ゴング格闘技 1994年5月号

              「柔術らしい技は何ひとつ見当たらないな
            ホイスのテクニックは"柔道"と同じだよ


 今、流行の言葉で言えば「異種格闘技戦」ていうことになるんだろうけど、大体競技が違ったら喧嘩になっちゃうよね。早い話が。共通のルールを作らなければ、ただの喧嘩ですよ。喧嘩というのは場所で決まるものだから、狭い所と広い所では当然戦い方も変わってくるしね。同じレヴェルの選手同士でやれば、的確打をどっちが打つかで決まるな。
 この大会(第1回アルティメット・ファイティング)の試合場は八角形だけど、八角形というのは 元々日本の武道の試合場では伝統的な形なんだよ。日本武道館の屋根は八角形だろ。

【第1試合 G.ゴルドーvsティラ・トゥリ】
 相撲(トゥリ)の方は体が重いから転んじゃったんだろうけど、ドクターストップとはいえ、ここで止めるのは問題あるね。これじゃ本当の喧嘩なら勝ち負けは決められないよ。歯が取れたくらいで止めるくらいならやらない方がましだね。やっぱり本人が「ギブアップ」というところまでいかなきゃな、やる以上はね。

【第2試合 ケビン・ローズイヤーvsジーン・フレイジャー】
 空手やキックの選手は相手をひっくり返すことを知らないね。ただ、この試合場は狭い囲いの中で逃げられないようになっているから、蹴ったり殴ったりする連中には不利だよ。相手が組み付いてきたらフットワークを使って自由に逃げられる広さがあればいいんだ。一発で的確打が入っちゃえば別だろうけど…。
 この二人の場合は組み合っても投げることも、絞めることもできないわけだから、このルールではある程度寝技も当て身技もトータル的な強さを持ったものが強いのかもしれないね。
 だからプロレスラーが強いかっていえば、それはやってみなければ分からないよ。

【第3試合 ホイス・グレイシーvsアート・ジマーソン】
 あのボクサーは何で「参った」したのかな?縦四方(固め)で動けなくなったからあきらめちゃったのか。(「参った」の瞬間、ホイスは)左手をついているから、片手なんだけど、片手じゃ(首は)締まらないからね。喉仏をつかむことはできるけども。もしボクサーが途中であきらめたんだったら内容がないね。 
 この試合では(ホイスは)双手刈り(タックル)から縦四方に抑えただけでしょ。技術的には柔道と何も変わらないよ。

【第4試合 ケン・シャムロックvsパトリック・スミス】
 相手の膝を絞って足首をひねったんだな。寝てしまえば、プロレスラーはいろんな技を知っているから手強いとはいえるね。相手が組み技を何も知らなければの話だけど。

【準決勝 G・ゴルドーvsK・ローズイヤー】
 体が違いすぎるね。(ローズイヤーは)腹は出ているし、ブクブクじゃない。あれじゃ街中の札付きと変わらないよ。
 一度転がしたら二度と立たせないことだよ。一対一の勝負の場合、上から攻撃する方がはるかに有利なんだから。

【準決勝 ホイス・グレイシーvsケン・シャムロック】
 (ホイスは)相手が裸だからやり辛いだろうね。最初は下になっていたけど、相手が倒れこむ反動でうまく上になった。最後の絞めは左手は頭の上に持って、右手を首にすべらせるように自分の左手の袖口をつかんでいる。そして挟むように喉を絞めたんだな。
 どんなスポーツでも首を絞めるというのはほとんどないからね。(人間の)弱い部分を良く知っているよ。入り方も上手い。
 だが、技としては特別「柔術」という感じはしないな。あれくらいのテクニックは柔道でも使うよ。双手刈りで入って上からくっついちゃえば柔道は強いもの。
 それで、くっついたときに相手の足を割って捌いたろ。あんなことはプロレスラーじゃできないだろうね。というのは胴絞めしたような形から、足を割って上へいくっていうのは、ある程度の練習量と知識がないとできないですよ。
 プロレスラーは足を使った防御の仕方なんか知らないだろうから、その差が出たんじゃないかな。
 うつ伏せになったら負けだよね。柔道では仰向けの人間を絞める場合が多いよ。うつ伏せのときは仰向けになるようにグルッと回転すれば、絞めづらくなって逃げることもできるんだ。
 素人は少し絞まったら、気が遠くなってビックリするからあきらめちゃうんだろうけどね。

【決勝戦 ホイス・グレイシーvsG・ゴルドー】
 (ホイスは)相手にくっついていかなくてはいけないわけだから、サバ折りに入って、小外で引っ掛けて倒して縦四方が決まったら、もう(ゴルドーは)起きられないよ。最後は前の試合(シャムロック戦)と同じ技だね。利き腕の右手を相手の首にすべりこませて、左手を首の後ろにもっていってサンドウィッチにするんだ。
 右手で左手の袖を取れば完全に決まるけど、これは袖を取っていないね。絞めとしてはこれじゃまだ不完全だし、ピタッと決まってないんだよ。でも相手(ゴルドー)は何もできないだろうし、うつ伏せになったときのガードの仕方なんて知らないと思うよ。

    相手は寝技の素人ばかり 道衣の有効性を利用して絞めれば簡単に極まるよ

 (ホイスは)柔術とは言うけど、技術的にはこれまでの3試合では柔術というよりか、柔道の選手といってもそのまま通るよ。ブラジルあたりでも柔道は非常に盛んだから。
 でも、柔道の試合をさせたらそんなに強くないと思うよ。
 要するに"絞め"という柔道の特殊性を最大に有効に使ってはいるけど、相手は(寝技・絞め技には)素人の連中ばかりだから、絞めにチョコッと入った段階で試合をあきらめちゃっている。
 彼(ホイス)は自分の柔道衣をうまく利用している。相手が皆裸だから関節は滑ったりして取りにくいけど絞めに関しては道衣が滑り止めの役割をするからね。他の選手が道衣の利用性というものを全く知らないからなおさら有効だよ。それに小さい者が大きい者に勝つには、相手の背後に回るのが一番簡単な戦法だな。あとは首を絞めればいいだけだから。寝技になったときに素人はすぐうつ伏せになって背中を見せるけど、これが一番危険、というかその時点で勝機はなくなるね。素人はあおむけで相手の攻撃を払いのけるという技術はないから、うつ伏せになると少しは安心するんだろうな。心理的には。殴られたり蹴られたりすれば、人間はどうしても縮こまるだろ。丸くなって後ろを見せたり、背中見せたり…。そういった人間の弱い部分も彼は良く知っているし、頭の良さそうなスマートな試合運びをするね。
 彼らのいう柔術というものにどんな技があり、実戦のなかでどういうふうに使われるかは分からないけど、それでも人間は手2本、足2本だから、やることは似通っているんだよ。ただ着ているものによってそれは異なる。裸なのか、体に密着しているものを着ているのか、ダボッとした袖口の広いものか等、いろいろあるけれど、それぞれ戦い方は違ってくるよ。ただ、この場合は彼の袖口を掴んでしまえば、片手は使えなくなるわけだからね。
 体に密着したものは、相手の力が自分に直接かかってくるから、柔道vs柔道などではお互いタップリしたものを着たほうが良いんだ。大きい道衣は滑るから相手の力を吸収してしまう場合もある。袖口を殺したり、相手の力の負担をコントロールできるんだ。だから柔よく剛を制すという発想が生まれてきたと思うんだけどね。
 ただ、この大会は襟や袖口を掴むというテクニックを持った選手はいないからね。彼がそこまで上手く道衣を利用する方法を知っているか、というのは分からない。 
 それに、"絞め" のルールがなかったらキックや空手の選手が強いと思うね。プロレスラーも体が大きくて打たれ強いというのと、いろいろ技を良く知っているいう点では有利だけども、プロレスラーの関節技というのは"型"と一緒だから。なかなか実戦では決まらないよ。
 プロレスの試合とかよりもはるかに面白い大会ではあるけれども、だからといって柔術が強いとか、彼(ホイス)が強いのかといえばそれは別の話。空手なりボクシングなり柔道なりの、各競技のチャンピオンが出場するというなら、やれ柔術が強い、空手が強いとはいえるとは思うけど、そうでなければ個人的な力量の差もあると思うから、彼がルール内での特徴を活かして上手く勝った、ということだね。
 "柔術"の技は柔道に合気道や当て身(打撃技)を混ぜたものらしいんだけど、彼ら(グレイシー)のいう柔術がどういうものかは分からない。でも、この3試合を見る限りでは、「これが柔術の技だ」というような目新しいものは無かったな。全て柔道の技だから。
 自分が海外などで耳にする柔術というのは、ビジネスのために「柔道」ではなく「柔術」という看板の方が儲かるというんだな。柔道とは一般的に知られているものだけど、柔術といえば一種神秘的な響きがあるらしいんだ。外国ではそういうのが受けるんだよね。
 日本からいろいろな指導者が海外へ行くと、自分は「誰々先生に指導を受けた」云々という連中がいっぱい出てきて金儲けのために道場を開くわけだよ。あまりアテになるものじゃないね。

