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 その日の僕は、依頼主のお屋敷に通じる、秋枯れした木立の立ち並ぶ小路をゆうゆうと歩いていた。午前九時四十二分。約束の時間にはまだ充分な余裕があったので、僕は明るい色のベンチに腰を降ろして一服吸った。風のないこんな日差しの日には、一日中、枯葉にまかれて過ごすのも気味よく思える。しかし唐突に不快な爆音が、僕とこの神聖な空間を侵した。遠くから近づいてくるのは、小奇麗に磨き上げられた原動機付自転車と、それに跨った大男だった。僕は顔をしかめ、その張り切りすぎたロバのように無駄にいななく無粋な機械が、通り過ぎるのを待つ。しかし、その想いは見事に裏切られ、ホンダのスーパーカブ90は僕の目前で停止した。エンジン音を響かせたまま、群青色のスーツを着た大男はヘルメットをとると、野太い声で僕に質した。
「天報堂さまですね?」
「いかにもそうです」
「わたくし、弁護士の矢野と申します。奥様より、天報堂さまをお迎えに上がるよう、仰せつかっております。それにしても、わたくしも長年このような仕事をしておりますが、導師などというインチキな人種に会うのは初めてです」
「はっきりものを言うね」
「モジモジした弁護士は気持ち悪いでしょう」
 そりゃそうだ。こうして僕は、原動機付き自転車の荷台に、この大男と背中合わせに乗せられ、どこまでも無粋に依頼主の待つ屋敷へと向かったのである。
 ここで説明しておく。僕の仕事は、「導師」という裏稼業である。導師は、普通の人の持っていない特別な能力を使って、表沙汰にできないトラブルなんかを解決する仕事だ。今回の依頼主は、都内に広大な土地と莫大な財産を保有する、日本有数の資産家である。僕が今立っているこの緑地も、すでに屋敷の敷地内というから驚きだ。
 そうこうしているうちに、資産家の豪邸に到着した。弁護士の矢野は、その愛車を我が子のように親密に車庫へ納めると、僕を邸内へ案内した。僕の依頼主であり、稀代の資産家でもある土井垣夫人は、予想に反して小柄で温厚そうな老婦であった。彼女は僕の顔を見ると相好を崩して、快く迎え入れてくれた。
 僕が通された部屋は夫妻の寝室のようであったが、すでに幾人かの関係者たちが一同に集められていた。その部屋は高級ホテルのスイートルームのように広く、機能的だった。僕は集められた人たちを見渡す。……依頼主の土井垣夫人。そして、ベッドに寝たきりの夫。そのほかに、三十から四十代くらいの男女が五人。彼らは互いに、親の敵でも見るかのように、憎憎しげな視線を交わしている。弁護士の矢野はいつの間にか姿を消していた。
 土井垣夫人は僕を、彼らと同じテーブルへと案内し、そのアンティーク調の椅子に座らせた。そして、敵意と苛立ちを隠そうとしない彼らに、僕を簡単に紹介する。
「こちらが天報堂さまですわ。この方の術の前には、どんな嘘も通用しないといいます」
 男の一人が、ふん、と鼻を鳴らして言った。
「で、その先生様が、俺たち五人の中で、嘘をついているのが誰かを当ててくれるってわけかい」
 土井垣夫人は頷き、今の厄介な状況を、僕に説明してくれた。
「ご覧のように主人は、すでに今わの際にたっております。いつ亡くなってもおかしくない……そう医師には告げられております。そして私どもには財産を残す子供がおりません。どれほど欲しても恵まれませんでした。ええ、お金では手に入らないものもたくさんあるのです。
 そこで、私どもは、常日頃から申し合わせておりました。我々の亡き後、全ての財産は恵まれない方々へ寄付することにしようと。そうずっと決めていたのでございますが……先日、突然主人が病に倒れ、脳に障害を負い、完全にこの世界と隔絶されてしまいました。そして、かろうじて生きているだけのあの人を見ていると、ふと思い出したのです。夫には、他の女との間に作っていた子供がいたことを。
 主人がそのことを告白したのは、私どもが結婚して、まだ何年もたっていなかったときのことでした。いつも聡明で冷静と言われた私でしたが、そのときばかりは、普通の女性のように泣き、離婚してくれと大騒ぎしたものでした。しかし、夫が自分からそのことを告白したこと、そして、その女性の名前も知らず、女性もまた夫の本当の名前を知らない、そんな刹那的な関係であったことから、私は主人を許すことができました。もちろん、そのしこりが完全に消えるまでには何年もの時間が必要でしたが。
