最終更新日 2014年4月27日


アメリカ西海岸 2014年4月


明日からアメリカへ

 投稿日:2014年 4月 8日(火)16時12分19秒

   9日出発で19日に帰国します。

 8日16時
  だいたい荷物は詰めた。

  今回は姉や甥が世話してくれるので、アメリカでの
 スケジュールはお任せで不安はないが、そのぶん土産
 が多くなり、税関との対応がちょっと気掛かり。日本
 的な食品が主なのでその説明が大変だろうな・・・。

8日18時
 ANA SKY WEBから4通のメール着。
 伊丹-成田、成田-サンノゼのそれぞれ2人分の搭乗券、スマートフォンならこれをスマホで表示すればよいと言うことらしい。どうも気持ちがわるいので、搭乗券を印刷してもって行く方を選んだ。
 オンラインチェックインというシステムで、出発の5日前に案内がきて手続きをすませると国際線出発の24時間前に自動チェックインがなされ、メールでその結果が知らされる。たまにしか出かけない海外、そのたびに飛行機の搭乗券の発券システムが変わってきているような??

 冊子になった航空チケットが懐かしいな!
 「地球の歩き方」にはE-チケット所持者なら通常は自動チェックイン機で各自手続きをするとなっている。これも嫌ですね、有人のカウンターの方が安心感があります。いつも思うのですが、一体誰のための自動化なのでしょう?客のためというより業者のためというのがほとんどですね。腹立たしい。

9日 いよいよ出発 18時前に成田発
同じ日付の朝11時頃にサンノゼ着、甥がむかえにきてサリナスの姉の家に。

11日 ラスベガス 2つのショウを観る。
13日 ラスベガスからサリナスに戻る。

あとはサンノゼの甥の家、Muir Woods Hiking, Big Sur Hiking,
Santa Rosa Winery訪問など、詳細は未定。
 

1 出入国

 
 カリフォルニア(California)洲のサリナス(Salinas)に居住するTN(て)の姉(Noriko)と姪(Mariko)、サンノゼ(San Jose)の甥(Tutomu)一家に逢いにアメリカへ。TN&TNと鹿児島の姉(Toshiko)の3人連れで、TN&TNは4月9日から19日までの11日間、Toshiko姉は9日から28日までの20日間の旅。アメリカでの日程は全て、早期退職し時間に余裕ができたというTutomu君が調整・案内してくれた。

 今回の旅の入国手続きで最も頭を悩ませたのは「お土産」でした。米国入国時の税関申告書に「食品」を持ち込んでいると申告すれば、当然内容を問われる。日本食ばかりなのでその説明がTNの英語力では不安だったので、山椒(spice)、塩昆布(solted kelp)、魚の佃煮(cooked fish condimet)などの英単語を調べておいた。Toshiko姉もたくさん持ち込んでいたのでこれは大変だろうと覚悟していたが、申告書は家族で一通でよいというので3人家族ということにしてTNが対応しました。持ち込んだ土産のリストを正直に見せると、肉や生野菜などが含まれているか?と問われ、NO!と答えるとOkでした。

 帰国の際は、土産の中身ではなくその量の多さが頭痛のたねでした。自分で買ったのはワインぐらいなのに、Noriko姉たちがたくさんのお土産を用意してくれました。別送しようと思ったのですが、手荷物で機内に持ち込めば?というTutomu君の示唆で、スーツケースに制限重量の23kgギリギリまで詰め、残りをバックパックと手提げ袋に入れ機内に持ち込みました。日本の税関は荷物を確かめることもなくフリーパスでした。やれやれ、なんか肩が凝りました。バスとモノレールで伊丹空港に行ったのですが、荷物が多いので帰りは空港からタクシーで帰宅しました。


帰りの荷物とお土産











4月9日(水)
 10時に家をでてバスとモノレールで伊丹空港に11時30分着。14時20分発のANA NH2178便なので充分時間があると思っていたが、伊丹空港の国際線乗り継ぎの受付カウンターは大行列。おまけに搭乗ゲートに入る前のセキュリティチェックの厳しさとそのための混雑は異常。何回も手荷物の再確認がありうんざりでした。15時40分、成田着。
 ここでToshiko姉と合流し一緒に出国手続きをするはずだったのが、乗り継ぎ客は直ぐに、セキュリティチェックの場所に行くことになっていた。Toshiko姉に慌てて連絡、搭乗ゲートまで1人で来るように伝える。1人で大丈夫かなと心配したが空港案内のボランティアの人が親切に対応してくれたようで無事合流。
 成田のセキュリティチェックはスムーズに流れていた。やはり伊丹は異常!

