ミャンマー旅行 2013年4月2日〜8日


    昨年末、友人と忘年会をして飲んだ勢いでミャンマー行きを決めた。(て)もと誘ったが、仕事の都合で断られた。3人で計画していたが、NN君も都合がつかなくなり、結局、中村浩さん(以下HNと略す:大阪大谷大学名誉教授、考古学とくに須恵器研究では第一人者)と二人で行くことになった。HNはTNの大学院時代からの友人、何回も試料採集で一緒に旅行をした経験はあるがこんなに長期間、二人だけで過ごすのは初めての経験。どちらも癖が強いのでもめるとたいへんだなとちょっと危惧したが、まあお互いに歳をとり少しは気が長くなっていたため危機は回避できた。
 HNはシリーズで「ぶらりあるき香港・マカオの博物館」、「ぶらりあるきバンコクの博物館」などのガイドブックを精力的に刊行し続け、10冊を越えるらしい。その取材で毎月海外に出かけている。その一冊にミャンマーも加えるための取材が旅の主目的。HNは既に昨年もミャンマーに行ったことがあるというので、まあすべてまかせTNは観光に徹すればよいと、いつもは準備の下調べで苦労するのに今回はすべておまかせの気楽なもの。

 さて、旅行記をどうまとめましょう。写真は暇に飽かせてイッパイとった。同じようなもがばかり。まあ日程順が妥当なものかと。その前に、今、思い浮かぶミャンマーの印象を書き出して、そのあと日程順に整理してみます。

1.ミャンマー人にメタボは皆無。これは貧しいことの象徴かも知れないが気持ちよい。ケニヤやインドで、太っている輩は商売人、ずるがしこいやつばかりと思った昔を思い出す。今回出逢い、話したミャンマー人達、全員が優しく、気品が有り、魅力的でした。


マハーガンダーヨン僧院で、食事に向かう僧侶たち



焼き物の村チャウミャウンで











2.日本人観光客らしき人に出会ったのはヤンゴンで、それも二人だけ。2011年に「ミャンマー中部の観光地パガン近郊で28日午後、旅行中の日本人女性がバイクタクシー運転手の男(39)に殺害された。」それ以来、日本人観光客は極端に減少したらしい。今はミャンマーで新展開を目指す企業人が多数、ミャンマーを訪れる。帰りの飛行機には企業人らしき日本人が多数のっていいた。

3.ミャンマーは清潔。田舎のミャンマー式トイレも綺麗で気持ちよく使えた。中国の悲しいほど不潔なトイレと比較していた。

4.富田林市の名刹「竜泉寺」の住職HNいわく、ミャンマーの仏教は「仏教の原点」、何をもっていうのかよく分からないが、とにかくどこへ行っても仏塔、僧院、お坊さんだらけ。タイより多い。お坊さんは尊敬されているのがいろいろな場面でわかるが、それはそれで気持ちよい。












4.午後は40度を超える猛暑の国。今までに経験した南の島、インド、ケニアなどと田舎の景色が似ていて既視感に襲われる。この暑さ、しかし騒がずひっそりと過ごす人達。好きでした。

5.花、鳥、動物、意外に日本に生息するのと似ていました。










4月2日(火)
6:50 宿川原から阪急バスでJR茨木へ
7:30 JR茨木駅から関空バスで関空へ。8:50着 14日間有効の往復乗車券が3000円。
 みやげなどは買わないと決めていたので生活費として7万円をドルに両替。待ち合わせまで時間があるのでコーヒを飲み、家に電話・・・。しかし、携帯のキー操作が全くできない。突然の故障にパニック、液晶面に水滴がついているようにみえたので、たぶん汗かなにかで濡らしたのが原因か。それにしてもさいさきが悪いなとがっかり。HNとの待ち合わせも不安になったが、9:30に無事合流。HNに電話を借り、(て)に電話。
 出国手続きを済ませ、タイ航空のラウンジで時間待ち。今回はビジネス席にしたので航空会社のラウンジが使える。ビジネス席は初めて、HNが100kgを越える巨体でエコノミーは無理なのでしかたがないと思い、贅沢な旅券に同意。ラウンジや飛行機内で”ただ酒”が充分に飲めるのでつい飲み過ぎてしまう。まあ確かにゆったりしたスペースはありがたいが、貧乏人のTNにはもったいない感じ。搭乗時や降りる時も優先されている。なんでも金次第かとばからしい。HNはその特権を当然と受け止めているよう。


