2月23日

 投稿者:TN  投稿日:2017年 2月23日(木)13時14分39秒

   富士山の日、だって。

 茨木シネマクラブの2月例会。流石に今日はまだ映画を見られる精神状態では
ない。(て)は行ったが(た)はパス。

 一昨日、昨日(22日)のKanadeは何も食べない。エンドキサンのせいなのでしょう。
一進一退か・・・・。なかなか大変です。

 アルプラでオムツの特売があったので買う、それと色鉛筆が欲しいというので
探す。昔のタイプは売っていない。何でも変わっていきます。そのうちに
何もかも分からなくなる時が来そうです。


2月25日(土)
 元気が出て食欲も回復。しかし、治療はなしなので、一時帰宅することに。
 じれったいのですが、治療は医者に任せるしかない。
 

中西哲夫が死んだ

 投稿者:TN  投稿日:2017年 2月21日(火)13時48分49秒

  都島工高の親友。
年賀状に胃がんの手術を受けると書いてあったので
吃驚して電話した。死ぬな!と言ったら多分大丈夫だろうと
答えてくれていたのに。もう手術も終わった頃、メールでも
入れようかなと思っていたのに・・・・・

頭の中が真っ白でなにも考えられない。

PS 2月25日 ↑を書き直そうとしたのですが途中で出来なくなりました。


「夫 中西哲夫は 二月五日永眠致しました」という知らせを受け、頭の中が真っ白に。
 年賀状に「不摂生がたたって胃ガンになってしもた。一月に手術や」と書いてあったので吃驚して電話しました。こちらの思いが強すぎて無理矢理、早期発見なので大丈夫だ!と言わせてしまったのかなと思っています。冗談で「死ぬんかいな?」と私が言った時に「分からん死ぬかも」と答えたのが彼の本音だったのかも知れないなと。

 毎日、あれこれ彼のことを想います。私たちはS34年に電気科に入学しました。尊敬できた担任、優秀な級友たちと3年間を過ごせたことを今も誇りにしています。中でも中西哲夫は、頭脳明晰で明るく何事にも積極的に取り組む親友でした。
 卒業後、彼は松下電器一筋、私は企業の仕事には不向きと自覚しすぐに倉敷レーヨンを退社、大学に進学、そのまま大学での生活を続けました。歩いてきた道は異なりましたが、どちらも相手を認め敬愛していたと信じています。

 以下は、彼の著書 「再挑戦してみたい!『海外でのモノづくり』」(中西哲夫/著、出版社名 鳥影社、2001年4月)に書かれた経歴です。

 1943年大阪府に生まれる。1962年大阪市立都島工業高校卒業、国家試験「電気事業主任技術者第3種」取得、松下電器産業(株)入社、部品事業部品質管理部配属。1966年同部品事業部がデミング賞事業部賞を受賞(推進本部でTQCを推進)。1976年松下電子部品(株)発足、品質管理課長、海外助成課長を歴任。1989年アメリカ松下電子部品メキシコ工場設立、工場長として出向。1994年松下電子部品(株)高周波部品事業部に復帰、国際購買・海外購買・購買総括責任者を歴任。1997年「中小企業診断士」認定合格・登録。1999年退職。2000年ISO14000審査委員補登録(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


 この経歴を見ると懐かしい。いろいろ思い出す。資格を持っていると就職に有利だと在学中に私たちは「電気事業主任技術者第3種」を受け合格した。しかし、好景気の時代で級友の誰もがこの資格を就職試験に利用するまでも無く就職を決めていた。彼が書く字は綺麗で読みやすかった。製図も上手でトレースなどのアルバイトもしていた。また何にでも興味を示し速記までマスターしていた。松下電器に務めながら「中小企業診断士」認定合格・登録、またISO14000審査委員補登録をしているなど彼らしいなと感心してしまう。
 ○◎課長を歴任とあるが、初めて役職についたという私への知らせには、「課長になったということや!」と添え書きがあった。親友の出世が嬉しかったことを鮮明に覚えている。

 なんでこんなにあっけなく死んだんや・・・。思い出を書き留めようとしたがやはりまだダメです。涙がでてきて先に進めない。
 

やっと一歩前進です

 投稿者:TN&TN  投稿日:2017年 2月20日(月)13時56分24秒

  2月20日(月)
好中球数が1000を超えたので、エンドキサンを注入したと
連絡がありました。やっと「早期強化療法」の終了です。

エンドキサンというのを調べました。
http://www.anticancer-drug.net/alkylating_agents/cyclophosphamide.htm

