2月2日、丹波のセツブンソウ

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 2月 2日(土)17時52分57秒

   丹波市青垣のいつもの自生地では、まだ雪が残っていましたがセツブンソウがしっかり顔を出していました。楽しみだったオウレンは、かたい蕾を2つだけ見つけました。

 毎年、「セツブンソウ祭り」を実施している有名地点ではまだまだのようでした。篠山市にも足をのばしましたがセツブンソウは皆無でした。



















 「道の駅あおがき」でお気に入りの「おいでな定食」を食べました。







 

明石市長の暴言

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 1月31日(木)08時40分24秒

  「今日火付けて捕まってこいお前!燃やしてしまえ!ふざけんな!行ってこい 壊してこい 今から建物、損害賠償を個人で負え! 当たり前じゃ、はじめから分かっとる話を」
というような発言を切りとって伝えられたので、なんと最悪のパワハラ市長と思いました。

 そのうちに、録音された発言の全文が報じられ、市長も悪いけど、市職員の方がもっと悪いのではと?

 暴言を録音したのが2017年の6月14日、それが選挙前の今になってマスコミに取り上げられた、だれが、どうして今頃、と疑問に思う?

 それで立ち退き問題はどうなっているの?と調べると、暴言の1ヶ月後に解決し、工事は進行中だって。7年間何もしなかった市職員が市長に怒鳴られたので、大慌てで1ヶ月で片付けたというなら、市長の暴言の効果があったのだと思ってしまう。

 人それぞれに価値観や思いは違うというのが良くわかる事例でした。

 「人権派で敏腕、その市長が焦ってパワハラ」、というマスコミのパターン化した取り扱いに疑問を感じます。少なくとも、問題になった工事の意義、経緯、現状をまず明らかにすべだったと思います。


 

寒いです!

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 1月28日(月)11時24分43秒

  Toshiko姉の三回忌で(て)は鹿児島へ。
 いつもこの時期は雪が舞う寒い日が続きます。

井上靖「わが母の記」講談社、1975年
 出版された時代のせいか、老耄や耄碌など今では
ほとんど使われない直裁な表現が何度も出てきます。
認知症という言葉がなかったのでしょうね。


 

N響大阪公演

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 1月21日(月)11時23分56秒

 









 N響の大阪公演(1月20日、NHK大阪ホール、16時から)に行ってきました。
 いつものNHK大阪ホールでのイベントとは違って、座席指定のチケットを事前に購入しているので、ホールロビーでの入場待ちの行列の混雑はありませんでした。席は1階C6列の30と31で演奏者の顔がよく見える良い席でた。ただ舞台に近すぎて後ろにいる管楽器や打楽器演奏者を見にくかったのが残念でした。










 トゥガン・ソヒエウは指揮棒は使わない指揮で、身振り・手振り・指の表情は豊かで見事でした。
 演奏された曲の作者は、フォーレ(フランス)・ブリテン(イギリス)、リスキー・コルサコフ(ロシア)とそれぞれ国が異なりました。

 前半のフォーレとブリテンの曲は短かったこともあり分かりやすく心地よく聴けました。特に楽しかったのは「シンプル・シンフォニー作品4」の「第2楽章(たのしいピチカート)」でした。弦楽器の弦を指で弾いて演奏するピチカート奏法を堪能しました。

 後半の交響組曲「シェエラザード」作品35の題名は「千一夜物語」に由来します。冒頭に2つの重要なテーマ曲が紹介されます。力強くスケールの大きいテーマはシャフリア−ル王を、バイオリンの独奏による繊細で美しいテーマはシェエラザードを表現しているという。この2つのテーマが組み合わさって曲が進行していくのですが、特に繰り返し出てくるバイオリンの独奏に魅せられました。第1コンサートマスターの篠崎史紀の演奏でした。

 トークは皆無、アンコール演奏もなし。予定時間ピッタリにお開き。NHKらしいというか、ちょっと物足りない感じで帰路に。


 

認知機能検査

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 1月16日(水)13時00分9秒

   昨日(1月15日火)、免許「更新時認知機能検査」を茨木ドライビングスクールで受けてきました。検査は30分、受検者は25名でした。
 解答用紙と鉛筆が配られ、1問ずつ説明を受けた後に答えを書き込んでいく形式です。

1)今日の年月日と曜日、名前、生年月日、現在の時刻を時計を見ずに書くこと。
2−1)絵(写真も)を1回に4枚ずつ、計4回で合計16枚を見せられ、覚えておけと。
2−2)数字遊びなど他のくだらない作業をさせる。
2−3)覚えている絵(写真)の名前を書けという問題。9個しか思い出せなかった。
2−4)同じく絵(写真)の名前を書けという問題だが、花、果物、大工道具などのヒントが解答用紙に示されていた。12個は書けた。