HNさん






11:45 タイ航空(TG623)でバンコクへ。飛行時間は5時間50分、タイ時間15:35着。 タイとの時差は2時間。
 HNと久しぶりにいろいろ話し合い、変わっていないなと確認しあう。妻に先立たれた寂しさを珍しく口にしたのが気になった。
 バンコク空港は巨大すぎてうんざり。JFと来た時にはこれほど巨大な空港とは思わなかったのにと。

17:50 TG305便でミャンマーのヤンゴンへ。飛行時間1時間25分、ミャンマー時間18:45着。時差は2時間30分。
 タイ航空の機内食は、美味しくも無いが不味くも無かった。何を食べたか書こうとしたが思い出せない。記憶力減退が著しい。
 ヤンゴン空港は小さな国際空港、これくらいの規模の方が分かりやすくて気楽。
 とりあず生活費にと200ドルをチャット(Kyat、以後はKと略記)に両替、1Kは約0.1円。

 空港ではガイドのトウ(Tou)さんが出迎えてくれた。ガイド&ドライバーはHNとは既に面識があるらしい。
 ヤンゴンは人口約600万人の大都会。植民地風の古い建物と新しい高層ビルが混在している。道路は混雑しているが中国やインドの都会と比べれば静かなもの。約1時間でTrader Hotelに。途中、いろいろ説明してくれたが、なれないためか理解出来たのは半分以下。翌朝はガイドの口癖もわかり、3分の2程度は聞き取れた。
 翌朝はホテル5:00出発、なので後は寝るだけ。

 ここで大問題発生、HNか糖尿病の薬を忘れた、スーツケースを直前に変えたのが失敗の原因らしい。糖尿と分かっていて、酒を飲みよく食べるHNが最後までもつのか不安になる。しかし、どうしようも無い。
 TNの携帯電話を再度チェックすると、入力が可能、水分が消えたのかな。国際電話はミャンマー用のをレンタルしてきたので、(て)にホテル着の電話を入れる。
 HNのいびきに、これはまいったなと先が思いやられたが、翌日以降はほとんど気にならなくなり慣れた。なんとかなるもの!


ガイドのトウさん、Traders Hotelで。






4月3日(水)

 4時起き、5時にヤンゴン空港に向け出発。トウさんの英語が聞き取れるようになる。ミンガラーバ(こんにちわ)とチェーズーテンパーテ(ありがとう)などのビルマ語を教えてもらうが、肝心なときに思い出せない。情けない記憶力、最初の海外調査時に覚えたシンハリ語はまだいつでも使えるのに、悔しい加齢効果です。
 ホテルで朝食をとれなかったがサンドウイッチなどを用意してくれていた。
 ヤンゴンに戻った時のドライバーは代わるというのでチップ10000K(千円)を渡す。トウさんにはまた逢えるというので渡さなかったが、7日に戻ったときは別のガイドが出迎えてくれた。なんだかね、と嫌な感じ。

6:30 ヤンゴン航空(YH909)で最初の目的地マンダレーへ。7:55着。
 サンドウイッチなどの簡単な機内食がでた。国内線の座席指定はなし。HNが座った座席は背もたれがぐらぐらしていた。よくある故障らしい。


ヤンゴン空港でマンダレー行きのYH909便に乗り込む。








マンダレー空港




8:30 ガイドのトントン(TunTun)さん、ドライバーのオンオン(Auang)さんと最初の目的地アマラプラ(Amarapura)に向かう。車はワゴンタイプで大きく、HNの乗り降りも楽そうだった(バガンでのセダンタイプの車では乗り降りが大変でした)。
 豆畑があり(ミャンマーの人はピーナツが好物らしくどこへ行っても出され、とまらないやめられないといいながら食べている)、chanbecという紅い花、porcianaという赤い花が咲き、マンゴが実り、山羊がいた。そうこうするうちに街に着き、
9:00 織物工場に。日本製の古い織機があった、今も動くとガイドは言うが疑わしい。綺麗な刺繍を入れた織物の作業を見学。工場の前には当然のようにショップがあった。


