デスモドロミック開発史
(BigBikeCrusin' 別冊DUCATI FILEに掲載の原稿を改編)




 1946年、イタリアで自転車にエンジンをつけた”クッチョロ”の製造から二輪メーカーとして歩み始めたドゥカティ。当初からドゥカティはレース好きなメーカーだった。クッチョロのレース用にスポーツバージョンを発表するなどしながら熱心なレース活動を展開。'52年にはイタリア国内の50ccの速度記録を塗り替えたほどだ。
 '54年、ドゥカティに一人の技術者がエンジン設計主任として入社する。ファビオ・タリオーニである。タリオーニはより高性能のエンジン開発を志し、高出力のために、高回転でもバルブタイミングの狂わない新機構を実現した。バルブスプリングだけでなく、カムとロッカーアームの助けを得て強制的にバルブを閉じる”デスモドロミック”である。このデスモドロミックは数々のエンジンに採用され、レースで優秀な成績を残していく。同時に世界中のバイクファンは、ドゥカティエンジンのすばらしさと共に、デスモドロミックをドゥカティのアイデンティテイとして心に刻むことになるのだ。
 '70年、ミラノショーでLツインの750ccモデル「750GT」が発表され、ドゥカティのラインナップに750ccLツインが加わることになった。デスモドロミックは搭載されていなかったが、'68年にはホンダのCB750が発表されるなど、世界的に大排気量モデルがメーカーのフラッグシップになる気運が高まっていた時だった。
 デスモドロミックがLツインに採用されるのは'73年になってからだ。この年、ドゥカティのF750レーサーがイモラ200でデビューウィンを飾る。その業績をたたえてドゥカティは750GTにデスモドロミックを搭載したスポーツモデル「750SS」をイモラ・レプリカとして発表。ドゥカティを語る上で欠かせない二つのキーワード「Lツイン」と「デスモドロミック」はこうして融合し、世に放たれるのだった。そして、ここからドゥカティLツインの歴史が始まる。初期型のLツイン+デスモドロミックはカムシャフトの駆動にベベルギアを採用しており、「ベベル系」と呼ばれている。ベベル系エンジンはクランクケースカバーの形状で前期型の「ラウンドケースエンジン」と「スクウェアケースエンジン」に大別することができる。前者は丸みを帯びたもので、750SSのデビューから'75年半ばまでのものがこれにあたる。
 '75年、750のボアを6ミリ拡大して864ccとした「860GT」が登場する。トータルデザインをJ・ジウジアーロに依頼したこのモデルは角張ったラインを基調としており、エンジン外観にもそのデザインの流れをくむものだった。大排気量Lツインのクランクケースはこの時からスクウェアケースとなった。ところが優れたカーデザイナーは優れたモーターサイクルデザイナーとはかぎらないらしく、860シリーズはあまりカッコイイとは言えないできばえだった。860シリーズは芳しい売り上げを見せず、市場ではスポーティーな750SSと900SSに人気が集中する。このスポーツモデルのほうが好まれると言う傾向は、10年後のパンタシリーズでも見られ、ドゥカティストはスポーツ派である、といわれる所以にもなっている。
 とはいえ、当時、実際にSSの名にふさわしいスポーツライクなマシンが発売されたのはヨーロッパ圏だけだった。アメリカでは騒音問題が取り沙汰されている時代でもあり、日本を含むヨーロッパ以外の国々にはデロルトキャブのベンチュリー径を40φ→32φに下げてエアクリーナーをつけ、マフラーもコンチ→ラフランコーニに変更、タンクは「750S」と同様のスチール製としたマシンが出荷されていた。SSとは名ばかり。デロルトの加速感やコンチの歯切れの良い音を持たない、とてもSSとは呼べない代物だったのである。
 さて、ドゥカティのテイストを十分に備えた”本物”の900SSは熟成を重ねながら'79年の「マイク・ヘイルウッド・レプリカ(MHR)」へと続いていく。'78年にマン島TTでマイク・ヘイルウッドが優勝したことを讃えて発売されたMHRは'82年まではキックスターターのみだったが、'83年モデルからはセル始動となり、同時にクラッチが湿式から乾式へと変更され、クランクビッグエンドのベアリングもローラーからプレーンへと変更されている。MHRは、'85年、973ccの1000ミッレがデビューするまで、ドゥカティの顔とも言えるほどの強い存在感を打ち出し、まさにフラッグシップとしてラインナップ最高位に君臨し続けるのだった。

 '79年、市場で900SSが人気を博す中、ドゥカティから一台のマシンがデビューする。「500SLパンタ」だ。排気量500ccという小さめのエンジンには、デスモドロミックの生みの親、タリオーニの、次の時代を見据えたアイディアが注ぎ込まれていた。これまでベベルギアで駆動していたカムシャフトを、コグドベルトで駆動させていたのである。
