Pete Wylie

@THE CRUCIAL THREE
 77年5月に結成された伝説的グループ。ワイリー以外のメンバーはジュリアン・コープ(b)、 ワイリーの幼なじみイアン・マッカロク(v)、スティーヴン・スペンス(d)。 どのような活動をしたかは不明。イアンはこのグループについて、 「グループといったって、ステージもやったことはないし、君だって学生時代にバンドくらい つくったろ。その程度のものさ。 5ワットのアンプにギターもベースもヴォーカルも みんな一緒につっこんで、みたいなね」と語っている(『フールズ・メイト』85年1月号:No.41)。

ATHE MYSTERY GIRLS
 クルーシャル・スリー解散後、ピート・ワイリーとジュリアンがピート・バーンズ(v)、 フィル・ハースト(d)と結成したグループ。シャム69のサポートなどを行ったらしい。 バーンズとフィルが後に結成するナイトメア・イン・ワックスが、 デッド・オア・アライヴへと発展する。

BTHE NOVA MOB
 ピート・ワイリーとジュリアンが、当時リヴァプールで人気のあったBIG IN JAPAN (「日本じゃ一流=三流」の意)に対抗して結成したグループ。BIG IN JAPANには ビル・ドラモンド(KLF)、イアン・ブロウディ(ワイルド・スワンズ〜ケアー〜 ライトニング・シーズ)、ホリー・ジョンソン(フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド)、 デイヴ・バルフェ(ティアドロップ・エクスプローズ)、ジェイン・カーシー(ピンク・インダストリー)らが 在籍していた。一方ノヴァ・モブのメンバーはピート・グリフィス(v)、 後にビッグ・イン・ジャパン〜スージー&ザ・バンシーズに加入するバッジー(d)。 ノヴァ・モブ解散後ジュリアンはイアン・マッカロクと共に A SHALLOW MADNESSを結成する。 このA SHALLOW MADNESSには後にティアドロップ・エクスプローズのメンバーとなる ポール・シンプソン(ワイルド・スワンズ〜ケアー)もいた。 ポール・シンプソンはこのグループ以前、後にエコー&ザ・バニーメンの一員となる ウィル・サージェントと共にインダストリアル・ドメスティックというバンドを組んでいた。

CTHE OPIUM EATERS
 ワイリーとバッジーが、イアン・ブロウディ(d)、ポール・ラザフォード(v)とともに 78年9月に結成したグループ。クラッシュのミック・ジョーンズが、ギターと共にピート・ワイリー とともに与えたバンド名だという。ビッグ・イン・ジャパンに加入したバッジーが、 同じくビッグ・イン・ジャパンのメンバーだったイアンと意気投合したのが結成のきっかけらしい。 ポールはフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのメンバーとなる。

DCRUSH COURSE
 後にWAH! HEATへと発展するグループ。ピート・ワイリー以外のメンバーは、ロブ・ジョーンズ(d)、 ポール・カニンガム(b)、後にナイトメア・イン・ワックスに加入するミック・レイド(g)、 エコー&ザ・バニーメンのサポート・メンバーとなるアンディ・イーストウッド(k)。

EWAH! HEAT #1
 79年1月、ベーシストがポール・カニンガムからコリン・ウィリアムスに変わり、 バンド名がWAH! HEATとなった。

FWAH! HEAT #2
コリンは一ヶ月足らずで脱退し、ポール・ヤンガーが参加。イネヴィタブルからシングル 「BETTER SCREAM」をリリース(80 年2月)。

GWAH! HEAT #3
 ポール・ヤンガーに代わりワシントンが参加。キーボードにキング・ブラフを迎え、 イネヴィタブルから2ndシングル「7MUNITES TO MIDNIGHT」(80年9月)をリリース。

HWAH! HEAT #4
 ロブ・ジョーンズに代わり元デッド・オア・アライヴのジョー・マスカー (後にザ・ファームに加入)が参加。自己のレーベル、エターナルより1stアルバム 『NAH POO=THE ART OF BLUFF』をリリース(81年6月)。その後シングル「FORGET THE DOWN」(8月)、 「SOMESAY」(9月)をリリース。『NAH=POO』と後発のシングル2枚ははWAH!名義でリリースされたが、 アルバムに先行してリリースされた「7MUNITES TO MIDNIGHT」等はWAH!HEAT名義なので、 メンバーの違いもないことから、一応ここに入れておこう。

ISHAMBEKO SAY WAH!
 ピートとワシントン以外のメンバーが脱退。シングル「REMEMBER」をリリース(82年4月)。

JWAH!
 元ピンク・インダストリーのクリス・ジョイス(d)、チャーリー・グリフィスとジェイ・ノートンという二人の キーボード・プレイヤーを迎え、シングル「THE STORY OF THE BLUES」(82年12月)、 「HOPE」(83年3月)をリリース。しかし旧友ジュリアン・コープとの仲違いやそれに伴う リヴァプールにおける演奏拒否、レコード会社とのトラブル等によりその後一年以上沈黙。

KTHE MIGHTY WAH! #1
 イッツ・イマテリアルのポール・バーロウ(d)、ジョシー・ジョーンズ(v)、 ポール・ステファン(g)を迎え、復活。シングル「COME BACK」(84年6月)をリリース。

LTHE MIGHTY WAH! #2
ベースがワシントンからディッキー・ルードに交替、キーボードにイッツ・イマテリアルの ヘンリー・プリーストマン(後にクリスチャンズに加入)、ヴォーカルにユージン・ランジが参加。
 It's Imaterialはメジャー・デビューする前、ピート・ワイリーのレーベルである エターナルや、ピートのシングルをリリースしていたイネヴィタブルからシングルを出していた。 そしてメジャーになってもピートと同じサイレンに所属している。It's ImmaterialのメンバーがTHE MIGHTY WAH!にも 参加していることから、両者のつながりはて極めて深い。