シクロホスファミド(アルキル化剤)
商品名(製造・販売会社)

エンドキサン(塩野義製薬)
エンドキサンP(同上)
現在、世界中で最もよく用いられている抗がん剤の一つで、ナイトロジェン・マスタードの毒性を抑えた薬として40年以上前に開発されました。小細胞肺がんに対するCAV療法(シクロホスファミド+ドキソルビシン+ビンクリスチン)や悪性リンパ腫に対するCHOP療法(シクロホスファミド+ドキソルビシン+プレドニゾロン)などの中心薬剤として使われるほか、単独で用いられることもあります。


適応となるがん
多発性骨髄腫、悪性リンパ腫、白血病、乳がん、肺がん、子宮・卵巣がん、胃・膵臓・肝臓がんなどほとんどのがんの種類に用いられます。効果が穏やかなため多剤併用や大量療法で使われることが多く、併用療法のみのがんもあります。

主な副作用
骨髄抑制や吐き気・嘔吐、発熱、脱毛、出血性膀胱炎などが生じます。脱毛は治療が終わり薬の使用をやめれば自然に回復します。女性では無月経、男性では精子生産の停止が起こることもあります。
大量投与や長期投与によりめまいや動悸・息切れが生じ、骨髄抑制も増強することがあります。

使用上の注意点
出血性膀胱炎は、薬の成分が体内でアクロレインという膀胱を刺激する物質に変わるために起こります。尿が膀胱内に長時間たまった状態でいると、膀胱粘膜が刺激されるので、水分をこまめに補給し、排尿回数を増やすようにしましょう。

シクロホスファミドを大量投与する場合には、出血性膀胱炎を予防するためにメスナという薬が併用されます。


 

福井へ

 投稿者:TN  投稿日:2017年 2月20日(月)13時16分21秒
  福井大学地学教室の卒論発表会へ
 学生さん達の若さが眩しい感じです。元気をもらったようです。

Ronくんとランチ、そのあと八幡山ドライブに連れて行って貰いました。
 期待したオウレンなどの春の花はまだでした。

久しぶりにTKくんと喫茶店に入り話しました。

夜は親友AMと飲み話しました。フジタホテルで一泊し帰ってきました。

JR京都駅や福井駅、高槻駅まで、Kioskuが全部セブンイレブンになっていました。
なんか味気ない感じです。駅の売店という暖かみが無くなった感じで
寂しいです。

湖北や嶺北、今庄は雪があるのに福井市は全くなし。ヘンな感じでした。


 

2週間、虚しく過ぎました

 投稿者:TN&TN  投稿日:2017年 2月17日(金)20時06分11秒
  Kanadeの今週は最後まで好中球が低下したままで回復の気配なし。白血球、ヘモグロビン、血小板などは問題ない程度まで盛り返したのですが。
 それで、治療は停滞したまま。点滴もはずされ、Kanadeはご機嫌なのですが、どうしようもなし。明日は外泊しますかだって、嬉しいのか悲しいのか、複雑な思いです。


 まあどうしようもないのでTNは日曜日は福井大地学教室の卒論発表会で気分転換、のつもりです。


 

小川卓三が・・・

 投稿者:TN  投稿日:2017年 2月16日(木)14時02分9秒

   都島工高の同級生、今年は年賀状がこないのでどうしたのかなと
心配していました。
 今、東京の見知らぬ人からハガキが着きました。

 昨年、12月13日 弟小川卓三が74歳で永眠いたしました。

 しばし呆然です。涙がとまりません。

 仲良しでした。テニスをずっと続けている元気なやつでした。
 2013年に高校の恩師・橋本豊先生の葬儀に一緒に出かけてから
 会っていなかったんだと。

 これから何回、こんな悲しい思いをするのでしょう。

PS 一人で生活しているとと聞いていたのですが、彼の自宅に電話しました。
繋がりません。念のため携帯に、「使われていません」でした。
 同級生の中村誠に電話しました。高槻であった11月の同窓会には出てきたそうです
(TNは鹿児島の姉が気になって欠席)。その時、様子がおかしかったらしい。
同窓会が嬉しくて参加したもののふらふらだったらしい。帰りは誠と渡辺が、
循環器センターまで送っていったらしい。
 悔しいです。逢える最後の機会をのがしました。


