日々新聞(夕刊)掲載・村上護「教科書から消えた名作」)
B京大の入試(99年)「アルザス・ロレーヌ地方の歴史」一橋大学の入試(91年)「近現代独仏関係史」
C田中克彦『ことばと国家』(岩波新書)
D図説資料集(『NEW STAGE 世界史詳覧』)151ページ
E府川源一郎『消えた最後の授業』(大修館書店)
F千葉県歴史教育者協議会編『世界史100時間』(あゆみ出版)

2.授業の目的

@3年次に世界史を選択しない生徒は、体系的に世界を学ぶ機会が今後なくなる。そこでアルザス・ロレーヌ地方に見られる独仏関係を題材に近代ヨーロッパ史を概観する。(授業は最後の定期テスト終了後に実施)
Aことばと国家の関係を題材に、国語の強制は近代においてどのような意味を持っているのか考えてみる機会とする。

3.展開

(1)小説「最後の授業」と最近の新聞記事を読ませる
@これは私が小学6年生の頃国語の時間に学んだ話である。君たちに配ったのは、私が使用した教科書からコピーしたものだ。だから私が引いた線がまだ残っている。
Aこの作品今は教科書に載ってないが、私が教師になった頃までは、ほとんどの生徒が小学校で習っていた。そのことが最近の新聞記事に取りあげられた。今の段階での感想を書いてみよう。気づいたことその他何でもいいです。
(2)アルザス・ロレーヌ地方の歴史
@小説の舞台となったアルザスについて、その歴史をたどってみよう。この地域はドイツとフランスの国境地域に位置し、その帰属は隣のロレーヌとセットにされて、たびたびドイツ・フランスに移っている。アルザス・ロレーヌというフランス風の読み方の他にエルザス・ロートリンゲンというドイツ風の呼び方があるのはそのためだ。現在は仏領になっているため、アルザス・ロレーヌとよぶのが一般的。この経緯が99年度の京都大学の入試問題に出題さ れた。似たような問題は一橋大の91年の問題でも採り上げられている。一橋大では98年の入試でもアルザス・ロレーヌが指定語句になっている。
問.独仏国境に位置するアルザス・ロレーヌ地方の住民は、両国が戦火を交えるたびに国籍の変更を迫られた。19世紀半ばから今日までの独仏関係を中心に、この地方の歴史を300字以内で説明せよ。句読点も字数に含めよ。
(京都大・99年)
問.ヨーロッパ共同体(EC)が発展する上で、第二次世界大戦後にフランスとドイツ連邦共和国がそれまでの敵対関係を克服していったことが決定的影響を及ぼした。両国の関係が対立から協調へと変化していった過程とその原因を、次の用語をすべて使って、説明せよ(400字)。
   アルザス=ロレーヌ       ルール占領    ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)
(一橋大・91年)

Aアルザスの地理的な位置を資料集142ページの地図で確認しよう。スイスの北方に位置している。
Bこの地域が教科書に登場するのは、資料集112ページのヴェルダン条約が最初。ロレーヌはカール大帝の孫ロタールに由来する。
C17世紀になって、アルザス地方は三十年戦争の講和条約であるウェストファリア条約によって、フランス領となる(教科書170ページ)。それを示したのが142ページの地図。一方ロレーヌ関係では、18世紀にロレーヌ(ロートリンゲン)公フランツが、ハプスブルク家のマリア=テレジアと結婚した。この結果ハプスブルク=ロートリンゲン家が成立するが、その後18世紀後半にはフランス領となった(資料集160ページ)
D19世紀後半、強大な国家に成長したプロイセンが、神聖ローマ帝国の崩壊後バラバラだったドイツの統一をめざすようになる。これを恐れたフランスのナポレオン3世(ナポレオンの甥)は、プロイセンと戦うが敗北した。これを普仏戦争というが、この戦争の結果、アルザス・ロレーヌはドイツに割譲されることになった(資料集165ページ)。
Eアルザス・ロレーヌは石炭等地下資源が豊富で、産業革命以降重要な地域となっていた。
F1914年に始まる第一次世界大戦で、ドイツはフランスと戦い、敗北した。その結果結ばれたヴェルサイユ条約で、アルザス・ロレーヌはフランスに割譲された(資料集201ページ、教科書289ページ)。
G第二次世界大戦でも独仏両国は戦った。ドイツはフランスを破り、アルザス・ロレーヌを併合した(資料集212ページ)。
H第二次大戦後、アルザス・ロレーヌ両地域はフランスに復帰し、現在に至っているが、このようにアルザス・ロレーヌは長期に渡り独仏両国の係争地であり、独仏対立の遠因ともなってきた。
Iこのような歴史をもつアルザス地方から、第二次大戦後、シューマンという有能な政治家が登場する。ストラスブールの出身で、戦後フランスの外相となった。彼が1950年に発表したシューマン=プランはドイツとフランスの石炭・鉄鉱石を共同管理とする内容で、これに賛同したベネルクス3国とイタリアを加えた6カ国で発足したのヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)である。このECSCがEECおよびEURATOMと統合したことによりECが成立した。現在はEUとなっているが、EC時代から欧州議会は現在までストラスブールにおかれている。
Jこれで材料はそろいました。京大の入試問題を考えてみましょう。
ア)19世紀以降について書きなさいということなので、普仏戦争から書き始める。19世紀「半ば」と指定があるので、書き始めは「19世紀半ば、ドイツ統一を目指すプロイセンは国力を充実させ.....」くらいにしておく。
イ)その後は、普仏戦争で独領→第一次大戦後仏領→第二次大戦中独が占領→第二次大戦後仏領という変遷を書いた上で、「今日までの独仏関係」なので第二次大戦後のシューマン=プランで独仏協調したことを付け加えておく。独仏協調については、第一次大戦後の国際協調の時代にロカルノ条約というのが結ばれてドイツとフランスの協調が示されたが、まだ授業でやってないので、これはパス。
Kこのように19世紀以降のドイツとフランスとの関係は、厳しい対立状況にあった。そのことを最もよく象徴しているのが、アルザス・ロレーヌの歴史的経緯だろう。しかし、逆にアルザス・ロレーヌからヨーロッパに平和と安定を発信しようとしたのがシューマンだった。シューマンはドイツの経済力を戦争ではなく平和的に活用することで、独仏両国の融和を実現しようとした。それは現在のEUとなって結実しているが、アメリカのイラク攻撃に際して、独仏両国が協調して反対していることもその表れであろう。
 