 成田空港はインドでの調査以来だからたぶん20年ぶり、その時の記憶が全く無いが空港は古びたなという感じ。飛行機までバスで移動するのも何となく古いタイプの国際空港というイメージ。


成田空港






 17時25分発  NH1076。 サンノゼに11時着。
 飛行機はB787-8で新型機。映画やビデオなどを観れるモニターはタッチパネル、これは初めてで面白い。映画も「小さいおうち」や「永遠の0」など新しい作品が入っていた。しかし、日本語でみると英語の字幕がでてこんな英訳でよいのかな?と気になり楽しめなかった。
 座席は国内線のB767-300よりかなり狭く窮屈。


雲の上をサンノゼへ




サンノゼ上空
サンノゼ空港は街中の空港で建物が眼下に迫り、もし
墜落でもすれば大きな被害がでるので怖い感じがした。

街と山の間にある白い雲が雪の壁のように見えた





B787-8








サンノゼ空港






 税関手続きが思ったより簡単でほっとして審査所を出るといきなり空港出口、Tutomu君が目の前に。



 帰国便は4月18日(金)  サンノゼ13時05分発のNH1075便 で19日16時10分東京(成田)着。 全日空なのでチェックインは極めてスムーズ、またサンノゼ空港はサンフランシスコなどの大空港と比べれば乗客は少なくすべてがゆったりとしかしスムーズに流れ気が楽。
 アメリカのセキュリティチェックは、荷物より乗客のボディチェックが主眼のよう。靴を脱ぎベルトを外し、両手を上にあげさせられる。

 機内食の前後に今回は3本もワインを呑んだ。フランスのもので美味しかった。












 入国手続きは簡単、しかし成田空港は馴染みがないので、国内線乗り継ぎゲートを探すのに同じ場所を行きつ戻りつ、ばからしくなり案内ボランティアの人に尋ねた。


 4月19日(土)  18時5分発NH2179便、19時20分大阪(伊丹)着。タクシーで帰宅。

16時間の時差はしんどいですね。特に帰りは。18日の朝9時にサリナスをでて、19日の21時に帰宅、この間、ほとんど寝ていないのに、20日の3時に起きてしまった。

 ふと今気がついたのですが、かつて海外旅行と言えば、免税店でウイスキーやタバコを無税持ち込み分だけ買ったものですが、今はそんな観光客はいないし、ウイスキーやタバコを主とするような免税店も見当たらない。時代の流れでしょうか?
 

2 サンノゼ

 

 サンノゼ(San Jose)はサンフランシスコ湾南岸の北緯37度18分15秒、西経121度52分22秒に位置している。半導体・コンピュータ関連の産業が集積するシリコンバレーの中心都市で、他の大都市に比べて比較的所得水準が高いことから、アメリカ国内の人口25万人以上の都市を対象とした全米安全度調査の第1位である。2000年現在の国勢調査で、この都市は人口894,943人、276,598世帯および203,576家族が暮らしている。(←ウィキペディアからのコピペ)

 Tutomu君の家はサンノゼ国際空港から東に車で30分ほどかかる郊外の高級住宅地にある。Google Earthの衛星写真で、Algonquin Way, San Jose, CA を検索すると丘陵地に拡がる住宅街の様子がよく分かる。

 アメリカ旅行初日の9日にサリナスに行く前に短時間だけお邪魔し、ラスベガス旅行から帰った時は、13日から16日まで(3泊4日)の滞在になった。Tutomu君は車で、ここからナパバレー、サンフランシスコ、ミュアウッズ国定公園、スタンフォード大学などを案内をしてくれた。
 それらの観光旅行の合間に家の周辺を散歩した。丘陵地でありアップダウンが適当にあり、庭には花が植えられ、野鳥や兎、それに七面鳥のにまで出逢える素晴らしい散歩道でした。


Tutomu君の家




散歩道からの景色






黄色の花はカラシナ、サンノゼ周辺の山はこの時期、瑞々
しい緑色の草と黄色のカラシナのコントラストが美しい。





歩行者用停止信号の手のマークが珍しかった。日本と比べれば車は歩行者に優
しい。信号のない横断歩道では、車は人を見るとかなり手前で停車してくれる。
しかし、歩行者用の信号による歩行可の時間は短い。あと何秒とせかす。















七面鳥の散歩です。





ディナーにでかけたゴルフ場の会員制
クラブハウスのまえで記念撮影。



FreewayとHighway





 同じ高速道路だろうと思っていたがTutomu君によれば違うらしい。Freewayは立体交差構造をもつ道路で信号はない。一方、highwayは一般道と平面で交差する。日本で言う高速道路と同じなのはたぶんFreeway。いつものウィキペディアによれば「元々は立体交差構造なので一般道路のように信号など交通整理による停止が不要なことからフリー(free)と呼ばれたのであり、通行料が無料であるからフリーと呼ばれたのではない。通行が有料のフリーウェイも存在する。」とあった。

 Freewayに面白いレーンがあった。「BUSES and CARPOOLS ONLY」という標識が立てられていて、バスと二人以上乗っている車の専用レーンでラッシュアワーに設定されている。 CARPOOLというのは二人以上乗っている車のことだという説明文まであった。違反すれば罰金381ドル以上だって。渋滞時もこのレーンはスムーズに流れていた。










 

3 ナパ

 

 4月14日(月)ナパ・バレー(Napa Vale)に

 ナパのワイナリー(カリフォルニア観光局:http://www.visitcalifornia.jp/
 カリフォルニアワインの代名詞となっているナパ。サンフランシスコの北東にある細長い谷ナパ・バレーは、高級ワインの産地として知られています。南北に50kmほどの盆地は、エリアごとに微妙に気候が異なるために、この一帯だけでフランス一国に匹敵するほど多種多様なブドウが生産されているといわれています。ナパ・バレーにあるワイナリーは400か所以上。比較的小規模なところが多いですが、主要道路である州道29号線沿を中心に、見学できるワイナリーも多数揃っています。また、ワイナリーめぐりだけでなく、グルメなレストランや高級スパなども多く、様々なアクティビティも楽しめるため、世界中から多くの観光客が訪れます。
 ナパ観光局公式サイト→http://www.napavalley.org/
 ナパのワインについて→http://www.napavintners.com/


