第25回鬼平ゆかりの地巡りツアー 【品川宿見廻り】 第2部


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江戸 【品川神社】

品川神社

再び孫四郎さんが民家の方に声を掛けて下さいまして,細川家の墓所を出ます。細道を第一京浜に出てしばし北上しますと,まもなく左手に石垣も立派な品川神社の鳥居が見えてきます。
趣としては木々が覆う崖に沿うように,周囲を石で固められ,ちょいとした山城の雰囲気も感じられなくもありません。正面の鳥居には何故か龍が巻き付いておりました。こんな鳥居は初めて,どういう意味があるんでしょうね。その鳥居の先は石段がずっと上まで続いておりまして,ここは気合一発(って言うほどのものではありません・笑)
品川神社の鳥居
この見事な龍にはどんな意味が・・・。
石段の途中には境内左手にある立派な富士塚への入口があります。ゴツゴツとした岩肌は富士の熔岩でしょうか,都内に何カ所もある富士塚の中でも,かなり規模が大きい印象です。
でもって,富士塚には境内からも登れますので,まずは石段を登りきりまして,すっきりと開けた境内へ。右手には立派な能舞台がありまして,正面に拝殿です。拝殿に詣でて喫煙所で一服しましたら(笑)奥にある板垣退助の墓碑を見に行きました。
板垣退助の墓碑拝殿の裏側をぐるりと廻ったところにあるのですが,それにしても驚くべきは「この神社のところだけが山になっている」ということ。板垣墓碑を見るためにはちょうど神社の外周をぐるりと巡る格好になるのですが,とにかく足下はすぐに崖になってまして,他の家々の屋根しか見えません。一体どうしてこういう地形になったものなんでしょうね。
ちなみに板垣墓碑の脇には佐藤栄作氏の書による,かの有名な「板垣死すとも自由は死せず」という碑も造られておりました。

さて,なんといっても品川神社で注目すべきは,前述の富士塚。境内のはじっこからちょいと登ってみることに致しましょう。富士塚は江戸府内にも何箇所かある,いわゆる富士信仰によるものですが,ここは規模はかなり大きめ。境内からですと数メートルしか登らないのですが,富士塚自体が石段の中腹から盛られてますので,第一京浜から見ますと頂上は15〜20メートルくらいになりそうな勢い。いや〜,足がすくみます(笑)
でも,この富士塚,作られたのは明治に入ってからのようでして,現在地に来たのは大正のこと。残念ながらお江戸の頃には無かったのでありますね。

品川神社の拝殿
品川神社の拝殿です。
富士塚
石段の中腹からも富士塚に登れます。
富士塚の上から
富士塚の上から第一京浜を見下ろす。コワイ。
集合写真
石段といえば久々の集合写真。約一名は合成(笑)

というわけで集合写真なんかも撮りつつ,再び石段を降りまして,ちょいと一休み。なんだかんだで2時間半くらいも歩きましたでしょうか,第一京浜を再び渡って京急新馬場商店街にある茶屋「ベローチェ」で一時休憩でございます。え?昼酒は無いのかって?まぁ今回はいいじゃありませんか,健全にお茶・珈琲で一服致しましょう。
実はお昼ゴハン抜きだった与力は「このまま兎忠に行ったんじゃあすぐに酔っ払っちまう」ということで軽くハムサンド。ベローチェのハムサンドって,結構美味しいのでございます。愛煙家連はここでニコチンも補給,約30分のお茶休憩をしましたら再び旧街道に戻ります。



