山口ェさんを悼む
投稿者:TN&TN
投稿日:2019年10月16日(水)08時44分26秒
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昨日、弟の山口慶さんから「去る九月六日兄山口ェが他界しました」という知らせのはがきが届きました。
六月にすい臓ガンを宣告され介護しているアルツハイマーの妻を気遣い八月に妻の実家のある京都の看取りまでする高齢者住宅に二人で入居しました。その間、兄は抗がん治療をせず気丈に病魔と闘っていましたが残念な結果となってしまいました。
介護と病気から解放された和やかな顔で「ご苦労様」と声をかけました。とはがきにありました。
泣いてしまいました。8月のェさんからの「暑中見舞い」に、突然、京都の老人ホームに入るとあったので、なんで今頃と納得できない思いをしたことを恥じます。自分の死を覚悟し妻の最後を見てくれる親族のいる京都に引っ越しされたのだと今、理解しました。最後まで男らしく清々しい人でした。ご冥福を!!
山口ェさんは、福井大学教育学部で唯一の大阪大学基礎工学研究科の同窓ということから二人だけの「学閥」だと親しく信頼し合っていた山口光代さんの相方です。基礎工の同窓会名簿(1997年)を見ると光代さん1967年、ェさんは1969年に修士終了(TNは1970年)です。どちらも原子核物理と統計数学の先生だった高木修二先生の研究室に所属していました。たぶん博士課程の時に親しくなり結ばれたのだと思います。
1997年の名簿では、光代さん(旧姓金澤)は山口姓になっていますが住所は京都の実家にし、勤務先は福井大学になっています。ェさんの住所は千葉市稲毛区で最近までずっと同じ住所で、勤務先は科学技術庁放射線医学研究所になっています。結婚はされていましたがずっと別居生活で、TN&TNよりさらに会う機会は少なかったことを知っています。
光代さんは、定年になる数年前から少し認知症(?)と思わせる症状が出ていましたが通常の仕事や生活はなんなくこなしておられました。定年になった日、迎えに福井に来られたェさんを初めて紹介され、三人で楽しく退職祝いの会食をしました。TNが福井にいる間にと夫婦で遊びにこられたこともあります。光代さんがェさんに頼り切っている姿を嬉しく見ていましたが認知症が少しずつ進んでいたのでしょう。その後の電話やメールのやりとりでそれはうかがえました。
ェさんは研究者らしく好奇心に満ちた人でした。化石や岩石とあらゆるものに興味を持たれ私も質問攻めに遭いました。明るく強い方でした。
長い間、本当にご苦労様でした。安らかにお休みください。さようなら
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