 サンノゼを8時に出発、9時半にサンタ・ローザ(Santa Rosa)にある Paradise Ridge Byck Family Winery に到着。ここには20世紀初頭、「カリフォルニアのぶどう王」としてその名をとどろかせた日本人長沢鼎(ながさわ・かなえ)についての資料が展示されています。(http://www.pioneerhonor.jp/pioneer/us/fountain.html
 ワイナリーのオープンは10時からだったのですが直ぐに中に入れてくれ長沢鼎についての資料を含むパンフレットをくれました。

 薩摩藩英国留学生記念館というのが今年の7月14日に、鹿児島県いちき串木野市に開館します。薩摩藩英国留学生とは、明治維新前夜、元治2年3月22日(1865年4月17日)現在のいちき串木野市 羽島浦から19名(4名は外交使節、15名は留学目的)の若者たちがイギリスへと旅立ちました。
当時の日本はいまだ鎖国中。二度と故郷の地を踏めないかもしれないという覚悟の船出でした。彼らはその後、それぞれに違った人生を歩むことになるのですが、その多くが留学時に ヨーロッパ・アメリカなどで深めた見識や、身に付けた知識を活かし、日本の近代化に貢献しました。長沢鼎はその中の一人でした。
 (http://sea.ap.teacup.com/applet/satsuma-student/msgcate3/archive


Paradise Ridge Byck Family Winery






長沢鼎(ながさわ・かなえ)の資料





ワインの試飲をしました。試飲はどこも1人10ドルから
15ドルですが、ボトルを買うと試飲代は無料になります。





 道路の両側にブドウ畑が目立ち始めた12時半頃、ドメーヌ・シャンドン(Domaine Chandon)に到着。
 ここはシャンパンで有名なワイナリー(最近はシャンパンという名称はフランス製の物にしか使えないらしく他の国ではスパークリングワインと呼ぶらしい)。
 簡単なランチをとり 13時からのツアーに参加。

ドメーヌ・シャンドン(Domaine Chandon)
http://tour.his-usa.com/city/sfo/detail.php?tcd=SFO-NPSTR
シャンパンの産地フランス・シャンパーニュ地方の名門モエ・エ・シャンドン社がナパで展開するスパークリングワインで有名なワイナリー。噴水付きの美しい庭や1つ星に輝いたレストランもあり、エレガントな雰囲気をお楽しみ頂けます。映画「サイドウェイズ」にも登場したワイナリーです。(試飲料金:$16〜)


Paradise Ridge Byck Family Winery






13時からのツア−(施設案内と試飲会で一人30ドル、予約が必要)。
ツアーに参加した人達ですが、さすがに大きな人が多いですね!





 15時にロバート・モンダビ・ワイナリー (Robert Mondavi Winery)、16時20分に STAG'S LEAP WINE CELLER に。
 17時からディナー。ナパ・バレーには多数のレストランがあり何処に入ればよいのか迷うが見かけで感じの良さそうなところを選んだ。アメリカ料理でしたが味はGood!でした。
 20時、サンノゼに戻りました。満月で月食ということでしたがみたのはToshiko姉だけで、部屋から観測できたそうです。残念でした。

ロバート・モンダビ・ワイナリー (Robert Mondavi Winery)
 (カリフォルニア観光局)
 無名に近かったカリフォルニアワインの知名度を世界レベルまでに向上させた、「カリフォルニアワインの父」ロバート・モンダビのワイナリー。多品種のブドウを生産しており、造られるワインの種類も豊富。何を試飲するか目移りしてしまいます。その醸造過程を見学できるツアーも行われ、これがナパの人気アトラクションのひとつとなっています。
 関連サイト:http://www.robertmondaviwinery.com/













STAG'S LEAP WINE CELLER


ここのワインは日本の案内書では見つけられないが
Tutomu君によれば最近人気がでて値段がUPしている。
ここでは安く買えると喜んで、3本も買っていた。




ディナー










↓レストランとその庭園にあったサボテン、花が咲いていた。











 

4 サンフランシスコ

 

 サンフランシスコは、太平洋とサンフランシスコ湾によって、三方を海に囲まれています。面積は、125平方キロメートルと非常に小さく、サンフランシスコ半島の先端に位置しています。 サンフランシスコ市の人口は、約810,000人。ベイ・エリアの中心地となっています。毎年日本からは20万人以上の旅行者がサンフランシスコを訪れています。
 (http://www.sf-japan.or.jp/news/travelinfo/

4月15日(火)
 サンフランシスコ(San Francisco)のゴールデン・ゲート・ブリッジから北へ20kmにあるミュアウッズ国定公園(Muir Woods National Monument)、さらに20km北にあるBolinas Bay と Bolinas Lagoonにハイキングに出かけた。サンフランシスコは、その行き帰りに通過しただけです。