                           
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バイタル柔道寝技編 あとがき

                    正気塾のめざすもの
                                            塾長  岡野 功


 何かを求め、何かをつくりあげようとすればそれに必ず紆余曲折があるのは当然のことだと思う。
 正気塾はいま柔道を中核とする理想の人間像を目指して、その理念を実践に移すべく岡野個人の私塾から公共機関としての組織に飛躍しようとしているが、すでに出発から六年、そのささやかな、しかし精いっぱいの活動の中にもさまざまな紆余曲折があった。そして今後正気塾が存在する限り、過去の数倍、いや数百倍数千倍の試練があることは自明の理でもある。
 だがまた、当面するであろう困難を恐れていては新しいものが誕生しないのも自明の理だ。ひとつのものを創りあげるためには、虚飾を捨て、全てを投入して本質に迫る率直な姿勢をもたなければならないと思う。
 私が正気塾の創立を思いたったのは昭和四十四年にさかのぼる。それは二度目の全日本選手権を獲得した年であり、これを最後に私が現役を引退したときでもあった。
 ふり返って思えば、私は選手生活をやめるその日まで、正直なところ人生に対する将来の生活設計図は持っていなかった。それまでは試合という勝負の一戦一戦がすべてであり、それが人生であったし生活そのものであった。その意味では、私は自分を非常に不器用な男だと思う。青写真を完全に造りあげてから行動を起こすという、ごく一般的な計算が性格的にたてられないからである。
 なにがなんでも現在を完全燃焼しないかぎり明日はない、その日その時、一瞬の場で燃えつきないかぎり新しい明日はないというのがこれまでの私の行動のしかたであった。告白すれば私には非常に神経質なところがあって、いったん起こした行動に少しでも悔いを残すとなると、このことに拘泥して次に進むことができない一面がある。
 だから逆説的な表現をすれば、悔いを残さない、ただそのことだけを考えて考えて全力をあげ、自分を律してきたといえる。したがって、選手生活を送っている間に将来の生活設計などというのは皆無であった。
 だから現役を引退したときのしばらくは文字通りの空白状態、いや虚脱状態であった。長い精神的、肉体的な緊張の連続だった勝負の世界から一応開放されたものの、はっきりいって自分の新しいじんせいということになると全くの白紙、燃えつきた勝負の後には何ひとつ残っていなかった、というのが当時の実情であった。
 したがって選手生活をやめるとき、未練や感傷はなかった。自分の柔道生活にはいっさい悔いはない。だからこの際、柔道界とは完全に縁をきろうとひそかに考えていた。そしてこれまで柔道で培ってきた精神力、行動力を他の分野で生かしてみよう。柔道で得たものを他の世界で通用させるのに力を入れてみるのも大事なことだ。これまでの稽古、試合の連続だったあの苦しさに耐えてきたのだから、今後の人生でどんなことだってできるはずだと思った。その自信もあった。が、心の整理は簡単だったが、具体的に何をするかはやはり時間が必要だった。
 あれやこれや考えているとき、フランスから柔道指導の要請があった。まだ将来の指針について思い迷っていた時期でもあり、加えて現役引退後の外国柔道指導という初の仕事でもあり、期間も十月から十二月にかけて約三ヶ月間と比較的短かったので一応引き受けて渡仏した。
 そしてその間、メキシコでは世界選手権大会が行われていたのだが、指導のさなかフランスにも着々とその情報が入ってくる。すると、どうしても日本選手の成績が気になって仕方がない。稽古をつけていても大会の情報が待ち遠しく心がメキシコの試合会場に飛ぶ。誰と誰が闘えば試合展開はこう、結果はこう、自分ならこうする等々、引退後まだ間もないだけにその一挙手一投足が脳裏に浮かんでしまうのである。
 これは理屈ではない。柔道を愛し、国を愛するきわめて単純な発想がそこにあったからだと思う。群衆の中に家族がいるとすれば目は自然に家族を追うだろうし、外国で日本人に会えば親しみを覚えるし、何百という国旗が林立していれば、日本人なら日章旗の位置を無意識に確かめようとするだろう。そういう極めて心情的、直情的な感性がいわゆる愛国心の基本ではないだろうか。
 とにかく、その世界選手権では日本が全階級を制覇したという報を聞いたときは無性にうれしかった。口元が自然にほころんでくる。だれかれ構わず「どうだ、やっぱり日本は強いだろう」と話しかけたくなる。
 そのことがすべてではないにしても勝負の世界で強さは誇りだ。その誇りを第三者として異国の地で持てたことに、これほど大きな喜びを感じた経験はなかった。それは自分自身が試合の場に臨んでいた現役のころとはまったくちがった感情であった。
 そして思った。やはり自分はほんとうに柔道が好きなんだ。自分の血は柔道の血だ。それがいつでも厳然として流れている。押さえても押さえきれない、大げさにいえば生命の根元に関するところに柔道がある。柔道とは無縁になりきれない。
 ましていま指導に来ているフランスでさえ、日本で生まれ育った柔道に国をあげてこんなに一生懸命取り組んでいる。日本が、日本人が、そして私が伝統文化として世界に誇りえるもののひとつに柔道があるとするならば、やはり何らかの形で、現役を退いても柔道を実践してゆかなければならないのではないか。それが今の自分を存在させている柔道に対する"恩返し"でもあろう。また現在自分が柔道界を離れてしまったら、戦後ほんものの専門家の皆無に近い日本の柔道はどうなるのか。
 フランスで聞いた世界選手権の結果を契機として、試合を離れて以来、はじめて燃えるものがあった。そして自分は今後柔道界に何をするか、そのことをさして広くない殺風景なパリの宿舎で四六時中考えていた。
 その私の宿舎は全く殺風景であった。友人知人も限られているし、たいていはたった一人だけだったから、何か考え事をするには最適だった。しかし、集中できるものを見つけ出すまでは、この宿舎は牢獄にも等しかったものだ。たいして長い期間でもないのに望郷の念しきりという状態だった。
 毎日くり返しあれこれ思いめぐらしているうちに、指導に来ている私でさえこういう気持ちになるのだから、柔道修行途上にある若い選手が、地方から上京したり、外国から日本に来た場合はずいぶん心細いのではないかという感情がふと胸をよぎった。
 柔道を志すあらゆる若者に心おきなく修行の場を提供する方法はないものだろうか。そうだ、現役を退いたいま、私のでき得るあるいはなさなければならぬもっとも大切なことというのはこれではないのか。
 つまり、パリでの3ヶ月間が私の心の中に正気塾の芽生えをうながしたのである。そのときはもちろん具体性はまったくなかったが、それは私の人生にとって、ひとつの灯がともったということになる。そしてその灯は日増しに明るさを増し、次第に私の思考の大部分の比重を占めるようになった。
 しかし実際には、柔道マンの拠点づくり、と思いをつのらせたところで、それを裏づける組織や財力を持っていたわけではない。計算があったわけでもない。これが自分にとって 日本柔道にとって最善の道だという一念があっただけである。
 だがわたしは性急なのだろうか、精神の出発は実質的な出発と意味を同じくする。フランスから帰国して三ヵ月後、昭和四十五年四月一日には正気塾はスタートをきった。
 当初、正気塾は第一線級のいわゆる強い選手を養成することを第一の目標とした。私と塾生数人が起居をともにしながら、完全に生活のパターンを同じくして柔道修行にそれこそ専念した。まず講道館の創始時代、見返りのないものに身体を投げ出して修行に明け暮れた柔道の先達たちの精神に一度たち返って出発しなければ、長い歴史を持つ柔道に、求められている新しい何かを創造するきっかけはつかめないと思ったからである。
 現実に甘んじているだけでは進歩はない。変化を恐れてもそれは同様である。その本質は変わらないにしても、日々変容する社会構造、生活様式の中で旧態に固執するだけが伝統ではない。現実の中で生き生きと新しい息吹を常に持ち続けてこそ伝統は伝統の価値を持つ。現代との接点を持ち合わせない伝統など単なる形骸にすぎないだろう。
