鬼平ゆかりの地巡りツアー番外編5:剣客商売・秋山父子ゆかりの地巡りツアー



●京成関屋駅集合〜●おはるの実家周辺〜●鐘ヶ淵(小兵衛隠宅)〜●木母寺〜●隅田川神社〜●真崎稲荷(石浜神社)大治郎道場〜●橋場(不二楼)〜●橋場不動〜●熊五郎悶絶スポット〜●本性寺(小兵衛先妻・嶋岡礼蔵墓所)〜●今戸神社〜●山谷堀・今戸橋〜●待乳山聖天〜●池波正太郎生誕の地〜●浅草寺時鐘〜●駒形堂(元長)


蹴球日本代表が初めて世界杯の決勝リーグ進出が決定。日本の多くが湧いた金曜日から一晩開けた6月15日の土曜日。今回は同じ池波先生の傑作でも「鬼平」をちょっと離れて「剣客商売」にスポットを当て,主人公である秋山父子にゆかりのあるエリアを見廻ろうと思います。
まずは今回のコースを略図にしてみました。関屋から浅草まで,約6キロ程度になりましょうか,ゆかりの地も結構あります。赤い丸印が今回訪れた場所です。ちなみに黄色が近くの駅。今回ご参加出来なかった方も,興味があれば是非いらしてみて下さい。ちょっと頑張って(笑)クリッカブルマップに挑戦してみました。



当日は事前の予報では「雨かも」と恐れられていたのですが「晴れ渡った青空」というわけにはいきませんが,それでも雨が落ちてくることもなく,かえって暑すぎもせずお散歩には悪くないお天気。
午後1時に京成関屋駅に集合下さったのは深川の棟梁さん,本所のご隠居さん,おはるさん,じゅうべいさん,目黒の彦十さん,伊佐寅さん,おたまさん,みかんさん,仙台堀のおろくさん,下野の木偶の坊さん,神楽純さん,悟雀ハニーさん,あか魚さんとご友人,みかさん。もちろん与力たきざわも新幹線で上京,様変わりしたJR上野駅に驚きながら関屋駅までやってきました。
ちなみにあたしが江戸詰め時代に住んでいたのは,この関屋駅からもそう遠くない場所でして,関屋駅向かいの足立郵便局にもよく来ましたし,今回歩くエリアは毎週のように自家用駕籠で通っていたエリア。どことなく懐かしさを感じます。
さて,集合場所・京成関屋駅の周辺は,残念ながらあたしの持っている古地図には載っていないのですが,恐らく小兵衛の後妻「おはる」の出身地である関屋村と思われます。よく小兵衛に言われて関屋村のおとっつぁんに用事を頼みに行ったりしますが,ここから鐘ヶ淵はほど近くといったところ。おはるがそもそもは小兵衛隠宅の下女として働いていたことも肯けます。徒歩であれ舟であれ距離としては近いでしょう。
ここから墨堤通りを暫く歩くと左手に堀切橋。この界隈は「金八先生ゆかりの地」といった方がいいでしょうか。左に荒川,右に隅田川が迫り来るエリアです。この交差点を堀切橋の逆に十数メートル歩くと隅田川畔(千住大川端公園)に出ることが出来ます。ちょうど川がぐぐっと曲がって,江戸の頃は荒川に名を変えたあたり。すぐ左に鐘ヶ淵の伊沢造船所が見えます。
おはるは小兵衛のところに来た時には既に舟を扱えたわけですから,おそらくこの川畔付近に実家があったのではないでしょうか。もっとも「剣客商売」にはおはるの実家に関する細かい描写は無かったように思います。「ここだ」という特定は出来ませんし,あくまで「じゃないかな」程度ということで。

墨堤通りに戻って更に南に進みますと小さな橋(綾瀬橋)が架かっていて,下を流れるのが旧綾瀬川。ここが正に鐘ヶ淵でございます。
真上を首都高速六号向島線の高架があって,これが無粋の極みなのでありますが,この六号向島線,自家用駕籠で走っている側からしますと,なかなかいい景色なのでございますね。
さて,その「鐘ヶ淵」を見てみましょう。

