二重スリット実験を巡るアインシュタイン/ボーア論争

 量子力学の解釈を巡って繰り広げられたアインシュタインとボーアの論争は、20世紀前半の科学史を飾る象徴的な出来事として有名である。

 すでに相対論の提唱者として高い名声を博していたアインシュタインが、新興理論である量子力学に対して数多くの鋭い批判を提出し、一方のボーア陣営が、こられをことごとく跳ね返して、量子力学の正当性を証明した──論争の顛末は、しばしばこのように紹介される。しかし、アインシュタインが量子力学のどの点を問題ありとしたのか、ボーアらの反論は果たして物理学的に妥当なものだったかについて、科学史家は必ずしも明快に解説していない。歴史的には、1927年(第5回ソルヴェイ会議)から1935年(EPR論文とそれに対するボーアの反論)に及ぶこの論争と平行して、量子力学が学界で受容され、多くの重要な応用が見いだされた。しかし、こうした理論的発展は、2人の大家(アインシュタイン、ボーアとも40歳代後半から50歳代)による論争とは無関係に、20〜30代の若手・中堅学者を中心に成し遂げられたものである。量子力学が正当な理論としての地位を勝ち得たからといって、論争もアインシュタインの敗北、ボーア陣営の勝利に終わった見なすべきではないのだ。


アインシュタインと量子力学

 そもそもアインシュタインは、量子力学的な発想に闇雲に反対していた訳ではない。彼自身、光量子論の提唱者の一人であり、その研究を通じて、光が、波動的であると同時に粒子的に振舞うことを明らかにしていた。彼が望んだのは、原理的に波動性しか示し得ないマクスウェル理論を超克して、波動性と粒子性を併せ持つ根本的な理論を建設することである。シュレディンガーが1926年に波動力学を提唱し、波動場が固有状態を形成することによって(粒子的振舞いを含む)さまざまな現象を生起すると示唆したとき、アインシュタインがこれを支持する立場に回ったのも、この理論が、粒子と波動の二重性という量子論特有の性質がなぜ派生するかを解明する「完全な」理論になると期待されたからだろう。

 しかし、現実の物理学の展開は、アインシュタインが望んだ方向にはなされなかった。シュレディンガーが用いた電子の波動関数は、間もなく電子そのものを表すのではないと判明、1926年のボルンの主張に基づいて、ある場所に電子が存在する確率を表す「確率振幅」であると解釈されるようになった(*)。分布関数を使ってブラウン運動の解析を行うなど統計力学の分野で優れた業績を上げていたアインシュタインの目に、確率振幅と解釈し直された波動関数は、現象の背後にある微視的な確率過程を粗視化したものと映ったに相違ない。しかし、量子力学の建設者たちは、そうした根源的な実体を解明する努力を怠り、現象論的な議論に終始した(ようにアインシュタインには見えた)。あまつさえ、古典的には解釈不能に見える量子力学の独特の性質に対して、晦渋な哲学的根拠付けを試みることまで始めたのである。その代表例が、ボーアによる相補性原理の主張である。

(*)厳密に言えば、確率振幅には、確率のほかに波動的な振舞いの元になる位相情報も伝えているのだが、ここでは詳細は省略する。

 ボーアの相補性原理は、外見上、粒子の位置や法則の因果性といった古典的諸概念を無批判に適用すべきではないという点で、異なる座標系での同時性や速度の相加性の適用限界を主張する相対性原理と、類縁関係にあるように思われるかもしれない。しかし、この2つの原理は、拠って立つ精神において、本質的に相反するものである。1905年に相対性原理を主張する際に、アインシュタインは、絶対的な同時性を否定し、離れた観測者同士で時計を同期させる方法を操作主義的に定義するところから始めた。しかし、ひとたび互いに運動する観測者と結びついた座標系の変換則が導かれると、この変換則に従う絶対的な座標系を使った演繹的な議論を展開するようになる。アインシュタインにとって、概念の適用限界を検討することは、あくまでヒューリスティックな方法論の一部であり、最終的には、古典的概念を特殊な近似として包摂する一般的な理論を構築することが目標なのだ。これに対して、ボーアは、量子力学においては一貫したロジックを持つ理論の構築を諦め、互いに矛盾するような概念が理論中に併存することもやむなしとする。「粒子性」と「波動性」といった量子力学独特の二重性は、人間の認識能力の限界によって生じる不可避の特性であり、それぞれの概念装置を用いた記述が互いに補い合うことによって、はじめて全体を明らかにすることができるというのだ。このように、物理学の領域に哲学的な不可知論を持ち込むことは、とうていアインシュタインの容認できるところではあるまい。

 ボーアとの論争において、アインシュタインが批判の矛先を向けたのは、量子力学における記述の不完全さである。不確定性関係や非因果性は、こうした不完全な理論がもたらす見かけの性質であり、その意味を哲学的に根拠付けねばならないような原理的なものではない──これが、彼の最も言いたかったことではないかと推測される。

 もっとも、自分で認めているように、アインシュタインは、量子力学を本格的に勉強した訳ではなく、これに代わる「完全な」理論を対案として提出できる状況にはなかった。その批判も、原理的ではあっても応用面にはほとんど影響のないものに限られており、形式論争としての性格が色濃い。パウリやハイゼンベルグのような若手の研究者が論争に深く関わろうとせず、量子力学の哲学について熟考していたボーアが過剰なまでに反応したのは、当然のことかもしれない(ちなみに、当時最も深く量子力学を理解していたと目されるパウリは、残された記録からすると、相補性原理をほとんど理解していなかったようである)。


