| 鬼平ゆかりの地巡りツアー番外編7 【屋形船大川見廻り2003】 事前見廻りの部 |
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平成15年9月6日 与力たきざわ,目黒の彦十さん,章奴さん,四谷の孫四郎さん,成田屋お夏さん,本所のご隠居さん,飛び込みのおはるさん,京屋悟雀さん,悟雀ハニーさん,浮き雲のおかんさん,つよやさん(船宿直行),おたまさん,飯撮りの伊佐寅さん,神楽純さん,あきさんとそのご友人(栴檀のお玲さん)様,千住の竹蔵さん,みかさん,深川の棟梁さん,おちょうさん(船宿直行),高飛車の満之助さん,谷中のうさぎさん,土田謙之進忠友さん,観音裏の火消しさん,菊花さん,与力たきざわ奥及びその友人1名(船宿直行),下野の木偶の坊さん御一行総勢5名様(船宿直行),天満のおけいさんとそのご友人(九段のお由美さん)様(船宿直行),仙台堀のおろくさん,まゆさん(船宿直行),御厩の親方さま(特別ゲスト?),みかんさん(事前見廻りのみ),鱸とハゼ子さん(二次会から),金杉孝之介さん御一行様(二次会から), |
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とにかく暑かった!最高気温は50度くらいだったんじゃぁないか(大袈裟)と感じるくらいの平成15年9月6日の土曜日。与力が仙台を出発したときは小雨模様で肌寒かったのですが,上野駅で新幹線を降りた瞬間から「あづい!」旅籠に荷物を預けて集合場所の押上駅に着く頃には,途中の便利煮売屋で買ったタオルも汗でびっしょり,作務衣の上着を脱ぎ捨ててTシャツ一枚での到着と相成りました。 さて,今回は「屋形船大川見廻り」でございます。女性陣の浴衣率も高く,例によって道行く通行人からは「今日,何かお祭りあったっけ?」なんて会話も聞こえてくる土曜の午後2時30分。押上駅前の東京三菱銀行前に集まって下さった総勢23名の火盗改メ一行は,屋形船の前にちょいと「本所桜屋敷」の世界を味わう散策に出発でございます。 ※この色(紺色)の文字は,原作「鬼平犯科帳」からの引用です。 |
| 【押上駅集合】〜【春慶寺】〜【森八本舗】〜【本法寺】〜【法恩寺・法恩寺橋】〜【本所桜屋敷・大横川親水公園】〜【能勢妙見堂】〜【徳之山稲荷】〜【船宿・釣新さんから屋形船にて大川下り】〜【「レストランカミヤ」さんにて二次会】 |
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鬼平ゆかりの地【春慶寺】 |
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さて,押上駅を出発した一行は浅草通りを東へちょいと。すぐに道に沿った大きなビル・春慶寺でございます。まぁ「お寺」というよりは「ビル」としかいいようのない建物なのでございますが,間違いなく看板には「春慶寺」と書かれております。春慶寺さんのホームページによりますと「当春慶寺は元和元年(1615年)浅草森田町の地に,真如院日理上人によって創建されました。その後,寛文七年(1667年)に浅草から本所押上村に移転し,現在まで約400年の歴史があります。」(引用)と書かれておりました。 「鬼平」との関係に関しては,皆さんご承知の通り,岸井左馬之助が独身時代に寄宿していたとされているお寺でございます。原作では度々「押上村の春慶寺」と書かれているのを覚えてらっしゃる方も多いことでございましょう。平蔵達が若き高杉道場門人であった頃から,後に妻をめとって金杉に家を借りるまで,かなり長い期間を過ごしたことになりますね。この春慶寺は古地図でみてもそう大きな移動はなく,ほぼ現在地に近い位置にあったものと思われます。追って「高杉道場」のあったあたりまで歩きますが,決して苦になる距離ではございません。 このお寺,鬼平ともゆかりがあるのですが,史実としては「東海道四谷怪談」の作者である,かの四世鶴屋南北の菩提寺として知られています。道路に沿ってすぐに目に止まりますは,著名な歌舞伎役者の名前がずらりと並ぶ奥に鶴屋南北の碑。そしてその右隣には・・・おぉ「岸井左馬之助」と書かれた碑が・・・。 |
