1/28ニセコ「春の滝」雪崩
遭難レポート

(1998.2.27公開)
*このページはリンクフリーです
*オリジナルは「Transworld Snowboarding Magazine Japan」1998年4月号に雑誌記事として掲載





1998年1月28日、北海道ニセコ「ひらふスキー場」西側の通称「春の滝」付近で大規模な雪崩が発生。これによってスノーシュー・トレッキングの途中、沢の下部で休憩していた城野裕子(ペンション勤務)、岡崎仁美(ホテル勤務)、渡邉尚幸(NIPSS・NPGスタッフ)、石川 太(同NIPSS・NPGスタッフ)の4人が遭難しました。
自力で脱出した石川の連絡によってパトロールやローカルスノーボーダー、スキーヤーなど、計50〜60名が捜索にあたり、雪崩発生から約1時間後、雪に埋まっていた3人を救出しました。しかし、残念ながら城野裕子さんは帰らぬ人となりました。
ご冥福をお祈りします。


遭難は北海道内を中心に新聞やテレビで報道されましたが、それらの報道は「何がどのように起こったか」を完全に伝えるには至っていません。

この遭難は、我々スノーボーダーにまったく無関係ではありません。
ここから学び取ることはたくさんあります。これを題材に考えることはたくさんあります。
そのためには「何がどのように起こったか」を正確に知ることが必要だと考え、今回のレポートを作成しました。

バックカントリーでの安全を考えるにあたって、何かの参考にしていただければ幸いです。




【はじめに】

 その雪崩は1998年1月28日のお昼頃発生しました。



 バックカントリーでのスノーボーディングを安全に楽しむためには、雪崩の危険性を避けることが重要です。ニセコでスノーボードレンタルとスクール、それにバックカントリーのガイド業務を行っているNIPSS(ニセコ・プロフェッショナル・スノーボード・サービス)の中に、NPG(ニセコ・パウダー・ガイド)というセクションがあります。NPGのメンバーはガイドという職業上、常に雪のコンディションに神経を使い、たえずニセコ山系の各地で弱層の調査などを行っています。

 他の地域と同様、ニセコでも今シーズンは雪の降り始めが遅く、降ると一気に積雪量が増すという例年にないものとなりました。さらに今シーズンは12月初旬に気温の高い日が続き、ニセコ山系全域に渡って弱層が確認されていました。そのうちいくつかはこれまでに見られなかったパターンでした。
 中でも際だって変則的だったものはイワオヌプリのメインシュートで見られたもので、厚さ5センチのアラレ状になったシャーベットの層に挟まれて、厚さ1センチほどの新雪が残っているというものでした。新雪は「手にとって吹けば、パッと飛ぶほど軽くて乾いた雪」(NIPSS・NPGスタッフ 石川)だったそうです。
 NPGではこの弱層に注目し、シャクナゲ岳や「春の滝」など多くの地点でピットチェックやプレッシャーテストを繰り返し行ってきました。そして、時間がたつにつれてこの弱層が安定してきた事を確認しています。

 今回雪崩が発生したのは、「ひらふスキー場」のスーパーコースから尾根を一つ越えた、「春の滝」付近でした。
 「春の滝」は標高差250メートルに渡る垂直部分を含んだ平均斜度45度以上の岩壁です。ここではシーズン中、1〜2回の表層雪崩が発生しています。その規模は平均して幅30メートル、長さ200メートル弱。雪崩がボトムに届くことは珍しく、沢筋に沿って走ることはほとんどありません。雪崩がさらに走って長さ500メートル以上に渡ることもありますが、それは春先の全層雪崩が起こった場合のことです。
 今回の雪崩は表層雪崩でしたが、雪崩が走った距離は全層雪崩よりも長く、ニセコに住み着いて「春の滝」周辺を滑っているスキーヤー、スノーボーダーが知っている範囲内では、前例がないほど大規模なものでした。

(*注/「春の滝」から続く、沢筋をはさんだ東西二つの尾根へは、「センターフォー」というリフトからトラバースすることで簡単にアクセスできます。沢筋へと落ちる斜面はゲレンデ外ですが、多くのスノーボーダーがパウダーを求めて滑走しています。しかし、そのほとんどは雪崩に対して無防備であり、雪崩に対する意識が高いとは言えません。現状ではこういった状況をコントロールすることは非常に困難ですが、今後の大きな課題として、我々の眼前に突きつけられていることは確かです)





1月27日(雪崩発生の前日)
 NPGでは「春の滝」の東側尾根の林の中、及び西側尾根の最終面でプレッシャーテストを行い、雪が全体的に安定している事を確認して滑走しています。ただ、この場所は雪崩発生地点から300〜400メートル離れています。雪崩発生地点となった箇所は危険だとして、NPGでさえ立ち入っていませんでした。
 この日、ニセコでは夕方頃から雪が降り始めました。雪は翌朝まで続き、積雪量は約50センチを記録。その数日前からも断続的に雪が降り、雪崩発生までに1メートル近く新雪が積もっていました。