トントン(左)さんとオンオン(右)さん



織物工場



豆の収穫風景





9:40 ウ−・ベイン橋
 ウー・ベインは、インワからアマラプラへと遷都された際の市長に当たる人。彼はさびれかけたインワの旧王宮からチーク材を選び、アマラプラにひろがるタウンタマン湖を渡るために全長約1.2kmのこの橋をかけた。160年前に造られたこの橋が、修復を重ねながらも現在でも立派に人々の役に立っている。
 今ミャンマーは最も暑い暑季(3月から5月中旬)で乾季でもある。雨季には橋の下一面が水浸しになるそうだが、今は、田圃や豆畑がひろがっている。
 1.2kmぐらいは歩いてみたかったがHNは疲れるのか嫌がり、半分で橋の下に降り小さな手こぎの船で戻る。

ウ−・ベイン橋





10:00 マハーガンダーヨン僧院
 国内最大級、最高位の僧院の一つで全国から集まった約1500人の僧侶が修行生活を送っている。ちょうど食事に向かう僧侶の行列がみれた(ミャンマー1の最初の写真)。

マハーガンダーヨン僧院内にあるパヤーの一つ





11:20 サガインヒルのサンウーポンニャーシン・パヤー
 サガインの町外れにある小高い丘に、150以上の仏塔(パヤー)と僧院が点在する。金ぴかのパヤー群には圧倒される。それだけミャンマーは金の産出国であることを意味し、イギリスにねらわれた理由があるのだろう。

サンウーポンニャーシン・パヤー




サガインヒルを降り、ミャンマー風レストランで食事。ライスカレーを食べる。ミャンマーのカレーは辛くなく食べやすい。昼食時に飲むミャンマー・ビールも美味しく癖になる。

 昼食後、ミャンマー第二の大都市マンダレーに入り、シェナンドー僧院、クドードォ・パヤー、サンダムニ・パヤー、チャーウット・パヤーの順に回り、丘全体が仏教の聖地となっているマンダレーヒルに。マンダレーヒルではチンテージナッカウンやサンダームキなどを見る。


14:30 チャーウットーチー・パヤー



14:50 チンテージナッカウン



15:10 マンダレーヒル





15:30 旧王宮
 ミャンマー最後の王朝となったコンバウン朝の王宮。敷地はほぼ正方形で一辺が約3kmで高さ8mの城壁で囲まれている。


旧王宮の城壁





15:30 旧王宮
 ミャンマー最後の王朝となったコンバウン朝の王宮。敷地はほぼ正方形で一辺が約3kmで高さ8mの城壁で囲まれている。

サンウーポンニャーシン・パヤー


17:00 ホテルMandalay Hill Resortへ
 立派なホテルでも停電が何度もある。ホテルには自家用発電機も備えられているようで直ぐ回復する。ミャンマーの電源は水力発電が主で、乾季は渇水期で停電が多いらしい。 このホテルから歩いて行けそうなところにレストランがないので、夕食をホテルのレストランでとる。ホテルの食事は約40ドル程度、結構高い。中華料理のレストランは営業停止で選択肢もなし。


4月4日(木)

5:00 起床
6:00 ホテルの朝食バイキング お粥があった
7:00 ホテル出発
 毎日、晴れていて午後は40℃を越える。それは想定内、しかし期待した真っ青な空がほとんどなく日本の春のような雲の多い空、Why?と問うと、今年は異常、雨季が早く来るのかも知れないという。中国からの大気汚染ではないかと心配だが、なんの情報もなし。