 現実は過去の集積の上にあり、未来はまた現実の延長線上にある。出発を知らないで現実は語れないし、現実を無視して未来は語れない。だから出発当初の稽古はほんとうに激しいものであった。それは、日本、世界の第一線級の鍛錬を塾是としたのだから当然といえば当然であった。
 しかしそれはあくまでも私塾であった。定める理念はあっても、そのときの環境や財政的なものや私個人あるいは外部からのさまざまな事情によってその後、塾の形態は変化した。本来のものは変わらないにしても現実の方法は環境にあわせてその時点に応じ、正気塾は今日を迎えている。
 その後六年、正気塾の所在地も幾度か移動したが、その小さな灯を消さずにこられたのは正気塾の趣旨に賛同して物心両面にわたる援助をしてくださった数多い各階層の方々の温情であった。このバックアップなくして今日の正気塾はあり得なかった。このことについての敬意と感謝を私は忘れない。
 そして、昭和四十九年九月、私の郷里である茨城県竜ヶ崎市の故木村政二郎氏の好意により、正気塾本部の建設用地にと千六百坪の広大な土地提供の申し出があり、さらに各方面からの一段の援助もあって、いま正気塾は岡野個人の私塾から財団法人として公共機関の組織体に成長する機会を得た。
 そこに後期としての責任を痛感すると同時に、過去六年間という短い期間ではあったが、正気塾が国内外にその姿勢を表明し、地道ではあったが前向きに積み重ねてきた活動のプロセスを私は誇りに思う。
 正気の語義は、中国の古詩を出展とし、わが国では藤田東湖、吉田松陰、広瀬武夫等々の先達が詩にうたい、好んだことばとして有名であるが、私自身は正しい意気、すなわち「誠」だと平易に解釈している。
 いつわりのない心、国境を越えた相互の信頼感こそが人間の絆でなければならないはずで、この当然のことを踏みにじることによって人間同志の争いがいかに繰り返されてきたか。真実は意外にも平凡なものではないのだろうか。平凡だからこそその遵守が容易ではない。
 この正気の精神で、年月を経るとややもすれば閉鎖的、偏狭になり勝ちな組織の独善を戒めてゆきたい。
 本来、組織は個性ある個々の人間集団の調和で保たれねばならず、その個性が全体の力として発揮されてこそ組織の真面目があるはずで、逆にいえば組織は個性を伸ばすところ、自分の意志を貫くために同士が相集う"核"的存在でなければならない。
 私がこれまで正気塾を主宰し、最も心にかけてきたのは実はその点で、今後どのように組織が変貌しようと組織・団体にありがちな狭い意味でタテの線だけでつながったり、一般とかけ離れた閉鎖社会にはしたくない。
 そして柔道で技と精神はいわば車の両輪、そのどちらが欠けてもほんとうの意味の勝負はできないと思う。武道では一口に心技一体とよくいう。武道のこころとはなんなのか。それはその道に志すものが最初から最後まで追及しなければならないものなのであるが、考えてわずかな期間に結論がでるほど単純ではない。
 自分とは何かという、何よりも優先し、窮極においても変わりない自己探求にどう取り組むか。それなくして心の練磨はない。己に素直であれという。しかし単に己の欲望のみに素直であるなら、それは意味が違うだろう。より深い思考を高めるためには知性は欠かせないものであるが、誠と情理に貫かれたひたむきな姿勢がなければ、他を理解するのはおろか自己を理解することは不可能であろう。
 また、日本で生れ育った柔道は、いまヨーロッパ、アメリカ、アジア等々世界各国でも普及すると同時に定着しつつある。これに対しても、ただ国際的になったと単純に喜んだり勝負に拘泥して守秘主義をとったりするのではなく、柔道本家の日本として疑問には答え、精神にしろ技にしろ、教えるものは教え互いに手の内を見せ合って前進を心掛けたい。その上で試合に臨み堂々と闘う。それこそがフェアプレーであり、これに徹するにはやはり人間同志の誠意、情理は絶対に不可欠のものであるはずだ。
 誠意・情理はいってみれば教養でなければなるまい。知識を濾過しなければ"味"は出てこないと思う。私自身もまだ若いし、未熟な点も多い。今後ますます技を支える強靭な心と心を支える強靭な技を正気塾という稽古場で追求して行きたい。未熟であるが故にその姿勢と情熱だけは不退転の気力を持っているつもりである。
 ところで、年月を経た歴史の流れは水をよどませる。個人の意味や価値が組織に完全に組み込まれてしまってどうしてもその活力が鈍る。そういう状況の中で失われてゆく人間性の自己回復のためにはそれを克服し、理論にしろ実践にしろ旧来の時代に即応しない非合理的なものを持ってすることは不可能だし無意味だと思う。
 かりに現代は常に現実を凝視せざるを得ないという立場が歴史という事実のまぎれもない側面であるとするならば、やはり、合理的なものは合理的なものをもって克服されなければならないと考える。
 現実の流れが変わると、伝統の本質までが変化したと短絡にものごとを判断する傾向が古い地盤にないでもない。そういうセクショナリズムが創造を拒んでいる現状もある。真に伝統がその国のあるいは人々の文化であるならば、そのときどきに生じた現象によって本質までが変化するわけがない。またそれによって滅びるようなものであるならば、時代の波に洗われて風化したとしてもしかたがあるまい、想像力にみちた混乱はむしろ歓迎されるべきでいたずらなとまどいは無用だ。
 そして日本柔道がそのこころを失わず、人間形成という前向きの姿勢を常に現代との交差という点で捉えている限り柔道は不滅であると私は確信する。そういう柔道を正気塾は目指す。
 正気塾の窮極の目標はその意味での真の人間形成、人間育成であり、単なる柔道選手の養成だけが主目的ではない。人間のこころを学び柔道の技を磨くことによって伝統の真の姿を顕現したい。
 武道が死を賭した歴史の事実から誕生した格闘技であることは、もはや議論の余地はない。しかし歴史の現実はまた力と力による生存の結着を、さまざまな方法で否定してきた。その結果、そこに叡智が生まれてきたこともまた事実である。
 その典型的なもののひとつに宗教があると思う。しかし私は宗教の歴史や哲学やあるいは組織や戒律を深く充分に知っているわけではない。ただ、人間が最終的、現実的なところで裸になってその生き方を思索するというごく自然な形で私は宗教を認識しているのだが、徹底的につきつめたとき、胸の一番深いところに芽生える必然的な祈りのこころを、仏教を通して柔道に生かしたいと思う。
 それはもちろん肉体的鍛錬をぬきにして僥倖を期待したり、因習にとらわれて行動範囲をせまくしたりする種類のものではない。己を生かし他をいかし積極果敢に人生に取組み、柔道を極める手段として、正気塾の柔道は仏教のこころと結びつきたいのである。
 くりかえすが正気塾は、今後将来にわたって、人間のこころを学び柔道の技を磨くことによって、人間形成を目指そうとする機関である。
 具体的には塾長、塾生が起居を共にしながら、仏教を基調とする精神修養によって自己を率直に見つめる修正を身につけ、その意思を行動にうつせる見識をもって、伝統の日本柔道の技と精神をあくまでも追求したい。単なる理想論やいたずらな空論に走ることなく、現実に何ができるか、何をするか、そのひとつひとつの積み重ねが個人にとっても柔道界全体にとっても大きな前進につながるはずだ。
 全員が起居を共にするということは、いかに志を同じくするとはいえ、ある意味からすれば家庭以上のむずかしさもあるだろう。だが、そこに生じる喜怒哀楽を互いに深くかみしめて、生活を続けてこそ、また友情も生れ新しいものの創造も可能になる。
 正気塾は単に岡野個人の柔道や思想だけがすべてではない。あくまでも偏狭に堕することを戒めながら仏教を通じて幅広い人間育成に取組んでゆくものである。したがって正気塾を構成する役員も各界階層のオーソリティーがこれにあたってくれる。これは非常に心強いことであると同時に正気塾の目指す身心にわたる教育面にも各分野からのあらゆる教唆がいただけるものと思う。
 そして当面はまず竜ヶ崎市の総本部建設に力を注ぎ、国内はもちろん海外の支部づくりを進め、指導者、塾生の交流をはかってゆきたい。また全日本あるいは国際試合の第一線で活躍できる選手の養成を心懸け、加えて柔道を志す青少年のためにも広く門戸を開いて系統だった指導に専念したい。さらに将来、本部の一部には孤児院、老人ホームやクラブなども造って総合的な「人間広場」を建設してゆくつもりである。
 
