一品 純米生酒

 投稿者:TN&TN  投稿日:2016年 2月29日(月)08時42分14秒

  「一品 純米生酒 しぼりたて」

(2012年のロンドン酒チャレンジでは金・銀・銅賞すべてに入選するなど地酒ファンが注目する蔵元の一つです。そんな吉久保酒造の冬季限定酒がコチラ!という広告があった。)

茨城県水戸市吉久保酒造
原料米:玉栄、アルコール度数:15度、精米歩合;60%、日本酒度:+5、酸度:2.2

 阪神百貨店で出張販売していた。大吟醸、吟醸などいろいろ試飲させてくれた中で、冬季限定の純米生酒が私たちに一番あっている味だった。すっきりした辛口、呑みやすく美味しい。4合瓶なのであっという間に無くなりそう。もったいないと意識して半分残した。

花垣や八海山などはTNの好みの日本酒の基準になっている美味しいお酒、〆張り鶴もその一つ。久しぶりに見つけたのでこれも買いました。





 

『夏が逝く瞬間』

 投稿者:TN&TN  投稿日:2016年 2月24日(水)09時42分35秒

  『夏が逝く瞬間』
原田伊織、河出書房新社、2005年3月

 先日読んだ『明治維新という過ちー日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリストー』の印象が強烈だったので、この著者をもっと知りたいと思い読んでみました。

 この本はさらっと何の抵抗もなくあっという間に読了。『明治維新という過ち』のイメージが強すぎて、なんとなく著者の自伝と思い込んでいたのですが、実は中学生と女性教師との純愛フィクションでした。ただ主人公のイメージは著者自身で、1946年生まれ彦根市育ちという設定。
 石田三成の居城だった佐和山、佐和山から仰ぎ見る伊吹山などの描写力は一流です。そしてこの本でも著者に武士道を教えた母親は重要なキャラクターです。

 気持ちよく読めました。著者の人となりを少しだけ理解出来たような気がします。






 

縄文時代の石器

 投稿者:TN&TN  投稿日:2016年 2月24日(水)08時41分12秒

  卒論発表会で勝山市で発掘された縄文遺跡からの石器剥片の成分分析や
産地推定の発表があった。地学教室での研究のためか考古学的な背景が
さっぱり分からなかったー縄文のどの時代? どんな石器をつくった?
剥片はどんな遺跡から、また遺跡のどの位置?などなど
少しだけ質問したがわからないまま、でなんとなく欲求不満。

一般的には金属はまだ出てこない時代で道具は石器や骨器。石器は新石器時代に
入っていて磨製石器が主流。

 勝山市でどんな石器がと調べると、旧石器時代から平安時代までの遺跡がある
長尾山遺跡には「石器制作址(縄文早期)」や「落とし穴」まで発掘されていて、
どのような集落があったのかよく分かっている。しかし、石器剥片多数、
縄文早期土器(押型文・条痕文)が発掘されているのに石器の記載は無い。

 石器は松ヶ崎杉原遺跡の打製石斧、古宮遺跡の石錘、石鏃や大渡地域の遺跡からの
打製石斧、局部磨製石斧ぐらいで大抵は石器剥片だけ。

 やっぱり石器は自然物との区別がつきにくく発見されにくいのでしょう。

 まあそれでも発掘された石器もあるのでそれをよく観察していればもっと
面白い発表になったのになあと思います。

 ところで縄文時代中期(約4,500〜5,000年前)から後期(約3,000年前)に位置づけられる竪穴住居跡や炉跡など生活の跡が、比較的狭い範囲に密集した状態で見つかった、三谷の縄文集落から、縄文人が作った土偶と岩版が発見されています。

「岩版は、石に線や丸い穴を刻んだもので、当時の人々が祭祀などに使っていたものと考えられます。福井県で初めての発見になります。出土事例が少ないため、不明な点が多いものです。」と勝山市のHPにありました。


 


 

Re: 音読

 投稿者:RON  投稿日:2016年 2月22日(月)16時39分12秒

  >
>   最後に0をつければよいので、000は書く必要がない
>   と教えると、先生が教えてくれた通りにしないと怒られる、だって
>   誰に似たのか気の小さな事と感心!
>

決して気が小さいのではないと思いますよ。
素直に先生の言うことを守っているだけです。

小さなうちは生真面目なものです。
息子も私がいくら「こんなやり方があるよ。」と教えてもガンとしてやり方を変えなかった。
こちらとしては「先生はこう言った」と私の助言を受け付けないガンコさが歯がゆいのですけどね。

