ルリビタキ

 投稿者:TN&TN  投稿日:2018年 1月31日(水)10時03分31秒

    朝は気持ちよく晴れていたので鳥見に。
 スズメしかいないなと思っていたら
 最後にルリビタキとジョウビタキの雌に出逢いました。

 

ルリビタキ




ジョウビタキ




スズメ





 

今晩の皆既月食

 投稿者:TN&TN  投稿日:2018年 1月31日(水)08時09分4秒

  見たい! しかし天気予報は午後から曇り・・・・


 

苦海浄土 5(最終)

 投稿者:TN&TN  投稿日:2018年 1月28日(日)16時08分12秒

  第3部

 石牟礼が尊敬し慕った細川一医師が昭和45年10月11日に死去。石牟礼が細川と直接話せたのは四,五回だけだが、細川の業績や人柄に深く魅せられていた。臨終が間近に迫る頃映画「水俣」に細川一家を撮ろうと東プロダクションは企画したが断られ、映画スタッフは石牟礼が細川と会う場面だけでも撮りたいと依頼するが、断り続けたという。石牟礼の細川への敬慕がそうさせたのだと思う。
 見舞ったとき「あの子供たち・・・・ずいぶん大きくなったでしょうね。どうしていますかしら・・・」と聞かれる。細川カルテにあった胎児性水俣病の子供たちのことである。元気にしていますと言えばそらぞらしい。「おおきくなりました」と。


 第3部は川本輝夫が中心になって話が進む。川本は何回も水俣病認定申請を出した上で自力で認定を勝ち取る。その間もそれ以降も「隠れ水俣病」患者を掘り起こし認定を勝ち取るサポートを続ける。水俣病市民会議や告発する会の会員にも「隠れ水俣病」患者を見つける臭覚を持つ人がでてきて川本に協力する。昭和46年(1971)10月6日になって川本輝夫らが新たに認定された。

 川本グループの患者は昭和46年にチッソとの直接交渉(自主交渉)を開始する。告発する会や学生は全力で支援に当たる。しかし市民会議には突出する川本グループへの支援にためらいが見られた。

 7月3日の自主交渉のテープ記録が601頁〜609頁にある。チッソと患者たちのやり取りは興味深い。

 同年11月には自主派グループはチッソ水俣工場前で座り込む。12月には自主交渉の場を東京本社4階に移す。本社から強制排除された学生支援者は本社前路上にテントを設置。朝ビラまき、昼は4階チッソへ交渉要求の申し入れ、夕方街頭カンパとフル稼働。

 「支援者は患者の前に出ず下働きに徹すべし」と熊本水俣病を告発する会は抑制的な方法論で全面支援。石牟礼は「このような運動ではいかにおのれを無にして働くかが自分の志への唯一の踏み絵となる。ことに水俣病受難史の中では、筆者などは、一種の羞恥に頬かたむけながら隠れて働く人々に助けられ続け、ほとんど患者なみに手厚い保護さえ受けて余命を保ち、このような文章を書き、いたずらに虚名のみを残すことになる」と書く。1972年の6月に白内障手術を受けることになる石牟礼は本社での自主交渉中からほとんど左目は見えていなかった。

 支援者には、吉野源三郎、丸山邦男、なだいなだ、矢内原伊作、望月優子、木下順二、野坂昭如・・・・など多数の著名人。なるほどと納得する人が多い。

 川本が検挙されたとき、救おうと支援者に抗議書への蓮著の依頼の電話をかけ続ける石牟礼に一人の著名氏が、「あなたはそういうことをせずに、じっと辛抱して書くべきですよ作品を。多数の人間の、役にも立たない抗議文書より、一人の人間の思いをこらした文学がどんなに効果を発するか。あなたも知らないわけはないでしょう」と忠告したという。そのおことばは胸に応えた。応えすぎた、と石牟礼。

 自主交渉を支援するの「告発する会」のメンバーや学生達は、カンパや支援のための広報に全力でしかも無償で取り組んだ。しかし、患者たちの受け止め方は様々だった。集まったカンパが支援者たちの「給料」になっていると誤解したり、カンパ金は全学患者に分配すべきと考える人が多かったらしい。支援に必要な経費(印刷費を含む情宣費、電話代など)が高額支出になるということについては理解出来なかったらしい。

