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第II章 自由意志の幻想
〜または,人間はなぜ自由を感じるのか〜




 前章で見たように,現在の科学的知見に基づけば,一般的な用語法での<決 定論>と見なされる《因果的決定論》――すなわち,ある時刻での状態が初期 条件として与えられれば、それ以降の時間発展は一意的に定まるとする主張―― の妥当性こそ疑わしいものの,未来(および過去)にどのような事態が生起す るかは「事実として」決まっているという《事実的決定論》が成り立っている 公算が大きい。この見解が正しいとすれば,「人間には(物理的保存則を破ら ない範囲で)意志の力によって未来を選び取る能力がある」という意味での<自 由>は,原理的にあり得ないことになる。
 もっとも,「この」世界で厳密な因果法則が妥当していない場合は,<過去> によって<未来>が完全に規定されておらず,人間の精神的営為が因果的な物 理法則によってがんじがらめに拘束されている訳ではないので,時間発展の過 程に人間の意志が何らかの形で関与していると見なしても論理的な矛盾は生じ ない。だが,常識的に考えれば,<未来>が既に「事実として」定まっている 以上,<過去>と<未来>の関係が完全に因果的でなくても,人間精神に自由 な選択の能力を認めるべくもないことは明らかだろう。
 また,仮に一歩譲って,前提となる《事実的決定論》が誤っているとしても, こんにち認められている科学的知見の内部で<自由意志>の存在を否定する証 拠は多い。物理的な観点から説明しよう。現在の測定技術の範囲内では,自由 度が少ない系において既知の因果的な物理法則がきわめて良い精度で成り立っ ているので,精神活動が物理現象に関与して因果律を破ることを実証するため には,
(i)巨視的な多自由度系での定方向的な破れ
(ii)少自由度系での統計的法則におけるランダムな破れ

のいずれかを提示しなければならない。具体的には,(i)の例として,五感に よらない個体間のコミュニケーションや負のエントロピーの供給がない閉じた 系での自己組織化など,(ii)の例として,脳内部で放射性崩壊の様式や酵素反 応でのミハエリス定数が試験管における結果と相違するようなケースが想定さ れる。しかし,その正当性がきわめて疑わしい「透視」などの超心理学の実験 や,レム睡眠時幻覚と解釈できる「金縛り」や「幽体離脱」のように実証され てはいないものの一応合理的な説明が提出されている過程を別にすれば,精神 的な営為が物理法則をねじ曲げていることを示す信頼できる観測例は,これま でのところ報告されていない。したがって,精神的作用が脳のような生理的シ ステムに直接に及旧け効力は(仮に存在するとしても)測定限界未満の微弱な ものであり,これが物質的な相互作用を介して拡大され,最終的に巨視的な身 体効果として顕在化すると考えられる。ところが,生物個体のような自由度の 多い複雑なシステムにおいては,状態の時間変化は初期条件にきわめて敏感に 依存するため,系に微小な作用を及ぼしたとき,これが最終的にどのような結 果をもたらすかは,実際にその系で相互作用を完遂させてみなければ予想でき ないはずである。となると,精神は自分が何をしようとしているかについて盲 目のまま身体に働きかけざるを得ず,結果を念頭に置きながら合目的的行為を 指令しているとは見なされない。これでは,たとえ物理法則に反する現象をも たらすと言っても,もはや<自由意志>に促された行為とは認定できない。
 以上より,物理的な論証の妥当性を信じるならば,人間に(倫理的な)行動 を選び取る<自由>があると思うのは,全くの幻想であると結論することがで きる。

 にもかかわらず,おそらく意識的な活動をしている全ての人は,自分が与え られた運命を機械的になぞっているのではなく,自らの手で未来を切り開いて いるという自覚を持っているだろう。この「自由意志の幻想」はあまりに根強 くまた普遍的であるので,単に人間の愚かさや自己認識の不足に帰すべきでは なく,何らかの生得的な心理機構に端を発すると考えられる。そこで,本章で は,人はなぜ自分が自由だと信じるのか,その心理的根拠を探索していきたい。 ここで使われる手法は,神経科学および認知心理学の知見に立脚して<自由感> の起原となる情報処理過程を解明するというもので,厳密な論証は期待できな いが,個人の実体験と結びつけることによって充分に納得できる内容になって いると信じる。

©Nobuo YOSHIDA