鐘ヶ淵という名前は,いわゆる「沈鐘伝説」に依るもののようです。この沈鐘伝説というのは結構全国各地にあるもので,ここもそんな中の一つというところ。
由来はいくつかあるようですが,まず一つは,この地を収めていた千葉氏が北条氏の軍門に下った際,北条方が戦利品として千葉氏ゆかりの瑞応寺の梵鐘を持ち帰ろうと舟に乗せたところ,どこからか女性のむせび泣くような音が響きはじめ同時に大川の波も高くなり風雨も強くなった。そこで北条方が恐れをなして梵鐘を川底に沈めて逃げ去った,というものです。これは瑞応寺のホームページ中「まんが足立の今昔」に出ています。
東武鉄道のページでは鐘ヶ淵駅に関して「元和6年(1620),橋場,石浜の地にあった寺院が亀戸村に移転しました。そのときに寺の鐘を船に乗せて隅田川を渡ろうとして誤って鐘を水中に落とし,引き上げる事ができなくなりました,以後,鐘の沈んだあたりを鐘ケ淵というようになったそうです。駅名の由来は地名から命名されました。」と書かれています。


写真中央あたりが小兵衛隠宅か。

地図で見ますと大川はこの少し上流でぐぐっと向きを変えて南北の流れになって江戸湾に向かうわけです。先程行った「おはる実家付近」ですね。少し離れて荒川があり,その二つを綾瀬川が運河のように繋いでいるような格好になります。実際にこの地に立ってみると,正に独特の風景。
秋山小兵衛の隠宅は,鐘ヶ淵中学校(上写真中央奥の黄色い建物)のあたりになりますでしょうか。手前の堤防沿いには今やブルーテント村が形成されちゃっております。隠宅の庭にはこの鐘ヶ淵から水を引き込んで,おはるの舟が舫ってあるわけですから,このブルーテント村から鐘ヶ淵中学校のあたりということになりましょう。
鐘ヶ淵には今でも伊沢造船所と伊沢マリーナが残っていて(写真右)この川が水運の要衝であったことを物語っています。



この綾瀬橋から鐘ヶ淵・大川下流方向を見ますと,手前に水神大橋が架かり,その先に大きなガスタンクが見えます(写真赤丸部分)。このあたりがおそらく秋山大治郎の道場があったあたりではないでしょうか,後ほど訪れます。鐘ヶ淵からおはるの舟なら気軽に行ける距離ではあります。

墨堤通りを進むとすぐに鐘ヶ淵中学校。向かい側には「鐘ヶ淵紡績」つまり「カネボウ」です。「カネボウ」のイメージに関しては,年代別に「毛糸」「化粧品」「お菓子」となるようでございます。どれでした?歳がわかります(笑)
中学校の裏手に廻ると川の堤防下まで来られるのですが,首都高速の高架線とい堤防が視界を遮って川を見ることが出来ません。中学校の先からは東白髭公園を歩きます。ここには白髭団地として大きな公団住宅のような建物が続きます。大きな壁といいますか何といいますか,上空から見ればこの界隈に歯でも生えているように見えるのではなかろうかと思います。本所のご隠居さんのお話では実際「地域の防火壁」としての役割が強かったそうで,よく見ると建物の間を鉄板が埋めていたり,所々に放水銃なんかも見られます。

白髭公園を歩き,水神大橋を右手に見て暫くすると木母寺です。「小兵衛隠宅にもほど近い」はずの木母寺は現在ではこんな姿になってます。歴史のあるお寺ですので,境内には色んな碑が残っており,見所は少なくありません。ガラスに囲まれているのは梅若塚。先程の団地のところでも触れましたが,これはこのあたり一帯が防火地域だからでしょうか。

 

境内の本堂(らしき建物)の奥に妙なものを発見。何でしょう「弁天様」との説が聞こえましたが・・・しかしシュールな造形です。嫌いではナイ(笑)