 1973年3月20日には、熊本水俣病第一次訴訟に対しても原告勝訴の判決が下された。すでに熊本県で水俣病が発生したあとに起きた新潟水俣病の場合と異なり、熊本での水俣病の発生は世界でもはじめての出来事であった。そのため、熊本第一次訴訟で被告のチッソは「工場内でのメチル水銀の副生やその廃液による健康被害は予見不可能であり、したがって過失責任はない」と主張していた。判決はこれについても、化学工場が廃水を放流する際には、地域住民の生命・健康に対する危害を未然に防止すべき高度の注意義務を有するとして、公害による健康被害の防止についての企業の責任を明確にした。

 「判決前後、弁護団と県民会議は、全国の社・共連合戦線と総評系労働運動を背景として、患者の闘いを「水俣病裁判勝利」と祝う全国公害反対闘争のおまつりさわぎの中にからめとろうとして、判決前後、全国的に大動員をかけている。しかし注目すべきなのは、その中で日共の指導権が日増しに強化されていることである」。 それまで何も支援してこなかった日共は、患者の闘いを、党派的利害のために成果を収奪しようとするハゲタカであると、日共を毛嫌いしている。日共は大学紛争の時にも同じことをしていたなと私は理解する。

 判決後、自主交渉派と訴訟派の患者がチッソと交渉するのを支援する「告発する会」は訴訟弁護団や県民会議と決別した。社・共連合戦線と総評系労働運動のように組織の論理で行動する団体と、患者個人の救済を最優先に考えるグループとの確執が露骨になった勝訴判決だったのでしょう。

 チッソと自主交渉派13名と旧訴訟派29名のチッソとの第一回交渉は昭和48年(1973)年3月22日にあった。これもテープ記録としてこの本に掲載されている。よく練られた交渉戦術がうかがえる。

 第3部があつかった昭和45年から48年の間にも多数の水俣病患者が亡くなった。石牟礼はそれらの人々の死をいかにも彼女らしく詩的に記録した。

 長い長い読後感になりました。読むのが辛かったけれど、読んでよかったと思っています。水俣病や石牟礼道子のその後についても調べてみようと思います。



 

雪が舞う大阪女子マラソン

 投稿者:TN&TN  投稿日:2018年 1月28日(日)14時43分18秒

  松田瑞生が優勝、初マラソン、ダイハツ所属、薫英女子校卒の
大阪生まれ、大阪育ち。嬉しくて最後まで応援しました。


 

苦海浄土 4

 投稿者:TN&TN  投稿日:2018年 1月26日(金)08時51分19秒

  第2部 神々の村

昭和44年(1969)

 「4万5千人のいのちと水俣病患者100人あまり、どちらのいのちが大切か」という論理で水俣市民に憎まれる患者たち、その患者間でも生活保護費を引き剥がそうとする密告者がでてくる悲惨な状況が続く。市民や患者、弱者同士の足の引っ張り合いは悲劇。

 石牟礼は潜在水俣病患者を掘り起こす調査をしたり、実情を把握するため何度も患者やその家族を見舞う。死亡した患者の解剖にまで立ち会っている。患者やその家族の心情を共有し、患者の心情や現状を見事な文章で描き出す。患者たちからは「あねさん」と呼ばれていた。

 渡辺京二らは「水俣病を告発する会」が熊本につくり、チッソ工場前で抗議活動。

 患者互助会や水俣病対策市民会議の要望にも関わらず患者救済策はなかなかでてこない。チッソやチッソを護ろうとする厚生省の卑劣な策で、水俣病補償処理委員会が立ち上がり、患者互助会は補償案をこの委員会に一任する「一任派」と裁判で補償を勝ち取ろうとする「訴訟派」、チッソと自主的に交渉する「自主交渉派」に分かれた。

 6月14日、互助会の訴訟派は、チッソを相手取り、総額6億4千万円の慰謝料請求の訴えを熊本地裁に提起。


昭和45年(1970)

 水俣病補償処理委員会は5月に斡旋案を回答を予定。それは死者に最高300万円の一時金、生存者には32万円、ないしは16万円程度の年金を払うと案になりそう。なんと人命の価値の低いこと!

