無矛盾条件を使った量子過程の分割

「波束の瞬間的な崩壊」や「意識を持った観測者」に言及することなく、量子系の“歴史”を記述する手法は、グリフィス(*)の先駆的な論文において定式化され、その後、オムネス(+)やゲルマン/ハートル(#)によって洗練されてきた。ここで用いられている手法は、(物理学的には観測理論の最大の論点である)密度行列の自発的な対角化のようなダイナミカルな問題にはほとんど言及せず、逆に、継起的に対角化が実現される場合に成立する条件式を書き下すというもので、必ずしも革新的ではないが、量子力学に特有の哲学的な議論に陥らずに、量子系の時間発展について語り得る点で有用である。

(*) R.Griffiths, "Consistent histories and the Interpretation of Quantum Mechanics", Journal of Statistical Physics 36(1984)219.
(+) R.Omnes , "From Hilbert Space to Common Sense", Annals of Physics 201(1989)354.
(#) M.Gell-Mann and J.B.Hartle, "Alternative Decohering Histories in Quantum Mechanics", in K.K.Phua and Y.Yamaguchi (eds.), Proceedings of the 25th International Conference on High Energy Physics vol.II.(World Scientific, 1991) . 

 手法の詳細──および、非対角項に残る微小量の効果などいまだ論争が続いている部分──については原論文に譲るものとして、ここでは、グリフィスが提出した「無矛盾条件」を使って量子過程を非干渉過程に分割していく方法論だけを、簡単に紹介したい。

 ある量子系が、始状態Ψ1 から終状態Ψ2 へと遷移する過程を考える。遷移の途中のある時刻で、系の状態がΨa+Ψbという重ね合わせの状態になっていたとしよう。旧来の解釈では、こうした中間の段階で、「系はΨaの状態を通った」あるいは「Ψaの状態を通った」と解釈することはできない。その理由は、次のようなものである:

 遷移確率を計算するときに、確率振幅Tと、その複素共役のT*の積を計算することになる。Tは、
  Ψ1→Ψa→Ψ2 …(1)

  Ψ1→Ψb→Ψ2 …(2)
という2つの遷移に関する確率振幅の和になり、T*は、それぞれの複素共役の和となる。ところが、TとT*の積を求めると、(1)×(1)*と(2)×(2)*の和の他に、(1)×(2)*および(2)×(1)*という「干渉項」が現れる(下図)。これがあるため、系がどちらか一方を通過したと主張することはできない。例えば、二重スリットによる電子の干渉実験の場合、「上のスリットを通過した」という遷移過程と「下のスリットを通過した」という遷移過程が干渉するため、「どちらか一方のスリットを通過した」とは言えないのである。

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 ところが、何らかの理由で干渉項同士がうち消しあってしまう場合がある。すなわち、
  (1)×(2)* + (2)×(1)* = 0
この条件が満たされているならば、ΨaとΨbの間に干渉効果が生じないので、中間段階で、「系はΨaあるいはΨbいずれか一方の状態を通った」と言うことが許され、それぞれを物理的に異なる量子過程として扱うことができる。この条件式は、「無矛盾条件」(consistency condition)と呼ばれる。任意の量子過程は、「無矛盾条件」を満たす中間状態を見いだすことによって、さらに細かな(互いに干渉しない)過程に分割することが可能になる。

 実は、いわゆるデコヒーレント状態も、こうした「無矛盾条件」を満たしていると考えられる。このことは、デコヒーレンスを、任意のオブザーバブルAに関する非対角項が打ち消される、すなわち、
  <Ψa|A|Ψb> + <Ψb|A|Ψa> = 0
が満たされるものとして定義するならば、容易に証明できる(ただし、この定義はいささか狭すぎるため、現実的ではないかもしれない)。通常の文脈では、デコヒーレント状態がマクロスコピックに識別できる状態として捉えられているのに対して、数学的に「無矛盾条件」を満たす中間状態は、必ずしもそうである必要はないため、「無矛盾条件」の方が、量子過程を分割する上で、より一般的な条件だと考えられる。

 数学的に定式化する場合には、ΨaやΨbのような中間状態ではなく、射影演算子を使う方が便利である。まず、ある量子系の状態空間において、排他的かつ完全な射影演算子の組Pa,Pb,…を考える。ただし、排他的とは、任意の2つの演算子について、
  Pa ・ Pb = 0
が成り立つこと、完全とは、
  Pa + Pb + … = 1
のように、分割した部分の総和が可能なあらゆる状態の集合になることを意味する。これらの射影演算子を作用させることによって、考えている遷移過程の中間状態をいくつかの状態の和に分割する。ここで、これら全てに関して「無矛盾条件」が成り立っているときには、元のプロセスを、互いに干渉しない量子過程に分割できることになる。

 細かなことを言えば、こうした分割が完全に遂行できるのは、「無矛盾条件」が厳密に成り立っている場合である。現実的なシステムでは、状態が連続スペクトルを持つため、きわめて微小な「干渉項の切れ端」が残って物理的な作用を及ぼす可能性も否定できない。しかし、こうした微小項が何らかの物理的な寄与を行なうと推測させるデータが全くない以上、干渉項は完全に相殺され、「無矛盾条件」が厳密に成り立っていると考えても、とりあえずはかまわないだろう。



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