 今思い出せるのは、眼、戦車、ステレオ、太鼓、万年筆、トマト、ペンギン、兎、
   コート、金槌、百合ぐらいか・・・

3)白紙にアナログの時計の目盛盤を書き、8時20分の時刻を示す針を書き込む


 これで採点され結果が1週間後に郵送される。結果によって、高齢者講習2時間、高齢者講習3時間、免許取り消しに分かれるそうです。

 それは受け止めるしかないのですが、「茨木ドライビングスクール」では高齢者講習の予約はすでに4月の分まで満杯だという、となると私や昨日の受検者のほとんどが免許更新期限を過ぎてしまう。高槻など他所の講習会場を探せという事らしい。何やら腹立たしい高齢者の免許更新システムです。
 昨年の10月に通知が来て、直ぐ予約し1月15日になった。この時からこれで間に合うのと心配ではあったのです。

2019年1月19日(土)
認知機能検査結果通知書・高齢者講習通知書(ハガキ)が来ました。判定結果は「記憶力・判断力に心配ありません」でした。講習は2時間で手数料は5100円です。

 早速、高槻自動車教習所に予約し、3月19日午後4時から講習ということに。更新期限内です。


 

寿新春大歌舞伎

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 1月14日(月)08時54分13秒

   初めて「歌舞伎」を観ました。(て)が大阪「松竹座」の「寿初春大歌舞伎」のチケットを手に入れてくれ、1月13日の昼の部を観劇しました。11時開演なので10時半に松竹座についたところ、道路から続く入場のための列が出来ていました。2階1列14番で舞台正面の良い席でした。













 最初の「土屋主税」は忠臣蔵の話で分かりやすく楽しめました。2番目の坂田藤十郎の米寿記念の舞踏は華やかでその様式美は綺麗なと思ったものの途中、退屈で寝てしまいました。3番目の「河庄」の原作は近松門左衛門の「心中天の網島」というので分かりやすいかなと期待したのですが、かなり改作されたものだったので、戸惑っている内に話の展開が遅すぎてあまり面白くないまま終わってしまいました。

 女形の女性美には感動しましたが、初めての歌舞伎には文楽を観た時ほどの感動はありませんでした。まあ知らなかった世界を少しだけでも体験した嬉しさはありました。

 観るまでは読んでもよく理解出来なかった新聞の紹介記事が、すっと読めて理解出来ました。「玩辞楼(がんじろう)一二曲」というのは初代中村鴈治郎が選んだ成駒屋の家の芸ということらしい。なるほどという感じです。













 帰り道、道頓堀・心斎橋を歩こうとしたら、外人観光客で溢れていてうんざり。御堂筋に戻りました。












 

寒くなりました

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 1月 9日(水)08時49分32秒

  パソコンのCPU温度が25℃まで下がっていました。使い始めて
十分ほど経ってやっと33℃です。適温は40−60℃なのですが・・・

熱いのは大敵なのですが、寒いのも動作が遅く心配です。


 

海が光っていました

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 1月 7日(月)08時59分53秒

  1月6日の鉢伏自然歩道
 峠から夕日に照らされ輝いている「大阪湾」が見えました。
 帰り道、虹も見えたのですが写真にうまく撮れませんでした。



















 

広岡さんを偲んで 3

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 1月 6日(日)10時24分29秒
   阪大時代のことは不思議に良く覚えている。しかし、福井大学に移ってからのことは記憶が定かでないことが多く、色々な出来事を時間順に追うのは至難である。とにかく確かだと思えることだけを記した。

