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舞台幕の世界・目次  
定式幕 
上手・下手(かみて・しもて) 
「お土砂」の定式幕

道行旅路の花聟(はなむこ)の定式幕  

鷺坂伴内(さぎさか・ばんない)嬉々として幕を引きながら退場…
「道行旅路の花聟(はなむこ)」  通称「落人」 (おちうど)

「仮名手本忠臣蔵」(1748年、竹本座・人形浄瑠璃で初演)に
後年(1833年)加えられた歌舞伎舞踊

明け方の富士山と桜、菜の花畑を背景に
お軽と勘平の旅道中を描いた、美しい舞台です。

「仮名手本忠臣蔵」の中の舞踊劇・道行旅路の花聟(はなむこ)通称「落人」では、
定式幕が通常の歌舞伎とは逆に開きます。
つまり、客席から舞台を見るとき、幕が舞台に向かって右側(上手)から左側(下手)に開くのです。
当然、幕が閉まるときは、左側(下手)から右側(上手)に向かって閉まります。

  舞台下手(左側)  ←  ←  ←  舞台上手(右側)  古式 昔の開き方

江戸時代の歌舞伎舞台ではこの方向に定式幕が開いたということです。
「落人」では、この方向に定式幕が開きます。
(文楽・人形浄瑠璃では、今もこの方向に定式幕が開きます。)


しかし、いつの間にか幕の開閉方向が逆になり、
現代の歌舞伎では幕が舞台に向かって左側(下手)から右側(上手)に開くのが普通です。

 舞台下手(左側)  →  →  →  舞台上手(右側) 

現代の歌舞伎舞台では普通この方向に定式幕が開きます。

なぜ「落人」の幕の開き方が旧式のままなのか?という理由は
この舞踊のストーリー展開に関係ありそうです。

舞踊の終盤、お軽と勘平を追う鷺坂伴内(さぎさか・ばんない)と手下の家来たちが現れます。

鷺坂伴内は、緋色(朱色)と浅葱色(水色)のストライプの着物
黄色い帯、のタスキ、真紅の鉢巻というムチャクチャ派手な姿
家来たち(花四天)も、手に桜の枝を持ってにぎやかです。

伴内は、「勘平、覚悟!」と掛け声だけは勇ましいけれど
自分の名前の「鷺(さぎ)」に掛けて「鳥の名尽くし」(つまり駄洒落)を云ったりするなど、
ヒョウキンなキャラ丸出しで、どう見ても強い武士には見えません。

案の定、伴内と家来たちは勘平にあっさりと討ち払われてしまいます。
伴内は命からがら舞台奥に逃げ去ります。

折りしも夜が明けてきて、旅を続けようと花道に出たお軽・勘平。
そこに、懲りない奴!鷺坂伴内が再び舞台奥から現れ、未練がましく声をかけます。

伴内「勘平、待て!」
勘平「何か用か?」
伴内「用は… 無い。」

お軽・勘平 ガクッ…
とずっこける

ここで、定式幕が舞台左側から少しずつ閉まり始めるので、
伴内は幕の手前、客席側に取り残されそうになります。

あわてた伴内が幕の奥に逃げ込もうとして
閉まり始めた幕と一緒に舞台右側に向かって走るうちに、
いつの間にか自分で幕をつかんで閉めることになります。

幕を閉めながら走る鷺坂伴内ですが、客席の視線を一身に浴びてとても嬉しそう。
嬉々として、足取りも軽く舞台上手に消えていきます。

その後姿を、花道のお軽・勘平は「おかしな奴!」と、苦笑しながら見送ります。

以上のドラマ展開は、定式幕が下手から上手に向かって閉まるから可能なわけです。
つまり、「鷺坂伴内が、逃げるついでに幕を引いて退場する」というラストシーンのためだけに
「落人」の定式幕は旧式の開閉方式を残していると考えられます。

重苦しい話が多い忠臣蔵・大河ストーリーの中で、
ユーモアあふれるこのシーン、「何とか残したい」と思わせる程の人気があったのでしょうね。


定式幕の変遷に関しては
「大いなる小屋」服部幸男 1986 平凡社 
に詳しく書かれています。

 

「お土砂」の定式幕

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