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「地球戦記外伝・旅立ち」・2

宇陀 美紀

         3,

 

 その日、夕焼けに空が染まったころ、哲はジープをとなりの町へ向けて走らせていた。

 補充の必要な機材や薬品を今夜中に手に入れるためだった。助手席にはマリが座っていた。

「哲さん」

 マリが話しかけてきた。

〔へえ、マリの方から話しかけて来るとは、…〕

 めずらしいな、と哲は思った。普段は静かで物思いにふけっていることが多いマリだった。

 哲はちらっと、マリの方を見たが、夜が近づいている山道ではシルエットしか判らなかった。

 マリの肩を越えた長い髪が、やや乱雑に後ろで束ねられていたが、はみ出した髪は風になびいていた。

「マリ、あと三十分ぐらいで着くけど、その間だけでも休んだらどうだい?」

「哲さんこそ、働き詰めで、大丈夫?」

 マリが白い歯をのぞかせた。軽い笑顔だったのか、力の抜けた笑顔だったのか、哲には区別できなかった。

 次第に闇が深くなっていった。月はなかったが、満天に星が輝いていた。

 不意に、ジープのヘッドライトを横切る影があった。

 その大きさが人間に近かったので、哲は思わず、ブレーキを踏んだ。

「あぶない!」

と、口からでたのはマリだった。

 哲はそれほどスピードを出したつもりはなかったが、ブレーキ音とともに、ジープの後輪が右に流れた。

「うわっ!」

 人影が飛び出してきたことより、ジープの後輪が流れたことに、哲は驚いた。道路の右側は、斜面に木が生えているものの、崖と同じだったからだ。

 マリはとっさにシートにしがみついていた。

 ジープが無事、止まった瞬間、哲は大きくほーっとため息をついた。

「マリ、大丈夫か?」

 哲はマリを振り返った。

 その時、星明りながら、マリの表情が凍りつくのが判った。

「マリ、どうした?」

 マリの視線は哲の背後を泳いでいた。

 それに気づいた哲は振り向いて、背後の人影を知った。

「だれだ?!」

 哲は身の危険を感じて身構えた。

 人影は何も言わず、ライフルのような物を哲に向けた。哲は反射的にそのライフルを押え込むように、人影に向かって飛びかかった。

 銃声が夜空にこだました。

 それを耳のすぐ側で聞いた哲は、鼓膜が破れるかと思った。同時にかっとなった哲は、この無礼な人影に蹴りをいれようと試みた。

「このっ! …?」

 その時、何かが哲の首に巻き付いた。それはヒヤッと冷たいざらざらした長いロープのようだった。そのロープの一方の端は哲の目の前で尖っていた。もう一方の端はその人影の背後にあるようだった。ということは、

「貴様っ!」

〔リザドか?!〕

 まさか、こんなところに、という思いが哲にはあった。哲の思考が一瞬空白になった。

 そのとき、哲の首に巻き付いていたロープが、かなりの力で引っ張られた。だが、影の人物の両手は、ライフルをしっかりと抱えていた。そのロープのようなものが、人影の背中につながっているということは、…

〔間違いない。こいつは、リザドだ〕

 哲はあっという間に、ジープから引きずり降ろされ、道路に投げ出された。

「うっ」

 とっさのことで頭をかばうことはできたが、哲は背中を道路にたたきつけられた。

「哲さん!」

 マリがジープを降りて駆け寄ろうとしていた。そのマリの足が、ジープを降りたところでぴたりと止まった。

 リザドは、哲に向かって近づいていた。

 哲は起き上がると、少しずつ後ずさりをして、ジープの前にまわった。さらに後ずさりをしていくと、リザドの影も哲に付いていった。

 哲の足元をジープのヘッドライトが照らしていた。その中に、影が入ってきた。今度ははっきりとその姿が判った。

「リザドが、なんの用だ?!」

 ヘッドライトの中で黒く浮かび上がったリザドは、ライフルを哲に向けた。今度は距離がありすぎて、哲は飛びかかれなかった。

「やめて!」

 マリが叫んだ。マリの影がヘッドライトの中でリザドに向かっていった。

 そいつは何か言葉のようなものを怒鳴りながら、左手でマリの左頬を張り倒した。

 パシッ!