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この碑はごく最近作られたものでして,「『鬼平犯科帳』中 岸井左馬之助之寺」と書かれています。よく見れば一番下には小さく「江守徹」という文字も。 ううむ「人気小説『鬼平犯科帳』の中で主役級の人物が寄宿していたことになっている→コレは是非PRしたい→でも小説よりテレビの方が広く知られている→比較的長く左馬役を演じた江守徹がいいんじゃないか」という図式でございましょうか(苦笑) それにしてもあたしが言うことではないのですが,いや〜,本当に普通のビルですわ。道に面して鶴屋南北関係の碑が置かれていたりはするものの,あたしの中にある「寺院」のイメージからは程遠く・・・そういえば千住の回向院なんかもそうなのですが,まぁビルになるのも「寺の歴史のウチ」ということで納得するしか無いのかなぁ。 そういえば大勢で「どれどれ」なんて「岸井左馬之助の碑」を見ておりましたら,ビル(本堂?)の中からおねぃさんが顔を出して下さいまして「よろしかったらお茶でも・・・」なんて声を掛けて下さったのですが,今回は「先を急ぐ旅ゆえ」辞退。「西尾先生の?」なんて質問も頂きましたが「光栄ながら別でござんす」と言って通過させて頂きました。・・・イヤ,それでも「境内」と呼べるような空間があれば,ちょいとお邪魔したかもしれませんが・・・ お騒がせしてしまいまして大変失礼を致しました>春慶寺の皆様 |
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【森八本舗】 |
![]() 写真の上にもちゃーんと天守閣があるのだ。 |
春慶寺を通過しますと,浅草通りから左に切れ込み,南へ向かいます。歩くことしばし・・・本所のご隠居さんのご案内でちょいと右の路地に入りますってぇと・・・ん?お城? よく見れば「森八」という看板も凛々しい和菓子のお店「森八本舗」さんなのですが,ううむ,しっかり三層の天守閣まであるではありませんか。それも安っぽい合板やトタンで素人の「変なおいちゃん」が作ったようなものではなく,立派にお城。要は和菓子屋さんということですが,全く存じませんで,解説も何も出来ません(笑)でも少なくとも瓦には家紋が入ってますし,建物自体もしっかりした造りで,並々ならぬ気合いの入れようを感じますですね。本所の町にこんなお城があるなんて,正に「20へぇ」位の発見でございました。 しかしここの恵比寿様,鯛を胸びれのところでむんずと掴んでたりして・・・。 |
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鬼平ゆかりの地【本法寺】 |
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「森八本舗」さんから再び元の道に戻って更に南下しますと,左手に塀に囲まれた墓地が。手前の建物は「動物慰霊堂」と書かれてあります。平蔵が飼っていた柴犬の「クマ」も,今はここに眠っていたりするのでしょうか。 で,その向かい側にあるのが本法寺。境内というよりも,門からすぐに本堂がある感じ。この本法寺は鬼平でもちょこっとだけ登場します。当サイト「『兇賊』をトレースしよう!」でも書かせて頂いておりますが,「兇賊」の中で,若き日の平蔵が「土壇場の勘兵衛」(網切の甚五郎の父)を,岸井左馬之助や井関録之助らとともにやっつけたのが本法寺の裏とされています。 ![]() |
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鬼平ゆかりの地【法恩寺・法恩寺橋】 |
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さて,しばし更に南下しますと,すぐに右手に法恩寺でございます。法恩寺は「鬼平」の中では,とにかく「高杉道場・本所桜屋敷」の目印としての印象が強いところ。往時の境内は現在よりもかなり広く,南割下水から北側の一角に子院も含めて広大な敷地を持っていたのではなかろうかと思われます。 現在の法恩寺,山門を正面に見て境内の左側には三重塔もあります。見たところRC造でしょうか,モノ自体は新しそうですが,法恩寺の格式といいましょうか,そういう威厳を感じずにはいられません。