Ian McCulloch


A SHALLOW MADNESS
Paul Simpson(K)   Ian MacCulloch(V)   Julian Cope(B)   Mick Finkler(G)

 イアン・マッカロク(1959年5月5日生まれ)は、80年代のリヴァプールシーンのみならず、 ニューウェーヴシーンの中核であったエコー&ザ・バニーメンのリーダーである(途中脱退したが)。 ジュリアン・コープ、ピート・ワイリーとともに「リヴァプール御三家」(笑)などとも称される彼だが、 人気・後の音楽シーンに与えた影響からみれば、明らかに他の二人を凌駕している。
 77年5月、イアンはジュリアン・コープ、ピート・ワイリーにスティーヴン・スペンスを加えた 4人で、クルーシャル・スリーなるバンドを結成したとされている。 最近のインタビューでイアンは「そんなバンドは存在しなかった」と語っている (『ストレンジ・デイズ』2001年10月号)が、一応結成して何回か練習したことはあるようだ。 翌78年7月には再びジュリアンとくっつき、ポール・シンプソンらを加えて 新たなグループ、ア・シャロウ・マッドネスを結成した。現在残っている音源では イアンの名はクレジットされておらず、それらしき声も聞こえないが、 写真にはちゃんと写っている。 そして78年10月伝説のクラブ「エリックス」でウィル・サージャント(G)と出会ったイアンは、 ウィルが持っていたエコー社製のドラム・マシーンとレス・パティンソン(B)を加え、エコー&ザバニーメンを結成する。
 翌79年3月、エコバニはビル・ドラモンドが設立したレーベル、ZOOより シングル「The Pictures On My Wall」でデビューした。 プロデュースはビル・ドラモンドとデヴィッド・バルフェのカメレオンズ。 そしてデビューシングルリリース後、 ドラマーが「エコー」からピート・デ・フレイタスに代わる (『クロコダイルズ(リマスター)』の解説では、 「ピートが加入するのは79年2月」とあるが、デビューシングルのスリーヴ裏には 「RECORDED MARCH 1979 AT...(以下読みとり不能)」とある)。 ピートを迎えたイアンたちは、80年、WEA傘下のコロヴァから1stアルバム『クロコダイルズ』 をリリース、その後も『ヘヴン・アップ・ヒアー』(81年)、 『ポーキュパイン』(83年)等の作品をリリースし、「ネオ・サイケ」を代表するグループとなった。 しかし『オーシャン・レイン』(84年)のリリース後よりバンド内がギクシャクし始める。 5枚目『エコー&ザ・バニーメン』は3年という間をおいてリリース (この間新曲「ダンシング・ホーシズ」を含むベスト盤はリリースされた)されたが、 この間ピートが脱退、復帰という出来事もあった。 そしてアルバムリリース後、以前より飲酒癖を指摘されていたイアンがバンドを脱退、残されたメンバーは3人で エコー&ザ・バニーメンを継承したが、今度は89年にピートが交通事故死という悲劇が起きる。 ウィルとレスは90年にエコバニ名義でアルバム『リバーレイション』をリリース、 一方のイアンは89年に『キャンドルランド』、92年に『ミステリオ』と2枚の ソロ・アルバムをリリースした。 イアン抜きのエコバニは『レバーレイション』後、 インディーを立ち上げシングルをリリースしたものの、消息不明となる。
 ところが94年、イアンはウィルとのユニット、エレクトラフィクションを立ち上げた。 事実上のエコバニ復活である。これが布石となって97年にはレスも参加してエコバニは復活、 復帰第1弾『エヴァーグリーン』をリリースした。 その後レスが脱退したものの、イアンはエコバニとして順調に作品をリリースしており、 80年代ニューウェーヴの数少ない生き残りバンドの一つとして活躍している。