それもそのうち色々な考え方があるのだと気づきますよ。
まあ、色々なやり方があるという事は分かってくれますが、
「オレはこっちが良いんだ」
と先生に習ったやり方しかしませんでしたが。。。

それで、ちょっと言い方を変えて
「答えにたどり着く道はいくつもある。自分が一番良いと思う道を選びなさい。」
と言う様にしました。
大抵、私の良いと思うやり方と息子が良いと思うやり方は違っていましたが、
そう言う様にしてからは「あーそっちのやり方がやり易いのか。」と思うだけで、
「なんでそんな変なやり方をしてるんだ」と変なストレスを感じることはありませんから。


 

福井の天気は?

 投稿者:TN&TN  投稿日:2016年 2月21日(日)08時05分28秒

  地学教室の卒論発表会なので福井大学にでかけます。

福井の天気は?曇り時々雨。雪でないのでまあ一安心です。

 

音読

 投稿者:TN&TN  投稿日:2016年 2月19日(金)14時06分4秒

  昨日は孫と遊ぶ。

Shion(小3)の宿題にも付き合った。
算数は三桁x二桁の計算ドリル。
 239X30 のような計算で

    239
   x 30
  ^^^^^^^
    000
   717
   ーーーーーー
   7170  と書いて計算する。

  最後に0をつければよいので、000は書く必要がない
  と教えると、先生が教えてくれた通りにしないと怒られる、だって
  誰に似たのか気の小さな事と感心!

漢字の書き取り
  書き順がいくつか気になったが、TNのが正しいという保障もないので無視

今日の宿題は終わりというので、国語の音読は?ときくと
最近は音読の宿題はないという。特に産休代の先生になった
1月からは一度も無いという。

 国語の音読は重要だとTNは思い込んでいるので
 若い先生かと聞くと、定年退職後のベテラン
 それがなんで??と気になるところです。


 

天空の城

 投稿者:TN&TN  投稿日:2016年 2月17日(水)08時55分16秒

  「天空の城」というのが人気らしい。兵庫県の竹田城人気には呆れていたが
福井県の大野城が最近、「天空の城」として人気だという。
 昨日、BS5の「新・にほん風景遺産」で「天空の城湧水の故郷 小京都越前大野」
を放送した。佐々木修さんが雲海に浮かぶ大野城の写真を発表したのが人気に
火を付けたという。凄い写真でした。今、大野市がその写真や他の人の
大野城の写真をWEBで展示しています。

 http://www.city.ono.fukui.jp/page/yuinokunisuisin/unkaiphoto.html


 大好きな大野の銘酒「花垣」の紹介もしていました。呑みたいな!



 

風に立つライオン

 投稿者:TN&TN  投稿日:2016年 2月16日(火)18時34分40秒

  『風に立つライオン』
さだまさし、幻冬舎。2013年7月

映画『風に立つライオン』 2015年3月
監督:三池崇史 原作:さだまさし 企画:大沢たかお
脚本:斉藤ひろし 製作:中山良夫

キャスト
大沢たかお(島田航一郎)、石原さとみ(草野和歌子)
真木よう子(秋島貴子)、萩原聖人(青木克彦 )
鈴木亮平(田上太郎)


 小説を再読し、映画も見直した。どちらも素晴らしいものでした。映画はほぼ原作にそってつくられていた。
 1987年に発表したという歌(http://www.kasi-time.com/item-15518.html)のイメージがそのまま生かされています。となれば「さだまさし」の発想の原点はやはり歌ということになるのでしょうか。
 小説も映画も、主要登場人物がそれぞれの立場から主人公の青年医師(島田航一郎)についての思い出を語る。それを繋いで一つの物語を組み立てていくという手法なので、最初は煩わしい。しかし、話が進むにつれそれが気にならなくなる。

 物語の主人公は、1987年に長崎の大学病院からケニアの研究施設・熱帯医学研究所に派遣された日本人医師・島田航一郎。周辺で戦闘が続くこの地で、心に傷を負った元少年兵(ンドゥング)と出会った彼は、少年と真っ直ぐ向き合うことで医師としての生き方を見つめ直す。銃や地雷で負傷した人々が次々に運び込まれてくる過酷な医療の現場で、アフリカの大地に向かって「ガンバレッ」と叫び、自分を鼓舞しながら常に前向きに生きる航一郎、その彼と共にケニアで懸命に働く有能な看護師・和歌子、彼女はやがて航一郎の優しい人間的な魅力に惹かれていく。もう一人重要なキャラクターが、原点となった曲にも登場する、主人公が日本へ残してきた恋人・貴子。アフリカ医療に生涯を捧げたシュバイツァーに感銘を受けて医師になった航一郎が、夢を叶えるためにケニアへ行くことを知りながら、自分は父親が経営してきた離島の個人病院を継ぐことで、医師として彼とは別の道を進む。
 国境付近へ往診に出た航一郎は、銃撃に巻き込まれ帰らぬ人となり、遺体は発見されない。
 医師となった元少年兵ンドゥングが、2011年の東北大津波の被災地にやってきて大活躍する。