アインシュタイン/ボーア論争

 アインシュタイン/ボーア論争に関して、同時代の第三者による記録はほとんどない。こんにち入手可能な最も信頼できる文献は、ボーアが1949年に執筆した『原子物理学における認識論上の諸問題をめぐるアインシュタインとの論争』(「ニールス・ボーア論文集1 因果性と相補性」(岩波文庫)に収録)であり、これを参考に、第5回と第6回のソルヴェイ会議の際に戦わされた二重スリットの実験に関する論争について、アインシュタインが提出した批判と、それに対するボーアの反論を、振り返ってみたい。

アインシュタイン ボーア
拡がりを持った波動関数は、電子の運動を完全に記述するものではない。二重スリットによる電子の干渉実験においても、電子がスリットを通過するときの運動量移動を測定すれば、電子がどちらのスリットを通過したかがわかる。 スリットを通過するときの運動量移動を測定すると、スリットの位置に不確定性が生じて干渉現象は消滅する。干渉縞を観測し、かつ、それぞれの電子が通過したスリットを特定することは不可能である。

 このときのやり取りは、数度にわたる両者の論争の中でも物理学的に最も有意義であり、1990年代に至るまで、量子力学の基礎に関する研究に指針を与えてきた。

 二重スリットを通過した電子線がスクリーン上に干渉縞を作ることは、量子力学の初等的な教科書にも記されている(下図)。それによると、電子がスクリーンのどの位置に到達したかは蛍光を測定することによって明らかになるが、干渉縞を作るという「波動性」が表に現れている限りは、一方のスリットを通る軌道を描くという「粒子性」は抑制されており、二重スリットのどちらを通ったかを明らかにすることは不可能だとされる。

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 アインシュタインは、この不可知性に対して反論を試みた。通常の量子力学の計算では、スリットの存在は境界条件の形で与えられており、電子との相互作用が明示的に示されていない。彼は、この情報の欠如が、波動関数による不完全な記述をもたらしたと考え、スリット板の力学的振舞いを考慮すれば、より完全な──すなわち、電子がどちらのスリットを通過したかを含む──記述が得られると主張した。具体的には、電子がスリット板に与える運動量を測定することにより、電子の回折角を割り出すことができるので、どちらのスリットを通過したかが判明すると考えたのだ。

 この主張に対するボーアの反論は、きわめて模範的なものだ。電子ビームの波数をσ、それぞれのスリットから1次の明線方向へ回折するときの回折角の差をωとする。この方向に回折されるときにスリット板が受ける運動量は、どちらのスリットを通るかによってhσωだけ異なる。また、中心軸から1次の明線までの距離は、1/σωになる(下図参照)。ところが、スリット板といえども量子力学に従っている以上、その力学的振舞いは不確定性関係の制約を受けるはずである。ここで、スリット板の(ビームに垂直な方向の)位置の不確定性をΔx、運動量の不確定性をΔpとしよう。明確な干渉縞が形成される条件は、位置の不確定性が明線の間隔より十分に小さいこと(Δx≪1/σω)であり、また、運動量の測定によってどちらのスリットを通過したかを弁別するための条件は、運動量の不確定性が反跳運動量の差より十分に小さいこと(Δp≪hσω)であるが、不確定性関係(Δx・Δp〜h)より、この2つの不等式が同時に満たされることはない。従って、明確な干渉縞が形成されているときに、どちらのスリットを通過したかは判定できないのである。

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 ボーアの議論には、後の論者によって、いくつかの拡張が施された。例えば、運動量の誤差の大きさを制御できるような装置を設定すれば、誤差が小さいときには干渉縞がぼやけるが、誤差を大きくするに従って、しだいに明瞭になっていくことが示される。すなわち、「粒子性」と「波動性」は完全に排他的な関係にあるのではなく、1つの現象を、文字通り相補的に説明する描像なのである。こうしたマイナーな付け足しはあるものの、反跳運動量の測定に関する限り、ボーアの主張の正当性は広く認められている。アインシュタイン自身もこの反論を受け入れたようで、これ以降は、電子が古典軌道を描くことを仮定するような安直な批判は避けるようになる。

 ただし、だからと言って、アインシュタインの批判がもはや完全に時代遅れのものになったかというと、必ずしもそうではない。彼の批判は、多くの相互作用を捨象した非現実的なセットアップを仮定することが量子力学の不完全性の起源となっているという考えに立脚するもので、それまで無視していた要素を考察に含めようとするたびに、その有効性を取り戻すからである。実際、二重スリットの実験に関して、電子の代わりに高エネルギー状態に励起された原子を用い、スリット板の反跳運動量の代わりに通り道に置かれた共振器内部で放射された光子を測定することによって、どちらのスリットを通ったかを確定する仮想実験が提案されたことがある(M.O.Scully et.at, Nature 351(1991)111)。これは、非相対論的な量子力学では考慮されていない輻射場の影響を、新たに議論の対象にするものである。興味深いことに、このセットアップでは、位置と運動量の不確定性による制約がないにもかかわらず、通過したスリットを特定すると、原子の状態がデコヒーレントになって干渉縞が消失することが示された。この結果は、量子力学における粒子と波動の二重性が、位置と運動量の不確定性よりも根源的な特性であることを物語る。アインシュタインとボーアの論争は、仮想的に、物理学者の脳裏で今なお継続中であると考えても良いだろう。

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