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 かつて、私の教え子に、村上という名の少年がいた。彼は頭の回転が悪く非常に愚図で、しばしば私の授業を遅らせてくれたものだ。また、普段は大人しい生徒だったが、何かと切れやすく、よく人を逆恨みした。彼は小学校の六年間「鈍亀」と呼ばれた。私は、鈍亀が六年生のときに、彼の担任を受け持った。しかし、その年の夏休みが明けてすぐ、彼はある事件を起こして、この町から姿を消した。ここは東京都内とはいえ、小さな片隅の田舎町である。事件の噂は瞬く間に町全体に広まり、いたたまれなくなったのだろう。
 私が今、鈍亀のことを思い出したのには理由があった。今日、私の自宅に不信な脅迫状めいたものが届いたからだ。その内容はこうだ。
『先生、二十年前のことは忘れてないぜ。俺はお前たちに復讐するために帰ってきた。今日から夏休みが終わるまでに、クラスの奴らを、皆殺しにしてやる。そう、これは先生の大好きな、夏休みの宿題さ。安心しな、あんたの命は狙わない。先生には、俺がこの宿題をきちんとやり遂げるところを見届けてもらう必要があるからな』
 差出人の記載はない。筆跡を見ても、何しろもう二十年も昔のことだから、村上の書いたものかどうか、分かりようもない。ただ、この文章の内容からは、村上の姿を容易に想像できる。時折りしも、小学校は明日から夏休みに入る。
(これはただのいたずらではないかもしれないな)
 私は、この脅迫文を警察に届け、二十年前の事件について説明をした。
 
 あれは、村上が六年生の、一学期の終わりのことだった。私は、彼が毎年、夏休みの宿題を仕上げてこないと聞いていたので、今年こそは必ずやり遂げるように、非常に厳しく彼に約束をさせた。クラスの誰もがその約束を信じていなかったものの、夏休みが明けてみると、村上は、皆の予想を裏切って、全ての宿題を終えて来ていた。正直その内容はといえばとても誉められたものではなかったものの、やり遂げたことを私は高く評価し、大げさに彼の努力を称えた。
 しかし、ここで問題がおきた。彼の失敗を期待していたクラスメイトたちは、口々に彼を罵り始めたのだ。
「鈍亀が宿題を全部できるわけないよ」
「そうだ。見せてみろよ。きっと間違いだらけだぜ」
「自由研究も、本を丸写ししただけじゃないのか」
「インチキだ」
 騒動になりそうなところを、私は慌ててたしなめた。
「おい、そんなことを言うものじゃない。夏休みの間に全部仕上げたことがすごいじゃないか」
「ほらみろ。先生も、お前がまともに宿題をやったなんて、信じてないぞ。インチキをしてでも、やってきたことだけが偉いんだってさ」
 その一言に、村上はとうとう切れた。彼は、机の上にあったシャープペンシルを手に取ると、そうはやした少年の目を刺したのだ。私は驚いて彼を止めに行ったが逆にその凶器によってひざの皿を刺し貫かれてしまった。私は、目を刺された少年とともに、ふがいなくも病院に搬送された。
 そしてその少年は片目を失い、私の右ひざには一生忘れられない傷跡が残った。しばらくして、村上はこの町を去った。
 
 私がこの話を終えると、警察はすぐに動いてくれた。数日後には、現在の村上一家の住所と、これまでの足跡を突き止め、一週間後には、昔のクラスメイト三十人の安否を確認してくれたのだ。
 警察から聞いた話によると、村上一家はあの後も、行く先々の学校で問題を起こし、住処を転々をしたらしい。そして、高校卒業後、就職先でさらに大きなトラブルを起こし、またそれが刑事事件に発展し、今まで刑務所暮らしをしていたというのだ。「人殺しですか」という私の質問に、警官は黙って頷いた。しかし、そんな村上が、どうして今頃私たちに復讐などと考えるのだろうか。そこまで転落した自分の人生のけちのつき始めが、あの事件だったからかもしれない。そうだとしたら、あいつの逆恨みをする性格はまだ直っていないのだな、と私は呆れた。
 そして、問題は、村上本人の行方が、分かっていないことだった。彼の両親は、出所後の彼の行き先は知らないと言い張ったそうだ。
 そしてまた一週間がたち、二週間が何事も無く過ぎた。その頃、一度だけ警察から連絡があった。あなたのクラスメイトは全員何事も無く生活をしていますよ、と教えてくれた。そう言えば、村上って奴は、あの年の夏休みの宿題以外では、てんで約束を守らない奴だったな。そう思うと、私は少し安心した。
 