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バイタル柔道投技編あとがき

                     勝負にかける情熱


 私にとって柔道とはなにか、なぜ私は柔道に全精力をかけるのか。このことは青春を柔道一途に過ごしてきた私の大きな命題であったし、さらに将来、おそらく人生の最終ゴールまで柔道から離れることはないであろうことを予測すると、これは永遠の命題といってもよいのではないかと思っている。
 結論からいえば私は柔道に人生を見る。人間が生きて行くために経験する実生活のあらゆる原理が勝負という"かっこ"にくくられていると信ずるからである。もちろん、このことは柔道だけの占有物ではなく、さまざまな外来スポーツでも、それに取組むものの意識の持ち方ひとつで同様の原理が見出されるだろう。しかし共に肌を触れ合い、投げて投げられ、同じ汗を流す柔道には、日本人的な感覚かも知れないが、ことばも理論も越え得る純粋なものがあると私は感じるのである。
 私はいま柔道の修業を通じて生きて行くために、めぐりあうであろう生活のすべての喜怒哀楽に、柔道で体得した精神のプロセスを合致させたいと念願している。このことが柔道に打ち込んできたものの使命だと思うからだ。そしてさらに未経験の困難、矛盾に対し、自分自身をどうコントロールするか、問題をどこまで深い意識としてとらえることができるようになるか、大きな課題であるが真剣に取り組まねばならないことだとも考えている。
 人は人生を模索するのにこころの支えを何かに賭ける。文学、音楽、絵画等の諸芸術、あるいは種々のスポーツ、それが何であれ一途にすべてを燃やすこと、この行為自体に相通ずるものがあることを私は信じて疑わない。
 そして柔道を日本の伝統ある格技としてとらえる場合、武士道とのかかわりに関心を持たないわけにはいかない。勝ち負けを決する格闘競技は、当然対戦相手との関係から自己の立場を推理するのだが、武士道は、究極には対戦相手をも超越して自己を律する術を説く。だから私は武士道を思うなら徹底して自己を極めることが必要と考える。自己を極めるということの出発点は、自己を見つめるところから始まる。客観的に自己を見つめられる習性を身につけることによって、自己からも離れて、自己の指向するものを探りあてる。さらに人間が持つ本能的な強さや弱さを認識することにより、それを克服し超越する「わが道」が開拓されるものではないだろうか。
 また、最近武道がスポーツであるか否かの論議が盛んであり、その本質の解明にはかなりの時間がかかるであろうし、行きつく論議のさきはともかくとして、柔道は武道そのもののほかの何ものでもなく、他のいっさいの外来スポーツとは異質なものであるという一部の意固地な優越感を持つものには私は賛成できない。なぜならば、稽古の過程やこころの持ち方は別にして、武道もスポーツも試合そのものは完全にルールにのっとって行われているからで、形式に変わるところはないからである。
 しかし外人が日本の武道に示す興味の大半は、いわゆる東洋的な神秘さへのあこがれにあるともいわれ、このベールに魅せられて修行に励んでいるものも多く、彼らにとっては形のないもの、公にされていない、見えないものへの興味が大きいようだが、このことは日本人の側から見れば別段秘密めいたものではなく、さして不思議なものでもない。武道的あるいは東洋的感覚は、一般的な日本人の性格、ものの考え方、教育、風俗、習慣等の中にごく自然、オープンに受け継がれているものだからである。いわば生き方のバックボーンなのだ。
 ただ武道をはじめ日本の伝統的なものは「形」を重んずることに大きなウェイトを置く。それが強調されるあまり、なじみにくくなっているきらいもないではないが、私はいってみればこころの問題だと解釈している。これを国際大会などを例にとれば、審判は「ハジメ」「マテ」「イッポン」「ワザアリ」と日本語を廻らぬ舌で一生懸命だし、選手同士の日本式の礼もそのままである。しかし彼らは一応の礼が終わると必ず握手を求めたり頬にキスをしたりする。そしてこのしぐさはいかにも外国人らしく自然で実感がこもっている。やはり外国には外国の礼法があることが理解できるのだが、この「らしく」ということが実は大切なことなのだ。「人間らしく」とか「男らしく」とかいうのは、私なりにいえば自分に忠誠を誓うことばだ。必要なのは表現にこころがこもっているかどうかである。
 さらにいえば日本柔道と現在外国で行われている柔道が、出発点を同じくしても、国や時間によってある変貌をとげるのはやむを得ないことではないかということである。もちろんわれわれ日本人は武道精神ないしは、武道的自己鍛錬を基礎にするのだが、ドイツにはゲルマン魂があり、アメリカにはヤンキー魂が、そしてイギリスには騎士道がある。それらさまざまな国民性の中で日本柔道が受け入れられ、世界の柔道として冠たる位置を占めることを私はこのうえなく喜ぶ。
 嘉納治五郎先生のことばに「柔道精神とは攻撃、防禦の練磨によって己の身心を鍛錬し、世の為に尽くす」ということばがある。攻撃防禦の練磨によって得るものは、各人異なるものがあって当然だし、それは柔道の持つ可能性を立証するむしろ好ましい現象だと私は思う。
 柔道修業の動機や課程もまた人それぞれ千差万別である。私は柔道を選手生活の中に生きた。選手は試合を頂点とし、試合は勝つことにすべてをかける。いま振り返ってみると、私は国内試合、国際試合を含めてずいぶん多くの試合を経験してきたと思う。その間栄光に酔ったこともあるし敗戦に泣いた苦い経験も幾つかある。
 試合は長い期間にわたる鍛錬の成果を対戦相手と競い、その是非、正誤をただ一度の勝負に問う、いわば舞台である。私は一試合、一試合を人生すべてと自分にいい聞かせながら戦ってきた。したがって気を抜いた試合などというものをただの一度もしたことがない、とはっきりいいきれるし、勝った試合にしろ負けた試合にしろ悔いはないと断言できる。「試合は水もの」とは勝負にかかわるものの通常語であるが、仮りに総合力では相手より上回ったものを持っていたにせよ、ある一部分が相手より劣っていれば、一瞬、わずかその部分をつかれただけで敗者となる。だから平常の稽古では、弱点をひとつひとつぬりつぶして総合力により磨きをかけることが必要なのだが、実は傾向として長所と短所はうらはらのものであり、受けが強ければ攻撃力は落ちるし、逆に攻撃力が強ければ受けが弱い。この壁を破るのが難題だが、少なくとも短所はできるだけ矯正し長所にいちだんの力を入れる、個性的な柔道を確立することが勝利への道ではないだろうか。そして勝った試合、負けた試合で何をつかんだかが成長のカギとなる。「稽古で泣いて試合で笑え」とは、これも柔道人が好んで使うことばであるが、私は稽古で泣いてさらに試合で泣くことによって飛躍があるといいたい。勝ったにせよ、敗れたにせよ、勝負の分析のないところに進歩はない。おおげさにいえば勝者と敗者の区別はこの一点で決まるといっても過言ではあるまい。
 勝者はその稽古、試合の過程での経験から自分を見極め、自信をつけ、勝つことの喜びを知る、そしてさらに飛躍できる能力をもつものに勝者たる資格があるのだが、警戒しなくてはならないのが過信だ。過信はスランプの原因になることさえある。かかるはずの技がかからない、受けられるはずのものが受けられない。これが長く続くと自信を喪失する。自信のない柔道などおよそ無意味である。ここに敗れることの意義がある。それも絶好調時に敗れることはショックは大きいが、ステップのチャンスだ。敗れて知る己−敗れれば初心にかえる。初心にかえれば再考、再検討から新たな出発ができるからである。 もし仮に永遠の勝者と呼べるようなスーパーマンが実在して、敗れることの辛さや口惜しさをまったく知らないとしたら人間として果して完全といえるか。いや人間といえるかどうかさえ私は疑問に思う。偉大な勝者とは内面的に強弱両極端の二律背反を常に合わせもっているものではないか、いいかえれば勝利の中に敗北をも読み取れるものを指すのだ。敗北を知ることで内面の強弱両端が歩みより精神はより強靭になる。勝ちのなかに負けを知るものこそ真の勝者だ。
 さらに私は逆説的になるが、真の敗者の強さも認めないわけににはいかない。敗者の真髄は努力の成果を数限りなく否定され、そのくり返しのなかで逆境に堪え、困難を克服する力とねばりを持つところにある。また自分の力を控えめに評価することによって、勇み足をしない慎重、冷静な鉄のこころをも会得するだろう。負けて勝つのも柔道の極意だ。
 真の勝者には勝者の、真の敗者には敗者の、それぞれの苦悩が必ず伴うもので、それは共に「勝」「負」の違いというだけのことであり、私はこの勝者、敗者における「条件」を重んずる。
 それにしても試合の、大試合になればなるほど迫ってくるあの孤独感は何なのか、当然ながら自分ひとりの力、全責任において勝負を決せねばならぬことの誇りと怖れ、柔道はグループ・スポーツではない。告白すれば、私は数えきれない試合経験をふり返ってみて自信、余裕をもって試合に臨んだことはただの一度もない。それはひとりひとりの相手に対する恐れというほかに、何か定かでないものへの不安感が常につきまとうのである。茫漠というか、荒涼というか、どこかさむざむとした気持ちで試合場に立つ。この不安の正体をまだはっきりと私は解明できないのだが、極度の緊張からくるこころのたかぶりがある一線を越えたときに起こる精神作用ではないかと思う。
 ここ一番と決意するとき、顔面から血のひいて行くさまが自分でもはっきりとわかり、目には涙がたまってくる。人との会話がスムースでなくなる。朝から食事もしていないのに空腹感もない。もしかしたら、自分は本当は弱虫ではないのか。いや、そんな自己猜疑を人に感づかれてはならぬ。祈るものがあったら祈りたい。事実私は人目につかないところへ抜け出して手を合わせたことすらあった。何に対してか、いま思えば何に対してでもない。あのしめつけられるような緊張感に耐えるための、文字通り追い込まれたものの最後に試みるこうどうにほかならなかったといえる。
 そして最終的には、不思議なことに私は天命を信じてしまうのである。誰かが、この勝負の結果はすでに知っているのだ。それに逆らうことは不可能なのだ。ただ最後の努力として、これまで最大の努力をして積みあげた精神と技術のすべてを素直に戦いに出そう。それだけに専念しよう。これが最後の試合なのだ、と。
 この「これが最後だ」という気持は、大試合(私にとっての)のたびに私が幾度となく自分に言い聞かせた言葉である。このことが勝負にかける自分の最終的な到達点であった。極端に言えば、私の柔道の試合は一試合ごとにすべて終わっていたのだといえる。