 マンダレーの北約113kmに位置するシェボー(1752年ビルマ属の英雄アラウンパヤー王がここを王都としてコンバウン朝を起こした)からさらに東へ約30km、エーヤワディ川のほとりにある小さな町チャウミャウン、この町に隣接するニュエニャイン(Ngwe Nyein)が焼き物で有名な村。約800世帯が全部が陶器製造に関わっている。直ぐ隣の村(名前が今出てこない)も同じ規模の焼き物の村。
 ロクロも手で回すものも足でまわすものもある。ロクロを助手が回す分業もあった。大きな甕を80も並べて焼く大きな窯もあった。HNは、今秋にここでミャンマーの焼き物についての本格的調査に入る予定なので、懸命の聞き取りをはじめた。













親の仕事場で遊ぶ子供たちがカワイイ






焼き物の積み出し港




  12:10 焼き物の村を堪能し、シェボーに戻り、再建された旧王宮シュエポン・ヤンダナ・ミンガラー・パレスを訪れる。





  午後はマンダレーに戻り、博物館や動物園に。博物館は小さいながらも充実していた。

 昨日からガイドは博物館へはあまり連れて行きたくない様子だった。理由は小さくて魅力がないという事だったがそれは価値観の差で理由にはならないなと思う。しかし、HNがとにかく博物館、動物園はすべて訪れると執念を燃やすのにも辟易するが、これは「ぶらりあるきミャンマーの博物館」に書きたいためで分かりやすいと言えば分かりやすい。


シェボーのレストラン



マンゴ




  4月5日(金)

5:00 起床
5:30 朝食バイキング
6:00 スーツケースをとりにポーターがくる。(チップは2000K:200円相当)
6:30 チェックアウト
7:50 8:10発予定のヤンゴン航空YH732便が20分も早く離陸。へーと吃驚。
   Nyuang U 空港へ。
   (ガイドに30ドル、ドライバーに15000Kのチップを渡し別れる。)








8:30 ガイドは U Than Htayさん、ドライバーのU Than Nyuntさんと合流。
   二人とも昨年と同じ人らしい。ガイドは考古学の専門家で寺院の壁画の修復作業の担当経験もあり、ミャンマー屈指の仏教の聖地バガンのガイドとしては最適任者。さすがに説明は要領よく大事なことを的確に教えてくれた。
 事前にHNが行きたいところと、「地球の歩き方 ミャンマー(ビルマ)」からリストアップした23の寺院、僧院、仏塔を二日間で全部まわり、ほかにもいくつかの訪問を追加している。
 綺麗な青空がみえた。

 5日に回ったのは、
午前中に、サパダ・パーヤ Sapada Paya、シュエズイ・ゴオン・パヤー Shwezigon Paya、テイーローミインロー寺院 Htilominlo Temple、ウパリシマ upalitein、マハーボデイー・パヤー Mahabodhi Paya、シュエグーヂー寺院 Shwegugyi Temple、タビイニュ寺院 Thathyinyu Temple、ナッラウン僧院 Nathlaung Kyaung、タンドーヂャ石仏 Than Dawkya Gu Paya、ビタカタイ(三蔵経庫裡)Pitakat Taik の計10地点。

午後はまず漆器博物館に行くがこの日は見学できず、考古学博物館へ。ここは完全に撮影禁止。そのあと漆器を造って販売しているところによる。

夕方から寺院、僧院、仏塔巡りを再開し、ダマヤンヂー寺院 Dhammayangyi Temple、シュエサンドー・パヤー Shwesandaw Paya、Htupa Layzu Group  トウパレス、セインニエ・アマ寺院とセインニエ・ニイーマ・パヤー Seinnyet Ama Temple &Seinnyei Nyima Paya、ナガーヨン寺院 Ngayon Temple  の5地点を訪問。

 煉瓦を上手に使った美しい寺院、金ぴかの仏像・仏塔などそれぞれに特徴がありみていて飽きないが、それをここで説明しようとしても読んでくれる人もないだろうからやめる。


9:15 シュエズイ・ゴオン・パヤー前 セレモニーの行列(何の?)




