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は じ め に




 近頃は、新聞やテレビでIT(Information Technology;情報技術)という文字を見ない日がない。日本政府も、首相の所信表明演説でIT振興策を打ち出すなど、この分野に並々ならぬ関心を示している。

 政治家や財界人がITに大きな期待を寄せているのは、これを利用してアメリカが景気回復を成し遂げたという認識があるからだ。
 1980年代、アメリカ全土は不況の波に洗われ、国民の意気は著しく沈滞していた。特に製造業の落ち込みは激しく、単に売り上げが低下するだけでなく、世界一を誇ってきた技術力にも翳りが見え、「アメリカ病」という言葉が囁かれるようになる。不良品の多いアメリカ製品を狙い打ちするようにPL(製造物責任)訴訟が多発し、国家の威信をかけたスペースシャトルも爆発事故を起こしてしまう。
 こうした苦境を乗り切るため、産業界のトップはさまざまな方策を試みる。絶好調だった日本の製造業を見習って製品の品質向上を図る一方、基礎技術の研究・開発によって産業を活性化させるというエジソン以来の方法論を徹底させた。こうした努力が功を奏して、1990年代にはいると、アメリカの経済は、情報通信部門を中心に急速に回復してくる。
 中でも象徴的だったのは、次世代TVの開発である。1980年代後半には、次世代TVの規格は、技術開発で先行したNHKのハイビジョンに落ち着くと思われていた。ハイビジョンは、従来のTVに比べて走査線の本数をほぼ倍増し、写真にコンバートしても見劣りしない鮮明な画像を実現するもので、画期的な新技術を駆使しているわけではないが、実用的な技術として期待されていた。しかし、こうした動きに対して、日本製品がマーケットを支配することを恐れたアメリカ半導体業界は必死の抵抗を示す。アメリカが圧倒的優位を誇るデジタル情報処理技術を結集することにより、1990年にハイビジョンとは全く異なるコンセプトに基づく次世代TVであるデジタルTVの開発に成功する。デジタルTV放送が行われるようになると、コンピュータに放送内容を取り込んで映像を加工したりデータベースを作ることが可能になるほか、特定のキーワードが埋め込まれた番組だけを自動的に録画するといった便利な機能も実現できる。この技術開発によって、次世代TVの開発は完全にアメリカ主導となり、ハイビジョンはあっという間に歴史の潮流に置き去りにされてしまう。
 1985年に始まる半導体不況によって深刻な打撃を受けた企業の中にも、情報通信技術への集中投資によって活路を見いだすところが現れた。インテルは、採算性の悪いメモリーの製造を断念、代わりにパソコンの頭脳となるMPU(マイクロプロセッサー)の開発に力を入れ、ペンティアムなどのヒット製品を生み出して、パソコンMPUの分野で70%を越える圧倒的なシェアを獲得するに至る。一時は倒産の危機も噂されたモトローラも、携帯電話部門に技術資産を投入することにより、アナログ携帯電話の世界標準となる規格を開発、日本だけのローカル規格にしがみつくNTTおよびその取り巻き会社との違いを見せつけた。
 こうして、アメリカ企業は、情報通信分野で新たな技術を生み出すことにより、自らがリーダーとなって世界市場を拡大し、90年代後半の未曾有の好景気を謳歌することになる。不況に苦しむ日本は、アメリカの成功にあやかって、IT投資を進めることにより経済を活性化させようという意向だ。ただし、ITに関しては、技術開発で先行しているアメリカ企業が多くの基本特許を押さえてしまっており、これから資金をつぎ込んでも、彼らを利するだけだという見方もある。

