もうすぐ2月が終わります

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 2月27日(水)16時52分57秒

  2月25日(月)晴れ
 真龍寺まで梅を見に行こうと歩き出したが、何やらしんどくて今日は歩けないと途中で引き返す。血圧を測ると危惧したとおり不整脈が出ている。何ヶ月ぶりかな? 食事の量を減らし、しばらくは断酒。居直って食事以外は横になりひたすら眠る。自分でも呆れるほどよく眠れた。

2月26日(火)晴れ
 不整脈がでなくなった。気分も良いので8時半頃からいつもの鉢伏自然歩道を歩く。通学時間帯なので関西大倉高校の通学路は避け宿久庄を通る。
 条件が良ければ自然歩道のゴルフ場横の峠(海抜110m)から海が見える。散歩仲間の皆さんが「海が見えるとは?」と驚かれるので、1月6日15時2分の「夕日に光る海」の写真を峠に貼りだしておいた。今日は出会う人全員がその話し。喜んで頂いただけたと嬉しくなる。







 いつもの散歩道でもたくさんの春の花たちに出合いましたが、家の近くの勝尾寺川沿いの道にもマンサクなどの春の花がたくさん咲いているのに気づき嬉しくなりました。


オオイヌノフグリ



マルバマンサク







ウグイスカグラ



ヒサカキ





2月27日(水)曇り
 昼からは天気が悪くなりそうだったので午前中に支援学校周辺、真龍寺、忍頂寺スポーツ公園、青少年野外活動センターなどの花・鳥見地点を巡りました。珍しい花や鳥には出合えませんでしたが、高度によって少しずつ異なる春を楽しみました。

 今日で3日間断酒です。


しだれ梅



コサギ



ヤマガラ



コガモ





 

音楽日和

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 2月25日(月)08時47分52秒

  JAF会員のための音楽会「音楽日和」
2019年2月24日(日)14時から
ザ・シンフォニーホール

 藤岡幸夫指揮の関西フィルハーモニー管弦楽団と「クロマチックハーモニカ」の南 里沙の共演でした。なじみの関西フィルで安心感があり、いつものように司会・解説を兼任している藤岡幸夫のトークと聴衆へのサービス精神を充分に楽しんで来ました。







 第1部は南 里沙の「クロマチックハーモニカ」が主役でした。オーケストラとの共演のための編曲はすべて関西フィルの川上肇です。特に印象深かった「見上げてごらん夜の星を」と「昴」は初演だそうです。
 「クロマチックハーモニカ」は初めて聞いたのですが、まるで歌っているように聞こえました。

 第2部は「オルガン付き」でいかにも「ザ・シンフォニーホールで聞く関西フィルハーモニー」で感動ものでした。







 アンコールも藤岡指揮の関西フィルらしく「威風堂々」でした。定番というのも楽しいです。








 

バイカオウレン

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 2月23日(土)17時59分36秒

  2月23日 六甲高山植物園に

 六甲高山植物園は冬季休業中で通常の開園は3月16日(土)ですが、通常開園の前に冬季特別開園が6日間だけ予定されています。
(2月23日(土)、24日(日)、3月2日(土)、3日(日)、9日(土)、10日(日)10:00〜16:00)

今日はその最初の日で、待ちかねて出かけました。開園時間の10分前についたのに大勢が開園待ちの行列をつくっていて、植物園の駐車場には入れず、オルゴール館に駐車しました。入場までに30分もかかりました。先着100名にプレゼンという「バイカオウレンの苗」はもらえませんでした。約200名の人が開園時に詰めかけていました。







バイカオウレンの大群落はみものでした。私たちにとっては今季初です。

他にはセツブンソウ、フクジュソウ、マンサクなどの2月の定番の花が咲いていましたが、今季は既にもっと綺麗なのを見ているので感動はあまりありませんでした。


バイカオウレン

















セツブンソウ



フクジュソウ



マンサク



ザゼンソウ



シクラメン・コウム





 