鬼平 【荏原神社(貴船明神)】


新馬場商店街を抜けますと,再び旧東海道に出てきます。右に行けばすぐに目黒川にかかる品川橋。今でこそ目黒川はまっすぐ東へ伸びて江戸湾にそそいでおりますが,当時はこの品川橋あたりからぐぐっと曲がり北に向かって流れていたようでございます。品川橋は明治以降に八ツ山橋が出来るまで,東海道の中でも日本橋に次ぐ立派なものだったそうで,今でも橋のたもとに小さな庭園風の東屋があったりと,ちょっと雰囲気の良い造りになっていました。
現在の目黒川も東にもう少し行けば海になるのでございますが,橋から東を見たって海なんか見えるワケもなく,天王洲方面の立派な高層ビルが見えるだけ。逆に目黒方面を見てみますと桜の並木が続いておりまして,桜の季節であればこのあたりから目黒川のお花見を楽しめるのでございましょうが,ちょいと早すぎて残念。
その品川橋の手前,目黒川沿いの道を東へ歩けば,すぐにこんもりとした森に囲まれた荏原神社でございます。鳥居をくぐると左側の狛犬には「日本一美しい狛犬といはれています」なんて貼紙があったりしまして,うぅむ,たしかにかなり彫刻も細やかで子供が二匹まとわりついていて,ステキな狛犬であることは認めますが,日本一かどうかは・・・日本中の狛犬を見たワケではありませんので何ともいえません(笑)いずれにしても,もう少し掃除といいますか,きれいにしておいた方が宜しいかもしれません。
また,いわゆる東海七福神の恵比寿さまにあたるらしく,これまた立派な恵比寿さまの像が建てられておりました。ちゃんと手には釣竿を持ってらっしゃいます。実に福々しいお姿。
荏原神社
荏原神社はとても雰囲気が良いのです。

荏原神社の本殿
本殿もこまやかな造形が実に美しかったです。
日本一美しい狛犬
こちらは日本一美しいといはれている狛犬。

荏原神社の床下
井関録之助はここで昼寝してた?
この荏原神社,鬼平犯科帳では「貴船明神」として「乞食坊主」に登場しています。平蔵や左馬之助とは高杉道場の同門にして,その後「本門寺暮雪」等でも活躍する井関録之助のまことに情けない登場シーン(笑)の舞台でございますね。
物語では,お盗めの打ち合わせをしていた古河の富五郎の手下,鹿川の惣助と寝牛の鍋蔵。誰もいないであろう貴船神社の境内裏手ではあったのですが,実は社の床下には乞食坊主・井関録之助が昼寝を貪っていたのでございます。のっ誰も聞いていない筈の会話の途中,のそりと床下から出てきた録之助を見て二人の盗賊は真っ青になりました。
原作では
「品川宿のちょうどまん中,目黒川にかかった[中ノ橋]の南側で,宿をつらぬく東海道から右へはずれたところに貴船明神の社がある」「貴船明神の小さな社の裏手はこんもりとした松林で,北がわは目黒川の岸辺になっている」「貴船明神の社の縁の下へもぐりこみ,とろとろ昼寝をしたのである」「ねむりからさめたとき,社のすぐ下の川岸で男のはなし声がきこえた」(引用)と書かれていました。

お盗めの内容を聞かれてしまったと焦る二人の盗賊は,井関録之助殺害を企てますが失敗。更に香具師の元締・羽沢の嘉兵衛に頼んで菅野伊介を刺客として差し向けるものの,菅野伊介はあろうことか高杉道場における録之助の弟弟子。録之助は平蔵にこれらのことを告げ,火盗改メを助けて品川宿を歩き「吉野屋」の店先にいた寝牛の鍋蔵を発見。彼らのお盗め当日,見事古河の富五郎一味を捕縛するのでございました。



江戸 【品川宿本陣跡(聖蹟公園)】

荏原神社から再び旧東海道に戻りまして,街道を北上。山の手通りをすぎますと,すぐ右手に聖蹟公園があります。鈎型の敷地は一方が旧道,一方が山手通りに接する形になっておりまして,なかなかに広くきれいに整備されています。
でもってこの聖蹟公園が当時の品川宿本陣跡。江戸の頃には大名が宿泊したりする宿場の本陣だったところでございます。品川区教育委員会の説明書きによりますと
「東海道を行き来する参勤交代の諸大名や公家・門跡などの宿泊・休息所として大いににぎわったところである」「明治元年に明治天皇の行幸の際の行在所となったことに因み,聖蹟公園と命名されている」(引用)のだそうでございます。
このあたりからは街道の東側がゆるやかに低くなっておりまして,おそらく本陣の裏手あたりがもう海岸線あるいは砂浜だったのではないかと想像されます。本陣自体が海まで接していたかどうかはわかりませんが,公園の敷地の広さはある意味丁度小ぶりな建物が二つくらい建ってて丁度な感じですし,裏手から舟に乗れるようになっていても不思議はありません。イメージとしては公園がそのまま本陣,ってことで宜しいんじゃないでしょうかね。
品川宿本陣跡
旧道側から入ると奥が開けた公園になっています。