 IT革命によって、日本社会はどのように変わっていくのだろうか。
 ITがもたらす最大の変革は、情報の探索・収集・加工・伝達が、社会の枠組みや物理的距離を超えて、迅速に低コストで実現できるようになるという点である。例えば、生産力の小さな町工場は、これまで自力で製品の販路を開拓することができず、大企業の系列に組み込まれてしまいがちだったが、情報ネットワークを利用することにより、遠隔地の企業と少量売買の契約を容易に取り交わせるようになるので、「下請け−孫請け」という系列構造が次第に崩れていくとも考えられる。うまくいけば、自由競争による生産性の向上と地方経済の活性化につながるだろう。また、企業や自治体の情報開示のあり方も根本的な変革を迫られる。社会に重要な影響を与える情報はインターネット上での公開を余儀なくされ、E-mailなどを通じて市民の意見が直ちにフィードバックされることも考えられる。これもうまくいけば、民主主義的な意思決定システムの定着へと導いてくれるかもしれない。
 もっとも、ITは直ちに効果を現す特効薬という訳ではない。アメリカでは、ITを導入した企業で必ずしも生産性が向上していないという報告がある(労働生産性の伸び率は、ITが導入された90年代にかえって低下している)。実際、それまで職人芸によって行われてきた作業を機械が実行できるようにプログラミングするのは莫大な労力と時間を要するし、頻繁にフリーズするコンピュータの保守・点検に優秀な人材が駆り出されていたのでは他の仕事がおざなりになってしまう。日本では、コンビニを電子商取引の拠点にしようという動きもあるが、すでに実験的に導入している店舗では、アルバイト店員が端末操作を覚えきれずにトラブルになるケースが少なくないようだ。このほかにも、さまざまなネット犯罪の危険性に晒されることも覚悟しなければならない。ITを導入しても、良いことずくめではないという点は、正しく認識しておく必要がある。

 ところで、ITとは何かと改めて問うても、一概には答えにくい。米商務省は、"The Emerging Digital Economy"という報告書でIT関連産業を新たに分類しているが、そこには、パソコンや携帯電話だけではなく、カメラやテレビのような製品の製造も含まれており、どこまでをITの範疇に含めるかという点で必ずしもコンセンサスがないことを示している。
 ごく大ざっぱにまとめれば、ITとは、デジタルプロセッサ内蔵機器と通信回線のネットワークを組み合わせて、大量の情報を高速に処理・伝達する技術の総称と言えるだろう。現時点では、コンピュータとインターネットがITの中核をなしており、データの交換や電子商取引の道具として広く利用されるに至っている。そこで、以下のセクションでは、この2つを中心に話を進めていくことにする。
 ただし、近い将来、デジタル情報処理を行うITの中核機器は、情報家電・ケータイ・ゲーム機に拡大していくと予想される。情報家電は、テレビや洗濯機などの家電製品、あるいは便器や机などの家具の中に小型コンピュータを組み込み、家庭内ネットワークで情報を交換しながらさまざまな機能を遂行するもので、坂村健氏らの提唱する「どこでもコンピュータ(ubiquitous computer)」の夢を実現する。携帯電話は、最近まで単なる無線電話にすぎなかったが、iモードの登場によって、携帯用インターネット端末「ケータイ」として生まれ変わり、個人レベルでのデータ交換に関してはパソコンを越える存在になりつつある。また、日本企業が圧倒的な技術力を誇っているゲーム機は、新たなゲームソフトをダウンロードするためにネットワーク機能を装備するようになっているが、これを生かしてゲーム以外の用途(個人的な金融取引やデータベースへのアクセス)にも利用することができる。特に、2000年にSCEから発売されたプレイステーション2は、ゲーム機としてはオーバースペックとも言える能力を持っており、将来、居間に置かれたネットワーク端末に変貌させることを視野に入れた戦略的製品である。




【参考】コンピュータの歴史


 技術革新の時代として次々と新しい機械製品を生み出した20世紀において、最大の発明品と言えば、テレビや動力飛行機、人工衛星もさりながら、やはりコンピュータを第一に挙げるべきであろう。

 コンピュータは、ベルが電話を、エジソンが電球を発明したというように、ある個人によって発明されたものではない。1930年代から40年代にかけて、多くの数学者と技術者の共同作業の中で、少しずつ作り上げられたものである。単なる数値計算機ならば、1833年のバベッジの階差機関をはじめ、いくつかの方式が考案されていた。しかし、万能論理演算マシンとしてのコンピュータの元になるアイデアは、1936年に数学者チューリングによって初めて提出される。彼は、メモリー、メモリーに対する読み取り/書き込み装置、読み取られた内容を一定の規則に従って処理する演算装置を組み合わせることによって、任意の論理演算が実行できることを示した。こうした仮想的機械は「チューリング・マシン」と呼ばれ、コンピュータの原型とされる。チューリングは、第二次大戦中に暗号解読用計算機の開発にも従事する。

 チューリングのアイデアは、きわめて数学的なものだったが、1930年代のエレクトロニクスの進歩は、電気的な装置を使って論理演算を実行する道を切り開いた。その具体的な成果は、1942年に、アタナソフとベリーによるABCというマシンとして実現される。ABCはコンデンサ・ドラムを利用した記憶装置と真空管を使った演算装置を有する論理演算装置で、後の特許訴訟で裁判所によって「世界最初のコンピュータ」というお墨付きをもらうことになる。ただし、代数方程式などは解くことができたらしいが、信頼性に乏しく実用的な代物ではなかった。