 このような物語の展開の中で、人それぞれの夢、優しさ、愛をいかにも「さだまさし」らしく感動的に描いた小説、映画でした。


 医療の事や東北被災地に関する話は説得力がありすっと納得出来て、たいていはそうなんだと感心感激しながら読みました。しかし、「さだまさし」が小説を書く前に一度も訪れたこともないというケニアの描写がどうしても気になるのです。TNが1984年と1986年に海外調査でケニアに行っているという特殊事情のためだとは思います。
 ノンフィクションではないので事実かどうかはどうでもよいことなのかも知れませんが、映画と小説からケニアの臭いがしないのです。風景が綺麗すぎるのです。
 たぶん距離を全く実感していないのだと思います。赴任地ナクールから周辺地域の僻地医療の応援や観光に、Kism、Namanngaやケニヤ山、アセンボリ国立公園に出かける話があります。これらは全部、ナクールから300km足らずの距離で、幹線道路が走っていて交通は容易です。しかし、ロキチョキオはまったく違うのです。TNはナウルからロキチョキオまでの距離の3分の一ぐらいの所にあるバラゴイでキャンプ生活をしました。その時途中、Maralalという小さな町で一泊しました。凄い悪路でした。車が故障して動けなくなったらと恐怖でした。取材についてきた時事通信の記者は、途中のサンブルヒルズで「ここを地の果てと思います。」と叫びました。そのような荒涼感がまったくなく、トルカナ人の体臭もまったく伝わらないのです。


 主人公のモデルは外科医柴田紘一郎氏(74歳)だという。それならこの小説や映画でどこまでが事実なのだろうと調べてみました。

 JICAのHP(http://www.jica.go.jp/topics/news/2014/20150310_01.html)によれば「ケニアで医療協力の礎を築いたライオンたち――「風に立つライオン」主人公のモデルはJICA専門家」だったという。
 ケニアにおける保健医療を、国際社会の中でいち早く支援したのが、JICA(当時OTCA)だった。JICAは開発途上国の医療協力に本格的に取り組み始めた時期で、ケニアとは1963年の研修員の受け入れから協力関係が始まっていた。そして1966年、当時日本で唯一、熱帯医学の研究所を持ち、アフリカでのウイルス疾患や寄生虫疾患などの研究調査実績のある長崎大学の協力を得て、ケニア西部のリフトバレー州ナクールにあるリフトバレー州総合病院(ナクール病院)への支援を開始した。
 この協力は、長崎大学医学部と熱帯医学研究所から医師や看護師、検査技師などの専門家をケニアに派遣し、医療活動を支援するもので、1975年まで続いた。10年間で派遣した医師などの専門家は38人。その中の一人として1971年から2年余り派遣されたのが、「風に立つライオン」の主人公のモデルとなった、柴田氏だった。

 つまり長崎大学の熱帯医学研究所がナクールにあったというのは事実ではなく、柴田氏はリフトバレー州総合病院(ナクール病院)に派遣され、そこで柴田氏は「ケニアで経験したことは、その後の私の仕事の原点。医師として病を治すということの難しさや、患者と真に向き合うこと、心のケアを学んだ」のだという。

  主人公を1987年にケニアに派遣されたとしたのは、ロキチョキオの病院がこの時期に出来ているので話を膨らまそうとしたためだと思います。それがよかったのかどうか? スーダン内戦が前面に出ててきてケニヤだけの話ではなくなり、話がすっきりしない。

 赤十字国際委員会(ICRC)は、1969年からスーダン紛争による負傷者の救援活動を開始し、1987年には、ケニア国内のスーダン国境沿いにあるロキチョキオに紛争犠牲者のためのロピディン外科病院を開設し医療援助を続けている。