 8:30 Tutomu君の家を出発
 10:13 霧のゴールデン・ゲート・ブリッジ
 10:42〜14:18 ミュアウッズ国定公園
 14:48〜15:00 Bolinas Bayの砂浜に
 15:30 Bolinas Lagoon沿いの道を通りBolinas Bayの北端へ
 17:00 ゴールデン・ゲート・ブリッジ
 18:50 帰宅

 ディナーはSetuyoさんが準備してくれたバーベキューでした。牛肉もチキンも美味しくたくさんワインを飲みました。


サンフランシスコへ


9:35





9:49



サンフランシスコ市街


9:54





9:56





10:04





10:05





10:06



ゴールデン・ゲート・ブリッジ
ゴールデンゲートブリッジ(Golden Gate Bridge)、金門橋(きんもんきょう)は、アメリカ西海岸のサンフランシスコ湾と太平洋が接続するゴールデンゲート海峡に架かる吊り橋。  主塔の間の長さ(中央径間、支間)が1,280メートル、全長2,737メートル。主塔の高さは水面から227メートル。  橋の建設は1933年に始まり、1937年に完成した。1964年にニューヨークのヴェラザノ・ナローズ橋が完成するまでスパン世界一の吊り橋であった。建設費は2,700万ドル。←ウィキペディア



10:13





17:01





17:12





 

5 ミュアウッズ国定記念物

 

 ミュアウッズ国定記念物(Muir Woods National Monument)
 1908年に国定公園(記念物)となったミュアウッズ。その名は、哲学者、作家、そして自然科学者であり自然保全活動家でもあったジョン・ミュアに由来しています。最も高いもので115メートルもの高さがあるレッドウッドの森には数種類のハイキングコースが設けられていて、気軽に森林浴を楽しむことができます。緑の香りと澄んだ空気でリフレッシュしましょう。50種以上の鳥類も生息しているので、バードウォッチングもお勧めです。数々の映画のロケ地としても使用されており、特に映画『スターウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還』で森の惑星エンドアとして登場したことで有名です。
  (http://tour.his-usa.com/city/sfo/detail.php?tid=1154

 National Monumentを直訳すれば「国定記念物」、HISなどの旅行案内などでは「国定公園」としている。和英辞書を引けば「国立公園」は「 a national park」で「国定公園」は「 a quasi‐national park」。
 英和辞書では、「national monument」は【米】 国定記念物《連邦政府が所有・維持する史跡・景勝地・天然記念物など》.(リーダーズ英和辞典第2版より引用)

 カリフォルニア・レッドウッド
 この公園の樹木のみものは「カリフォルニア・レッドウッド(アメリカスギ)」、地球上に生息する樹木の中で最も寿命が長く、最も高い木の1つに数えられる。大きいものでは高さ90メートル以上、直径6メートルにまで達するものもある。残念なことに、その圧倒的な大きさゆえに伐採の対象となっている。カリフォルニア州にもともと広がっていたレッドウッド林の約95%は木材産業のために伐採されてしまった。
 レッドウッド国立州立公園 (1980年世界遺産に登録)(Redwood National and State Parks)などで保護されている。

4月15日(火)
 サンフランシスコ(San Francisco)のゴールデン・ゲート・ブリッジから北へ20kmにあるミュアウッズ国定記念物(Muir Woods National Monument)に、10時40分に到着。心配したように駐車場は満杯、路上も入り口近くはすでに車が並んでいて約1km離れた所に駐車。3時間ほどのハイキングを楽しむ。78歳のToshiko姉もしっかり歩いた。





(ミュアウッズ国定記念物のHPから)





(ミュアウッズ国定記念物のHPから)















ツバメオモト?









ミヤマカタバミ








ヤマルリソウ






エンレイソウ



ユキザサ



キスミレ



 

6 Bolinas Bay と Bolinas Lagoon

 

 4月15日(火)

 ミュアウッズ国定記念物(Muir Woods National Monument)から州道1号線をさらに20kmほど北上するとBolinas Bay の砂浜に着く。それほど有名な観光地ではないが、海辺で遊ぶ家族ずれやサーファーで賑わっていた。

 Tutomu君は退職後に自分の子供たちのためにと大著の家族史(英語で)を書き上げた。その時に集めた資料に祖父と祖母が海辺で遊んでいる写真があり、それがどこかを前から特定したかったらしい。それが多分 Bolinas Bay と見当がついたので、今回の小旅行になった。その写真の海岸の風景は確かに Bolinas Bay でした!

 海には海鳥、Lagoon(沼地)にはアザラシがいて楽しいドライブになりました。














マツバギク?




ハマダイコン




ウミネコ




ハマシギ?





ペリカン??
ペリカンというのはもっとユーモラスな感じだったのですが?