(3)「最後の授業」の検討
@つぎに小説「最後の授業」の検討にはいろう。まずこれはいつの時代の話でしょう。プロシアという言葉があるので、これは普仏戦争の頃だとわかる。
Aこの話が最初に教科書で採り上げられたのは、昭和2(1927)年のことである。その後一時教科書から消えたものの、昭和27(1952)年に再登場し、1985年を最後に一斉に教科書から消えてしまった(三社同時に)。
B横浜国立大学の府川源一郎氏はこのことについて、「1981年、田中克彦の『ことばと国家』が岩波新書の一冊として刊行された。この本が国語教育界に与えた衝撃は大きかった。というのも、田中はここで長期安定教材だった「最後の授業」を一刀両断のもとに切り捨てたからである。」と述べている。その田中克彦氏の文章を読んでみよう。
C田中克彦氏の文章を読んだ今、「最後の授業」に対する君たちの感想はどう変わっただろうか。書いてみてください。
Dこの話が教科書からなくなったのは、アルザス地方の言語状況に事実誤認があったからでした。 アルザス・ロレーヌは実際にはドイツ文化圏であったということです。 フランス語はいわば強制的に教えられていたということですね。 したがって、母語(なぜ田中氏は母国語ではなく母語という言葉を使っているのでしょうか?) としてのフランス語を奪われるという悲しさは、アルザスにおいてそれほど現実的だったとは言えない。 ドーデー自身も非常な愛国者で、ドイツに対抗するためのナショナリズムの高揚を目的に、このような小説を書いたのだろう。彼の息子レオンは、1899年から第二次世界大戦にかけて アクシオン=フランセーズという右翼団体を結成していた。 でもアメル先生の言葉は普遍的な正しさをもっているように思われる。数年前「はだいろ」という言葉が差別につながるということで、一斉に「うすだいだい」とか「ペールオレンジ」に変わってしまったということもありました。なんとなく安易さはぬぐえないような気が私はするのですが、君たちはどうですか?

 田中克彦氏の意見に対して、批判的な感想が結構多かったのは意外でした。もちろん「見方が変わった」という意見も多かったですが。
 代表的なタイプは、
  @アメル先生の言動からは熱意や愛情が感じられる。
  Aこの物語が載せられていた教科書がターゲットとしていたのは小学生である。事実も大切だろうが、感動する心を持つことも重要なことだ。

 アメル先生の言葉には、普遍的な正しさがあるということをあげている生徒が多かったです。 紹介した新聞記事が、「確かな共感」という形で肯定的に紹介していたのが理由の一つかもしれません。 「母国語と母語がほぼ間違いなく一致する日本人に、 一致しない場合、母語と母国語のどっちが大切なのかを考えさせてくれる」と書いてくれた生徒がいました。 私が説明したわけでもないのに、田中氏の文中にあった母語という言葉の意味を、 短時間のうちによく理解できたものだと感心しました。