木母寺を出て,更に公園に沿って南下すると,どこからともなく聞こえる「笛太鼓」緑地帯を挟んで向こう側を子供御輿が進んでいます。今日はお祭りなんですね。前方には隅田川神社の参道に並ぶ出店が見えてきます。
さて,その参道にぶつかると堤防を瀬にして隅田川神社があります。隅田川神社はもともと隅田川に面して鳥居が建っていたのだと聞き及びます。昔は「水神宮」とも呼ばれていて明治5年に今の名称になったそうです。今では首都高速の高架に寄り添うように建っていて往時を偲ぶにはあまりにも周囲が変わりすぎてしまった。

 

本堂の裏手,川に向かって古い鳥居が残っています(右写真奥)。これが川に面していた頃の名残なのでしょう,昔はこの鳥居のところまでが大川だったのですね。その後の護岸工事や高速道路の建設で今は隅田川神社という名前の由来さえ感じさせないような場所になってしまいました。境内には「水神宮」と書かれた碑も残っていました。
お祭りは結構規模もあって賑やか。団地の家族連れなんかも大勢来ています。参道から神社の境内・裏手までずっと出店が出ていて,こういうのを見ると何故か心躍ってしまいます。理屈抜きで「楽しい」んでございますね。

ここから白髭橋まで更に団地内の緑地を歩き,白髭橋を通って大川を対岸に渡ります。しばし公園内を歩いてきたので急に車の喧噪が。
あくまであたしの個人的好みなのではありますが,白髭橋は造形的にすごく好きなんですね。



白髭橋から大川上流を見ますと,前方に水神大橋。その先が鐘ヶ淵です。先程の鐘ヶ淵からの写真をちょうど逆から見たところになります。

白髭橋を渡ってすぐの道を右に入ってしばし。石浜神社が見えてきます。原作には大治郎道場がある場所として「真崎稲荷近くの木立に囲まれた道場」といった描かれ方をしています。この真崎稲荷は大正十五年に現在の石浜神社に併合されていますて,石浜神社本殿の脇に繋がるように真崎稲荷があります。現在も二月には稲荷神社祭が催されているとのこと。


photo by 伊佐寅さん


左写真が現在の真崎稲荷でございます。


photo by 伊佐寅さん

というわけで恒例の記念撮影でございます。今回は伊佐寅さんのデジカメのタイマーを使わせて頂いたので,全員ばっちり。


photo by 伊佐寅さん

チョコエッグのようになっていて,パカッと開くと大治郎道場が入っている
「掃除をする粂太郎フィギュア付き」でどうだ。

大治郎の道場は大川の堤を歩き思川を渡った真崎稲荷近くということになります。「思川」というのは現在の明治通りと思われますので,その意味では石浜神社の西側,東京ガスのあるあたりではないかと思うのでございます。
というわけで大治郎道場は,この神社左手にある「ガスタンク」に決定(笑)

ここから白髭橋に戻って今度は大川下流(浅草方面)を見てみましょう。右岸が橋場です。
小兵衛御用達(?)の料亭「不二楼」があったあたり。不二楼には船着場もあったようですから,ざっとこのオレンジ色のマンションのあたりでしょうか。
ええい,このマンションに決定(笑)

さて,今度は真崎稲荷を背にして,大川に並行した一方通行の道を浅草方面へ。
ここから台東区。静かな住宅街になりますが,その一角にちょこっとした感じで「橋場不動」の入口が見えます。
橋場不動は何故か「剣客商売」には出てきませんが「鬼平」には何度か登場。せっかくですので寄り道。

その橋場不動の道を挟んだ向かい側に,先程の「マンション・不二楼(笑)」がありました。写真奥が浅草方面です。
小兵衛は不二楼から待乳山聖天さまや,浅草寺,駒形堂そばの元長なんかに行くときには,この道を歩いたのでございましょうか。今でも一本道で今戸橋の方に出られる道になっています。

更に浅草方面に歩きます。一方通行の道路から少し中に入ったあたりに薬局一軒。
このあたりが「剣客商売」では「浅茅が原」ということになりましょうか。「鬼熊酒屋」の熊五郎が病んだ姿を誰にも見せず,一人悶絶していたスポットでございます。
ここを通りかかった小兵衛に見つかることになるのですが,その結果今では薬局になっているという(笑)そんなことはございませんが,しかし鬼熊酒屋といえば,現代の両国駅近くのハズ。結構距離ありますぜ。健康体ならともかく,病んだ体で何故ここまで歩いて来たのか・・・謎でございますね。