アザラシ




 

7 スタンフォード大学

 

4月16日(水)
 サンノゼ滞在の最後の日、約2時間という短時間ではあったが、Tutomu君の母校 Stanford University を見学した。東のハーバード大学と並び全米でもトップレベルの私立大学だけあって観光客も多かった。

スタンフォード大学(Stanford University)(ウィキペディア)
  米国カリフォルニア州スタンフォードに本部を置くアメリカ合衆国の私立大学である。1891年に設置された。正式名称は、リーランド・スタンフォード・ジュニア大学(Leland Stanford Junior University)。校訓は"Die Luft der Freiheit weht"(自由の風が吹く)。サンフランシスコから約60 km南東に位置し、地理上も、歴史的にもシリコンバレーの中心に位置している。

  当時のカリフォルニア州知事で、大陸横断鉄道の一つセントラルパシフィック鉄道の創立者でもあるリーランド・スタンフォードが、腸チフスの病で早逝した彼の子息(一人っ子であった)であるリーランド・スタンフォードJr.の名を残すために、夫人とともに1886年に構想。当時のハーバード大学学長 チャールズ・ウィリアム・エリオット に相談するなど、6年間にわたる準備の末、1891年に設立された。
 リーランド・スタンフォードの存命時は学費が無料だったが、のちに有料化されている。

  キャンパスの広さは全米屈指で、その広さは8180エーカー(3310ヘクタール≒993万坪)である。メインキャンパスの正面から向かって右半分には主に理科系の学部、左半分には主に文科系の学部が配置されており、学生は、右半分を「Techy(テッキー)」、左半分を「Fuzzy(ファジー)」などと呼んでいる。

  現役の学生がキャンパスを案内するキャンパスツアーが、大学のランドマークであるフーバータワーの対面に位置するビジターセンターを起点として、祝日等を除き、毎日午前と午後の2回行われている。大学の成り立ちやキャンパスのさまざまな建物にまつわるエピソードなどを聞きながら周る、約1時間のツアーである。


大学本部前のメインストリート




本部前の広場
広場の周りには有料駐車場がある。時間単位や年間契
約などいくつかのランクがあり料金がそれぞれ異なる。




教会













フーバー記念塔 Hoover Tower
  スタンフォード大学の卒業生で大統領になったのは第31代のフーバーだけで、それを記念して建てられた。塔からの見晴らしは絶景で有料、卒業生と老人達というわけで割引があり5ドル支払った。
 フ-バー夫妻ともに地質学の卒業生と知り親しみを感じた。
 今、米歴史家のジョージ・ナッシュが、これまで非公開だったフーバーのメモなどを基に著した「FREEDOM BETRAYED(裏切られた自由)」が話題になっている。その本の広告ビラが記念塔に置かれていた。スタンフォード大学のHOOVER INSTITUTION PRESS 発行だって。


 ハーバート・C・フーバーは、1998年に大学時代の後輩ルー・ヘンリーと結婚した。その後の15年間は、世界各地の鉱山調査や開発を手がけ、鉱山技師としての名声と巨万の富を得た。第一次世界大戦にアメリカが参戦した1917年には、ウィルソン大統領から国内の食料管理を統括する食糧庁長官に任命され、采配を振るった。戦後もヨーロッパのアメリカ救済局総局長として活躍し、フーバーの名は、 人道的援助活動の推進者としてアメリカ国民に広く知られるようになった。
 大統領に就任したのは1929年3月4日、10月に世界恐慌が勃発した。恐慌脱出に向けての道筋が見出せない中、彼が発表した政策として有名なものが、第一次世界大戦で英仏に融資した戦債の返済を1年間猶予する「フーバーモラトリアム」である。彼は、この政策を実行すれば、その1年間の間に景気は回復するだろうと考えており、次代の大統領フランクリン・ルーズベルトがニューディール政策で民間経済にも積極的に介入したのに対し、フーバーは政府や国家レベルでの対策しか講じなかった。これが、結果として景気をさらに悪化させることになってしまう。その結果、フーバーは人気を失い次期選挙ではルーズベルトに完敗する。(ウィキペディアなどから抜粋)

Hoover Tower




フーバー記念塔からみた理系キャンパス
後ろの山の麓まで大学所有地だって!!





美術館
入場は無料だが、中国や日本の古美術品も多数展示されている。
特にロダンの作品コレクションは世界のトップクラスらしい。








リスも・・・


 

8 ビッグサー

 

4月9日(水) サンノゼからサリナスへ
11時 サンノゼ国際空港着、Tutomu君の家で一休み、Setuyoさんが待っていてくれた。
14時30分 TN&TNとToshiko姉は、Tutomu君の車でサリナスへ。
16時 サリナス着、Noriko姉とは日本で何回か逢っているが姪のMarikoちゃんとは
   15年ぶりのご対面になる。
   6人での楽しいディナーになる。当然のように和食で味噌汁がつきました。

4月10日(木) ビッグサーでトレッキング
9時45分 サリナスを出発
 州道1号線でモントレーからは海岸線を南下しビッグサーを目指す。
11時30分 ビッグサーの州立公園着。駐車料金は10ドル。
11時30分〜14時 トレッキング

ビッグサー(Big Sur)は、カリフォルニア州のセントラルコーストにある人口の希薄な地域である。サンタルシア山脈が太平洋岸から急に立ち上がっている所にある。「ビッグサー」という名前は元々「大きな南」を意味するスペイン語"el sur grande"から、あるいは「南の大きな国」を意味するスペイン語"el pais grande del sur"から来ている。その地形は絶景の連続であり、人気のある観光地になっている。コーン山は標高5,155フィート (1571 m) あり、大陸アメリカ合衆国48州の海岸線にある山としては最高峰であり、太平洋から僅か3マイル (4.8 km) しか離れていない。(←ウィキペディアより)