  水俣病補償処理委員会の回答を阻止しようと、5月14日と15日、患者と家族が厚生省前に座り込む。そのとき橋本龍太郎厚生政務次官(32歳)が患者に暴言を吐いたらしい。有能で将来を期待されていた政治家の傲慢さに矢っ張り!という感じ。

 5月25日、熊本からの「告発する会」の会員や東京在住の支援者によって、厚生省の補償処理案提示会場の占拠が実行された。石牟礼のその占拠組を志願したが足手まといと一蹴された。占拠組に宇井純の名前があった。東大で20年間も助手のままだったが左翼の有名人だったという記憶がある。水俣病に深く関わっていたことはこの本を読んで初めて知った。ネットで調べると宇井は、「水俣病の悲惨なことは話さず『悲劇あり,喜劇あり,とんでもねえ物語だ』とだけ言っていた。」というのがあった。
 5月22日〜28日の間になされた一連の阻止行動は、「阻止行動によってチッソ、厚生省、処理委の犯罪性が暴露されたと参加者は評価した。

 11月28日、チッソ株主総会(会場 大阪厚生年金会館)に一株株主として水俣病患者が出席。それまで顔を見せなかったチッソ社長に逢うために。水俣病を告発する会、訴訟派の患者、市民会議の会合で作戦が練られた。 11月24日に水俣を出発した水俣病患者高野山巡礼団19名は全身白装束の巡礼姿で会場に到着し、全国からの一株株主達と共に、告発する会会員や学生などの支援者に護られ入場した。一株株主の隊列は300メートルもあり「怨」を染め抜いた黒地の吹き流しは700本もあった。
 婆さまや女房グループ巡礼団のご詠歌が会場に響き渡った。それは聞く者の心を打つ感動の情景であった。

 議事が始まり、ずっとチッソの社長と話をしたいと願っていた巡礼団は舞台に駆け上がり社長に想いをぶちまけ、会場は大混乱。

 常に患者に寄り添い行動を共にしてきた石牟礼だが常に記録者の立ち位置にあったが、この日は舞台にあがる時期と舞台から引き揚げる時期を即断し巡礼団に明確に指示をだした。

 翌日、巡礼団は高野山に御参りした。

  巡礼団が大阪に来た昭和45年、私は大学院修士2年だった。阪大での学生紛争が終焉し修士論文の最後の詰めで、自分のことで手一杯の時期とは言え、何も覚えていない。水俣病もよくある公害の一つという程度の意識しかなかった。恥ずかしい。

 石牟礼は事実を実名で正確に記録した。怒りはかなり抑え気味に書いているが、橋本龍太郎、補償処理員会委員やチッソ社長、また熊本県公害対策委員長などがこの記録を目にしたら何を思うのだろう。


 

苦海浄土 3

 投稿者:TN&TN  投稿日:2018年 1月24日(水)14時53分44秒

   水俣病の最初の患者は昭和28年(1953)、チッソ附属病院の細川一医師の水俣病についての最初の報告書が厚生省に提出されたのが昭和31年(1956)、熊本大学から水俣病についての研究論文が出だしたのが昭和32年(1957)からだった。

 そのころ石牟礼は20代後半、詩人として世に知られるようになっていた。谷川雁を知りその思想・行動に大きく影響されていた。しかし水俣病への積極的な関わりはなかった。
 「・・・水俣病に悶々たる関心と小さな使命感を持ち、これを直視し、記録しなければという盲目的な衝動にかられて水俣市立病院水俣病特別病棟を訪れた・・・」のは昭和34年(1959)5月だった。それからずっと患者に寄り添い、聞き取り役に徹し、患者の気持ちを共有する。 「そのときまでわたくしは水俣川の下流のほとりに住みついているただの貧しい一主婦であり、安南、ジャワや唐、唐、天竺を思う詩を天にむけてつぶやき・・・・」と自分で書く(83頁)、賢そうだが平凡(?)な女性が、著者の成長の証のようなこの凄い本を残せた理由が気になって仕方がない。しかしそれはこの本だけからでは読みとれない。今、手元にある石牟礼の著作はこの本と「最後の人」だけ。2冊を交互に見ながら色々想像するのは楽しかった。