 二学期が始まった朝、私は早朝から緊急連絡を受け、学校を休んで警察に来ていた。署内が慌しい。深刻な事態が起きたのが分かった。担当の警官は、私の姿を見ると、別の部屋に案内してくれた。その部屋は、恐らく取調室なのだろうが、この大騒ぎの中で最も静かな空間であることは間違いない。そこで担当の刑事さんが私と二人きりになって説明してくれた。
「昨晩、村上が動いた」
「……誰か、殺されたんですね」
「ああ」
「一体、誰がやられたんですか」
「全員だ」
「なんですって!」
 私はびっくりした。全員? 警官は、机の上に大きな日本地図を広げた。あちこちに赤字で×印がついている。
「×印が、あなたのクラスメイト達が住んでいた場所だ。最初の頃は強い監視体制を敷いて警戒していたが、最近はかなり甘くなっていた。その隙をつかれた格好だ」
 私が絶句していると、刑事は尋ねた。
「先生、あなたの考えをきかせてもらいたいんだ。どうして奴は、一晩で三十人を殺すという離れ業をする必要があったんでしょうね? 殺しの予告からは一ヶ月も期限があったっていうのに。確かに、三十人もの人間を必ず殺す目的なら、毎日一人ずつよりは、一度にやった方が、足はつきにくいでしょうが、あんまり非常識だ」
 私には、その理由の見当はついていた。
「そんなんじゃありませんよ。村上って奴は、そんなことを考えない男です」
「じゃ、どうして?」
 私は答える。
「村上は、夏休みの宿題をですね、最後の日の晩にまとめてやってくるような奴なんですよ」
「まさか」
 警官はあっけにとられた。
「あの年の夏休みの宿題も、そうでしたよ。長年教師をしてきた私には、それくらいは分かったもんです」
「じゃあ、この殺しは、夏休みの最終日に慌てて行われた宿題と同じだっていうんですか? すべて行き当たりばったりだと?」
「恐らくは」
「いや、ありえない」
 刑事は否定する。
「と、いいますと?」
「地図を見てくれ。殺しの範囲は、西は福岡県から、東は、仙台まで広がっている。計画性なしに、一晩でこんな殺しができるかね?」
「……不可能でしょうね」
「そうだろう。奴は、何かトリックを使ったに違いないんだ。恐ろしいトリックを」
 こうして二人が頭を抱え込んでいると、警官が飛び込んできた。
「村上を、確保しました!」
「なんだと。本当か」
 そう言うと、刑事はその警官と部屋を飛び出す。私は一人、この部屋に取り残された。昼頃になって、その刑事は戻ってきた。私が、何か分かりましたか、と尋ねると、彼は呆れたように言った。
「先生、あんたの言うとおりでしたよ。村上の犯罪には、計画性のかけらもなかった」
「と、いうと……」
「逮捕した警官がね、聞いたんだよ。お前、どうやってこの時間でこれだけ遠い距離を移動できたのかとね」
 私は黙って頷く。
「するとね、奴はしょんぼりして言ったそうだよ。母ちゃんに手伝ってもらったんだって。そして、インチキをしたことを、先生にだけは内緒にしてくれって、泣かれて困ったそうだ」
 まったく、村上って奴は、昔からこうなんだ。
 
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  作成日 二〇〇四年五月十九日
《デジタル社会塵F・大量殺人鬼》
一夜漬けの男



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