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「緞帳」はもともと上下方向に開閉する舞台幕をさすもので
左右方向に開閉する引き幕と区別されます。
(今では、引き幕型式の緞帳を引き割り緞帳と呼びます。)
江戸時代 歌舞伎の舞台では引き幕(定式幕)が使われていました。
引き幕が使われるようになったのは17世紀後半のことといわれています。
引き幕・定式幕は幕府から興行を許可された座による大芝居でしか使用を許されませんでした。
大芝居は櫓(やぐら)を高くかかげ、座の紋を染め抜いた櫓幕(やぐらまく)を掛けていました。
櫓と櫓幕
幕府から興行の許可が出ない中小の芝居小屋は引き幕ばかりでなく
花道・廻り舞台の設置や大太鼓の使用まで禁じられていました。
これらの舞台の芝居は、大芝居に対して小芝居とよばれます。
これらの、引き幕の使用が許されない格下の芝居小屋や見世物小屋は
上下に開閉する緞帳幕を使用しました。
この起源は、竹で編んだ簾(すだれ)のような幕(笹幕)ではなかったかということです。(*1参照)
「緞帳芝居」「緞帳役者」といったことばは、それぞれ格下の芝居や芝居役者を指すことばでした。
(興行権が誰にでも認められるようになったのは明治も半ばをすぎた1900年のことだそうです。)
明治11年(1878年)新富座が日本初のプロセニアム舞台の大劇場を建てました。
ここで、翌明治12年アメリカのグラント元大統領達から贈られた引き幕を、重すぎて引き幕には使えなかったため
緞帳に仕立て直したのが、大劇場の緞帳使用のはじまりといわれます。
その後はおもに染・手描きの緞帳やアップリケ・刺繍緞帳などが作られていました。
明治、大正から昭和にかけて大きな劇場は大都市にしか無く、
各地には公会堂と呼ばれる施設が建てられましたが劇場というよりも集会施設という性質を持つ建物でした。
戦後、経済成長に伴って日本各地に公共の会館施設が次々と建築されるようになりました。
日本特有の、そして今では代表的な緞帳である綴織緞帳(つづれおり)がはじめて作られたのはこの頃です。
「綴れ織」は帯を織ったりするときに使われる大変古い織技法ですが、
その技術を巨大な緞帳に適用し始めたのは川島織物が最初といわれています。
「高度成長期・会館建築ラッシュ」により建てられた大規模ホール・会館の緞帳は、大多数が綴織で作られています。
巨大な手織物・綴織緞帳は世界の織物の中でも、きわめてユニークな存在です。
綴織緞帳を製造する会社・工場が京都を中心に増えた理由は
京都に古くから西陣織産業があり、綴織に関する技術や知識が集積されていたためと思われます。
綴織緞帳の制作が盛んになるとともに、
フック織等の諸技法による緞帳も各地の舞台に設置されるようになりました。
綴織緞帳が非常に高価なものであったため、それに代わる技法が求められたともいえましょう。
現在では綴織・フック緞帳のほかに中・小規模の舞台では描き絵・フロッキー・ドレープ緞帳など
多様な緞帳が各地の舞台に設置されています。
またオペラカーテンや絞り緞帳を設置する劇場も多くみられます。
最近では、新技術を取り入れた光ファイバー緞帳や住民参加型のパッチワーク緞帳など、
従来の緞帳とはちょっと異なった新しいタイプの緞帳も作られるようになってきました。
またコンサートホールのオープンステージ舞台等では、緞帳や舞台幕類が設置されないケースも増えています。
(*1 )「歌舞伎をみる人のために」 今尾哲也著 玉川大学出版部1993年
p63 緞帳芝居
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