 石牟礼が患者と接するようになった昭和34年11月2日に国会議員団が水俣を視察する。同日、不知火海沿岸漁民2千人と警官隊300人がチッソ工場で激突と水俣病を取り巻く環境が激しく動き出す。
 昭和34年12月に、チッソは水俣病患者互助会59世帯に、死者に対する弔慰金32万円、患者成人年間10万円、未成年者3万円を発病時に遡って支払い、「過去の水俣工場の排水が水俣病に関係があったことがわかってもいっさいの追加補償要求はしない」という患者にとっては屈辱的な契約を取り交わした。

 昭和39年(1964年、37歳)、徳富蘇峰が寄付した「淇水文庫」で高群逸枝著「女性の歴史」との”衝撃的”出逢いがあった。
 昭和40年(1965年、38歳)、渡辺京二が編集する「熊本風土記」に「苦海浄土」の連載開始。
 昭和41年(1966年、39歳)、高群逸枝の夫・橋本健三宅「森の家」に5ヶ月も滞在する。石牟礼は橋本を師と仰ぎ(その敬愛ぶりはまるで恋人のよう)、「苦海浄土」の原稿も読んで貰っていた。
 石牟礼は「私の中で造山活動がはじまった」と対談で述べている。彼女があらゆる面で飛躍した時代だったのだろう。


昭和43年(1968) 最初の水俣病の患者が発生してから15年たつ。石牟礼は「今年は全てのことが顕在化する。われわれの、うすい日常の足元にある亀裂が、もっとぱっくり口を開く。そこに降りてゆかねばならない。・・・・」と覚悟を決める。

 1月12日、水俣病対策市民会議発足。水俣では水俣病はタブーになっている。「水俣病をいえば工場がつぶれ、工場がつぶれれば、水俣市は消失する」と市民が水俣病患者を毛嫌いしている。そのような逆風の中、市民会議が発足した。
 9月27日、政府はやっと「水俣病の原因は、新日本窒素水俣工場のアセトアルデヒド酢酸設備内で生成されためちる水銀化合物が排水に含まれ、水俣湾内の魚介類を汚染したこと」と発表した。翌28日、チッソの江藤社長が東京からやってきて患者宅にお詫びに回った。
 この時期、新聞の論調はもはやしめくくりの段階に入ったようだったが、石牟礼は水俣病事件の最後の深淵がゆっくりと口を開くのはこれからだと気を引き締めた。

 ここで第1部が終わる。


 

噴火警戒レベル1の草津白根山が噴火

 投稿者:TN&TN  投稿日:2018年 1月23日(火)13時58分13秒

  不意打ちです。自然現象の大多数は想定外、
怖い物がたくさんありすぎて・・・
警戒レベルは1から3に。

予想できた積雪23cmの大雪(?)で首都圏は大混乱
これはみっともないと思ってしまいます。
大雪警報が出ている中、ノーマルタイヤで走る馬鹿!











 

苦海浄土 2

 投稿者:TN&TN  投稿日:2018年 1月22日(月)15時26分4秒

  2018年1月22日
「苦海浄土 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)」
石牟礼道子、河出書房新社、2011年1月

 読了です。

 池澤夏樹=個人編集の世界文学全集に日本の作品ではただ1つ選ばれた。池澤は解説に「まずもってこれは観察と、共感と、思索と表現の全ての面に秀でた、それ以上に想像と夢見る力に溢れた、一個の天才による傑作である。」と書く、全く同感!