 主人公と元少年兵ンドゥングや看護師・和歌子との感動物語はロピディン外科病院が舞台になっている。

 スーダンの内戦犠牲者救済のために ICRC が設営した戦傷外科専門の病院で、南スーダンのジュバの病院が政府軍の犠牲者を収容するのに対し反政府軍側の犠牲者を収容するために設営された病院らしい。

 病院を立ち上げたヴィンセント・ニコICRC前駐日代表は以下のように当時のことを回想している。
「ロキチョキオに入ったのは1986年。隣国スーダンの南部(現在の南スーダン共和国)で武力紛争が激化したころで、ロキチョキオは救援活動の拠点になっていました。
 当初は人びとへの食料支援が目的でしたが、戦闘による負傷者が多かったため医療活動も展開することになりました。初めはケニア政府からICRCに提供された敷地内にテントを立てただけでしたが、翌87年に場所を移動して病院を開設。医療救援活動はそれから19年間続きました。
 現地は道路も水も電気もないという状態。道路があれば車を使って1時間で行けるところを、道を作りながら1週間もかけてトラックを進めたものです。
 地域に住むトゥルカナ族の人びとはわれわれとは言葉も文化も違うので、最初は文化人類学者に同行してもらってアドバイスを受け、現地の慣習などを尊重しながら受け入れてもらう努力を重ねました。」

 ケニヤに行ったことがない作者が、ロキチョキオを舞台の「お話」にリアリティを持たせるのはやはり至難です。特に主人公がナクールからロキチョキオの病院まで1人で車を運転して帰ってくるなんていうお話、これは無理です。80年代にケニアのサバンナをドライブした経験があれば決してそのような夢物語を作り上げないでしょう。車は高価で、ほとんどが中古車、頻繁に故障する。非舗装の悪路が延々と続く。途中にガソリンスタンドは皆無。などなど・・・・。

 フィクションとは言え、モデルがあるとするなら事実をもう少し忠実に描いて欲しかったなと思います。それでも感動ものの作品であることは否定しません。


蛇足ですがすばらしい歌詞に気になるところがあります。

「ビクトリア湖の朝焼け 100万羽のフラミンゴが
一斉に翔び発つ時 暗くなる空や
キリマンジャロの白い雪 ・・・・・・・」

 美しい歌詞です。これで皆さんにはビクトリア湖のフラミンゴというイメージが出来上がっているようなのですが、私には違和感があるのです。例え100万羽でもフラミンゴでビクトリア湖の空が暗くなるとは思えないのです。ビクトリア湖は広大すぎるのです。歌詞のの情景に当てはまるのはフラミンゴで最も有名なナクール湖であり、写真集「Face of Kenya」にあるLake BogoriaやLake Magadiなどだと思います。






 

2月11日、丹波のセツブンソウ

 投稿者:TN&TN  投稿日:2016年 2月11日(木)19時02分0秒

  2016年2月11日
 今年の1月は暖かかったので梅やウグイスカグラの開花は例年より早かったので、セツブンソウの開花も早いだろうと期待して丹波市青垣に出かけた。しかし、思っていたこととは反対に、今年の開花はいつもより遅いようです。
 遠阪小学校裏と「遠阪せつぶん草まつり」の開催地(私有地でセツブンソウが公開される期間が決まっていて今年は2月13日〜3月6日)では少しだけ咲いていました。「森のせつぶん草まつり」の開催地(今年の公開期間は2月20日から3月20日)では全く咲いていませんでした。

 咲いていた花はいつものように可憐だったのでまあ良しとしましょう。




















オウレンはやっと頭をだしただで、フキノトウやオオイヌノフグリはまだでした。








祭日のためか、いつもは空いている舞鶴若狭自動車道と北近畿豊岡自動車が混んでいて観光バスもたくさん走っていました。西紀SAも混雑していました。

西紀SA






丹波の2月は寒かったのでしょうか?まだ雪があちこちに残っています。





オウレン地点への入り口です






清水川のバイカモ群生地も覗いてみました。小さな花が咲いていました。











 春の花がほとんどまだ咲いていなかったので、9時頃に青垣ICをでてから2時間ほどで今回の花散策は終わってしまいました。11時半に「道の駅あおがき」に着いたのでここでいつもの「おいでな定食」を食べました。ここの二八蕎麦が気に入っていて、丹波に来る楽しみの一つになっています。

 花散策で今日は地元の人1人と出逢っただけでした。しかし「道の駅あおがき」は観光客らしい人達がいっぱい、どこで観光されているのでしょう?今頃の丹波は春の山野草しか思いつかない私たちには不思議な観光客の多さでした。


 



 

よかった!!