 ここに Pfeiffer Big Sur State Park があります。この州立公園内にはいくつかのトレッキングコースが設定されています。私たちは往復約4kmの「Pfeiffer Fall & Valley View」コースを歩きました。それなりにアップ・ダウンがありToshiko姉にはきついかなと心配でしたが最後まで元気に歩いてくれました。


ビッグサーへの海岸線




州立公園はレッドウッドの森でした
樹齢何百年というのも多数あり、立ったままで枯れた樹木、
朽ちかけた丸太もあり、さまざまな低木、草が生い茂る。








Poison Oak
花も多く、日本の春と同様に美しいのですが、困りものが
Poison Oak。触れると膚がひどくかぶれるらしい。多数!




カンムリカケス




トカゲ




Pfeiffer Fall




Valley View
渓谷を見下ろしながらのお握りは美味しかった。






14時10分 1号線をモントレー方面に戻り、ポイントロボスへ
14時50分 ポイントロボス着。入場待ちの車の行列があり15分ほど待って入場。
     駐車料金はビッグサーで支払い済みということで不要。同じ洲管理地
     ということらしい。
17時 モントレーでワインを試飲し、2本購入。

 「Point Lobos State National Reserve」という名称で、ここもトレッキングコースが幾つもある。遅くなりそうなので海岸を少しだけあるきアザラシ、リスをみた。
 State National Reserve は「洲自然保護区」と訳すのでしょうか?自然公園にもいろいろな呼び方があるのですね。

 日本の旅行社のツアーには「ビッグサー」や「ポイントロボス」は設定されていないようなのですが、「ビッグサー」、「ポイントロボス」をカタカナ書きで検索するとサンタクルースからの日帰り旅行をしたという日本人のブログなどがみつかりました。
 (http://www.marukuri.com/sc/kanko/bigsur.htm

アザラシ




ナガサルオガセ?
















 

9 ラスベガス

 

4月11日〜13日 ラスベガス
 ラスベガスは前回(1999年)に行っているのでTN&TNはそれほど気が進まなかったが、Noriko姉が行きたいというので決まった。今年83歳になる姉は足腰がかなり弱っていてほとんど外出していないようだ。この機会に一緒に出かけ、私たちに豪華なショウーを見せて楽しませようとする好意が嬉しい。
 一人の旅費は、航空券(往復)453ドル、ホテル(2泊)220ドル、ショー(2回)249ドルで計922ドル、ここに食費は入っていない。私たちにとってはめったにしない贅沢な旅行です。

4月11日(水) サリナスからラスベガスへ
 サンノゼからSouthwest航空でラスベガスに行く。Mariちゃんは仕事があるので二組に分かれて行くことになった。TN&TNとTutomu君は13時40分発の便、Noriko姉、Toshiko姉、Mariちゃんが15時20分発の便。
 私たちは午前中にサリナスからサンノゼのTutomu君宅に戻り、犬のKenちゃんと周辺を散歩。12時にSetuyoさんに空港までおくってもらう。

 アメリカのセキュリティチェックは厳しいというか煩わしい。靴を脱ぎ、ベルトを外すのが普通のようだ。両手を上に挙げさせられボディチェックを受ける。そのため女性客には女性の係官が対応する。TN(て)にMadam!と呼びかけTNと別の列に連れて行った。不意打ちでMadam!が聞き取れず吃驚した。

 Southwest航空の搭乗券には座席指定はなく、チェックイン順に搭乗する。eチケットは24時間前からパソコンや自動チェックイン機でチェックインできる。A,B,Cの3列に番号が割り当てられる。先に並ぶA列のチケットは少し割高らしい。
 国際線でも近々自動チェックインが原則になるのでしょうね。ANAはまだeチケットの控えを見せるだけでOKでした。帰国後に自宅のPCに帰国便のチェックイン完了の通知が入っていました。しかし、アメリカでこれを見るのは・・・、まあできないこともありませんが邪魔くさい。となるとスマホ利用かな。でも、これは通信費が高いのでしたくないな!

 飛行機でも観劇でも、車いすの客は最優先、係員がついて案内してくれる。これは日本でも同じなのでしょう。








 13時40分の定刻に離陸、約一時間半でラスベガスのマッカラン国際空港に。
飛行機からの眺めは絶景の連続。カリフォルニア州とのネバダ州境にあるまだ雪を被ったシエラネバダ山脈を越えるまでは山野に緑が美しいが、山脈を越えネバダ州に入ると砂漠が拡がり、山肌はむき出し。TNにとっては、地質構造が丸見えで興味津々。ラスベガスに電気を供給するフーバーダムが見えるとすぐにラスベガスでした。

飛行機からの景色 サンノゼからラスベガスまでの順に。








シエラネバダ山脈









フーバーダムとコロラド川









左の塔は宿泊したパリス・ラスベガスのエッフェル塔、右の大きなホテル
は、ベラッジオ。その前の池で毎日12時から30分毎に噴水ショウーがある。




 マッカラン国際空港から宿泊するパリス・ラスベガスへはタクシーで。運転手は偶然にも日本人、神奈川県出身ではじめは自動車修理工として働いていたが転職したという。話が弾み明日は大人気のボクシングの試合があるのでたくさんの見物客がきて混雑するだろうという。フィリピン人のボクサーでアメリカでも大人気だという。Tutomuku君は知っていたが私たちは全く知らなかった。