 ベベルギアは上下に二組の傘歯車があることから、メカニカルロスが小さくはない。また、歯車が多いことからバックラッシュの調整にも手間取る。さらにパーツの構成上、エンジン全体の小型化・軽量化が難しい。これらの問題を解決はすべて解決する解答がコグドベルトだったのである。もちろんチェーン駆動でもいいだろうが、当時、前衛的メカニズムのコグドベルトを採用するあたりが、タリオーニおじさんの技術屋としての意地と好奇心の現れなのだろう。またコグドベルトの採用以外にも、ピストンヘッドをフラット化するなどして燃焼室形状を見直し、燃焼効率を向上させるなど、随所にハイポテンシャルエンジンを狙った造りがうかがえる。
 さらに、パンタ系エンジンではクランクケースにスイングアームピボットを持たせるといった手法も採用された。Lツインは前側のシリンダーがほぼ水平になっているため、エンジンの前後長が大きくなってしまい、エンジン全体を後ろに下げざるを得ない。その状態でフレームにスイングアームピボットを設けるとホイールベースが長くなってしまう。クランクケースにピボットをセットしたのは、このLツインならではのホイールベースの悩みを解決するためのものだったのだ。パンタ系ではクランクケースの基本的な見直しによって大幅にエンジンサイズをダウンさせることに成功したのだが、高い運動性能のためにはさらにホイールベースを縮めたかったらしい。ドゥカティの向上心が生み出した苦肉の策と言えるだろう。
 こうしてデビューしたパンタ系エンジンだが、初期モデルではミッションやクラッチのトラブル、スイングアームピボットを支持するメタルの偏磨耗によるオイル漏れなど様々な問題に泣かされたようだ。だが、それも'81年の600SLで大幅に改善され、'83年の650SLではほぼ問題ないレベルにまで仕上げられている。ちなみに国内ではつとに有名なドゥカティ専門ショップ・パワーハウスでは、83年の鈴鹿8時間耐久に2台の650パンタを送り込み、18位と21位で完走を果たしている。耐久レースでのこの結果は、パンタ系エンジンがいかに短期間で成熟したかの現れと言ってもいいだろう。
 こうして500→600→650と育ってきたパンタは、'85年、ついにF1シリーズへと進化していく。
 '81年から世界TTF2を戦っていたドゥカティワークスのパンタは、'81年から4年も連続して世界TTF2のチャンピオンに輝いていた。ベベル系エンジンは900SS、MHR、ミッレと続いていたが時代は次のスポーツマシンを求めていた。そして、常にレースから市販車へとフィードバックを続けていたドゥカティにとって、ハイパフォーマンスパンタの市販化は必然でもあった。機は熟したのだ。
 '85年、フルカウルを装着した750F1がデビューする。650パンタをベースにボアを6ミリ広げて748ccとしたF1は湿式クラッチでデビューしたが、同年には型と呼ばれる乾式クラッチモデルが登場。この時タンクキャップもねじ込み式からエアプレーンタイプに変更された。サーキットを走るワークスマシンのレプリカとして登場したF1は、'85年のミッレ生産終了にともなって、一躍ドゥカティのフラッグシップモデルとしての地位を与えられ、世界中のドゥカティスト達を魅了することになるのだった。
 さらに翌'86年にはF1のハイパワーバージョンである「モンジュイ」が200台の限定モデルとしてデビュー。ビッグバルブ、ハイコンプピストン、軽量フライホイールなどをおごったエンジンは、最高出力でF1の70psに対して95psを発生。スイングアームをアルミ製とし、パワーに見合ったワイドホイールを備えたが、タイヤはリム幅にあうものが市販されていなかったため、ミシュランのレース用インターミディーを装着するという過激なモデルだった。ちなみに同年にはF1の。型もデビュー。モンジュイから流用したパーツも多かったが、出力は76psにとどまっている。
 ドゥカティはモンジュイのような限定モデルに気をよくしたのか、'87年には2台の限定モデルをデビューさせている。「ラグナセカ」はタンクにマルコ・ルッキネリのサインが入ったもので、マルコ・ルッキネリ・レプリカとも呼ばれている。エンジンはF1。型をベースにモンジュイのカムを採用。もう一台はデュアルシートを採用したタンデム可能な「サンタモニカ」だ。どちらもモンジュイと同様、最高出力は95psをマークしている。
 こうしてF1シリーズで華咲いたパンタ系だが、後期ではもう一つの転換が行われる。Lツインの直立したシリンダー、つまり後ろ側のシリンダーを、それまでの後方吸気・前方排気から前方吸気・後方排気としたのだ。これによって独立していた二つのキャブレターがウェーバーのダウンドラフトタイプ一つにまとめられるようになった。このパンタ系後期型の第一号が'88年の「750S」であり、「750パゾ」へと続いていくことになる。
 
  常にレースと共に歩んできたドゥカティは決断を下さなければならなかった。パンタ系の代表機種・F1を生み出した世界選手権TTF1は'87年で廃止となり、'88年からは市販車をベースとしたスーパーバイクレギュレーションとなる。その際排気量の制限は4気筒が750cc以下、2気筒は1000cc以下だ。