「きゃっ!」

 マリはよろめきながら地面に倒れ込んだ。

 それを見て哲はカッと熱くなった。

「マリに、何をする!」

 哲は再度、リザドに飛びかかった。その哲のみぞおちにリザドの尻尾が突き当たった。リザドには尻尾があると判っていても、それが格闘でどう動くのか、哲には想像もつかなかった。

〔あの尻尾が〕

 尻尾をみぞおちに叩きつけられ、哲は後ろへよろめいた。二、三歩下がったところは斜面になっていた。哲は足を踏み外し、斜面を滑り落ちた。その途端、斜面に生えている木に後頭部を打ち付け、哲は気が遠くなった。

〔しまった〕

 薄れていく意識の中で哲は、リザドがライフルを哲に向かって構えているのを見たような気がした。

〔まずい〕

 一瞬、死んだ母親のことが哲の脳裏を横切った。

〔母さん〕

 そして、スイッチを切られたように、哲の意識は途切れた。哲の体は、木に背中を預けながら、崩れ落ちていった。

 

         4,

 

 それはまったく唐突な出来事だった。

 やがて、哲の意識が戻り始めた。体中に土の冷たい感触が広がっていった。虫の鳴き声や薮蚊の羽音も聞こえるようなった。

〔ああ、コオロギが鳴いてる。いや、オケラの鳴き声かな〕

 哲はしばらく耳を澄ませて、やっと、自分がまだ生きていることを知った。哲はゆっくりと目を開いた。

 そのとき、一発の銃声が轟きわたった。

 思わず哲は、身をすくめた。そのときほど、哲は恐怖を感じたことはなかった。まるで、生きたまま腹を切り開かれ、心臓をぎゅっと握りつぶされるような感覚だった。

 一度は生きていることを実感したが、今度こそは、

〔やられた!〕

という気がした。

 何かが、ドサッと崩れ落ちるような音がした。

〔俺じゃなかった〕

 哲はハッとなった。銃で撃たれたのは、マリかも知れない。

〔まさか、マリが?!〕

 哲は、バッと跳ね起きて、斜面を飛ぶように駈け昇った。

 道路に上がると、そこには、マリが背中を向けて立ち尽くしていた。さらにその向こうでは、リザドの兵士がぐったりとなってジープの前に倒れていた。

 マリはライフルを構えたまま、両肩を小刻みに震わせていた。

 何があったのかは一目瞭然だった。マリがリザド兵から銃を奪って撃ち殺したのだ。

〔マリ、…〕

 哲はマリの側に駆け寄った。

「マリ!」

 「大丈夫か?」と続けようとして、哲はその言葉を飲み込んだ。マリの様子が少しおかしかった。

 マリの目は倒れているリザド兵に向けられて動かなかった。銃を握ったままの立ち姿勢も崩れる気配がなかった。

 マリの目は大きく見開かれ、顔中にべっとりと脂汗がにじみでていた。目の前の光景にマリは大きなショックを受けているようだった。

〔そうか〕

 哲は何かを納得した。理解したと言ってもよかった。

 哲は、リザドの死体とマリの間を遮るように、マリの目の前に立ちふさがった。そっと彼女の右肩に手をおいて、哲は言った。

「マリ、もう、済んだんだ」

 哲の言葉にマリはぽとりとライフルを落とした。そして、手が急に震えだし、続いて、彼女の体中がガクガク震えだした。彼女の顔は紙のように血の気がなくなっていった。

「マリ、しっかりしろ!」

 哲は、マリの両肩をつかむと激しく揺すった。

 一呼吸おいて、哲はマリの顔をのぞき込んだ。

 マリはゆっくり顔を上げて哲を見つめた。

「哲さん?」

 それは心の中から絞り尽くした後のような細い声だった。

 マリの瞳の中に、哲の精一杯の笑顔があった。たちまち、マリの目は潤み始め、涙が次々と頬を伝って落ちていった。

「マリ、君が無事でよかった」

 マリは哲の言葉をゆっくりと噛みしめるかのように、哲の顔を見つめていた。その哲の一言に、マリは気が緩んだのか、やがて、わっと泣き出すと、哲の胸にすがりついた。

 哲には、マリの気持ちが判るような気がした。おそらく、初めて人を殺したときの感覚と自分自身への恐怖に耐えるには、マリの神経は細かったのかも知れない。

〔確かに今は戦争中だ。相手はエイリアンだった。だからといって、殺すことに慣れることはできない〕

 特に哲は、医師を志していた。人を助けることはあっても、人の命を奪うことなど、思いもよらないことだった。戦争になってもその思いは変わらなかった。いや、変えたくはなかった。