梅にメジロ

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 2月23日(土)03時22分44秒

   梅にメジロ、ヤブツバキ、フクジュソウが見頃で、春!です。




















ナルトサワギク
 いつもの散歩道や彩都でよく見かけ、サワギクに似ているが多分外来種とは思っていました。今日、高槻でも見かけたので調べてみました。特定外来生物に指定されています。キク科キオン属の帰化植物で,1976年に徳島県鳴門市で,1986年には兵庫県淡路島で確認されています。

 東アフリカ原産の一〜多年草.高さ20〜50cm.茎は多数分岐して大きな株になり直立.葉は先の尖った線状披針形〜披針形で羽状に分裂し,不揃いの鋸歯を持ち,やや茎を抱いて互生.茎・葉とも無毛.茎の頂部は分岐し,直径2〜2.5cm程度の鮮黄色の頭状花序を上向きに多数つける.舌状花は通常13枚,筒状花は舌状花と同色で短い冠毛がある.痩果は長さ1mmほど.
生息環境:空地,道端,造成地,埋立地等.海外では牧草地に侵入している.
温度選好性:亜熱帯〜温帯
繁殖生態:風媒花,虫媒花.一年中花を咲かせ種子を風散布で拡散させる.
繁殖期:通年開花.
生態的特性:繁殖力が強く通年開花する.セネシオニン・セネシオフィリンなどのアルカロイドを含む.








 

セツブンソウ、セリバオウレン、フクジュソウ

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 2月21日(木)14時06分38秒

   曇っていたのですが、時間があったので箕面公園へ。
 ビジターセンターの野草園で咲いているかも?と期待したミスミソウやスハマソウはまだ蕾がちらほら顔を出しているだけでした。セツブンソウ、セリバオウレンやフクジュソウは見頃でした。


セツブンソウ



フクジュソウ



セリバオウレン






ミツマタ



ミスミソウ



キクザキイチゲ



オオキツネノカミソリ



ロウバイ



クリスマスロウズ





 

ウグイスカグラ

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 2月19日(火)11時01分9秒
  ウグイスカグラがいつもの散歩道に咲き出した。





 

オウレンが咲いていました

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 2月18日(月)06時10分48秒

   いつものように福井大学地学教室の卒論・修論発表会(2月17日)に行ってきました。16日はAM、FO、JFと「たなか」で楽しく呑み・語り、フジタ・ホテルに泊まりました。

 17日、発表会は15時からなのでJFくんが朝から、懐かしい足羽山と八幡山の山野草探索、宿布屋で「おろしソバ」、一乗谷朝倉氏遺跡、西山光照寺跡などに連れて行ってくれました。今年は雪がなく、花たちは例年より早く咲き出したようです。

 発表会は学生はよく頑張って素晴らしい発表をし、老害が目立つ年寄り卒業生の馬鹿げた質問にも誠実に対応していました。


セリバオウレン



カンアオイ



ショウジョウバカマ



シキミ



マルバマンサク



シナマンサク




朝倉氏遺跡
唐門



下城戸



















 

鶴見俊輔伝

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 2月15日(金)14時21分35秒

  「鶴見俊輔伝」
黒河創、新潮社、2018年11月

(新潮社 https://www.shinchosha.co.jp/book/444409/

戦後日本を代表する思想家の93年の歩み。幼少期から半世紀にわたって行動をともにした著者による、初めての本格的かつ決定的評伝。
 後藤新平を祖父に、鶴見祐輔を父に生まれた鶴見俊輔。不良化の末、渡米してハーヴァードに入学。日米交換船で帰国して敗戦を迎える。その後の50年にわたる「思想の科学」の発行、「ベ平連」の活動、「もうろく」を生きる方法まで。あらゆる文献を繙き、著者自身の体験にも照らしつつ、稀代の哲学者の歩みと思想に迫る。

黒河創:1961年、京都市生まれ。同志社大学文学部卒業。「思想の科学」編集委員を経て、1999年、初の小説『若冲の目』刊行。2008年刊『かもめの日』で読売文学賞、2013年刊『国境〔完全版〕』で伊藤整文学賞(評論部門)、2014年刊『京都』で毎日出版文化賞を受賞。その他の小説に『もどろき』『岩場の上から』、評論に『きれいな風貌――西村伊作伝』、鶴見俊輔・加藤典洋との共著『日米交換船』、加藤典洋との共著『考える人・鶴見俊輔』など。編著に『鶴見俊輔コレクション』全4巻、『鶴見俊輔さんの仕事』全5巻ほか。