さて,ここからもほど近くの本性寺は秋山小兵衛の妻が眠るという設定の秋山家菩提寺です。
石柱に「秋山自雲」の名前が書かれていますが,秋山小兵衛の菩提寺にここを選んだのは,これを見たからなのでしょうか。あるいはここから「秋山」の名をとったのでしょうか。




小兵衛の妻を若き日に慕っていた剣友・嶋岡礼蔵も後年「剣の誓約」事件にて,ここに眠ることになります。
小兵衛は鐘ヶ淵からここまで墓参に来ては橋場の不二楼等で休んでいたのでしょう。その後初代隠宅が焼かれてから暫くは不二楼の離れに仮寓する時期がありますが,その間はこのあたりから大川を眺めることもしばしばだったのではなかろうかと思います。
しかし「ぢの神」って・・・(笑)


photo by 深川の棟梁さん
住宅地を進みます。先程の一方通行とは逆に北に向かう道路に沿って今戸神社があります。今戸神社は「剣客商売」にも「鬼平」にも登場しなかったと思いますが,ちょっと寄り道。なんでも「招き猫発祥の地」だそうで。
きれいな本殿正面には見事な(笑)招き猫が二匹ほど。こ
の今戸神社は「縁結び」の御利益もあるそうで,絵馬は「円」型。絵馬の内容は読むと怖くなるので,読まないように致しましょう(笑)リアルなんだもん。


←「勝利万歳!」ドイツ語でどうぞ。

作品中時々出てくる今戸橋は現在はありません。
山谷堀が埋め立てられてしまっていますので,古地図にある川を探しても見つかりませんが,公園といいますか,遊歩道のようになっていて,往時を偲べなくもない・・・かな。




かろうじて橋柱がぽつんと残り,昔ここに橋が架かっていたことを思い起こさせます。この山谷堀から舟で吉原の遊郭に遊びに行くなんて今は昔のお話。橋の大きさが残っている橋柱の通りとすれば,山谷堀の幅もこの公園の通り。ちょき舟がすれ違うに丁度くらいというところでしょうか。
ちなみに埋め立てられる前まであった隅田川に面した水門は,現在でも浅草スポーツセンター横のグラウンドに残っています。

待乳山聖天様です。昨年の屋形船見廻りの時にも寄りましたが,こんもりとした山になっていて境内には至る所に大根と巾着の模様が見られますね。
実際本殿を覗きますと大根がそのままの姿でお供えされています。待乳山聖天様ホームページよれば「大根は身体を丈夫にしていただき,良縁を成就し,夫婦仲良く末永く一家の和合を御加護頂ける功徳を表しています。巾着は財宝で商売繁盛を表し,聖天さまの信仰のご利益の大きいことを示されたものです。」なのだそうです。


 

photo by 深川の棟梁さん

この「良縁を成就」という点で「御利益があった」との報告も受けておりますぞ(笑)
「出会い系神社」にあやかりまして,せっかくですので今回も大根をお供え。本所のご隠居さんご提供でございます。代表して本殿に入ってにぎにぎしく大根を奉納したのは伊佐寅さん。

待乳山聖天様の浅草側,旧聖天町といえば,池波先生の生まれたところ。
ちょうど写真のあたりでしょうか。小兵衛は鐘ヶ淵の隠宅を「小雨坊」に焼かれた折に聖天町の棟梁に新居建設を依頼しますが,これは池波先生出身地ということで,何かヒントがあったのかも知れませんね。
先生は小さい頃をこの界隈で自由闊達に遊んでらっしゃったのでしょうか。剣客商売でも何度となく舞台となる山谷界隈は先生にとっても庭のようなものだったのかもしれませんね。