 マニー・パッキャオ(Manny Pacquiao、1978年生まれ)で、プロボクサーで政治家。史上2人目の6階級制覇王者。第33代WBC世界フライ級、第11代IBF世界スーパーバンタム級、第28代WBC世界スーパーフェザー級、第33代WBC世界ライト級、第14代・第16代WBO世界ウェルター級、第42代WBC世界スーパーウェルター級の王者だって。
 母国フィリピンでは英雄であり、1度目の選挙では落選したが2度目の出馬となった2010年の下院選挙では有力候補を抑え初当選、現在もプロボクサーと国会議員の二足の草鞋を履きながら活躍しているそうです。
 そして、この2014年4月12日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでWBO世界ウェルター級王者ティモシー・ブラッドリーと第2戦目となるリマッチを行い、判定勝ちを収め2年振りの王座返り咲きに成功したという。凄いボクサーですね!

 週末でもありホテルは混んでいてチェックインを待つ行列が出来ていました。部屋は大きなダブルベッドが二つ入っている豪華な部屋っと喜んだのですが、翌朝、トイレがつまり水・汚物が溢れるという事故があり評価は最低に。
 アメリカらしく仕事の分担は露骨で、詰まりを解消する人と溢れた汚物を掃除する人は別、掃除をする人が中々こないので偶々、ベッドメーキングの人がきたので頼むと、何故私がっと凄い剣幕、仕方が無いのでチップをはずみやっと片づく。うんざり!


 後発のNoriko姉らと合流し、19時頃に夕食をたべ20時からのショーに出かけました。
パリス・ラスベガスのすぐ隣のプラネット・ハリウッド・リゾート&カジノでの「 V The Ultimate Variety Show 」という約2時間のショー。まさにバラエティでサーカスや歌や・・・なんでもありのドタバタでした。まあ面白かったというべきでしょう。
 日本語の紹介サイトはないので「Google翻訳」を実行すると「「V:究極のバラエティーショー」、驚異的なエネルギッシュで創造的な新しいコンセプトで、ラスベガスのエンターテインメントの外観を変更している。  「V」の特徴、ラスベガス?ストリップにプラネットハリウッドリゾート&カジノで上演高エネルギー、外のこの世界での熱狂に観客を働く行為! 。  世界で最高の様々な行為のオールスターキャストで、このショーは、家族、世界の旅行者や乱暴良い時間で思う存分人のための楽しいです! それのようなラスベガス?ストリップ上の他のショーはありません。」だって。流石の「Google翻訳」もまだまだ実用レベルではないようですね。でもまあ ドタバタの雰囲気はでているのかな?? 英語ですがショーの動画紹介があります。
 (http://www.vtheaterboxoffice.com/Vegas_Show_Tickets.cfm?showID=10004

4月12日
 日中はパリス・ラスベガスのエッフェル塔からの展望、ベラッジオの噴水ショー、シーザースパレスの無料ショウー等を見て回り、途中、ウィンドウショッピング。食事は、なんとなくおおざっぱな物が多く、塩辛い。これは美味しかったと記憶に残ったものはない。
 19時から、マンダレベイで「マイケル・ジャクソン・ワン」というショウーを見る。このショウーは人気があり日本語の紹介サイトもある。「マイケル・ジャクソン・ザ・イモータルに続きシルクドゥソレイユが手がける2作目となるマイケル・ジャクソンをテーマにした注目作。世界中を回りツアー公演を行っている前作とは出演者も演出も舞台も異なり、まったく新しいマイケル・ジャクソンとのコラボレーション作品に仕上がっている。本作マイケル・ジャクソン・ワンの為に凡そ2年を掛けて リニューアルされたマンダレイ・ベイの劇場にていよいよマイケルの第二章がスタート!本公演は2013年7月1日より。
http://lasvegasboom.com/michaeljacksonone.html)」

動画は
 (https://www.cirquedusoleil.com/en/shows/michael-jackson-one/default.aspx

4月13日
 サンノゼに戻り、Tutomu君一家とラスベガスにいった6人全員で夕食会。ゴルフ場の会員制レストランで静かな雰囲気のよいレストランでした。
 Noriko姉とMariちゃんはサリナスに帰り、私たち日本組みはTutomu君宅に宿泊。






カジノは撮影禁止です。ホテルによって少しずつ
雰囲気が異なるのですがこれでは分かりませんね。
上の写真の空のように見えるのは人口の天井です。



ベラッジオの噴水ショウー











 

10 エルクホーン・スラウ

 

4月17日
 いよいよ明日は帰国で今日はサリナスでのんびりするつもりでしたが、新聞(MONTEREY HERALD)のローカル ニュースに、多数のダイサギ、アオサギや鵜がユーカリ樹林で子育てを始めたという紹介記事がでて、その場所は近くだと午後にTutomu君が連れて行ってくれました。(アメリカの新聞は縦56cm、横28cmの縦型が定型でした。)