 そして試合開始となれば、どの選手に対してどのわざが有効か、一応判断して最初のわざだけはかける。あとは展開の流れに順応するが、もちろんイニシアチブは自分がとらなければならない。試合中には必ず二、三度わざをかけるチャンスはあるが、強引にそれをつかもうと狙うとかならずといっていいほどタイミングをはずす。だから揺さぶりをかけながら機をつかむ。とにかく徹底して攻撃につぐ攻撃をかける。連続攻撃で押しまくれば偶然にしてもチャンスにぶつかる回数は多いものである。
 また、試合に勝つためには体力やわざだけでなく、鋭い神経の働きが要求される。相手の先を読む。先の先も読む。後の先も読む。積極的にオドシもかけてみるし、逆に自分をアマクみせたりもする。すべてその瞬間瞬間に的確な決断が下せなければ敗戦の谷へまっしぐらである。その一瞬の、何分の一秒かの間に自分を処理する習慣を習性にまでするためには、日常起居のなかで判断力、決断力、勝負カンなどを養成する心がけを忘れてはなるまい。そして試合態度として望まれるのは、闘魂こもる勝負の一言につきるのだが、一口に根性といったところで一朝一夕にできるものではない。
 根性といえば、最近このことばがすっかり流行語になってしまったことを私は苦々しく思う。少しよい結果を出せば「根性がある」些細なミスをすれば「根性がない」ときめつける。なにもかも根性の一語で片づけようとする傾向があるが、本来根性とは何なのか。ごく単純に精神力と解釈して、柔道に関していえば力と精神力は車の両輪である。力があっても精神力が足りなければ満足な結果は得られないし、精神力だけが先行しても勝負には勝てない。互角の力を持つもの同志が、死力を尽くして戦った場合に限って、精神力に勝るものが最終的に相手を組み伏せる。ギリギリのところで精神力が生きるのであり、精神力そのものがオールマイティーなのではない。
 話が横道にそれたが、勝ち抜き先で試合を進める場合の心理状態の推移も微妙なものである。私は観衆が多ければ多いほど闘志がわく、自分でも信じられないような力が出ることすらある。しかしこの気負いが大きすぎて自分の柔道が思うようにできないこともあるからリキミすぎは禁物だ。だが、実際にはリキムくらいの体調と気力の充実がなければ上位に駒を進めることはできないものだ。
 柔道は比較的番狂わせの少ない競技であるが、それにしても一回戦に多少の波乱が起こるのはこのためだと思う。しかし試合の場数を踏んでくると「自分の心理状態が乱れるのは、人間が未熟なのだから仕方のないこと、いまちょっとリキミすぎのようだ」などとつき放して判断できるようにもなるものである。
 そして二回戦、三回戦あたりに勝ち進んでくると、観客を含めていっさいの外的なものと自己の間に一枚の「膜」のようなものができてくる。この「膜」は説明しがたいものだが、催眠現象というか、放心状態に近い感じだが精神は鋭利にとぎすまされて冷静である。このとき私はすでに一匹の放れ駒、歓声などにまどわされることはない。こころの高ぶりは肉体を勝負という別世界へぐいぐい運びこんでいく。手足にあぶら汗が吹き出す。武者ぶるいが起きる。−このようなときにである− 知人が肩をたたいたり、激励の声をかけたりすることがあるのだ。ハッとわれにかえる、一瞬、燃えあがった火が消える。正直いってこれは私にとってたいへん迷惑なことだった。戦いは私ひとりのもの、他人の介入するようなものではない。私は私ひとりの戦いを戦っているのだ。勝つためには−私ひとりの力で、厳然としてやり抜く意外に道はない。たとえだれに何と激励されようとも、それがすでに始まっている戦いのいったい何になるというのだ。
 そして準決勝、決勝となるとそれまでの緊張感とは全く異質なものが胸をつき上げてくる。ここまでくると透明な「膜」は完全に私を包みこんでしまって、すべてが見通せるような感じさえするものである。戦う相手は単なる一個の物体でしかない。自分自身との戦いだという実感がはっきりと迫ってくる。またこころが素裸になったせいか、観客がたとえ何万人いようと、そのひとりひとりの思いと自分が明らかな一本の糸で結ばれているという一体感すら覚えてくるのである。私の一世一代の晴れ姿、恍惚とした感情の芯で、みっともない勝負だけはしたくない。生涯に幾度もない人生のクライマックス。そして海鳴りのような大歓声はすでに私の勝利を祝う行進曲だ。
 この押さえようのない興奮状態の片側で、いってみれば戦いの異常心理の中に、醒めたもうひとつの冷ややかなるこころが自分を凝視する。
 こうなれば、これは完全に私の世界だ。この一点に凝縮された鮮烈な瞬間を私は忘れることはないだろう。
 勝負に関してつけ加えれば、試合の最中、私は攻撃に徹する自分の勇気をふるいたたせるために「コイッ」とか「ヨシッ」とか気合をかける。これについて「根性ある試合態度」の評もあれば「品が悪い」ともいわれる。しかし私自身にしてみれば「品」や「根性」を考えて気合いをかけているのではない。実際、そんな余裕はそれこそ薬にしたくてもないのである。全智全能、気力のあらん限りをふりしぼって勝負にかける激情のほとばしりが気合いになってくるのだ。さらに告白すれば、私は勝負における自分の弱さを熟知しているつもりでもある。もっとはっきりいえば、受けに弱いから待つ自信がない。したがって徹底攻撃に出る。恐れを打ち消すために気合いを入れる、ということにもなるのである。しかし、行動の原動力は自分の認識する弱さを克服するところから出発するのではないかとも考える。弱点のない人間が皆無であるとすれば、強くなろうとするための、弱さはバネだ。
 また、私は原則として試合に臨んでいわゆる計算というものをたてたことはない。たいていの試合時間は8分から10分。日ごろ鍛えに鍛えた錬磨の結果を互いにわずかな時間に出し尽くすのだから、攻防には意外な事態が必ず起こる。もし綿密な計算をしていた場合、突然の変化に自分の判断を即応させることは非常にむずかしいし、一度計算が狂うとそれにこだわって、自分本来の柔道まで見失ってしまう危険すらあるからだ。
 だから私は計算は稽古でたてる。日常、稽古のときから試合を前提にするのである。全日本選手権クラスになれば、組み合わせの決まる以前にだいたいの選手の長所、短所はほぼ知っている。私は稽古のときによく投げられるのだが、たとえ稽古ででも投げられると相手に自信を持たせることになる、という人もあるが、このことは別に気にしない。
 ただ、これは手強い、と思った相手に対しては、必ずその弱点を見つけ出し、そこへの攻撃を一度だけ思いきってかけて見る。それで大丈夫という確信が得られれば、二度とそのわざはかけない。いくら稽古で投げられても、試合になれば必ず勝てる、という自信をもってその稽古をやめる。
 同時に、試合に間のある平素の稽古にしても、自分の長所、短所を充分に考慮した自覚ある稽古をすることが大切だと思う。人が稽古するからやる。指導者が命ずるからやる。あるいは先輩が大木に帯を結んでわざの反復練習をしたから、鉄の下駄を常用すれば足指が強くなるというから、参禅すると心が落ちつくといわれたから、などの猿真似では何の意味も効果もあるまい。人のものでも自分なりに消化すること。自分の目指すものを完成させるのだ、という強固な意志のもとに行動しなければならないはずである。やったという単なる事実が大切なのではなく、そこまでしてもやらなければならない、という意欲と情熱が錬磨に好影響をもたらす。
 いくら稽古をしても勝敗はときの運、などと自分勝手なご都合主義で片づけるものがいるが、これは最初から勝負の失格者だ。限界に挑む気力のないものに運はない。運は待っているものではなく、強引にでも引き寄せるものだ。
 幸い、私は恵まれた選手生活を送ってきたが、柔道によるケガの数でもチャンピオンだと自負している。
 右膝6回、左膝は5回ギブスをかけ、腰で6ヶ月の病院通い。神経痛は腰、足、肩、腕、そして腕脱臼、手首ねんざ、肋骨骨折、その他首を除いてはありとあらゆるケガの経験を持つ。
 したがって自分のからだに関する限り、どの程度のケガなら何日で直るか、自分なりにだいたいつかんでいるし、こと外傷についてなら、おそらく医者よりもくわしいのではないかとさえ思う。私はケガで一年のうち3ヶ月から4ヶ月、ひどいと6ヶ月くらい休んでいる計算になる。
 ケガは自慢すべき性質のものではなく、しない方がいいに決まっているが、しかし、なぜこうもケガが多いのか、一言でいいきれるものではないが、精神と肉体のアンバランスからくる場合がかなりあるように思う。稽古場を変えたとき、体調はいいが気が乗らないとき、心配事があるとき、あるいは病みあがりに、しゃにむに張りきりすぎたときなど、例をあげれば枚挙にいとまがないが、稽古でもやはり、はっきりと自分の心身の状態はつかんでおくことが必要だ。
 そしてケガよりも恐ろしいのは、ケガをしたことによって精神的に駄目になることである。ケガと妥協をする怠惰の部分がこころのどこかに必ずある。平常、生活のいとなみの中で人のこころはそれほど強いものではない。長いケガになると始めの1、2ヶ月は治るのを待てないくらいの焦燥感、3ヶ月目には休んだことで体力に不安を覚えるようになり、4ヶ月を過ぎれば気持が柔道から次第に離れてゆく、という現実が私の経験からはいえる。
 よく「ケガをしてスポーツをやめた」というはなしを聞くが、私にいわせれば再起不能のケガなどめったにあるものではない。大部分はケガに負けた人間がケガに責任を転嫁しているにすぎない。精神的な弱さが第一の敗因だ。ケガに負けたのでは勝負に勝てるはずがない。くり返すが、ケガは自慢すべきものではない。しかし自分に勝つことを標榜するのが武道に生きるものの心意気ならば、自分に負けるのは最大の恥辱であろう。ケガの時期こそ本当はこころを鍛えるまたとないチャンスなのだ。
 私は比較的早い年齢で試合から離れているが、精神的にはずいぶん長い緊張の毎日を過してきたような気がする。
 いまでも私はときどき試合をしている夢を見る。それがいつもあまりにも鮮明なので、深夜目覚めて考えこむこともあるのだが、私のこころはまだ試合に臨んだままなのだというある感慨に近いものを覚えるのである。試合が終わった直後は無我夢中で、どんなわざをどこでかけたかなどということは全く覚えていないのに、何日かすると私は試合中の一挙手一投足まではっきりと再現できる。
 今後、私の柔道の行きつくところはどこなのか。とにかく、私のさらに新しい柔道の世界に向かって、勝負にかける情熱をそのままに突き進んでみたい。柔道は人生と同様、勝った負けたのただそれだけで、極め尽くせるほど底の浅いものではないのだから、より一歩の前進を心懸けるよりほかに道はあるまい。安易な妥協は怠惰につながる、怠惰が停滞を生む。停滞に進歩はない。創造への意欲が新しい世界をつくるのだ。柔道は民族の、歴史の、あるいは私の人生の誇りである。
 