 石牟礼の略歴に「1927年、熊本県生まれ。10代より歌作を始め、20代からは歌壇に作品を投稿、才能を認められるようになる。」とある。詩人としての才能は早くから開花していたらしい。最終学歴は水俣町立実務学校1943年(16歳)で今で言えば高卒未満、中卒以上。16歳から20歳まで小学校の代用教員をしていた。貧乏で本もほとんど無い環境で育っている。水俣病と関わりをもつようになった30歳代後半に、新日窒病院の細川医師に膨大な資料を見せてもらったとき「一冊の本すらまともに読み通したことのないわたくしは、ただ仰天し息がつまった」と書く、そのような女性が、このような「一個の天才による傑作」とまで評される本を書いた、ただただ感嘆です。

 読み始めて直ぐに不思議な文体に魅了された。彼女の思いを書く文には詩的な心地よいテンポがある。患者の気持ちはその優しい人柄が伝わる方言を用い、会社や国、県の冷たさを表すときは味気ない公文書を引用する。池澤はこのような事情を「水俣の方言で育った彼女はこの言葉に組み込まれた精妙な敬語のシステムを自由に駆使することができるだけではなく、詩や短歌で磨いた韻文の技法を磨き上げており、更に見聞の全てを心で消化して新たに産み直す散文の力も備えていた。まるで一人で奏でるオーケストラだ。」と紹介する。

 苦海を辞書で引くと「生死・苦悩が海のように果てしなく広がっている人間の世界。苦界。」とあった。私の頭には苦界が正しいと思っていた。石牟礼が汚された海という意味をかけて海を使ったと思っていたが仏教用語では元々苦海だったらしい。これも池澤が解説していた。
 さて「苦海浄土」どういう意味なのだろう。苦海の先に浄土があるということなのか、苦海に浄土が共存しているのでしょうか。わかりません。

 この本は「苦海浄土」3部作を集めたもので、第1部 苦海浄土、第2部 神々の村、第3部 天の魚となっている。1963年に「熊本風土記」に「苦海浄土」の連載を始め、1969年に講談社「苦海浄土 わが水俣病」を発刊。1969年の熊本日日新聞文学賞、1970年の大宅壮一賞を辞退している。
 1974年に第3部の筑摩書房「天の魚」が発刊されているが、第2部が単行本で発行されているかどうかは分からなかった。
 


 

苦海浄土

 投稿者:TN&TN  投稿日:2018年 1月18日(木)11時20分27秒

  ○石牟礼道子「苦海浄土」を借りました。約800頁の大作、内容も水俣病なので重たく読み進むのは大変です。一日80頁ずつ、10日かけて読むことにします。

4日目、320頁まで読みました。凄い本です。水俣病のことをほとんど知らずにいたこと、石牟礼道子「苦海浄土」を今まで読もうとしなかったことを恥じます。

 読後感を書いておこうと思うのですが、あまりに内容が濃密なので簡単には書けそうにありません。取りあえず今日はコピペだけ。


苦海浄土 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)
石牟礼道子、河出書房新社、2011年1月

Amazon(https://www.amazon.co.jp/dp/4309709680?_encoding=UTF8&isInIframe=0&n=465392&ref_=dp_proddesc_0&s=books&showDetailProductDesc=1#product-description_feature_div

商品の説明
内容紹介
水俣の不知火海に排出された汚染物質により自然や人間が破壊し尽くされてゆく悲劇を卓越した文学作品に結晶させ、人間とは何かを深く問う、戦後日本文学を代表する傑作。三部作すべて収録。

〈ぼくがこの作品を選んだ理由 池澤夏樹〉
ある会社が罪を犯し、その結果たくさんの人々が辛い思いをした。糾弾するのはたやすい。しかし、加害と受難の関係を包む大きな輪を描いて、その中で人間とは何かを深く誠実に問うこともできるのだ。戦後日本文学からこの一作をぼくは選んだ。

内容(「BOOK」データベースより)
「天のくれらす魚」あふれる海が、豊かに人々を育んでいた幸福の地。しかしその地は、海に排出された汚染物質によって破壊し尽くされた。水俣を故郷として育ち、惨状を目の当たりにした著者は、中毒患者たちの苦しみや怒りを自らのものと預かり、「誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの」として、傑出した文学作品に結晶させた。第一部「苦海浄土」、第二部「神々の村」、第三部「天の魚」の三部作すべてを一巻に収録。