1月28日
 当日はNIPSSが主催するスノーシュー・トレッキングの日でした。参加費3000円でスノーシューをレンタルし、全行程約3時間の雪上トレッキングに出かけるというものです。
 このツアーに参加した城野、岡崎の両名はニセコで住み込みのアルバイトをしながらスノーボードを楽しんでいました。二人ともニセコの自然に強い興味を持ち、ありのままのニセコの自然の中でスノーボードをしたい、いつかは自分たちでバックカントリーに入っていきたいと考えていました。今回のスノーシュー・トレッキングは雪の上を歩く練習でもあり、ゲレンデから離れてありのままの冬のニセコを楽しむ絶好の機会となります。NIPSSからはNPGスタッフである渡邉、石川の2名がガイドとして同行しました。
 コースはチセヌプリを予定。天候によっては「半月湖」方面に切り替えるというプランでした。


1月28日、午前10時
 パーティーは集合場所となったNIPSSに集合。夜通し降り続いた雪も夜明け過ぎには止んでおり、この頃には雪雲も薄くなっていました。
 この時点で標高800メートル付近にはガスがかかっていました。高度のあるチセヌプリ・コースは視界が悪いとして中止。コースは半月湖方面が予定されました。が、今回の参加者である城野は、以前行われたスノーシューの無料講習会で半月湖を訪れたことがあったため、「半月湖以外のコース」を希望。トレッキングのコースはガイドの判断で「春の滝」方面に決まりました。
 このコースはゲレンデから尾根の低い部分をトラバースして「春の滝」から続く沢の末端に向かい、沢の奥に広がる氷滝となった「春の滝」の景観を楽しむというものです。沢の末端は「春の滝」から800メートルほど離れています。それ以上離れると林の中に入り込んでしまい、景色を楽しむことができません。可能な限り「春の滝」からは離れたルート設定でした。
 また前述したように「春の滝」で雪崩が発生するとしても、通常は沢のボトムまで落ちることはありません。時期的にも全層雪崩の可能性は低く、このルートで雪崩に遭遇する危険性はゼロに等しいと予測されました。ルートの性質から、パーティーはアバランチビーコンは携帯していませんでした。ガイドがアバランチビーコンを持つ必要がないと判断したほど、そこで雪崩にあうことは予想しづらいことだったのです。


午前10時30分頃
 パーティーはNIPSSを出発。トレッキングの途中、城野と岡崎はニセコの自然にはしゃいでいました。岡崎は大きな木の幹に耳を当てて、木が水を吸い上げる音に聞き入っていましたし、城野はバックカントリーの景色に喜んでいました。
 30分ほど歩くうちに雪雲は切れて、薄日が射し始めていました。発生していたガスも消え始め、展望がききはじめます。


午前11時40分頃
 パーティーは標高370メートル地点に到着しました。「春の滝」から続く沢が終わって平坦になる場所です。すぐそばの林の向こうには薄日に照らされた羊蹄山がくっきりと見えていました。そして振り返ると谷の彼方に「春の滝」が見えています。パーティーはここで小休止を取ることにして、景色を楽しみながらお茶を飲んでいました。


午前11時50分頃
 全員で「春の滝」を見上げているとき、渡邉は「春の滝」の東側斜面(標高750メートル付近)にクラックが入るのをみつけました。クラックは東から西に向かって走り、斜面が波打つように見えました。同時に渡邉は雪崩だと思いました。
 雪崩は一気に発生して沢に落ちました。沢は「くの字」に曲がっています。雪崩はこの屈曲した地点でいったん斜面に衝突し、大きな雪煙を上げました。
 ほんの一瞬の出来事でした。雪崩は、通常止まるはずの地点をはるかに超えています。石川は城野、岡崎に「逃げて!」と叫びました。石川が逃げようとしたときには、すぐ背後に10メートル以上の高さで雪崩が迫っていました。

 パニック映画で描かれる津波のように、厚さ10メートル以上の雪の激流がパーティーを襲いました。それは「横から襲ってくるもの」ではなく、信じられないほどの厚みをもって「上から覆い被さって」きたのです。

 渡邉も雪崩が迫って来る様子を目撃しています。雪崩から逃げるため、渡邉は走ろうとしました。渡邉の目の前には小さな沢がありましたが、渡邉がこの沢に踏み込むと同時、雪崩に気づいた地点から「4歩か5歩のところ」で雪崩に巻き込まれました。
「ものすごくたくさんの雪を一気に頭の上からかぶせられたような感じ。全身が一瞬で固まって、まったく身動きできない状態になった」
 こうしてパーティー4人全員が雪崩に巻き込まれました。雪崩発生から埋没まで、わずか十数秒。危険を感じてからは数秒でした。後日、専門家の報告によれば、パーティーを襲った雪崩の速度は推定で時速150キロ前後、とのことでした。
 雪崩の規模は幅約100メートル、長さ約900メートル。崩れた表層の厚さは約1メートル。デブリの厚さは約3メートル。「春の滝」で発生した表層雪崩としては異例の規模でした。