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KKベストセラーズ発行

                  剛力をねじふす 柔道チャンピオン   以下、同書より抜粋


■わが青春譜1 「つぶれた耳」
男の子なら、だれだってどうにかして強くなりたいと思うだろう。強いものにはあこがれるだろう。私のあこがれは、太い首で肩をふり、ガニマタで歩く柔道マンであった。
 中学生のころは高校生の、高校生になると大学生、そのときに見る一クラス上の柔道部員が、やたらにたくましく見え、自分も早くああなりたいとそればかりを考えた。
 なかでも、つぶれて盛りあがりタンコブのかたまりのようになっている先輩たちの耳は、柔道マンのシンボルとして私にはたまらなく魅力的であった。
 そこで柔道を始めて数ヶ月くらいから、私はこの耳をつぶす努力にひそかに取り組んだ。壁に耳をぶつけてみたり、ゲンコツでたたいたり、寝技で意識的に耳をこすりつけたり、というふうにである。
 しかし、人間の耳はそうかんたんには変形しない。
 念願がかなったのは高校二年になってからであった。左耳が内出血したときは、いい知れない喜びを痛み以上に感じ、これで自分も一人前の柔道家らしくなったと悦にいったものである。

わが青春譜2 「赤い小便」
 医学的な根拠を確かめたわけではないが、疲労が極限状態になると血の小便が出るとは、昔から話には聞いていたが、私にもその経験がある。
 全日本選手権を目ざして激しい稽古に明け暮れていた一九六六年のある夏の日のことだ。だいたい私は夏場の稽古では体重が四、五キロおちるのが通例なのだが、しかし、そのときの疲労はまさにピークであった。
 稽古を終えてひと息入れ、ほっとしながら道場を出て、草むらに向かって気持ちよく立小便をしたところ、出てくる小便が真赤で血そのもの。この色の鮮やかさは初体験でもあり、ちょっと不気味であった。
 しかたがないので、以後二日ほどそれまでよりは稽古量をおとしてみると、たちまちふつうの状態にもどってしまった。。
 そこで思った。私は体力にはある程度自信を持っている。それが血の小便をするくらいなのだから、これで私の稽古も一人前だ。ともかく稽古の量についてならいい線をいっているぞとほこらしくもあった。

■わが青春譜3 「傷だらけの栄冠」
 高校時代、三年間にわたって出場した高校選手権大会には印象深い思い出がいくつもある。
 最初のそれは一年のとき、福岡県での大会に向けて竜ヶ崎一高が茨城県代表に決まるちょうど一週間前であった。
 私は三人兄弟のまん中で兄とは二つちがい、この兄も柔道をやっていて同じ竜ヶ崎一高の柔道部員。私は先鋒、兄は主将で中堅だった。
 兄とは小さいころからよく兄弟ゲンカをしたのだが、その日も、自宅の二階にいっしょにいるうちになにかのキッカケで猛烈なケンカになり、私は大腰で投げ飛ばされ、電燈のガラス製のカサに、まともに足をぶつけてしまった。
 電球もろともカサが激しい音をたててくだけ、私の足首がザックリ割れて血が吹き出した。傷は意外に深い。鮮血がみるみる畳を染める。その血を見ているうちに投げられた私より、投げた兄のほうがあわてていた。兄弟とはいえ、主将が先鋒を負傷させたのではシメシがつかない。
 即座に停戦して「だいじょうぶか、だいじょうぶか」を連発する兄と二人ですぐに医者にかけこみ、傷口を三針縫った。
 縫ったところで試合までにもちろんなおるはずがない。裂けるといけないから抜糸もせずに、ビッコをひきながらそのまま予選の全試合に出場、とうとう優勝してしまった。
 兄が三年生、私が一年生だから、高校選手権大会兄弟出場はたった一度のチャンス。
 アクシデントをおりこみながら、それを果たして福岡行きのキップを手にしたときはさすがにうれしかった。
 そのころの高校生にとって、九州まで試合に行けるなどというのは夢のまた夢。じつをいうと私はただ九州に行きたいばかりに、痛みをこらえてがんばったのである。
 その試合に行く特急列車の食堂で、私は先輩のひとりにビーフステーキをごちそうになった。
 生れて初めて食べるステーキを、これまた生れて初めてナイフとフォークで口にしたのだが、となりにすわってやはりステーキを食べている外人の目がきになってしかたがなかった。

■わが青春譜4 「少年時代の宝物」

 今は物質的にも経済的にも恵まれた時代であるから、柔道衣を買わずに柔道を始めるものなどは、まずいないだろう。
 想像もつかないだろうが、私が柔道を始めたころは、受け身の期間は、上はアンダーシャツ、下は体育の時間に使用する白い木綿のトレーニングパンツで練習した。だから柔道衣を買ってもらったのは三か月以上もたってからである。
 初めて自分の柔道衣を持ったときのうれしさは今でも忘れられない。無精にうれしかった。初めて黒帯をしめたときの感激と同様であった。夜、ふとんに入る前には毎日たたみ直して枕もとに置いた。枕にしたり、たまにはそれを着て寝たことさえある。
 まるで宝物であった。ほんとうにたいせつにした。だが質も今のものよりはよくないし、一生懸命稽古をしたせいもあって、ほころびるのも早かった。えりなどはすぐにすりきれてしまう。そうすると厚布を探し、自分でぬいつけた。そのころ、ほころびのない柔道衣をつけているものなどはほとんどなく、みんなツギハギだらけだった。
 そういう体験を持っているからか、私の柔道衣に対する愛着は現役生活の最後まで変わらなかった。試合の前夜には少年時代にやったと同様、かならず枕もとに置くか、直接枕にした。自分の戦闘装束をつねに身近にしておくのは、心もおちつくものである。