PS MN君からのメール

今日、小川のお姉さんから電話をもらいました。
彼の、死亡に至る顛末がわかったので、概要を記します。
但し、電話の受信状況が悪かったのと、お姉さんの声が小さかったのとで、
半分も理解出来なかったです。

2010年に、脳梗塞発症、入院治療。
2013年、沖縄でダイビング中、調子悪くなり、入院。
 退院後、国立循環器病センターを紹介される。
2014年、循環器病センターで、脳梗塞の手術。
 その後も、入退院を繰り返す。
2015から16年には、沖縄に行ったり、一ヶ月ほど入院したりを繰り返した。
2016年、都工同窓会の折り、調子が悪いので、二人に循環器まで送られ、入院。
12/12いったん自宅に帰宅。
12/13朝6時半に、お隣さんからお姉さんに、telあり、
 “卓三さんが、外でこけている”と。
救急車で関西メディカルセンターに運ばれ、そのまま死亡。
少数の親族のみで、家族葬をして、服部の松林寺に納骨。
お姉さんによると、送られ来ていた都工同窓会の写真を見て、
あまりにも頬がこけているので、驚いたらしい。
それに、お姉さんが、部屋の後片付けに行った際、止めていたはずのたくさんのたばこを
見つけたらしい。
もう、自分の寿命をわかっていて、吸っていたのでは無いかと言う話だった。
たしかに、脳梗塞だったら、いったん手術すれば、何度も入退院を繰り返す事は、
あまりないと思うし、肺も、相当悪くなっていたようだ。
苦しくて、しんどかっただろうと思います。
それでも、たばこを吸っていたというのは、本当に切なく思います。

以上、本当に半分以下しか理解出来なかったので、不正確な部分もあると思う。

 

トットひとり

 投稿者:TN&TN  投稿日:2017年 2月14日(火)10時30分56秒

  トットひとり
黒柳徹子/著、新潮社、2015年4月25日

(新潮社HPより)
私が好きだった人たち、私を理解してくれた人たち、そして私と同じ匂いを持った人たちへ――。「ザ・ベストテン」の日々、テレビ草創期を共に戦った森繁久彌、毎日のように会っていた向田邦子、〈私の兄ちゃん〉の渥美清、〈母さん〉の沢村貞子、そして結婚未遂事件や、現在の心境までを熱く率直に、明朗に綴った感動のメモワール。


 再読です。最初に読んだときは、黒柳徹子らしい本とは思ったけれど、自慢話が多いなと感じ、感動まではしませんでした。しかし今回は、徹子がこれまでに見送ってきた親しい人達への素直な気持ちの表現に感動です。姉の死などで死を受け止めるこちらの気持ちが変わってきたからかも知れません。

 最後の「幕が上がるとき」に出てくる「単に同世代、というより、自分と同じ匂いを持った人達が、知らず知らず、いなくなっていく。そんな寂寥感を味わうことが、歳をとる、ということかもしれない」という感慨はすんなりと心にしみます。

 「ある喜劇女優の死」の賀原夏子の壮絶なガンとの戦い、そして沢村貞子の死に様などそれぞれに徹子の素直な感受性が感じられ、良い本に出会ったと思いました。

 

国際郵便為替

 投稿者:TN&TN  投稿日:2017年 2月14日(火)09時57分45秒

  カリフォルニア州サリナス在住の姉が「国際郵便為替」でお金を送ってくれた。

 「国際郵便為替」を受け取るのは初めての経験。郵便局に行けば現金化できると姉から聞いていたのでとにかく免許証や印鑑をもって郵便局へ。そしたら「マイナンバーの確認」が必要というのであわてて「マイナンバー通知カード」を取りに戻りました。

 何でも慌てず知らないことはネットで調べてから行動すべきと反省です。
 ゆうちょ銀行のHPにちゃんと出ていました。

「現金によるお受取り(国際郵便為替(International Postal Money Order)の換金)」
 国際送金取扱国一覧中の○印の表示国・地域の郵便局等でお取り扱いしています。
 日本の受取人さまのご住所に、国際郵便為替証書(International Postal Money Order)をお届けします。
 国際郵便為替証書(International Postal Money Order)の換金は、ゆうちょ銀行または国際送金取扱郵便局の貯金窓口においてお取り扱いいたします。