9:28 シュエズイ・ゴオン・パヤー




10:55 タビイニュ寺院




11:21 ナッラウン僧院




11:24 ナッラウン僧院内の菩提樹




16:15 シュエサンドー・パヤーの寝仏 全長18m




17:15 セインニエ・ニイーマ・パヤー




17:30 ナガーヨン寺院





漆器造り






いろいろな地点で「地震で寺院や仏塔などが壊れた」という話を聞いた。特に1975年の地震で。これは7月8日に発生しM6.5だったらしい。M6.8だったり1976年だったりどうも地震資料はあまり整理されていない感じ。とりあえずわかったのは

○ミャンマーは地震多発地帯。
○ミャンマー西部からバングラディッシュ及びインドにかけて、インドーオーストラリアプレートとユーラシアプレート境界があり、同地域から東部にかけて地震が頻発。このプレート境界で発生する地震の深度がミャンマー国内では深いという特徴がある。
○ミャンマー中央部を南北にSagain断層が走り、これは横ずれの活断層。M7.0以上の地震が多発。この断層は、南はヤンゴン東部のバゴー県から首都ネピドー、さらにはマンダレーを貫き、中国国境のカチン洲まで伸び、全長1200kmにおよぶ。この断層の東部では1912年5月23日にM8.0の地震が発生している。
○ヤンゴン市内を含め、地震対策はほとんどとられていないため、今後も地震が発生すれば被害は甚大になる可能性が高い。


4月6日(土)

5:00 起床
6:30 朝食
8:00 ガイドと予定コースを打ち合わせ、ホテルにlate check out を交渉。15時が限界ということなので、13時にホテルに戻り、14:30にツアー再開し、17:30 Nyaung U 空港着の予定を決める。

きょう回ったのは、
プー・パーヤ Bu Paya、ゴドーパリイン寺院 Gowdawpalin Temple、スラマニ寺院、ダマヤンヂー寺院 Dhammayangyi Temple、ミンガラー・セデイ Mingala zedi、グービヤウッヂー寺院 Gubyaukgyi Temple、ミインカバー・パヤー Myinkaba Paya、マヌーハ寺院 Manuha Temple、Shwe Kyaung Oo Pagoda、ソーミインヂー僧院 Somingyi Kyaung、ペッレイ・パヤー Ashae Petleik Paya & Anauk Petleik Paya、ローカナンファー・パヤー Lawkananda Paya、ダマヤッズイカ・パヤー Dhammayazika Paya。

 いろいろな寺院や僧院で修理工事が行われている。これらの修理費用は全て寄付でまかなわれているという。信仰心のあついミャンマーだからこそできることかもしれません。


10:00 スラマニ寺院のフラスコ画




10:02 スラマニ寺院で リス




10:50 グービヤウッヂー寺院





11:21 マヌーハ寺院





15:30 ペッレイ・パヤー





15:50 ローカナンファー・パヤー





1610 ダマヤッズイカ・パヤー





16:30 最後に回ったダマヤッズイカ・パヤーでガイドと








17:30 Nyaung U 空港着。ガイドに40ドル、ドライバーに20000Kのチップを渡す。
19:00 YH732便でヤンゴンへ。
   出迎えてくれたガイドはToeさんではなく別の人、このAung Soeさんが悪いわけではないが、なんでという不快感。
20:30 traders hotel にcheck in

 バガンに現在残る仏塔や寺院のほとんどは11世紀から13世紀にかけてのもの。

4月7日(日)ミャンマー旅行最終日


5:00 起床
6:00 朝食
8:00 出発
 旧首都のヤンゴンは人口約600万の大都市、19世紀にイギリスがつくった古びた植民地風建造物と新しい高層ビル、熱帯地域でどこにでもみられる庶民の家屋が雑然と混ざっている。

8:20 ミャンマー最大の聖地シュエダゴォン・パヤーへ。バガンで飽きるほどみてきたパヤーなのに、その規模には驚かされる。おまけに日曜日というので人出も凄いものでした。HNはガイドに「地球の歩き方」に示された必見スポットを順に駆け足で案内させる。本を書くための効率しか考えていないみたいで、ちょっと引いてしまう。