■わが青春譜5 「一対一なら負けないが・・・」

小学生のころ、私はとにかくキカン坊であった。中学生になって、さっそく待ちきれないような気持で柔道部に飛びこんだのも、あちこちでガキ大将ヅラをして、いばっている年長の連中を、カッコいい柔道の技で片っぱしから投げ飛ばしてやろうと思ったからである。
 そのころ、柔道なんかやっていなくたって、私は同級生以下ならケンカに負けたことなどなかったから、対象は上級生。ところがである。柔道部に入ってみるとケンカの強い上級生がほとんど顔をそろえているのである。
 これにはまいったが、納得もした。以後しばらくはたたみにたたきつけられるたびに、自分の弱さを、文字通り、肌で感じる毎日を送ったわけだが、そのケンカに強くなりたいという一念が、いつのまにか柔道に形を変えた。
 そして、しだいに柔道の力がつくにしたがってケンカを売られるようなこともなくなった。いや、正確には一、二度あるにはあったが、いずれもこぜりあい程度ですんでいる。いざというときに、素手で一対一の戦いなら絶対に負けないという自信は、その後の柔道の修業によってつちかわれたものだが、柔道を始めて以来今日まで、さいわい私は、いざというせっぱつまった状況に追いこまれたことはまだない。

■わが青春譜6 「わが悪童時代」
 はずかしいけれど、小学生のころの悪童ぶりを一、二告白する。二年生のくらいだったろうか、あるとき遊び疲れて家にもどった。私の家は理髪業。父が店で客の顔を剃っていた。仕事の最中である。しかし私にはそんなことはいっさい関係ない。「父ちゃん、こづかいほしい」
 タイミングも悪かったのだが、何度ねだっても父は返事もしない。反応なし。まったくの無視である。無視されるのは、どなりつけられる以上にシャクにさわるものだ。
 私はだんだん頭に血がのぼってきた。だまって表に出ると砂利を両手にいっぱいつかんで力まかせに、父めがけて投げつけた。不意うちである。
 父もおどろいたろうが客はもっとおどろいたろう。ヒゲを剃っていて、まさかいきなり石つぶてが降ってくるとは思わない。とうぜん、父は烈火のごとく怒る。ものすごい顔をしてカミソリを持ったまま追いかけてきた。私は逃げる。足には自信がある。
 しかしこのときの父の執念はそうとうなもので、逃げても逃げてもあきらめずに追いかけてくる。とうとう捕まってぶんなぐられたあげく、両手両足をしばられ庭の木にくくりつけられてしまった。
 それでも私はだまってなんかいない。「殺せ!殺せ!」と大声で絶叫した。その大声を三、四軒向こうのおばあちゃんが聞きつけ、何事かとのぞきにきた。「あれ、まあ、功ちゃん、どうしたの」
 ふだんガキ大将でいばっているのに、こんな無残な姿を見られてはたまらない。逆上の火にさらに油がつがれる。
 「うるせえ!クソババア!」 思い出してもはずかしい。
 またあるとき、おぼえたての自転車で町を走りまわっていた。するとトウフ屋のおじさんがラッパを吹きながら前を走っている。だれかが呼んだのだろうか、いきなりおじさんは急停車。すぐうしろを走っていた私はブレーキをかけるヒマもなく、まともに体当たり。自転車は折り重なって大きな音をたてながら横倒しになった。
 わたしは吹っ飛んでしまったのだが、起きあがって見ると道路が水びたしでまっ白。積荷のトウフが全部投げ出されてしまったのである。
 おじさんはあ然としている。私はもう泥だらけのトウフを見ただけで足がすくんだ。たいへんなことをしてしまったと一生懸命あやまったのだが、おじさんはやっぱり怒っている。
 私の名前や家を聞き出して、散らばったトウフをうらめしそうにながめ、いつまでもブツブツいっている。どうしたらよいのか、うつむいてモジモジしながらポケットに手を入れると五円玉がひとつあった。
 おわびのしるしに横倒しになったままの箱の上に、その五円玉を置くやいなや私はいちもくさんに家に逃げ帰った。だが、あとからおじさんが家まで押しこんでくるのではないかと心配でたまらず、あのときばかりは一週間ほど家にいても人のくる気配がすると、そのたびに心臓がドキンドキンと波を打った。
 そのほか、ケンカでも自分がケガをしたことはなかったが、相手にはずいぶんケガをさせた。両親もあやまって歩くのに骨が折れたろうと思う。
 だが、心ならずもそうなってしまうのであって、やってしまったあとは無性に相手が気になってどうしているだろうかと人知れずその家のまわりをウロウロ歩きまわったりしたものである。
 しかし、わけもなくケンカをしたのではなく、幼いながらもちゃんとした理由はそれなりにあったいったところでやはりいいわけになってしまうだろう。

■わが青春譜7 「世界が相手だ」

 日本では、野球の人口が柔道よりはるかに多いが、全世界を対象にした場合は、野球より柔道人口のほうがずっと多いのだ。
 いまや柔道は世界的なものだ。そして、これからもその傾向はますます強まるだろう。だから、これから柔道をやろうとするもの、あるいは現在修行中の諸君は、せまいところで小さくかたまらずに、”世界の柔道”を目指してもらいたい。盆栽の木は大きくならない。
 世界に羽ばたき、柔道を通して世界中に友人をつくるのだ。修業は苦しいだろうが、柔道をやってよかったと思う日がいつかかならずくる。
 柔道に強くなったからといって、野球やその他のプロスポーツ選手のように、その技術によって大金持ちにはなれないかもしれないが、柔道でなければ得られない収穫もたくさんある。金持になることだけがしあわせではない。
 私は、私が柔道で知った喜びを、ぜひ諸君にも知ってもらいたいと思ってこの本を書いた。柔道の修業に終わりはない。
 私もまだしなければならないことが山ほどある。これからも諸君と一緒にできるだけ肌を接し、とことん話しあえる機会と場所をつくって、ともに同じ道を歩く努力をしよう。

■わが青春譜8 「テレくさい思い出」

 柔道を始めた中学一年の春のことである。私の育った竜ヶ崎市は、茨城県下では柔道が非常に盛んだったが、柔道部は、新入部員が六〇人ほどいた。始めたばかりでもあり全員がハッスル、受け身ひとつでも激しい競争であった。
 ある日、私は授業中に猛烈な腹痛におそわれ、たまらなくなって早退した。油汗を流しながらようやく家までたどりつき、トイレにかけこんでしばらく横になっていると、それまでの腹痛がウソのように治ってしまった。やがて時間がたち、柔道の練習が始まる時刻になってきた。そうすると、一日休むことによって、いっしょに始めた友人に追い越されてしまうのではないかと心配で、もう、じっとしていられない。とうとうがまんしきれず学校に逆もどり、練習に参加した。
 しかし、授業を早退して柔道の練習をしていたのがバレたら、こっぴどくシボラれる。だから同級生全員に固く口どめをしたのだが、結局これはあとになってバレてしまった。私は、完全に落ちてくるであろう”カミナリ”を覚悟した。そのとき、担当の先生はなんと言ったか。
 「岡野のような気持で柔道をやればかならず強くなる」とほめられてしまったのである。ウソをついて授業をサボったのではないのがわかってもらえたのだ。うれしいやらバツが悪いやら、あのときの先生の顔と、テレくさかった自分の気持を私は今でも忘れないでいる。

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ランス・レーガー著
岡野功訳


                「“底力人生”を切り開け!」 訳者あとがき

 この種の本が、日本人でなくアメリカ人によって書かれたことに、私は多少とも無念の情を抱かずにはいられない。
 本書は、米国の第一線実業家であり評論家でもある著者が、いかに柔道精神をビジネス・日常生活に生かすかを説いたものである。これは単なる抽象的な精神論ではない。柔道精神に密着した技と、そこに至るまでのプロセスを、実生活のさまざまな場面に応用し結びつけた上での、具体的な生き方の書である。
 「柔よく剛を制す」とは、柔道と言えば誰もがまず心に浮かべる言葉であろう。本書を貫く精神の本流もまた、この言葉に表されると言ってよい。
 "笑ってかわす""ひと息いれる""心身のこりをほぐす"等、まず身につけるべきは先制攻撃のみに固執しない柔軟な心である。そこからおのずと生れてくるのが、著者の言う"絶対不敗の雰囲気"なのだ。この柔軟な心が、ビジネス、人間関係、その他人生のあらゆる場面において、究極には攻撃することなく相手を制する最大の技となる。
 心あっての技であることを強調しつつ、次に、私の考える「生涯柔道」について述べさせていただきたい。
 