(住所あて送金の場合と同様、取引時確認およびマイナンバーの確認をさせていただきますので、公的機関の発行した証明書類およびマイナンバーが記載されている書類をお持ちください)
※相手機関の事情等により取扱いが変更される場合があります。送金種類、使用通貨など詳細につきましては、現地の郵便局等でご確認ください。



 マイナンバーが必要な上、「何のための送金なのか」まで聞かれます。よけいなお世話だと腹立たしいのですが、悪事防止のためかとも・・・。

 Air Mail なのに、2月2日発送が昨日2月13日に着いた。アメリカからなのにちょっと遅すぎると思います。着いたという連絡が遅いので、姉は無事着くかどうかが心配だったようです。。

 

2月10日

 投稿者:TN&TN  投稿日:2017年 2月11日(土)14時45分15秒

  父の祥月命日、亡くなったときも寒い日が続いていました。
 大学院の修士2年の時でした。
 このころの葬式は町内の人達が取り仕切ってくれていました。
 「兄ちゃんは頭がいいか知らんけど、世間のことを知らんから」と。
 ただただ頭を下げ、表面を取り繕ってやり過ごしました。

Kanadeの治療は血液検査の値が好転するまでは停止状態。
それで、急に、11日の外泊が許可され帰宅。12日の夕方
病院に戻ります。

 

2月8日

 投稿者:TN&TN  投稿日:2017年 2月 9日(木)10時39分14秒

  (て)の誕生日
 なのに夜まで仕事が。それで昨日、カリフォルニア・ワインを1本
 あけました。今日はケーキだけ。 Kanadeがビーズでバアバにお祝いを
 つくってくれていました。

Kanadeの食事はなかなか難しく、お気に入りの決まったものしか
たべない。それで今日はローソンとファミマをそれぞけ5店舗づつ回って
お気に入りの食べ物を買い求めました。流石に疲れました!

7日に抗がん剤エンドキサンを入れる予定が、Kanadeの発熱で延期。
8日はヘモグロビンが低下しているため輸血、なので抗がん剤エンドキサンは
金曜か土曜になりそう。
 治療は1週間ほど足踏み状態です。今までが順調すぎたということ
なのでしょう。焦ってはダメですよと、自分に言い聞かせています。

PS
9日は、好中球が低下し、金曜日は無理ということに。


 

日常に復帰

 投稿者:TN&TN  投稿日:2017年 2月 7日(火)10時32分26秒

  「姉・前田敏子を偲ぶ」をブログにUpし、少し落ち着きを取り戻しました。
しかし、読み直すたびに間違いを見つけ、我ながら嫌になります。既に
10回ぐらい修正Upしています。

非日常的な事を経験すると、付随して新しい発見もあります。

山陽・九州新幹線
 ジバング会員なので3割引ですが、「さくら」の特急券は自由席と指定席で300円足らずの差。
 列車の客席は、指定席は2列2列で広々としているのに、自由席は3列2列の
 従来タイプで狭い。しかも、自由席のシートは指定席と比べるとお粗末でした。
 なんで指定席なんて取るのと言っていた(て)もこれなら指定席が良いと!

アパホテル鹿児島中央 に泊まりました。
 噂の本が部屋にありました。史実はひょっとしたらこの本が正しいのかも
 知れませんが、全てに鼻持ちならぬ右よりの意見に、読む気をなくしました。

話はかわりますが
文科省からの現役出向が多い大学の一覧が新聞に出ました。
福井大学が5人もだって。事務局長、部長らとなっていますが
昔は課長もでした。中にいるときはどこもこんなものだろう
と思っていましたが、外から見ると異様です。


 

Kanade

 投稿者:TN&TN  投稿日:2017年 2月 7日(火)10時09分36秒

  敏子姉の葬儀から戻り、2月5日(日)に病院に行く。
 直接病院に送るように手配したNITTO 優肌 パーミロール(ハンディロールタイプ) H24R15
 は無事、着いていた。オムツ1パック、もって行く。44枚入りを2週間で3つぐらい使う。