 投稿者:TN&TN  投稿日:2016年 2月11日(木)07時10分24秒

  昨日(10日)、かんぽ生命の人が(て)を訪ねてきたのがきっかけで
銀行印が気になり、いつもの保管場所を確かめると(14時頃)、ない!
なんで、なんで・・・・と色々探すがみつからない。
 18時前に諦め「りそな銀行」の担当者に紛失を告げる。銀行印で預金を
引き出せないようにするらしい。改印手続きに12日午後に銀行に行くと約束。
まだ他の銀行もあるし、ゆうちょ銀行もと考えると気が重い。
 納得出来ない(て)は夜中中悶々としていたようです。

 朝5時頃に起きだし、むかしのカバンの中を探す

 ありました! よかった! やれやれです。

 これで今日は、予定通り丹波のセツブンソウに逢いに行けます!


8日 (て)68歳の誕生日
10日 父の命日、亡くなった時は寒い日が続き、近所で葬式が多かった。



 

明治維新という過ち

 投稿者:TN&TN  投稿日:2016年 2月10日(水)12時02分55秒

  『明治維新という過ちー日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリストー』
原田伊織、毎日ワンズ、2015年1月

 改訂増補版ですが、NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」を意識したに違いない同年1月出版。題名には当初から興味を持ったのですが、副題や本の広告文に胡散臭さを感じ読むのをためらいました。ベストセラーの1つになっているというのでやはり気になり、図書館で昨年の10月に予約し、やっと入手。
 319頁の薄い本なのに、引っ掛かることが多すぎて三日もかけて読みました。

 著者の経歴を調べると「作家。クリエイティブディレクター。昭和21年京都・伏見生まれ。近江・佐和山城下、彦根城下で幼少年期を過ごし、大阪外国語大学を経て広告、編集制作の世界へ。現在も、マーケティングプランナー、コピーライター、クリエイティブディレクターとして活動している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)」というのがありました。

 著者の思い入れが強すぎる本で著者自身のことを何度も書いています。井伊直弼にゆかりのある彦根育ちだと複数回書いています。母親から強烈な武士道教育をされたこと、とくに小学生の時に切腹の作法を教え込まれたことなど、育ちそのものがこの著者の思考法を形成したのだと盛んにアピールします。
 著者にとって一番大事な判断基準は武士道(精神)です。維新の主役とされている下級武士や百姓など庶民を見下すエリート意識が鼻につきます。江戸時代のシステムを過大評価します。右翼が書いた本と切って捨てるのは簡単なのですが、本当にそうだなと納得出来ることがいくつもあり、最後まで読んでしまいました。


 WEBで検索するとたくさんの書評があり、それぞれの思いが書いてあって楽しめました。取り上げるテーマも重なりあっていて今更、新しい書評でもないのですが・・・・。

 「勝てば官軍」、幕末・明治以降の歴史はすべて薩長を美化するようにゆがめられているという。ある程度は真実だろうなと思います。

 「廃仏毀釈」というのは「明治維新」を象徴する言葉だそうです(TNはそれを意識したことはありませんでした)。「廃仏毀釈」運動で酷い文化財破壊行為があったということです。廃仏毀釈という言葉は知っていましたが、ここまで酷い仏教施設への無差別・無分別な攻撃・破壊活動があったことを始めて知りました。

 吉田松陰はテロリストの親玉でアジテータ、その弟子の高杉晋作や久坂玄瑞はテロリストというのがこの本で一貫している立場。長州のテロリストの大半が武家の倫理観とは縁遠い出自のもの。おまけに20歳前後の若造。京に集結した長州のテロリスト達がれっきとした武家ならあのような酷いテロは起きなかったと主張する。
 テロリストだったというの認められるかも知れないが、「れっきとした武家うんぬん・・・」にはついていけません。しかし、高杉に育てられた奇兵隊の生き残り達が戊申戦争で東北で繰り広げる残虐行為は目を覆うばかりです。

 「第五章二本松・会津の慟哭」は感動ものです。気持ちが悪くなる残虐行為が詳しく描かれます。日本人が直視しなければならない歴史です。ここだけでは心して読むべきです。「いつの時代も中央のために働かされてきた奥羽の宿命めいたものを感じ、ついつい東京電力の福島に対する犯罪ともいうべき事故にまで思をはせてしまうのである。」という著者の思いにはまったく同感です。

 あまり本筋とは関係のない話ですが、幕末の英雄「坂本龍馬」を長崎・グラバー商会の営業マンと軽蔑しきっています。今人気の五代友厚もグラバー商会を後ろ盾にしていたので、グラバー商会の日本に与えた影響というのが気になってきました。

