官賊と幕臣たち
投稿者:TN&TN
投稿日:2016年 3月27日(日)16時23分9秒
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『官賊と幕臣たち
〜列強と日本侵略を防いだ徳川テクノクラート〜』
原田伊織、毎日ワンズ、2016年2月
前作、『明治維新という過ち』を再読してから読む。原田の文章に慣れてきたのか意外に気持ちよく読み進められた。
「大震災と原発事故から既に三年半が経過したが、東京電力が今も”しゃあしゃあ”と営業していることが不思議であり、何故この犯罪企業を放置しておくのか、私には理解不能である」、「明治の新政府や旧幕人を含む明治人は、多くの造語を作り、翻訳の名人であった。平成の官僚にはこの能力が全くなく、なんでも英語をそのままカタカナにするだけで、この無神経というか、無教養ともいうべき感覚は民間にも定着してしまっている」や「アヘン戦争の残虐な事実は、・・・・、アメリカによる原爆投下を含む無差別空爆による日本市民の虐殺、ナチスによるユダヤ人虐殺と並んで世界史に残る『人道に対する三大犯罪』として長く記憶されねばならない」という原田の感覚は好きだ。
『官賊と幕臣たち〜列強の日本侵略を防いだ徳川テクノクラート』では、「明治維新の逆賊」として軽んじられてきた徳川の英傑たち(“幕末の三俊”と言われる岩瀬忠震、水野忠徳、小栗忠順や、川路聖謨(かわじ・としあきら)に焦点をあてている。いずれも特に外交で奮闘した優秀な官僚たちだ。
恫喝外交をしかける欧米列強外交団、大英帝国の支援を受けた薩摩・長州、特に長州ののテロリズム、それらと命を賭してわたり合った幕臣たち、という話がこれでもかこれでもかとでてくる。
一例として川路聖謨のことを少し詳しく紹介する。
ペリーが1853年に浦賀に来航し、翌年に再び来航して日米和親条約を結んだ頃、ロシアも対日接近を図っていた。
1853年に長崎に来航したプチャーチンとの交渉に臨んだのは、勘定奉行で海防掛を兼務していた川路聖謨。川路は全権大使としてプチャーチンと渡り合った。
「幕府は外交交渉を援護すべき強大な軍事力を持っていない。一方、ロシアはアメリカ同様、それを背景に交渉に臨んでいる。川路は、軍事力に裏打ちされた国際関係の力学を十分理解しながらも、武家社会、日本の代表として徹頭徹尾、正論を押し通した。その結果、ついに国境線の策定においてロシア側の譲歩を引き出した」
プチャーチンは川路の交渉力に感服し、2人の間に信頼関係が生まれた。1887年には、プチャーチンが乗船していたディアナ号が沈没した時に世話になった伊豆の戸田村(現・沼津市)を彼の孫娘が訪ね、当時村人から受けた好意に感謝し、プチャーチンの遺言として100ルーブルを寄付している。
優秀な徳川幕臣たちは、その知力と人間力を武器に欧米列強と正面から渡り合った。しかも、天皇の幕府に対する大政委任という政治上の大原則を一貫して崩さず、薩長を中心とした尊攘激派、いわゆるテロリストがわめく教条的な“復古主義”を徹底して排除したことで、この国が二元政治状況に陥ることを辛うじて防いだ。彼らのおかげで幕末日本は欧米列強の侵略を防ぐことができた。というのが原田の主張だ。
今回、一番印象深かったのは「其の一 鎖国とはなんであったか」でした。戦国時代の“戦”とはどのようなものであったのかから、鎖国(貿易制限)に至った過程を説いています。
戦国時代、武士達の手足となり白兵戦を行ったのは百姓達を含む雑兵であり、掠奪・放火・強姦なんでもありの戦場だった。掠奪の対象の中心は物より人だった。「乱取り」によって生け捕られた男女が、商人によって売買されるという奴隷制度があったという知りたくない日本の歴史が紹介される。武田信玄や上杉謙信などの高名な武将も「乱取り」のための戦をしていたという。イエズス会が日本にきてからは、ポルトガルの奴隷商人が日本人奴隷をマカオやマニラで売りさばいた。まず秀吉が「人身売買停止」を命令し、徳川幕府になって「切支丹禁止令」がでて、つぎに鎖国となる。西欧国から通商相手としてオランダが選らばれた理由に関連して、その時の西欧列強国の力関係も解説されている。
良い本でした。あまりに知らないことが多すぎて、全体をもっとよく理解したいので、いろいろ調べてみたいなという意欲が湧いてきました。
井伊直弼が「一期一会」という言葉の創作者だったなんて知らなかった!
たまたま、今朝の毎日新聞に小島英記著『幕末維新を動かした8人の外国人』の書評がありました。それを読むと原田が卑劣なやからとこきおろす外交官のハリスやオールコックを褒めているようです。この本もいつか読んでみようと思います。歴史の読み方は難しいですね。

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