三重塔は一番下の区画が鐘楼となっていて,こういう構造というのは珍しいんじゃないかな・・・。 この法恩寺,開基はかの太田道灌でございまして,もともとは江戸城丑寅の鎮護として本住院が作られ,その後何度か移転を行った後,元禄の頃に現在地に移されたとされています。「江戸名所図会」にも,裏側の霊山寺と並んで描かれています。裏の墓地には太田道灌の供養塔もありましたが,震災や戦災で黒く焼け焦げているのが残念。 その法恩寺の門を出ますと正面に当時の参道が今も名残をとどめております。参道を出て左に行きますと目の前に法恩寺橋。橋の下に往時流れていた横川は,今では大横川親水公園として整備されています。橋自体今や普通に自家用駕籠が行き交う「ただの橋」ですが「鬼平」特に「本所桜屋敷」ファンにはたまらない橋・・・このあたり,次の「本所桜屋敷・大横川親水公園」で検証してみましょうか。 |
![]() 現在の法恩寺橋。「蔵前橋通り」ってやつですな。 |
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鬼平ゆかりの地【本所桜屋敷・大横川親水公園】 |
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さて,往時の横川・現在の大横川親水公園に架かる法恩寺橋,そして先程も訪れた法恩寺,そして「鬼平」における記述と古地図の位置関係を考えますと,なんとな〜く「高杉銀平道場・本所桜屋敷」の位置が見えてきます。手前味噌ですが,当サイト「『本所桜屋敷』をトレースしよう!」の中で,あたしが書かせて頂いた駄文をこちらにも再掲載させて頂きます。
この本所桜屋敷に関しては以下のように記述されています。 「法恩寺の左側は横川に沿った出村町であるが」「ひなびた茶屋の裏道が,横川べりまでつづき,その川べりの右側に朽ち果てかけた藁屋根の小さな門がある。門内の庭も,かたく戸を閉ざしたままの母屋にも荒廃が歴然としていた」「庭の北側は,武家屋敷の土塀によってさえぎられてい,その土塀から,このあたりにもめずらしい数本の山桜の老樹が枯枝をつらねていた。」「この百姓家を改造した道場で,若き日の平蔵は剣術をまなんだものだ」「あたりの人びとは,この宏大な屋敷を(出村の桜屋敷)と,よんでいたものだ」 もともとは,昔名主をつとめていた田坂直右衛門の屋敷で,平蔵が高杉道場に通っていた頃は,七十余歳となる十代目の当主,数名の奉公人と,孫娘の「おふささん」が住んでいたのであります。岸井左馬之助の台詞によれば,事件の頃(天明8年)には「三千石の直参で,田代主膳というお人が住んでいる」らしい。 平蔵たちが若き日に「横川に浮かべた数艘の舟へ,花嫁と立派な嫁入り支度をのせ,これがゆったりと水面をすべって行くのを,平蔵と左馬之助は,道場の門外に立ち,青ざめた顔で見送った」という淡い思い出の残る,本所桜屋敷なのでございますなぁ。 法恩寺,霊山寺は敷地が狭くなってはいるものの,ほぼ当時のままの位置に現在も残っていると思われます。横川は埋め立てられて,現在は「大横川親水公園」として,竪川(現在は首都高小松川線の高架下)から浅草通りの業平橋駅近くまで南北に走っています。 古地図でも法恩寺の西側,横川との間のエリアは「出村町」となっています。「その川べりの右側に朽ち果てかけたわら屋根の小さな門」があり横川に浮かべた舟を「道場の門外」から眺められたということを考えますと,出村町の中でも横川に最も近い区画に高杉道場があったと思われます。 ![]() お,桜の樹があるじゃあございませんか。 実は「『本所桜屋敷』をトレースしよう!」で,あたしは「タキナミグラスファクトリー(現在は違う会社みたい。看板だけ残ってました)」さんを「高杉道場」と仮定していたのですが,道場の門外から横川の舟を眺めていたという点から考えると,実は「もっと横川に近かったんじゃないかのぉ」という気になってきました。で,せっかくなので法恩寺橋のたもとから大横川親水公園に降りてみます。 公園に降りるとすぐ目の前に桜の樹が!!「おぉ,正に桜屋敷」てなもんでございます。桜は何本かありましたが,どれも立派なものでございます。ううむ,平蔵や左馬が見たのはこの桜なのでしょうか・・・。桜の並ぶ一角の奥,正に古地図では出村町とされているあたり,とりあえずココに建っているアパートを「本所桜屋敷」ちゅうことにしましょうか,ちょっとイメージ違うけど・・・。 おっと,ここで菊花さんが途中合流下さいました。「あいつらきっとここでたむろってるにちげぇねえ」という読み,見事でしたね(笑)無事合流成功で良かったです。 |