さて,歩きました〜。関屋駅からここまで一里半もありましたでしょうか,時間も三時間を経過しております。
言問通りに出て浅草寺に向かう我々の視線に入ってきた「長寿庵」の文字。いかん,まだ見廻りは途中なのに・・・つい吸い込まれるように長寿庵さんの中に入る一行。
いつもの見廻りでは,途中にお休み処があるのですが,今回は住宅街の中ばかりを歩きましたので,途中どこにも休めるような場所が無かったのでございます。
皆さんお疲れになったことでしょうというわけで,長寿庵さんの二階へ。完全貸切状態で冷えたビールを喉に流し込んだ瞬間の美味しさというのは・・・もうたまりません(笑)


photo by 伊佐寅さん
お役目から駆けつけて下さった京屋悟雀さんも合流頂き,冷えたビールに冷えた日本酒に。
テーブルには「板わさ」「味噌田楽」「刺身こんにゃく」「月見芋」などが並び,疲れた体を癒したのでございました。「月見芋」の味加減がまたいいんだわ。日本酒好きには泣かせる味。
あたしが締めのお蕎麦に選んだのは「鴨せいろ」でございます。いや〜さらっとしたお蕎麦が,しょっぱい鴨汁に最高でございます。鴨の脂とネギの風味が何とも言えない。

 

photo by 伊佐寅さん

はっ,そういえばお料理の写真が無い!欲求の赴くまま食べてしまい,写真を撮るのを忘れてしまった与力でございます。というわけでここの写真は冷静な(笑)伊佐寅さんご提供,有り難うございます。

再び言問通りに出ますと浅草寺の裏手へ。実はちょっと前まで「江戸の時間制度」が掲示板にて話題になっていたのですが,その折に出てきた「時間を知らせる鐘」が,浅草寺にまだ残っているのでございます。せっかくですので見に行ってみましょう。
浅草寺境内の東側にある弁天山(山って程でもありませんが・笑)の上に昭和25年に再建された鐘突堂があります。中に吊されている時鐘は元禄5年改鋳だそうで,現在も毎朝午前6時に時を知らせているとのこと。
このあたりを見廻った火盗改メも何度も聞いたであろう鐘が今でも残っているのでございますね。

時間もありましたし近くまで来たことですので,予定コースにはありませんでしたが,浅草の駒形堂に寄り道。
駒形橋に至る浅草通りと江戸通りをひっきりなしに行き交う車に紛れて,ひっそりと建っている感じです。馬頭観音が祀られているとのこと。
このすぐ近くに不二楼の長次とおもとが始めた「元長」なる小料理屋があったわけですが「無理矢理決めちゃえ」シリーズ最後の一軒はココ,駒形堂裏手の「むぎとろ」さんを「元長」に決定(笑)

さて,公式行事はここまで。薄暗くなりつつある浅草の町で数名の方はご帰宅,本当にお疲れさまでした。
残ったメンバーは今一度の「兎忠」を求めて池波先生もお好きだったという「松風」に向かいましたが,残念ながら混んでいて入店ならず。以前から何度か見廻りの非公式行事でも訪れてお気に入りのお店なのですが,非常に残念。
でもせっかくですので外観写真だけご披露しましょうか。いい店構えでございます。


photo by 伊佐寅さん
「松風」に振られちゃったからといってそのまま帰ったのでは「平成の火盗改メ」の名が廃ります(?)
一行は新仲見世から隅田川沿いに歩を取り,吾妻橋を渡ります。ちょうど水上バスが出航するところで,しばし橋の上から舟を眺めた後は,ご存じ「巨大ウ●コ」じゃなかった「黄金の火の玉」が乗っかったビルの下にある「東京地ビール」へ。
名代の「吾妻橋(アルト)」や「リバービア(ケルシュ)」など思い思いのビール片手に再び乾杯。冷えたビールに日本酒を追加注文したりで久々の「池波談義」「その他談義・笑」に花を咲かせたのでありました。

というわけで今回の見廻りも無事終了。ご案内頂いた「剣客商売スペシャリスト」の伊佐寅さんをはじめ,ご参加頂いた皆様のお陰で本当に楽しいひとときを過ごすことが出来ました。今回は結構な距離を歩きまして,正に「健脚商売」でございました。お疲れになったことと思いますが,また次の機会にお会いするのを楽しみにしております。本当に有り難うございました!