 毎日新聞の書評でこの本を知り、図書館に予約した。予約順位は1位だった。1月に借り出せて、借りだし期限いっぱいで一読したが、内容がありすぎて延長して再読したかったが他の予約者がいたので延長できず返却した。その後、直ぐに再予約した。また予約順位1位でした。借り出せたのが2月9日、さすがに2回目は速く読め、今日(14日)、読了。

 1936年、14歳(府立第5中学校2年に編入)の時、2度の自殺未遂と、3度の精神病院への入退院を経験する。「後藤新平」の孫、「鶴見祐輔」の長男と誰にも分かる自分の名「鶴見俊輔」に重圧を感じていたのだという。14歳の時の他に2度の大きな鬱に襲われているが、そのたびに自分の名前が書けなくなったという。
 日本では中学さえも卒業していないのにアメリカに渡り、ハーバード大学に入学する。そして日米開戦後、敵性国民として抑留される。抑留中に卒業資格有りと認められる論文を仕上げ大学に提出。大学は試験官を留置場に派遣し、金網の中で試験を受けさせた。結果として鶴見はハーバード大学を卒業した。
 「大学は、国家から独立した判断をとるという、その筋道を最後まで通していった。」ここにアメリカの凄さを見ることができます。後年、反米的行動を取り続けた鶴見の中にアメリカを信用する気持ちが強かったのもさもありなんと納得出来ます。
 「日米交換船」で帰国、どうせ戦争にとられるなら陸軍より海軍がましと、軍属の独語通訳として海軍に志願。着任先はジャカルタの海軍武官府、ここでインド人の捕虜が伝染病にかかり、薬が不足しているので殺せと、鶴見の隣室の軍属に命令が出た。この事件は鶴見の反戦の思いの原点となっている。捕虜を殺せという命令が自分に与えられていたらどうなっていたか?この自問は終生続いたという。
 第三章 「思想の科学」をつくる時代(1945−59)と第四章 遅れながら、変わっていく(1959―73)がこの本の中心だと思う。
鶴見は「思想の科学」という戦後の思想界に大きな影響を与えた雑誌を創刊し、生涯その編集と経営に関わってきた。京大、東京工大、同志社などで研究・教育にも携わったがどれも「思想の科学」の仕事の邪魔にならない程度にという感じがする。
 1953年に「20世紀の特徴は、大衆の自覚的思索をはばむ力として、マス・コミュニケーションが登場することになるのじゃないかと思うのです」と羽仁五郎などとの対談で述べている。凄い感性だなと思う。
 「思想の科学研究会」は1950年頃、ロックフェラー財団から研究費の援助を受けていた。その流れの中で1951年に鶴見にスタンフォード大学の客員研究員としての招致があり、鶴見は応諾し、勤務先の京大の承諾も得ていた。その時、京大の学生に「原爆展」への賛同の著名を頼まれ著名した。これが理由で、神戸の米国領事館が、鶴見にヴィザを出さなかった。従ってスタンフォード大学に着任しなかった。以後、彼は二度と渡米しようとはしなかったという。この時、鶴見は激しい「鬱」に襲われる。自分の名前も書けないくらいだったという。最年少の京大助教授の職責を果たせないと辞意を上司の桑原武夫教授に訴えるが「君は今病気だ。病気であるうちに辞めれば行き詰まる。病気の間はだまって給料をとっておいて、そのあとで決心したら良い」と引き留められる。良い上司に恵まれたものである。鬱から抜け出し京大人文研に復帰したのが1952年の1月。1954年12月に東京工大に移る。
  第四章は、安保闘争、ベトナム戦争など激動の時代。1960年5月19日、衆院で日米新安保が可決されると、鶴見の盟友・竹内好がそれに抗議し、都立大学教授の職を去る。鶴見もその後を追い東京工大を辞職。そんな熱血教授がいたことをこの本で初めて知る。
 鶴見は安保反対のデモにも積極的に関わる。そして、6月15日、樺美智子が殺される。鶴見はその後ずっと6月15日は衆議院南通用門前で、「声なき声」のデモ仲間と、樺美智子への献花を最晩年に至るまで続けたという。このエピソードで鶴見の情の深さを知る。
 横山貞子と結婚したのも1960年の11月だった。この頃、鶴見には3度目の重い鬱が出始めていた。「あれだけ安保闘争をやったんだから、結婚だって、やれるんじゃないかと思ったんだ」という。
 1961年9月から同志社文学部の教授となる。東京では「思想の科学」の発行を続けるための大きな問題が次々と発生していたが京都では比較的ゆったりした生活が送れた。東京と京都、互いの時間の進行速度がまったく異なるような2段構えの暮らしを持ち得たことが、鶴見にとって生涯3度目の重い鬱からの回復過程で助けとなったことは確かだろうと作者は書く。
 1964年、鶴見夫婦は父・鶴見祐輔の介護のため練馬区関町の家に移る。
 1965年、小田実を誘い「ベ平連」を立ち上げた。桑原武夫ら多くの著名人も「ベ平連」を支援した。1967年には脱走米兵への支援活動が始まった。
 1970年、鶴見は同志社大学を辞職する。学園紛争で大学校内の占拠を続ける学生の排除に機動隊を導入したことに対する抗議のためである。いかにも鶴見らしいと納得出来る。 第4章の第7節(裏切りと肩入れと)に、「私が京大を辞めたことは桑原さんへの裏切り、東工大を辞めたことは宮城音弥さんへの裏切り」だったと鶴見は話していたという。作者は、「自分の考えを貫きながら生きようとすれば、世間に対しては不義理が生じる。逆から言えば、人からの期待を『裏切る』覚悟なしには、我が意を通すことは難しい。」と書く。鶴見に最後まで「肩入れ」した桑原は、「小事はこれを他に諮り、大事はこれを自ら決す」と鶴見に伝えたという。同志社辞職を鶴見は一人で決めた。当時の同志社には鶴見の講義を目当てに入学してくる学生もいたはずで、これもまた、彼らに対する「裏切り」だった。
 第5章(未完であることの意味 −2015)は私にはまだ消化不良だ。もう一度読めばよいのだろうけれどちょっと疲れました。また次回にしましょう。
 ただ、1992年(70歳)から「もうろく帖」を付け出したというのには興味を持った。