著者について
1927年熊本県生まれ。69年『苦海浄土』刊行。73年マグサイサイ賞。『十六夜橋』(92)で紫式部賞、2001年朝日賞。詩集『はにかみの国』で芸術選奨・文部科学大臣賞。『石牟礼道子全集』刊行中。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
石牟礼/道子
1927年、熊本県生まれ。10代より歌作を始め、20代からは歌壇に作品を投稿、才能を認められるようになる。69年、『苦海浄土』三部作の第一部となる『苦海浄土―わが水俣病』を刊行、第一回大宅壮一賞に選ばれるが受賞を辞退する。73年、マグサイサイ賞受賞。その後『椿の海の記』『あやとりの記』など次々に作品を発表する。92年刊行の『十六夜橋』で紫式部文学賞受賞。2001年、朝日賞受賞。『はにかみの国―石牟礼道子全詩集』で02年度芸術選奨・文部科学大臣賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


 

Re: ご挨拶

 投稿者:TN&TN  投稿日:2018年 1月18日(木)04時35分46秒

  pekoさんへのお返事です。

こちらこそよろしくお願いいたします。

 幼い孫は可愛いです。
 お姫様も楽しみですね!

雪のロウバイ、綺麗です。
こちらは今期は雪らしい雪はまだありません。


 

ご挨拶

 投稿者:peko  投稿日:2018年 1月17日(水)08時51分27秒

   雨の朝です。
今年も宜しく、お付き合い願います。
ご挨拶が遅れ、済みません。

 規則正しい食事時間、不規則な朝寝と昼寝に、しっかり手を取られています。
こんな可愛い時期に、面倒を見ることが出来るのも、有難いとこと、思っています。
梅雨の時期には、初めての姫孫7号誕生の予定です。(^^♪

 11日の雪化粧から。





 

 投稿者:TN&TN  投稿日:2018年 1月16日(火)13時28分22秒

   中学からの親友SFと梅田で待ち合わせ呑んだ。待ち合わせ場所で
彼が本を読みなら待っていてくれた。嬉しくなった。近頃、待たさ
れることが多い。しかし、我々世代は大抵は約束時間の10分前には
ついている。それに本、電車の中でも何処でも若者はスマホ、スマホ
スマホ・・・本なんて読んでいる若者は見かけない。10分前に来て
本を読みながら待っていたSF、やはり同世代、年寄りだ!

 片野桜、八海山と大好きな酒がある居酒屋、美味しく楽しかった。



 

メジロ

 投稿者:TN&TN  投稿日:2018年 1月15日(月)10時20分26秒

  ○センター試験が終わると寒波も緩んできました。受験生や関係者の皆さん、ご苦労様でした。
○石牟礼道子「苦海浄土」を借りました。約800頁の大作、内容も水俣病なので重たく読み進むのは大変です。一日80頁ずつ、10日かけて読むことにします。
○電子レンジのターンテーブルが回っていない、故障?と心配したのですが復活。携帯の電池も寿命かな?色々出てきます。

久しぶりのメジロ!です。

 











 

時局発言!

 投稿者:TN&TN  投稿日:2018年 1月 9日(火)11時11分5秒

  「時局発言!」
上野千鶴子、WAVE出版、2017年

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(コピペ)
WAVE出版(http://www.wave-publishers.co.jp/np/isbn/9784866210445/

脱原発から国会前のデモまで。
社会学者、上野千鶴子が
読みながら、走りながら、考えた。

日本社会の問題点が、この一冊で見えてくる!

日本を代表する社会学者・上野千鶴子が選び出した、
時代の「いま」と伴走する書籍、論考たち。

日本社会を根底から揺るがす大きなうねりが続くなか、
読書を通じて、社会の問題点に鋭く切りこむ!