 「松蔭の外交思想は北海道を開拓し、カムチャッカからオホーツク一帯を占拠し、琉球を日本領とし、朝鮮を属国とし、満州、台湾、フィリピンを領有すべきというものだった。その後、長州閥の帝国陸軍が松蔭の主張通りの侵略戦争を実施し、日本を滅ぼした。」というのがこの本の副題の意味でした。

 いろいろ考えながら読みました。司馬遼太郎の著作やNHK大河ドラマだけで日本史を知っているつもりになるのは危険だということだけは分かりました。



 



 

1980年代のケニア

 投稿者:TN&TN  投稿日:2016年 2月 8日(月)17時20分40秒

   昨日、ケーブルテレビの日本映画専門チャンネルで『風に立つライオン』を放映した。前から観たかった映画なので録画しながら観た。原作者は「さだまさし」、まず歌があり、次に小説、そして映画。そんな作り方もありなんだと感心した覚えがある。
 小説『風に立つライオン』は、私たちが「さだまさし」が本を出していると知った最初の本で、読んでみるとよかったのでその後、「さだまさし」の本のほとんどを読んだ。
 映画のたぶん撮影中に、さだと主演の大沢たかおがケニアを訪ねるドキュメンタリー番組を観た。「さだ」がケニアはその時が初めてと知り芸術家の感性に吃驚、その時から映画でケニアをどう撮すのか楽しみにしていた。

 1980年代のケニアの話、TNがケニアに行ったのと同時期なので、どの景色も懐かしく美しかった。ただ、映像は綺麗すぎて、あの時代のケニアの貧しさが伝わってこないような物足りなさが残った。

 映画は素晴らしかったので原作をもう一度読んでみようと、早速、図書館で予約。




干ばつで家畜は痩せ、道路には死骸が多数




都会から離れると集落を結ぶのは埃っぽい悪路でした








映画ではマサイ族のダンスがありましたがトルカナ族のダンスです








マサイ族は何処で出逢ってもこんな装束でした




TNの調査地・キャンプ地で出逢った人達









 









 

梅が咲いています

 投稿者:TN&TN  投稿日:2016年 2月 2日(火)16時43分37秒

  久しぶりに耳原公園に。梅が咲いていました。
鳥は少なく寂しい限りです。












いつもの散歩道ではいつもの鳥たちに出逢えました。

カワラヒワ




メジロ




ジョウビタキ




シロハラ





 
 

いつか、あなたも

 投稿者:TN&TN  投稿日:2016年 2月 1日(月)09時53分55秒

  『いつか、あなたも』
久坂部羊、実業之日本社、2014年9月

(実業之日本社 http://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-53650-7
内容紹介:最期までこの人に寄り添う。
在宅医療専門クリニック看護師のわたし(中嶋享子)と新米医師の三沢、クリニック院長の一ノ瀬らが様々な患者本人と家族、病とその終焉、そして安楽死の問題にも向き合う。カルテに書かれることのない医療小説、六つの物語。


 久坂部の小説の中では書いた意図が一番分かりやすく素晴らしい本でした。この本を読んで、やっと、著者の人間性を理解出来たように感じています。

 久坂部は2001年から14年まで、在宅医療が専門のクリニックに非常勤医師として勤め、多くの患者を診察した経験がある。その経験をもとにした実話だという。むろんノンフィクションではなく小説(6短編)の形をとる。

 一看護師の視点から、その末期患者とその家族及び医療者による在宅での看取りに伴う切実な問題が詳細に描かれている。取り上げられた末期患者は、すい臓がん、重症アルツハイマー病、多発性骨髄腫、卵巣がん、統合失調症(疑)、ALS(筋委縮性側索硬化症)の6症例。

 老いと死は誰しも避けられない。病はしばしば無慈悲に襲い掛かる。生命の尊厳を最後まで守ろうとする患者・医療者双方の苦悩の姿が描かれる。

 死後処置で「綿をつめる」意味がよく分かった。

 老々介護の現実、告知はすべき?、家族の苦悩、出口の見えない精神疾患、ALSの痛みと安楽死、などなどどれも重たいが、「いつか、私も」どれかに直面したら逃げ出すわけにはいかない。しかし、何ができるのかと??

 「いつか、あなたも」必ず直面する病苦と死について書かれた本と思っていたら、作中では全然違う「のろいの言葉」だったので吃驚でした。