 石川は雪崩に巻かれたことは分かっていました。が、
「泳ぐとか、そういうことは一切しなかったし、できなかった」
 と語ります。石川は雪崩に巻かれそうになった瞬間、何かをしたのかもしれません。それが何だったかは本人にも分かりません。意識できないほどのとっさの行動があったはずです。また埋没直前、渡邉とは2メートルほど離れていました。この2メートルが明暗を分けたのかもしれません。
 雪崩が止まった時、石川は雪を通じて光を感じていました。浅い埋没だったのです。

 雪は新雪がそのまま崩れたらしく、圧雪のブロックではありませんでした。圧雪面が雪崩れた場合、ブロックは家庭にあるテレビが数千台も降ってきたかのような勢いです。こういった雪崩に襲われた場合、多くの遭難者が外傷を受けます。
 幸いにも石川に外傷はありませんでした。もがきながら石川は、自力で雪の中から這い出します。


正午
 西側の尾根の上から偶然この雪崩を目撃していたスノーボーダー4〜5名のグループが、すぐに石川のところに滑り降りてきました(彼らは雪崩の誘発には関わっていません)。自力で雪崩の中から脱出した石川は彼らから携帯電話を借りて、NIPSSに第一報を入れます。次に石川は彼らの助けを借りて遭難者の捜索活動を開始します。
 石川は自分たちが雪崩に気づいた地点と、自分が雪崩から自力脱出した地点を考え合わせて、幅約15メートルの地域を指示。雪崩に気づいた地点から下流側を捜索するよう指示しました。このグループはシャベル、ビーコンを全員が装備していましたが、ゾンデ(プローブ)は持っていませんでした。そこで、まず足もとの雪に向かって大声で遭難者を呼び、雪面に耳を近づけて返事を聞く、という事からはじめました。
 しかし、この声は雪に埋まった城野、岡崎、渡邉の3人には届いていませんでした。彼らが埋まっていたのは2メートルを超える深さだったのです。
 このとき、石川の装備はすべて流されていました。

 第一報を受けたNIPSSには、NIPSSを主宰する玉井太郎がビデオの撮影を終えて帰ってきたところでした。玉井はすぐにNIPSSのスタッフ数人を連れ、シャベルやゾンデなどを持って遭難現場へと向かいます。遭難現場へはひらふスキー場の「センターフォー」リフトからトラバースして尾根を越えてアクセス。玉井はセンターフォーのリフト上から携帯電話を使ってローカルスノーボーダー、スキーヤーに連絡し、一人でも多く救助に協力してくれるよう連絡をとり続けました。また、遭難現場に向かう途中で出会ったローカルにも救助の手助けを依頼します。
 同時にNIPSSではニセコ遭難対策協議会、ひらふスキー場パトロール、東山スキー場パトロール、ニセコで「アバランチ・ミーティング」を主宰する新谷暁生氏らに雪崩による遭難が発生したことを連絡。また、知人・友人に連絡を取って救助活動を呼びかけました。

 渡邉は埋没の瞬間、反射的に右手を口元に当てていました。この「口元の右手」が渡邉の生還に大きく関わってきます。
 埋没した渡邉が最初にしたことは、かろうじて動かせる右手の指先で、口の周りにわずかな空間を作って空気を確保することでした。渡邉はなんとか自力で脱出しようとしましたが、
「体はまったく動かない。光もなくて真っ暗。みんな同じように埋まったと思ったから、これでおしまいなんだ、こうやって死んでいくんだって思ったな。そのうちだんだん苦しくなってきて。でも、水の中みたいな苦しさじゃなくて、空気が薄いな、酸欠なのかなって思ってるうちに気を失ったみたい。埋まってから何分くらいかはわかんない。10分かもしれないし、30分かもしれない。ダメだ、って思った」

 岡崎は雪の中にうつ伏せに埋まった状態で、城野の声を聞いていました。苦しがる城野に、岡崎は「大丈夫、大丈夫。すぐに助けてくれるから」と励ましの声をかけ続けました。岡崎が意識を失うのと、城野が声を出せなくなる。どちらが先だったかは分かりません。