 2015年7月20日に93歳で亡くなった。見事な人生でした。




 

春の城

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 2月11日(月)15時21分37秒

   雪がまい寒い。

 2月10日は父の命日で、久しぶりに妹と一緒に墓参りした。2月は父の他に、義兄・前田利賢や高校以来の親友だった中西哲夫・小川卓三など身近な人達が多く亡くなっていて故人を偲ぶことが多い。


 偶々、図書館で石牟礼道子の「完本 春の城」を見つけ借り出した。確か石牟礼も?と調べると、やはり昨年(2018年)2月10日に90歳で亡くなっていた。そして昨年の2月には

○「椿の海の記」石牟礼道子、河出書房新社、日本文学全集24 5〜246頁、2015年
○「水はみどろの宮」石牟礼道子、河出書房新社、日本文学全集24 247〜407頁、2015年
等を読んでいる。


「完本 春の城」、石牟礼 道子、藤原書店
四六上製 912ページ、刊行日: 2017/07、定価: 4,968円

半世紀をかけて完成した大河小説の完全版。畢生の大作!
天草生まれの著者が、十数年かけた徹底した取材調査ののち完成させた、天草・島原の乱を描いた最高傑作「春の城」。取材紀行文「草の道」、多彩な執筆陣による解説、地図、年表、登場人物紹介、系図、関係図を附した完全版!
[解説]田中優子・赤坂真理・町田康・鈴木一策
[対談]鶴見和子+石牟礼道子
http://fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=1551

 900頁を超える本、内容の濃い石牟礼の本、読み終わるのに10日もかかりました。取材紀行文、解説、対談が「春の城」の理解を助けてくれるのですが、私は「春の城」だけをじっくり何回も読みたいと思います。

