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科学的方法論への批判




 こんにち、現代科学のありかたに対して、批判的な言説をロにする者は少なく ない。しかし、その多くは、科学的方法論を充分に吟味した上での論評とは見な しがたい。本章の最後に当たって、この点について議論しよう。ただし、この問 題は、既にこれまでの各節で部分的に触れてきたので、論述は鳥瞰的なものにと どめる。

 現代科学に対する最大の批判は、科学が専門ごとに余りに細分化された結果、 個々の科学者が学問全体の動向や自分の置かれている状況を見失い、社会的な視 野が狭くなるという点に向けられている。これは、科学が現代社会において強大 な力を行使しているとの認識をもとに、科学者の社会的責任を問うものであり、 現代科学者の多くが自分の専門以外に興味を感じていないという事実がある以上、 正鵠を射た批判と言えよう。しかし、ここで二つの点を指摘しておかねばならな い。第一に、現代科学は体系として余りに巨大化したため、もはや一人の科学者 が学問全体を掌握することは現実問題として不可能であり、体系を支えるための 多数の研究要員が必要になっているという事実がある。ここでは研究者は、実質 的に、高度に自律的な巨大組織の下部構成員に過ぎず、社会に対する科学の影響 力に個人で責任を負うとは言いかねるばかりか、学問の発展に貢献するために稽 極的に専門能力の尖鋭化を図ることを要求されているのである。第二に、大学の ように政治的・経済的に独立性の高い研究機関においては、営利機構などに見ら れるような縦割りの管理体制とは異なり、理論の機能的な側面を主眼とする組織 化がなされているため、研究方針が上部の管理機構に拘束されて研究の自由が失 われる危険は、現状ではかなりの程度まで回避されている。以上の点を考慮すれ ば、しばしば科学者に社会的を視座が欠けていることも容認できるものと思われる。

 これと類似した批判として、科学の細分化・専門化が進むと、専門が僅かでも 異なる研究者の間で充分な意見の交換がなされず、学問の硬直化を招来してその 衰退の原因となるという見方がある。しかし、これは、機能主義的な方法論が徹 底されている限り、懸念するに当たらない。何となれば、機能主義の下では、教 条主義的な学問と異なって特定の研究素材がさまざまな観点から機能的に分析さ れ、各々の立場に立脚した見解をそこに照射することが可能なため、同一素材に 関する研究を通じて学問相互の交流が実践されるからである。具体例としては、 複雑な自然現象の解明に当たって、解析的なモデルを適用する数理科学者と現象 の克明な記録を主とする実験科学者が対決することが挙げられる。しかも、個々 の学説はいくつかの独立したユニットによって定義されており、それを状況に応 じて交換できるニとから、学問が展開していくための自由度が大きく、学説が特 定のドグマに支配される可能性は少なくなる。
 このほか、科学的方法論そのものに対する批判として、モデル化された理論で は、自然が持っている本質を反映できないと主張する者もある。これは、古典的 な科学が、還元主義的な方法論を過信して、現象の全体像を見失ったり副作用を 失念したりする結果を招いた経験から、科学的な理論に対する不信感を募らせた ための意見と思われる。しかし、逆に考えると、科学に依存しない認識がこうし た欠陥を持っていないかと言えばそうではなく、むしろ、その寄り所とする人間 の直観が必ずしも充分な対象把握の能力を持たないこと、そればかりか人間の思 考様式に束縛されていることが、近年の認知科学の研究から明らかにされている。 科学的方法論は、直観によらない機能主義的な立場に身を置くことによって、こ うした人間の認識能力の限界を超克すべく考案されたものであり、上記の批判は 妥当でないと言える。
 このように、現時点で科学的方法論は、他の思考方式に比して多くの利点を有 しており、科学研究を支える重要な礎石となっていると考えられる。

©Nobuo YOSHIDA