上野 千鶴子
専門は女性学、ジェンダー研究
。京都大学大学院卒業、社会学博士。現在、東京大学名誉教授、立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘教授。認定NPO法人ウイメンズアクションネットワーク理事長。

著書に『近代家族の成立と終焉』(サントリー学芸賞受賞)、『おひとりさまの老後』『男おひとりさま道』『ケアの社会学』ほか。平成23年度朝日賞受賞。

第1章 社会を変える
第2章 戦争を記憶する
第3章 3.11以降
第4章 格差社会のなかのジェンダー
第5章 結婚・性・家族はどこへ?X
第6章 障・老・病・異の探求
第7章 ことばと文化のゆくえ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 最近、毎日1冊のペースで何かの本を読み飛ばしている。昨日、読んだのがこれ。大学でのハラスメント問題にどう対応するかの指針を得たくて上野の本を何冊か飛ばし読みして以来だが、図書館の新刊の棚にあったので借りだした。

 著者は、毎日新聞に2012年から16年の4年間に、月1回のペースで、一つの主題を設定し、最低3冊の相互に関連する本の紹介と批評を連載していた。それがこの本のベースになっている。

 上野は(て)と同じ1948年生まれ、同世代のためなのか、第1章から第3章まではそうだそうだその通りと共感しながらすんなり読める。しかし、第4章から第6章はまさに上野の専門分野の話でなかなか手強い。第3章の「ケアとは非暴力を学ぶ実践」など2,3回読みなおしてもまだ理解出来ない。まあしかたがないと読み進む。すると、第5章の「田舎はおいしい!」には、檀一雄に「檀流クッキング」という本がありそれは「おうちめし」の古典だという、そうなの?というような新発見がたくさん出てくる。

 第5章の「食べることは文化」では拒食障害について「拒食障害の心理学」、「拒食障害の精神医学」、「拒食障害の社会学」などの多様なアプローチがあるのに「拒食と過食の文化人類学」という新たな視点が加わったことを紹介している。何が正解なのかと頭がおかしくなりそう。しかしそれが学問か?

 第7章は一番興味深く読めた。紹介されているどの本も読んでみたいなと思わせる。

 結局、この本からの最大の収穫は新たに読みたい本が多数見つかったことかな?とりあえず、久坂部洋「老乱」、石牟礼道子「苦界浄土−わが水俣病」と「最後の人 詩人 高群逸枝」の三冊を図書館に予約した。






 

1月8日

 投稿者:TN&TN  投稿日:2018年 1月 8日(月)08時24分13秒

   静かで穏やかな正月の1週間が過ぎました。

Kanade:年末から5日まで神戸のチャイケモで家族や友達と楽しく過ごしました。元気です! 明日、今年最初の通院です。

物忘れ:益々、激しくなってきました。自分の車の名前「プリウス」まで忘れそう。嫌になります。春の七草、復習し、今はバッチリ。俳優や芸人の名前はさっぱり。せめて山野草や野鳥は季節季節に復習し忘れないようにしようと思います。

世代格差:若者に自民党やあの嘘つき安倍首相の支持者が多いらしい。新聞を読まずテレビも見ないという。

君の名は:何であんなに評判なのか確かめたくて、テレビで放映されたのを録画し見直しました。今回も、最後まで楽しく見られました。しかし、やっぱり感動!とまではいきません。あんな大きな彗星が落ちて日本の1つの田舎町が消滅するだけというあたりで、楽しいファンタジーから作り物のオハナシに格落ちでした。


 

1月2日

 投稿者:TN&TN  投稿日:2018年 1月 2日(火)15時30分5秒

    5時に起きてスーパーフルムーンを見ました。綺麗でした。
 7時前に「日の出」とお月さんが同時に見れるかなと辯天さんまで出かけたのですが雲が厚くどちらもダメでした。

 











オシドリを見たいなとオシドリ池まで散歩しました。カワセミにも久しぶりに出逢いました。


オシドリ



カワセミ



ジョウビタキ





ツグミ



アオジ





オオバン










 

2018年 元旦

 投稿者:TN&TN  投稿日:2018年 1月 1日(月)20時32分31秒

    あけましておめでとうございます
 今年もよろしくお願いします

 (て)の姉さんの喪中です、それでも(た)は年賀状をだしました。
中途半端な対応とは思います、でもなにが正しいのでしょう???


 雲は多かったのですが穏やかな元旦でした。
 新屋神社に初詣、いつもは午前零時過ぎに御参りして
いたのですが今日は午前9時頃、そのせいか参拝客はまばらでした。

 今晩から明日の明け方に「スーパームーン」の見頃とか・・・。

 





新屋神社






竜王山




19時のお月さん