10:30 ヤンゴン動物園
 動物は136種と少なく珍しい動物もいないが、園内の観光用自動車に乗り一巡り。




12:00 ミャンマー民族村
 ミャンマーは多民族国家です。国土は7つの管区と7つの州に分けられ、管区に人口の7割を占める多数民族のビルマ族が住んでおり、州にはカチン族、カヤー族、カイン族、チン族、モン族、ラカイン族、シャン族といった少数民族がそれぞれの州に在住しています。これら7つの少数民族は代表的な民族であり、実は部族といった民族も入れるとミャンマーの民族135種類あると言われています。みんな言葉も違えば、風習も違います。伝統的な宗教はアニミズムが多いようですが、中には仏教とキリスト教の信者もいます。ちなみにキリスト教は20世紀の初めにアメリカ宣教師によってミャンマーの山間地域を中心に広げられました。

 民族別に住居や暮らしぶりが再現されている。村内は広く、車で回れた。

時間におわれ?族か記録していない







1:00 ホテルに戻り、2:00にcheck out

ホテルからみたヤンゴンの街並み




15:00〜16:00
昼食をとったあと、国立博物館へ。目玉はイギリスから変換された「獅子の玉座」。
展示階が5階まであり広い展示場で結構疲れる。エレベータもあったが停電でダメでした。

16:30 インヤー湖
 空港チェックインまでの時間調整。郊外にある静かな湖。多くの人が散歩したりコーヒを飲んだりして憩いでいる。




ガイドのAung Soeさん




17:30 ヤンゴン空港チェックイン
 ガイドに20ドル、ドライバーに10000K。

19:45 Yangon (TG306) 21:40 Bankok 23:30 (TG622)

  4月8日(月)

7:00 関空着

やれやれと思ったとたん、デング熱騒ぎ!
こうしてミャンマー旅行は終了しました。

 まあ、それなりに初体験も多く、楽しい旅でした。

デング熱?陰性でした!
投稿者:TN 投稿日:2013年 4月 8日(月)14時48分0秒

 今朝、関空につきました。検疫で熱があると呼び止められ
検温をすると39度も。ミャンマーからの帰国なのでデング熱
かもしれない。血液検査をすれば今日中に感染しているか
どうかが分かるというので、デング熱とチクングニア熱の
検査をしてもらった。心配でじっと寝ていたら熱は36度に
下がった。蚊に刺された覚えはないので多分大丈夫と思う
ものの不安。

 今、検疫から電話があり、陰性でした。よかった!


検疫でもらった「デング熱」のパンフには、
日本での輸入感染例は2010年に244例、2012年が220例でそのうち、18例
および20例が関空検疫所で確認されたそうです。

感染経路:ヘッタイシマカやヒトスジシマカが媒介し、ウイルス保有の蚊に刺されることにより感染が成立。直接的な人-人感染はない。
潜伏期間:通常4〜7日、ときに二週間後に発症。
症状:急な発熱、全身の筋肉。関節痛、眼窩痛が出現、3〜5日解熱傾向になり、全身に発疹が見られることもある。重篤な症状として、出血症状や胸水、腹水などがあり(デング出血熱)、死亡する場合もある。
治療法:特異的な治療法はなく、対処療法が中心。アスピリンの服用は避ける。

感染症予防法では4類感染症に規定されている。4類感染症とは動物又はその死体、飲食物、衣類、寝具その他の物件を介して人に感染し、国民の健康に影響を与えるおそれのある感染症。

 実際に感染していたら?と思うと冷や汗ものです。
他の資料によれば、
 デング熱はミャンマーでは 子どもの頃に複数回罹患し、免疫があるため大人はほとんど感染しない。一方、日本人は免疫がないので注意が必要である。
特効薬はないので解熱鎮痛剤であアセトアミノフェン及び水分摂取で1週間耐えれば、ほとんどの場合、後遺症も無く完治するといわれている(デング熱の重篤化の割合は非常に低い)。
←こう言ってくれればあんなに心配しなかったのに!