 サリナスから北西へ約20kmのエルクホーン・スラウ(Elkhorn Slough)にあるムーングロウ酪農場(Moonglow Dairy)の私有地に隣接するユーカリ樹林です。Sloughの意味は沼地(湿地)でユーカリ樹林の隣には大きな湿地が拡がり、多数の野鳥が生息しています。地図でみると直ぐ近くにモスランディング州立野生動物保護区があります。

 酪農場主の好意で酪農場内の道路をユーカリ樹林での鳥観察の人に開放しています。多数の牛が飼育されているので一体は糞の臭いが・・・。

(位置関係を確かめるのにGoogleマップを利用、しかし地図に距離スケールを入れて印刷するまでに試行錯誤で1時間もかかりました。その方法は、マップ右下の?マークをクリックー以前のマップに戻るをクリックー印刷はEpsonのE-Web Printを使うでした。)


















ワシタカ科???
2羽なのかな????








イソシギ




?ハクチョウ??
コハクチョウの大きさでした


印象はアオジ?でした














 

11 サリナス

 

サリナス(Salinas:英語ではサリーナスと発音)は人口約15万人の、カリフォルニア州中部に位置する都市。モントレー郡に位置し、郡裁判所など主要施設がある。人口の60%がヒスパニック系住民で白人は少数派。ヒスパニック系人口が全人口に占める割合がカリフォルニア州の中でも最も高い都市の一つ。市内の東側は主にヒスパニック系の居住地区になっており、店の看板などもスペイン語だけのところもある。
 (ウィキペディアより抜粋)

  4月9日〜11日、16日〜18日の期間、サリナスのNoriko姉の家に滞在した。TN(て)には3人の姉、3人の兄がいて末っ子。83歳になるNoriko姉が一番上、今回一緒に来たToshiko姉(78歳)は第三子で次女。この二人の姉はどちらも連れ合いを亡くしている。
 Noriko姉は夫ともに大きな花農園を経営してきたが、夫との死後は娘のMariちゃんが主になって花農園を経営している。かつては菊が主力商品だったが、今はガーベラも大量に生産している。
  サリナスにきた最初は1989年、この時は義兄も元気でヨセミテ国立公園などに連れて行ってくれた。この義兄が亡くなって間もない1999年に、2回目の訪問をした。この時はTutomu君やSetuyoさんが私たちの送り迎えをしてくれ、ラスベガス&グランドキャニオン国立公園にでかけた。今回が3回目の訪問、Noriko姉が元気なうちに姉妹でじっくり話したいと出かけたのだが、Tutomu君が早期退職し、偶々、時間的余裕があったこともあり予期以上の多数の観光プランを立ててくれていた。
 久しぶりに見た姉は、腰はまがり手は震え、流石に老けたなっという感じ。しかし自分で料理をしたご馳走をだしてくれたし、元気にラスベガス観光にでかけたりしたので嬉しかった。
















従業員全員と





 「YAHOO知恵袋」に「アメリカカリフォルニア州 サリナスとはどんなところですか?? 治安、物価、住...」という質問があり、そのベストアンサーに選ばれた回答が面白かったので以下にコピペ。
 友人の旦那の実家が花屋をやっています。花屋と言っても、天井の移動カメラから毎日花の状態を観察しながら週五日フェデックスで全米に冷温梱包の生花を送るような大規模農家です。
何でも九州の方から集団移住して来たらしいですが、人々も家々も半世紀以上前の日本の田舎のお金持ちみたいな雰囲気です。石灯篭のある庭とか、玄関に虎の毛皮の敷物とか。
 あとはイチゴとかレタスの畑が地平線まで続いていて、実に世界のレタスの収穫の20%がここの生産で、「世界のサラダボウル」の異名があることなどがWikiに書いてありますね。
・・・・・・・・・(一部省略)
小奇麗な住宅街とか大規模ショッピンセンタとかは期待しないでください。


 最初、上の回答者はSetuyoさんの友人かも知れないと思ったが、さすがに「玄関に虎の毛皮の敷物」は置いてないので違うのでしょう。しかし環境はよく似ている。鹿児島からの移住者も多く、農場、農園を経営してる。その縁で鹿児島県いちき串木野市と加サリナス市は、姉妹都市になっている。
 (http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/local/pdfs/kago_ca_1006.pdf

 サリナスを特徴づける風景は大農場、農園。ノーベル文学賞を受賞したスタインベックはサリナス出身。名著「怒りの葡萄」の舞台はサリナスで1930年代の農民の悲惨さが描かれている。そのため当初は農場主の大富豪達からは嫌われたが、後にスタインベックの人柄や作品が高く評価されるようになり大富豪達からの寄付で「ナショナル・スタインベック・センター」が立てられ、サリナス観光の目玉になっている。

 サリナスにその名も「The Farm」という大農園がある。創業者は日本人で、レタスなどの輸出量は世界第一位の大農場で、創業者は大富豪らしい。
 「The Farm」のHPには日本語の案内もある(http://thefarm-salinasvalley.com/japanese/)。




サリナスの市街地









山麓にThe Farmの施設








Noriko姉の家の庭の花や木には多数の小鳥が訪れる













アメリカ旅行記はこれで一区切りです。
最後まで読んでくださってありがとう。