 (石牟礼独特の)詩のような方言で成り立つ登場人物の世界にすぐに引きずり込まれます。

 ほとんどが百姓や漁師である三万七千の一揆勢で十二万もの徳川幕府の正規征討軍を相手に戦った「天草・島原の乱」とはいったいなんだったのかを、石牟礼の独特の感性で描ききっている。

 殺したり殺されたり、自死も選ぶ人間って? 信仰とは? 民衆をここまで追い込む「権力」とは? いろいろ考え込まされる。

 「天草・島原の乱」のことを書きたいと石牟礼が思ったのは、水俣病患者の苦境を訴えるために原因企業のチッソ本社前に座り込みをした時だという。チッソ幹部に水銀を飲ませるなら、自分も飲もう。そう死を覚悟したときの不思議と静謐な気持ちが、絶対に勝ち目のない一揆を起こさざるをえなかった人々に思いを寄せることとなったという。
 この感覚を理解するのは今の私にはまだ難しい。




 

フクジュソウ

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 2月 7日(木)17時47分9秒

    春の花たちの目覚めを期待した箕面はフクジュソウだけでした。

 帰りにオシドリ池によりました。















 

オオイヌノフグリが咲き出した

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 2月 6日(水)11時11分23秒

   暖かい日が続きます。オオイヌノフグリが咲きだし、春間近と感じます。


オオイヌノフグリ



?スミレ



ナズナ



コウヤボウキ



カンサイタンポポ



ホトケノザ











コゲラ



キセキレイ



ジョウビタキ:





 

虹がでました!

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 2月 4日(月)10時52分23秒

   美しい虹が架かりました。鉢伏自然歩道です。
散歩途中で雨が降り出し峠の手前で引き返しました。
















 

2月2日、丹波のセツブンソウ

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 2月 2日(土)17時52分57秒

   丹波市青垣のいつもの自生地では、まだ雪が残っていましたがセツブンソウがしっかり顔を出していました。楽しみだったオウレンは、かたい蕾を2つだけ見つけました。

 毎年、「セツブンソウ祭り」を実施している有名地点ではまだまだのようでした。篠山市にも足をのばしましたがセツブンソウは皆無でした。



















 「道の駅あおがき」でお気に入りの「おいでな定食」を食べました。







 

Kanade

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 2月 1日(金)17時43分15秒

   Kanadeの急性白血病の阪大病院における維持療法は2017年12月8日の第一回目の通院(診察・検査)からはじまり、今日(2019年2月1日)の31回目の通院で、通常の診察・検査が終了しました。

 抗がん剤・メトトレキサートの(週一回の)投与は今日で修了、毎日のむロイケリンは2月7日で修了です。

 あと2月13日に1日入院でマルク(骨髄穿刺)をしなければなりません。造血組織である骨髄から骨髄液を採取する検査で麻酔が必要なしんどいものです。これが無事に終わるとやっと維持療法の修了ということになります。以後、3年間は月に1回の通院で様子を見ることになります。

 よく頑張ったなと思います。


 

消滅

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 2月 1日(金)08時23分46秒

  消滅
VANISHING POINT

恩田陸 著

超巨大台風が接近、封鎖された空港。別室に集められた11人の中に、テロ首謀者がいるという――。閉鎖空間で推理合戦が繰り広げられる恩田ミステリー、一気読み必至!

書誌データ
初版刊行日2015/9/25
判型四六判
ページ数528ページ
定価本体1800円(税別)
ISBNコードISBN978-4-12-004764-0

(↑ http://www.chuko.co.jp/tanko/2015/09/004764.html

 最近、文庫化されよく新聞広告を見かけ、興味を持ち借りだした。528頁もある長編で最後まで読めるか心配したが、以外と軽いタッチの文章で上品なユーモアがあり一気に読めた。入国前に空港の別室に拘束された11人と「キャサリン」と呼ばれるアンドロイドがいろいろ思索し会話を交わすだけ、同じ状況が延々と続く。これを最後まで読ませる筆力に感心する。近未来のお話しで知らない用語もたくさん出てくる。