12時20分頃
 玉井らが現場に到着。石川から状況説明を受け、すぐにゾンデによる捜索を開始。


12時30分頃
 現場には知らせを受けたローカルスノーボーダー、スキーヤー達が応援に駆けつけてきます。
 彼らは石川に指示された範囲を次々とゾンデで探り、手応えがあればそこを掘っていきます。掘り出しは数人でグループになり、少しでも疲れたらすぐに他の人に交代して、可能な限りのスピードで雪を掘るというものです。
 レスキューにあたった奥平達也(フリーランス・カメラマン)よれば
「雪は比較的柔らかく、掘りやすかった。圧雪ブロックではなかった」
 とのことでした。埋没者の酸欠が劇的なものでなかったのは、柔らかい雪が多くの空気を含んでいたから、かもしれません。
 と同時に、もしも自力脱出できた者がいなかったら。もしも自力脱出したのがガイド以外だったら。捜索範囲を絞り込むができず、レスキューは効率的には進まなかった事が予想されます。埋没者の救出は一刻を争います。石川の自力脱出は、レスキューに大きな役割を果たしました。


12時40分頃
 このころにはパトロール10名弱の他、連絡を受けたローカルなど、計50〜60名ほどが捜索にあたっていました。
 いくつめかのゾンデの手応えに従って、2メートル近く掘ったところでブーツを発見。誰のブーツかはこの時点では分かりませんでしたが、掘り出すうちに城野であることを確認。
 周囲に他の2名も埋没していると予想して、あたりを重点的にゾンデで捜索。予想以上に埋没が深いことから、ゾンデを手元まで突き刺しながら捜索します。


12時50分頃
 城野、収容。城野はうつ伏せになり、背中を反らせた状態で埋没していました。城野に外傷はありませんでしたが、この時点で意識不明。自力呼吸は停止していました。すぐに人工呼吸を開始します。
 この城野が掘り出された穴の底にもう一つのブーツが発見され、続いてうつ伏せになった岡崎が収容されます。二人は重なるように埋まっていました。収容された岡崎にも外傷はありませんでした。岡崎は自力で呼吸しており、失神から回復すると泣き始め、意識があることも確認されました。
 岡崎を収容している間に捜索ゾンデに手応えがあり、渡邉ではないかと掘りはじめます。


13時10分頃
 約2メートル掘り下げたところで、渡邉の左指先を発見。渡邉は左手を大きく上に上げた姿勢で、ほぼ立ったまま埋まっていました。指先がかすかに動いていたので救助者の一人が手を握り、声をかけながら励まし、救出を続けます。
 北海道警察のヘリが現場に到着。城野、岡崎の2名を収容して札幌医大へ向かいました。


13時20分頃
 渡邉の頭部まで掘り下げます。深さは2メートル50センチほどでした。このころから天候は悪化し、周囲にはガスが出始めていました。


13時40分頃
 渡邉、収容。外傷はなく、意識はあり、自力呼吸もありました。話しかければ返事は返ってきましたが、内容はややちぐはぐで、意識混濁の兆候が見られました。


14時頃
 天候悪化によってヘリによる収容ができなくなったため、渡邉は救急車で近くの病院に搬送されることになりました。救急車が入れるひらふスキー場まで運び出されるには、スレッドに乗せられて約2時間強の搬送が必要でした。


16時頃
 渡邉、救急車へ収容。そのまま倶知安厚生病院に入院しました。

(文中敬称略)




残念ながらこの日、城野さんは亡くなりました。
渡邉さんは翌日退院。岡崎さんも入院の後、現在は職場へ復帰。
渡邉さん、岡崎さんとも軽い凍傷はあるものの、快方に向かっています。



このレポートを制作した林 拓郎、奥平達也は、遭難の当日ニセコに居合わせました。奥平は実際に救出活動にも参加しています。

現場、あるいは現場近くにいた我々は、今は答えを出すことができません。
この遭難事故から何を学び取るかは、個人個人によって違います。
バックカントリーでの経験、冬山での経験。そしてバックカントリーに対する意識。
これらの差によって、答えは変わってくると思います。


この遭難にはいくつもの「なぜ?」が含まれています。
なぜ雪崩は発生したのか?
なぜガイドはあそこで休んだのか?
なぜ城野さんは亡くなったのか?
なぜ渡邉さん、岡崎さんは助かったのか?
等々。

たくさんの「なぜ?」に一つずつ、正確な答えを出していく事が、その過程が、スノーボーダーのバックカントリーに対する意識を向上させ、結果として冬山での事故を減らすことにつながると信じています。


できれば一緒に考えてください。
この遭難が「他人に降りかかった不幸」で終わることなく、スノーボーダー全員の教訓となることを願っています。


(文責・林 拓郎)


レポート制作者について

奥平達也
フリーランスカメラマン。「Transworld Snowboarding Magazine Japan」「Fine」などの雑誌を中心に活動中。

林 拓郎
フリーランスライター。スノーボード専門誌を中心に活動中。
連絡先/ 「Where is Takuro ?」