 もちろんパンタを排気量アップして使うこともできる。ワークスドゥカティではパンタ系エンジンのボアを92ミリまで広げてた851ccをデイトナに送り込んでいた。が、耐久性の面では不安を拭いされない結果となっていた。レースで勝つには信頼性の高い、そして1000ccまでスープアップ可能なエンジンが必要になる。新たなエンジンが必要になってきたのだ。
 ドゥカティには二つの選択があった。パンタ系を成熟させるか、まったく新たなエンジンを開発するか。そしてドゥカティはその両方を実行した。前者は「ニュー900SS系」と呼ばれるエンジンとなり、後者は「851系」と呼ばれるエンジンとなった。
 パンタ系からニュー900SSへ移り変わる過程で、'88年に「906パゾ」がデビュー。水冷エンジンを採用しているが、基本的に'89年以降のニュー900SS系は空油冷となっている。空冷用のフィンを持ったシリンダーの中にもジャケットを設け、オイルを積極的に循環させることで補助的な冷却を行う方式だ。当初は750Sのエンジンをベースにしたこともあって、750Sに見られたウェーバー製ダウンドラフトキャブによる中速域でのトルクの谷の発生、バキューム式進角の動作不良なども見られたが、'90年以降では数々の改良によってトラブルは激減している。
 ニュー900SS系でもデスモドロミックの作動にはコグドベルトを採用しているが、ベルトの歯の形状はパンタ系の角断面に対して丸みを帯びたものとなり、バルブタイミングの精度は向上している。
 そしてコンパクトなニュー900SS系エンジンは'92年の「900SL」、'93年の「M900」へと受け継がれ、デビュー以来20を経てなお、Lツインデスモドロミックの魅力を楽しませてくれているのだ。
 
  '80年代後半、世界のレースシーンは日本の4メーカーの独壇場とも言える状況だった。日本車が4気筒で飛躍的なパワーアップを果たす中、ドゥカティはいよいよ新エンジンの開発に着手した。来るべきスーパーバイクの時代に備えてドゥカティが取った手法は「水冷・ツインカム8バルブ・インジェクション」だった。もちろんエンジンはLツインで、デスモドロミックを使用する。
 ベースとなるのはパンタ系。その後の排気量アップにも耐えられるよう、クランクケースを強度アップ。スイングアームピボットはクランクケースにあったが、ニードルローラーベアリングを採用することで、よりスムースな作動性を確保することとなった。
 '87年、851のプロトモデルがデイトナBOTTに参加。この年を最後にTTF1クラスが廃止され、翌年からはスーパーバイク選手権がこれにとって変わることとなった。市販車をベースに行われるスーパーバイクでは、ベースマシンの優位性がそのままレースに反映される。スーパーバイクを戦うドゥカティにとって、レーサーのベースとなる「ストラーダ」シリーズは、常に最優先でポテンシャルアップを図らなければならないモデルとなったのだ。 これに合わせて、翌88年には「851 ストラーダ」が発売となり、ホモロゲーション獲得と同時にスーパーバイク選手権に参戦。その活躍ぶりは期待以上のものだった。
 '89年には「851 ストラーダ」は型となり、1気筒当たり2インジェクターから1気筒当たり1インジェクターへと変更される。この後は'90年に排気量888ccのワークスレプリカ「851 SP2」がデビュー。以後ストラーダ、SP共に毎年のモデルチェンジを重ね、'93年には888ccとなったストラーダ、、SP5がデビューしている。
 さらに'93年。ミラノショーでは851系の頂点にたつ「916」が発表となった。もちろんエンジンはドゥカティ伝統のLツインにデスモドロミック。これにインジェクションを装備して、カムはツインカムとし、1気筒当たり4バルブ。888の利点を素直に継承しながら、888のストロークを2ミリ伸ばして排気量を916ccにアップ。888の100ps/9000rpmに対して、9000rpmで114psを発生する。フレームは888に良く似たクロームモリブデン鋼製のトラス構造フレームに、916エンジンを釣り下げる形を取っている。この辺りの手法も888譲りである。  だが、その操縦性は888とは異なる次元にある。カジバのGP1レーサーと良く似たアライメントを持つシャシーや、ホイールの脱着を簡素化する片持ちのスイングアーム。キャスターアングルとトレールを変更できるカセット式ステアリングヘッドなど、レースの実践で培われた手法がそのままフィードバックされていることからも分かるように、916はまさにレースに勝つことを最優先に考えたマシンであり、同時にスポーツライディングの楽しさを高い次元で味わえるスーパースポーツでもあるのだ。  916 ストラーダは、過去50年間、レースでのノウハウを常に市販車に反映してきたドゥカティらしい、秀麗のホモロゲーションマシンなのだ。が、基本となるべき考え方は、奇才・ファビオ・タリオーニがデスモドロミックを開発した頃から何も変わっていない。
 シングル並みのケース幅がかなえられるLツインをメインに据える。デスモドロミックを使った正確なバルブタイミングでパワーを出す。レースで培ったノウハウを市販車にフィードバックする。そして、スポーツバイクであり続ける。
 この明快な思想があってこそ、ドゥカティはいつの世も熱狂的なファンに支持され、愛されているのだ。