 一個の人間が、独立して人生を生きるということは、好むと好まざるとにかかわらず、他人と関わりながら社会に生きるということだと思う。独立とは、他の存在があってはじめて意味を持つ言葉である。
 生きるという現実には、必ず自己以外の何かが介在し、あるいは介在することが想定される。そして、われわれはその一点を直視しない限り、生活パターンを組み立てるのは不可能なのである。要するに、他との関わりの中での個人をとらえない限り、社会的現実は成立しない。
 だとすれば、われわれはどうしても、他を前提に自分を見つめなければならず、そうすれば、必ずそこに摩擦・軋轢が生じ、障害も突出する。そのさまざまな壁を乗り越えようとあがき、悶え、必死に努力を続けることこそが、実は人生を生きるということなのだろう。
 そういう人間の歴史が、これまでさまざまなドラマを生んだ。そのドラマは一人では演じられない。生活や社会、人生は、すべて他者との関係を意識してこそ、自己の存在を明らかにすることができるものなのだ。
 私は、小学生のころから柔道を始め、中学、高校、大学、社会人と選手生活を続けて、幸いその間に幾つかのタイトルも獲得し、引退後、現在にいたるまで柔道指導者としての生活を送っている。だから、私にとっては、人生即柔道、したがって私の生活の基本原理は、すべてこれまでに学んだ柔道の精神と技の組み合わせによって構築されている、といっても過言ではない。
 そして私は、ひそかにそのことを誇りに思っている。しかし、それはタイトルを獲得したり、現在も柔道指導者であるという、ただそれだけの理由からではない。もちろん、それらも現実的な結果として否定するものではないが、ほんとうに私が誇りとしたいのは、この過酷な鍛錬の道程に耐えてこられた、つまり、柔道を通してさまざまなものと関わり合い、せめぎ合いながら現在を迎えている自分の精神と肉体に対してである。
 楽しみながらの柔道、苦しみに耐えながらの柔道、その取り組み方は人によってさまざまである。だが、常にトップを目指さなければならない選手生活では、試合によっていかに相手を倒すか、そのことばかりに専念し稽古に明け暮れるのであるから、楽しんで柔道をするなどというのは、現実的には不可能である。
 もちろん、大きな大会で予選を勝ち抜き、ビッグ・タイトルを手にした瞬間の喜びが楽しみとならないなどとは言わない。しかし、それはほんの一瞬のことである。たった数十秒間の、こみあげる歓喜のときを得るのに、苦しみ抜いて費やした稽古の時間は何千倍、何万倍にあたるのか。
 それも、稽古量が多いというだけで結果がタイトルにつながるとは限らない。一日は二十四時間、かりに不眠不休で稽古に没頭しても、対戦相手が同じ量をこなしていたらどうなるか。
 勝負には必ず相手がいるのである。しかも、その相手の環境をはじめ精神や肉体が自分と全く同じとは考えられず、諸条件が相手に有利であれば、自分の稽古量が少しくらい勝っていても問題になるまい。要は内容ということになる。
 そこで、自分にとって不利と思われる環境を整備し、弱点をひとつひとつチェックして、その克服に全力をあげる。それでも、いざ試合となれば不安は残る。実は、その塗りつぶし得ない不安は、終始私の試合につきまとった。だが、場数を踏むにつれて、試合を前にして身体が硬直して身動きできないようなことはしだいになくなった。
 ぬぐいきれない不安は不安として肯定できるようになったのである。冷静とまではいかなくても、不安を感じている自分をもう一人の自分が、ある程度つき放して見据えながら試合に臨めるようになったのである。客観的に自分を見るこの態度は、引退後の実生活においても、事に対処するにあたって、今も変わらない習性となって私の内にある。
 複雑な人間関係で動きがとれなくなったとき等、やはり不安感を胸に抱きながら試合場に臨んだ、あのときと等質の心境を思い浮かべつつ行動している自分に気がつくことがある。古い諺に「体で覚えたものは終生忘れない」というようなものがあったが、実にその通りだと思う。頭の中だけで考えたものは、一時はなるほどと思いあたるが、忘れるのも早い。
 柔道は、身体を鍛え技を練る、そのプロセスにおいて強靭な精神力を培い、それを大きな特性とするが、しかし、考えてみると、身体の鍛錬を全く抜きにして、つまり汗を流さず精神を鍛える手段などというものはいったいあるのであろうか。
 運動量によって、流れる汗の多少はあっても、私には、肉体的苦痛を伴わない精神鍛錬の方法があるとは思えない。柔道とは全く異なる分野の音楽家や舞踊家を例にとっても、声をふりしぼり、激しく身体を躍動させる。スポーツとは違うが、たいへんな運動量ではないか。
 身体を鍛え、それによって精神力が練られるという状況は、要するに、自分の目的に向かってどれだけ深く関わったか、つまり極限の底の底まで自分をぶち込んだ経験、体験の多寡による。
 ここで私の言う肉体の鍛錬は、単に筋肉のみの強化を指すのではない。目的に向かっての、身体活動の度合いを対象にしているつもりである。誤解を招かぬように付け加えれば、柔道をやりさえすれば完全無欠の精神力が養成されるという安易な思い上がりを戒めたいのである。精神力強弱の振幅度は、目的意識を持った身体活動の度合いに比例するというのが私の持論だ。
 そして、たとえ一時期でも、そういう真剣な活動を持ったものは、実生活にも一本ゆるぎない柱を持っているはずだ。私のその柱は柔道だが、人はまたそれぞれの柱を持っていて不思議ではない。
 わが国の平均寿命から逆算すれば、まだ私はようやくその半ばに達したばかりで、人生についての感慨めいたことを述べるのはおこがましいが、やはりストイックに燃焼した柔道の青春は、私にとっては何ものにもかえがたいものなのである。
 さらに、私が柔道から学んだものは、何事にも耐え得る精神力ばかりではなかった。技の攻防の中から、人生、生活に対処するためのテクニックを会得できたとも、私なりに考えている。
 柔道の技は、相手を倒すことを目的にきわめて合理的に構成されており、技の基本は、姿勢、組み方、体捌き、崩し、作り、掛けなどであるが、このどれかが不完全だったり、また技の使い方をひとつでも誤ると、それが試合では命取りになる。中途半端な技を掛け、そこを返し技などで逆襲されたら、もう手の施しようがない。
 技術がそれほど高度でない者同士の試合なら、単純なミスは看過されたり、単発的な技でも相手を投げたり押さえたりすることができるが、技術の度合いが進歩するにつれて、それでは通じなくなる。ミスをなくし、一の矢、二の矢、三の矢と連続的に攻めこまなければ相手を倒せなくなる。すなわち、連続技が必要になってくるわけだが、この攻防の間から、おおげさに言えば、人生が見える。
 一度の仕掛け通じなければ、続けて次の技を、さらに次をということなのだが、強敵になればなるほど簡単にはいかない。最終的に相手を投げる技を心に決めて、最初の技、次の技と仕掛けていくわけだが、しかし、実際には最初の技で相手を倒そうというだけの思いきりがないと、次も、その次の技も通じない。
 つまり、三つの技を連続して掛け、第三の技で倒すにしても、第一の技、第二の技を全力で掛けていなければ、第三の技は決まらないということなのである。
 このことは、われわれが日常生活の場で、さまざまの障壁に挑戦する際も同じだと思う。事に処するにあたって、最初から結果オーライだけを考え、プロセスに手抜きがあるとすれば、おそらく途中で挫折せざるを得なくなるにちがいない。小さな現象に対しても、方法、手段は最良、最善のものを選択することによってこそ、はじめて好結果が出るはずである。
 その最良、最善の方法を選択する術を、本書では説いている。生活の基盤となる家庭や社会の中で、われわれはどう他と関わるべきかを、柔道の技の攻防に現象をあてはめながら取り組んでいる。
 生活応用柔道とでも言うのか、実生活に、いかに柔道を連動させるか、柔道を柔道だけに終わらせず「生涯柔道」の必要性を説いているのが大きな特徴である。
 当然と言えば当然だが、私の人生には長い間の柔道修業の道程が結果として大きく影を落としている。それが無意識のうちに生活の場に顔を出す。決して意識的にそうするわけではなく、これはもう、一種の習性なのである。
 本書では、そのエッセンスを、もっと積極的な姿勢で、柔道を一般社会の諸現象に対比させながら、最大限の活用を試みている。柔道精神そのものを、実人生のキーポイントにしようとしているわけある。
 柔道の合理性を分析し、それを応用、活用することによって、冷静な判断力や決断力がおのずから身についてくるものと私は確信するが、本書は、そのきわめて重要な部分に着目して、誰にでも理解できるよう平易に、しかも鋭くスポットを照射している。
 柔道国際化の波がますます広がる今日、このユニークな試みは興味深く、必ずや読者諸氏のこれからの人生に大きな力となって生かされることと、確信してやまない。

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ゴング格闘技 1994年5月号 「検証 グレイシー柔術」 バイタル柔道寝技編 「正気塾のめざすもの」
バイタル柔道投技編 「勝負にかける情熱」 「剛力をねじふす 柔道チャンピオン
「“底力人生”を切り開け!」 訳者あとがき
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