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![]() 親水公園の桜から出村町方向には・・・ |
![]() いまや三階建ての高杉道場なのだ |
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【能勢妙見堂】 |
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大横川親水公園で一休みしますと,今度は法恩寺橋の一本北側の通りから船宿を目指してみようと思います。しかしこの公園,全体的には非常に良く出来ていて,秋の涼風の下なんかでは,さぞや気持ちよかろう,いつぞやの王子見廻りみたいに,ココで「一杯」なんてのもよかろう,と思うのですが,構造が結構複雑で。軽い運動兼ねてぐるりと岸辺の丘を越えたりなんかしながら道路に出ます。 |
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少し西に歩くと交差点に面してこぢんまりとしてキレイなお寺が。山門から中を覗きますと,ますます「こぢんまりとしてキレイな」感じです。狭い境内には至る所に花が咲き,鮮やかで上品な空間を作り上げています。こりゃ,よほどセンスのいい方が管理してらっしゃるね。で,このお寺,大阪にある能勢妙見山の全国唯一の別院なのだそうです。境内には勝海舟の胸像もありました。そういえば勝海舟は本所の生まれですね。勝海舟の父・勝小吉が犬に噛まれた海舟(というか麟太郎)の水垢離をしたのが,この能勢妙見堂なのだとか。![]() |
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【徳之山稲荷】 |
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能勢妙見堂のキレイな境内を見て少々「精神的には癒された」市中見廻り一行でありますが,船宿はまだ先。ぼちぼち「発泡麦酒」の幻覚を見そうな状態になりつつ,更に西へ歩きます。 しかし本当に暑い!なんでこんなに汗が出るんだろう・・・とにかくタオルで顔を拭きながらの行軍でございます。でも,本所の町というのは高層ビルも無く,所々に「おっ?」と思えるような古い建物が点在しているところが面白い。少し歩けば「お?いかにも看板建築」とか「ん?また味のある格子戸が」なんて,散策してても飽きません。車もあまり通らない路地をぶらぶら歩きながらというのも「涼しければ」楽しいものでございます。それに徹底的に「脱水寸前」の状態を作ってからの方が「発泡麦酒」は美味しいハズなんですよ・・・などと自分を宥めながら(笑)歩くことしばし。間もなく清澄通りというところで,ちょいと南に歩を移せば,住宅の間にひっそりと徳之山稲荷さまの赤い鳥居が目に入ります。 |
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実はココ,火付盗賊改・徳山五兵衛の屋敷跡なんだそうです。徳山五兵衛が日本左衛門一味を捕らえるお話は池波作品「おとこの秘図」に描かれていますが,その「日本左衛門首洗井戸跡之碑」なんてのも残っておりました。
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さて,徳之山稲荷さまを後にしますと,すぐに清澄通りを渡りまして「割烹・吉葉」さんの前を通れば,もう大川の堤。コンクリートの堤防に沿って少し北に歩けば厩橋のアーチが見えてきまして・・・いよいよ,一昨年よりお世話になっている船宿「釣新」さんに到着!でございます。もぅ喉カラカラ!さぁ,真面目なページはここまでだ!(笑)
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| 【屋形船大川見廻り2003】 いよいよ「屋形船」へ |