 1975年4月〜1978年9月は大阪大学基礎工学部超高圧実験施設の助手だった。川井先生の念願がかなって開設された実験施設、その施設が軌道にのるまでは全力をつくせという意味もあり助手なのに一年間は「学生実験担当免除」という珍しい扱いを受けた。それは有り難かったが、例によって超高圧物理に専念すべきで古地磁気研究には手を出すなと材料工学科(後に物性物理工学科)の教室主任から厳命を受けた。広岡さんの助手時代の苦労をその時、身にしみて知ることになった。しかし、広岡さんのやり方を学んでいたので、私も古地磁気研究から完全に離れたことは皆無だった。この時代に学部学生・院生だった鳥居(岡山理科大)、乙藤(神戸大)、佐藤(広島大)、酒井(富山大)、渋谷(熊本大)の諸君は後に大学に職を得て古地磁気研究者になっている。現役は渋谷君だけになった。
 1978年4月、広岡さんは富山大学理学部教授に転任、私はその後を追って10月1日付けで福井大学教育学部助教授に。大学で講義を受けたのは物理関係だけだった私が地学を教えるのは大変でした。心配した広岡さんが、福井大学で担当されていた科目の講義ノートをすべてコピーさせてくれた。このノートは私には使い切れなかったがどれほど心強かったことか。 1979年7月に川井先生が58歳で亡くなり、私にとっての先生は広岡さんだけになってしまった。
 富山大学と福井大学の学生が一緒になって伊豆半島にサンプリングに出かけたこともある。この時の富山大学の学生さんが先日の広岡さんの葬式に駆けつけてくれていた。
 何回も富山大学理学部の集中講義の講師に呼ばれた。講義は嫌いなのだが広岡さんと逢えるのが楽しみで毎回、引き受けた。私では広岡さんとほとんど同内容の講義しか出来ないのによく呼んでくれるなと感心していた。福井大学では私がいるので広岡さんを講師に呼ぶことは考えられなかった。私に大学院の科目の担当経歴をつけようとしてくれていたのだと後で分かった。福井大学での大学院新設にその経歴は役だった。
 広岡さんが理学部長の任期を終えられた時、今がチャンスと富山大学での藤井純子君の学位論文の審査を頼んだ。快く引き受けてくれた。2002年の3月に藤井君に理学博士号が授与された。
 2004年3月、富山大学を定年退職され大谷女子大学に。定年退職記念(2004年5月1日)のパーティーの帰り、無性に寂しかったことを思い出す。富山大学では学部長などの要職を歴任され多忙過ぎたので、池田市に戻られてからは奥様とゆっくりした生活を楽しんで下さいと願っていた。しかし、2007年に奥様が癌で北野病院に入院された。4月28日にてみ子と二人で病院に見舞いに行った。私の顔を見て奥様が「主人が中島君が来てくれたので喜んでいる」と言ってくれた。広岡さんは後に9月に呑んだ時、「家内が喜んでいた」と言ってくれた。その時はもう癌が脳に転移していた。何も出来ない虚しさをかみしめた。9月4日の朝、67歳で亡くなられた。広岡さんの悲しみの深さを思いつらかった。私や夏原君に出来ることは一緒に酒を呑むぐらいのことしかなかった。
  2009年6月の私の退職記念パーティに、主賓として元気に福井に出てきてくれた。時枝夫婦、鳥居、夏原夫婦、中村、乙藤、酒井、渋谷など親しい古地磁気研究仲間・後輩に囲まれご機嫌だった。福井大学で広岡さんと親しかった教員や学生の大多数にとって、このパーティが広岡さんに親しく接した最後となった。
 2011年9月、中村浩さんの奥様がなくなった。広岡、中島、夏原は通夜と葬式に富田林の竜泉寺まで出かけた。通夜の帰りには3人で梅田で呑んだ。葬儀の日、広岡さんと車で一緒に行くために石橋の阪大下で10時に待ち合わせをしていたが、いつになく時間がきてもこられない。心配していると転んでケガをしたので迎えにこいという電話。びっくりして迎えに行ったが葬式にはそのまま行くという。心配だったが、言い出したら他人の話は聞かない人なのでそのまま富田林に。葬式はなんとかやり過ごしたが、かなり消耗しきっておられたので中村さんに富田林の病院を紹介して貰う。そこでそれなりの検査・治療をして貰いどうにか池田の広岡宅に帰り着いたのが夕暮れでした。後で聞いた話ではその後も何回か転んでいたらしい。これがパーキンソン病の症状がでた最初だったのだろうと思っている。
 その後も研究会や呑み会で何度も楽しい時間を過ごしてきた。パーキンソン病でリハビリに病院に通っていると聞いてからは何となく呑みに誘うのにためらいがあった。そして突然の逝去。悔しく、もっと頻繁に逢っていればよかったと後悔ばかりの今です。

 広岡さんは川井先生亡き後、ずっと古地磁気研究分野の親分でした。サンプリングが大好きで色々計画し研究資金を獲得し、日本だけではなく世界各地に出かけました。子分の私もサンプリングは大好きでした。違いは私は最後まで自分で測定していましたが、広岡さんは多分自分で測定したことはなかったことだと思います。

 最後まで見事な生き方でした。自宅を改装した2世帯住宅で次男家族と過ごされていましたが、日常生活は何でも自力でこなされていたそうです。そして死の直前までお元気でした。延命のための医療・介護をまったく受けることなく逝かれました。

 ご苦労様でした。奥様とゆっくりおやすみ下さい。













 

熊本県で震度6弱

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 1月 3日(木)19時10分32秒

  今年も自然災害に悩まされそう。
安心できません。
とりあず情報収集です。

朝になっても、まだ被害状況が報道されない。
震度6で被害が出ないはずがないのに。。。。。

マグニチュードが5.0で大阪北部地震 M6.1 よりは小さいので
被害もややすくないのでしょう。

 

Re: 新年のご挨拶

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 1月 3日(木)10時01分27秒

  pekoさんへのお返事です。

おめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

初日の出のお届け、ありがとうございます。

のんびりした正月です。
昨日は息子一家がきて、てんやわんやでしたが
今日は、朝から箱根駅伝のテレビ観戦です。

今年の年賀状は、「年賀状じまい」挨拶が
ブームとニュースであったのですが、
我が家に届いた賀状は例年通りで平穏でした。
 

新年のご挨拶

 投稿者:peko  投稿日:2019年 1月 2日(水)14時55分26秒

   明けまして おめでとうございます。
今年も宜しく お願いいたします。

 結婚以来 夫婦水入らずのお正月は、初めてでした。
有明海沿岸に、初日を見に出掛けてきました。
今年も、元気に歩いていたいと 思います。

 昨年は、孫姫の為に、4ヶ月費やして、さげもん作りに精を出しました







 

謹賀新年

 投稿者:TN&TN  投稿日:2019年 1月 1日(火)04時01分37秒

  皆様、今年もよろしくお願いいたします。

のんびりした元旦です。
よく晴れていました。

いつものように新屋神社と真龍寺に初詣でした。