 でも、どうして私は突然、そんなことを思い出したのでしょう。それは分かりません。ただ、信じられない話でしょうが、私は唐突に、その子に私どもの財産を譲りたいと思うようになっていたのです。しかし、私はその子の名前も、その愛人の名前も知りません。唯一分かっていることといえば、夫が、その愛人に「柿木誠一郎」という偽名を名乗っていたという話だけでした。そして、私は急ぎ新聞の各誌に、尋ね人の広告を出しました。柿木誠一郎の子供を捜している、と」
 そこまで話したところで、彼女は周りを見回し、ため息をついた。なるほど。その結果、土井垣氏……いや、柿木氏の子供と名乗る者たちが、五人も現れたのだ。お金の匂いに敏感な人間は、どこにでもいるものだ。僕は夫人のナーバスな気持ちを汲み取りこれ以上の説明は不要だと言った。そう、あとは誰が嘘をついているのかを、僕の能力で見破ればいいだけなのだから。夫人は、最後に、僕に訴えるようにこう言った。
「ここにお集まりの方々からは、詳しくお話を伺いました。しかし、なにぶん、私がほとんどその愛人のことを知らないものですから、どの方のお話にも明らかな矛盾点が見つからないのです。科学的な鑑定も行うつもりですが、それでは結果が出るまで何日もかかってしまいます。その日まで主人が存命できる保証はどこにもありません。できれば、主人の生きているうちに、あなたの子供だと、伝えてやりたいのです」
 夫人のすがるような視線を受け、僕はこの面倒な仕事を、精一杯努めさせていただくことにした。
「全て了解しました。それではこれより、ここにお集まりの皆様に、ある術をかけさせていただきます。もし嘘をついている自覚のある方は、すぐにここを退席することをお勧めします。なぜなら、この術は、あなた方の中で、嘘をついている人を……おそらく四人は嘘をついていらっしゃるのでしょうが……醜い蛇の姿に変えてしまうからです」
 しかし、僕のこの脅しは逆効果だったようで、彼らは口々に文句を言い始めた。
「下手な口上はいらないから、さっさとやってくれ。はっきり白黒つけてもらおうじゃないか。どうせ分かるのは、こいつらが遺産目当ての大嘘つきどもだってことだけだからな」
「よくも言ってくれたものね。この詐欺師。望むところだわ。あんた達がどれだけ薄汚い蛇野郎か、見届けてやろうじゃないの」
 ……やれやれ。どいつが本当の子供だとしても、ろくなもんじゃないな、と僕は思ったが、もちろん口には出さなかった。
「では、皆さん、断然やる気がおありのようですので、土井垣夫人のご依頼に基づき、術を執行させていただきます」
 僕は左手の中指と人差し指の先を額にそっと置き、目を閉じてから呪文を唱えた。
「天法の理に則り、相応の心得をここに示さん。怠け者は牛に。背信者は蝙蝠に。そしてペテン師は蛇に」
 そして僕は、えいやっと、掛け声をあげた。ぎくりとして、皆は咄嗟に僕を振り向いた。冷や汗をかいている者もいる。しかし、今度は僕が驚く番だった。皆、普通に人間の形を保っているじゃないか。ぽかんとしたまま、一人が尋ねた。
「術は、失敗ですか」
 そんなはずは……、と口ごもる僕の姿を、土井垣夫人を含め、皆不信げに見つめている。……いや、そんなはずは。僕は周囲を念入りに見回し、ある異変に気がついた。……ははあ、もしや。僕はおもむろに席をたち、寝たきりの土井垣氏のベッドに近づいた。そして、種明かしをする手品師よろしく、いささか自慢げに、その布団を持ち上げた。あっ、と、真っ先に発したのは、おそらく、夫人だったと思う。旧約聖書で最初の人類をかどわかしたとされる、罪深き生き物の形をした、もともと土井垣氏であった爬虫類が、力なくそこに横たわっている。結果は明白だった。柿木誠一郎の隠し子は、一人ではなかったのだ。
 夫人は僅かに青ざめている。非常識で無作法な息子たちも、さすがに気をつかってか、ひとり、またひとりと席をたった。僕はしばらくその場に留まっていたのだけれど、結局夫人にかける慰めの言葉も見つけられず、代わりに手書きの請求書をテーブルにそっと差し出して、部屋を出た。
 僕が外に出ると、もう太陽は遥か頭上に照っていた。弁護士の矢野が、バイクを転がしながら僕に近づいてきた。
「通りまで送りましょう」
 彼の申し出を僕は丁重にお断りした。少し、歩きたい気分だった。
 
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  作成日 二〇〇四年三月十二日
《デジタル社会塵E・資産家の遺産相続》
寂しいペテン師



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