 「早期強化療法 TB」の第四週が2月3日で終わり、2月4日(土)に抗がん剤エンドキサンを
 入れる予定だったが、好中球の数が低下しているため4日はパスされた。

2月6日(月) 16時過ぎにShionと病院へ。
 好中球数が回復しているので、7日に抗がん剤エンドキサンを入れる予定。
  これが終わってから「大量メトトレキサート療法」が始まる。

 Kanadeは鼻水が大量に出ていて、ちょっと心配だが熱は無く元気。

 じぃじの家に行きたい。亀さんや魚さん(耳原公園)にパンをやりたい。
  


 

敏子姉の葬儀

 投稿者:TN&TN  投稿日:2017年 2月 4日(土)14時55分20秒

   敏子姉(戒名  釋 理習)の葬儀に二人で出かけました。大阪からは睦子姉夫婦、千葉からは正文兄さんも出席しました。

鹿児島市JA総合葬祭やすらぎ館伊敷斎場

通夜 2月2日 17時から
 郡山の光明寺の住職さんが導師
 凜とした気品の漂う女性住職、
  姉をよくご存じだったためか非常に心のこもった講話をして下さいました。

 睦子姉は灯明の護に式場に泊まりましたが、私たちはJR鹿児島駅前のアパホテルに。

葬式 2月3日 11時から
 導師は通夜と同じ

 葬式のお経の後、直ぐに3日?のお経があげられました。無くなって3日目で初七日までの中間日ということらしいのですが、大阪の私たちには初めての経験でした。30分近くもある長い読経でした。

 導師さんの強い指導で、49日まで7日毎の御参りも日程通りきちんとすることになりました。私たち大阪人の感覚では、7日毎にお寺さんに自宅に来て貰うのは大変という思いが強いのです。しかし、鹿児島では初七日は誰、14日はだれそれと手分けしてお寺に行き住職さんにおつとめをして頂くらしい。49日だけはみんなで集まってということらしい。それも浄土真宗のお寺ならどこでもよいと!睦子姉とてみ子は3月6日の30日に京都に西本願寺に御参りすることになりました。アメリカの紀子姉に葬儀の様子を伝える電話をしたとき、鹿児島での49日までの七日毎のおつとめのやり方は昔から同じだということでした。
 アメリカの勤くんから「こちらでは、昨日の夜、法事を行いました。母の家で、お寺の新しい開教師の藤田先生に来て貰いました。彼はまだ27歳の凄く若い青年です。てみこおばさんはお葬式に行かれますか?多分孫様の事で大変だろうと思いますが。敏子おばさんの写真は3年前のこちらで写したのを使いました。」というメールとその時の写真が届きました。葬儀場にこの写真も展示しました。

13時頃、鹿児島市北部斎場で火葬
14時半 骨上げ
 立派な導師さんで良い葬式だったと嬉しかったのですが。
 この火葬や骨上げにはお寺さんの姿はなし。なんで?という感じ。葬儀や習慣・方法はまったく地域毎に違うのだと、いつものように思い知りました。。

 敏子姉さんは昭和11年6月5日生まれで80歳、しかし享年は82となるらしい。
 2015年11月末に膵臓癌のステージ4と告知されてから1年と2ヶ月、よく頑張ったなと思います。今年になって、もう医療の打つ手は無いと本人も分かっているのだと感じていました。 それでも電話で、腹水がたまり尿がでない、食事ができないなどと訴えるものの、意識は死の直前まで正常でした。最後まで正常な意識があるというのは、いままで思っていた以上に残酷なことなのだ感じていました。
 本当に最後まで毅然として生ききったと感動します。お兄さんの命日の1日前、きっとむかえにこられたのだと思います。



 

敏子姉さんが亡くなりました

 投稿者:TN&TN  投稿日:2017年 1月31日(火)21時34分15秒

  昨日から連絡が途絶え心配していました。
今日、20時7分に死んだと・・・、葬儀の予定はまだわからない。

明日はお兄さんの命日です。やっぱりという感じ

さてどうしましょう。しっかりしないと!!


PS
通夜 2日 18時から
葬儀 3日 11時から

鹿児島市の総合葬祭やすらぎ館伊敷斎場です。

 混んでいて日程調整に時間がかかったようです。
 私たちは通夜と葬式にでます。Shionを預かって貰う
手配など、予期していたとはいえいろいろ大変です。