 世界最初の・実用的な・コンピュータは、モークリーとエッカートによって1946年に開発されたENIACである(多くの文献では、これを「世界最初のコンピュータ」と呼んでいる)。アメリカ軍の協力を得て弾道計算用に作られたこのマシンは、18800本の真空管を使用しており、一部屋丸ごと占領し莫大な電力を消費する巨大な装置だった(それでも、現在のプログラマブル電卓より性能は落ちる)。一応、実用的な計算を遂行する能力は持っていたが、真空管が1本でも壊れると正常に動作しなくなる上に、電気的な配線によってプログラムするという「外部制御方式」だったため、計算のアルゴリズムを変更するたびにプラグを接続し直さなければならず、現在の目から見ると、およそコンピュータとは言い難いものであった。

 現代的なコンピュータのアーキテクチャは、20世紀最大の数学者と呼ばれるフォン・ノイマンによって、1945年に考案される。マンハッタン計画においてプルトニウム爆弾の爆縮効率の計算を担当した彼は、IBM製の数値計算機の性能の悪さに辟易して、新しいコンピュータのアイデアに到達したという。彼が考案した「プログラム内蔵方式」は、メモリー上にロードしたプログラムを逐次処理することによって、配線を変えずにあらゆる論理演算を遂行してしまうというやり方で、この方式に従っているコンピュータは、「ノイマン型コンピュータ」と呼ばれる。こんにち実用化されているコンピュータがすべて「ノイマン型」であることを考えると、ノイマンこそ「コンピュータの発明者」の名に値するとも言えよう。

 ノイマンは、その後、EDVACというコンピュータの開発に携わるが、完成までに時間がかかり、世界最初のノイマン型コンピュータという栄誉は、ウィルクスが作ったEDSACに奪われてしまう(1949)。

 1950年代にはいると、商用コンピュータが実作されるようになる。1950年にエッカートとモークリーが最初のノイマン型商用コンピュータとしてUNIVACを開発、さらに、1952年からIBMが次々に商用マシンの新型モデルを発表して、コンピュータ時代が到来する。1960年代に入ってメモリーや演算装置に集積回路(IC)や大規模集積回路(LSI)が使われるようになると、安定性と計算速度が大幅に向上し、70年代には、大企業が盛んにコンピュータの導入を行うようになる。さらに、80年代にはダウン・サイジングの流れが強まり、小型のワークステーションが中小企業にも普及し、個人でパーソナル・コンピュータを持つ人も増えてくる。現在では、多くの企業が社員一人に1台のコンピュータを支給し、「コンピュータが使えなければ管理職にはなれない」という状況になっている。

 コンピュータは、ある意味では、人間の想像力を越えた機械である。20世紀前半に、多くのSF作家が未来に実現される科学・技術として、TVや宇宙船、ロボットなどを予言した。しかし、膨大な論理演算を瞬時に実行してしまうコンピュータのような機械は、想像の埒外だったのである(人間と同様の思考能力を持った人工知能が登場するSFはあるが、これは、どちらかというとホムンクルスのような神話的キャラクターに近いものだ)。単純な論理演算が複雑な作業を実現するという状況は、実物を目の当たりにしない限りは理解困難なのかもしれない。

 例えば、市販のパソコンセットを使えば画面上にフルカラーで写真画像を表示させることもできるが、このとき、パソコン本体は、読み込んだデータに対する論理演算を元に「画面上のこの点には何色、その隣の点には何色」という制御命令を作成して画像表示装置に送信しているだけである。データとアルゴリズムを変更し、「バイオリンのC音をある強さで何秒間、次にピアノのF音を…」という命令にしてシンセサイザーに送れば、パソコンが音楽を奏でることも可能になる。こうして、膨大な論理演算を短時間で実行しているだけなのにもかかわらず、無限の応用が拓けてくる。コンピュータが社会の至る所で利用されている所以である。

 ただし、コンピュータ本体が正確に論理演算を遂行しているとしても、元のプログラムに誤りがあったり、ユーザーにミスや悪意があったりすると、思いも寄らぬ事態が発生することがある。多くの人が、コンピュータの作動原理を知らないまま、単に便利な道具として使用している現在は、意外なところに落とし穴が口を開いているのだ。




©Nobuo YOSHIDA