〔人間だけだ。人間だけが同じ人間を大した理由もなく殺せるんだ。いつだって、話し合えば理解できた、と後悔するくせに〕

 だから、マリの心の中にタブーを冒したような罪の意識があるのなら、それは永遠に彼女を捕らえて離さないだろう。これから彼女はそれに立ち向かっていかなければならないのだ。

〔非力だな〕

 そこで哲は、改めてあることに気づいた。

〔そうか、彼女は、俺を、守ってくれたんだ〕

 哲はマリの両肩に置いた手の力を抜いた。

「マリ、ありがとう」

 マリはやっと哲の胸から顔を上げた。

「マリ、今度は俺が君を守る。必ず、だ。約束する」

 マリは首を横に振って、涙を手の甲で拭おうとした。哲はすかさず、ポケットからハンカチを差し出した。

「はい。このままじゃ顔に跡が残って、斑になるかもな」

 マリはハンカチを黙って受け取った。うつむいたまま、マリはハンカチを顔に押し当てているようだった。

 その時哲は、マリが何故首を横に振ったのか知りたくなった。何か深い意味があるような気がしたのだ。

〔いや、やめとこう。今は、マリが落ち着くのを待った方がいい〕

 哲はそう考えて、マリをジープへ促した。

 マリの足取りは重そうだった。マリが哲の肩ごしにリザド兵の死体をのぞき込もうとするのが判った。哲はそれを遮るように身体をすべらせた。

「もう、見るんじゃない」

 マリはうなずくと、視線をジープのダッシュボードにとめて、シートに腰を下ろした。

 哲はジープの後部から大きいビニールシートを取り出して、それで死体を包んだ。哲は死体を道路脇の目立たない場所に置き、ライフルを後部シートに放り込んで、ジープを再び走らせた。

〔町についたら、リザドの死体のことを報告しないとな〕

 助手席のマリはぐったりとなって眠っているようだった。

 哲はマリと初めて会ったときのことを思い出した。

 マリ、約真野マリ(やくまの・まり)は、二週間前に、病院の近くの林に倒れていたところを哲に発見された。正確には、林と病院の境に哲が手入れをしている花壇があって、そこに倒れていたのだ。

 哲は戦争で殺伐とした病院の空気が好きになれなかった。戦争になってからは、一層、花が美しく見えた。哲は季節毎に咲く花を植え、人の心が花の美しさに気づく余裕が生まれることを願っていた。

 倒れて気を失っていたマリは、手に一通の手紙を握っていた。それは、哲が二年前から文通していた約真野マリに宛てていた手紙だった。後からそれを知らされた哲は驚いて、

「へえ、あの子、約真野さん? 自分で、『ブスだから写真は送りません』なんて言ってたけど、結構、かわいいよな」

と、もらした。

 彼女の住んでいた町は、隕石によって消滅していた。彼女の家族、友人も一瞬の内に消滅した。彼女はたまたま一人で歌手のライブを聞きに行っていて、難を逃れたと言うことだった。

 そして、戦争が始まり、身寄りのない彼女は、文通相手の哲を頼ってたどり着いたのだと言った。回復した彼女は、看護学校に通っていたことを話し、哲のいる病院で働き始めた。

 マリは無口と言うほどではないが、あまり人のおしゃべりの中にすすんで入っていくタイプではなかった。ただ、黙々と、一所懸命に働いている姿が、哲の目に映っているだけだった。

 ジープを走らせながら、哲は、これから、戦争は、人類は、地球は、そして、自分やマリは、どうなるのかと、漠然とした不安を感じた。

 事件のあったところから町までは、実際に三十分もかからなかった。

 町でリザド兵のことを防衛軍に通報したところ、早速、防衛軍の兵士がやってきて死体を片付けていった。その死体がどう処理されるのかは、哲の関知するところではなかった。

 

(つづく)


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