江戸 【虚空蔵尊(養願寺)】

虚空蔵尊(養願寺)
再び旧道を北上しますが,品川宿,油断して歩いてはいけません。
ふと左を見ると,なにやら怪しげな細道が・・・。吸い寄せられるように小路に入れば色あせたピンクの壁も見事なスナックや居酒屋「東片北(とうへんぼく)」「スナックあそこ」「心の旅路」「しない寿司」・・・ネーミングを見ているだけでクラクラしちゃいます(笑)
で,問題の小路を抜けますと右手に突如小ぶりなお寺が登場,東海七福神の布袋さま・虚空蔵尊(養願寺)でございます。ここに来たら「山門があって境内の奥に本堂があって」というベーシックなお寺の感覚は捨てましょう,細道とはいえ,いきなり道に面して(しかも斜めに)本堂です。境内と呼べるようなスペースはありません。一応「布袋さま」ではあるものの,何故か荏原神社にあったような石像もありませんで,その割には本堂は実に立派な建物でして・・・どうにも違和感たっぷりのお寺でございました。
ちなみにこの「めくるめく小路」に関しましては別項「品川宿昭和コレクション」にて詳細ご覧下さいませ。



江戸 【利田神社・鯨塚】


このあたりで旧東海道を少しはずれて海の方に歩いてみましょう。旧道からは一本東側の道路を北上しますと,右手にちょっと開けたところがありまして,奥には小さな鳥居と利田神社。
神社自体は小さなものなので,社殿の周囲はすぐに塀で囲まれてまして,妙に浮いた感じが致します。で,塀で囲まれたような拝殿があるにも関わらず社務所なんかはその塀の外。何とも不思議な作りでございます。そして拝殿から見て裏側にある社務所の前にあったのが,この神社の見どころ・鯨塚。この鯨塚には江戸時代に品川沖に迷い込んだクジラの骨が埋められているそうです。当時,鯨迷い込み事件は江戸中の評判になったようで,果ては浜離宮まで持ち込んで将軍家斉にも見せたのだとか。
東京港湾事務所さまのホームページには
「寛政10年(1798),江戸前の海にとんでもないものが現れました。クジラです。品川沖に現れた九間一尺(約16.7m)のクジラは,舟に乗った大勢の漁師に追い立てられて,天王洲(いまはモノレールの駅がある)と沖合を行きつ戻りつしたあげく浅瀬に打ち上げられて動けなくなってしまいます。」(引用)と書かれていました。
この由緒ある鯨塚,何故かどうにもいまひとつ重厚な感じがしないのは,ここが「品川ワンダーランド」だからでしょうか(笑)
利田神社の本殿
こちらが利田神社の本殿。
鯨塚
お江戸に紛れ込んだ鯨が眠っています。



江戸 【品川浦】

神社の裏手は間もなくいわゆる品川浦になっておりまして,地図で見ますと海から逆L字型に入り込んだ運河状の形をしています。でもって,これがちょいとスゴイ。風情としては,漁港でもなく,間違っても「マリーナ」と呼ぶようなものでもなく(笑)
何といいましょうか・・・とにかく南側に突きだした格好になっている入江の細さが,まずスゴイ。舟の縦列駐車といいますか,小さな船宿の乗り場になってはいるようなのですが,大小の釣舟,屋形船がぎっしり停泊中。水深もかなり浅そう,いったいどうやって入って来たものだか,どうやって出航するのだか,船頭さんの操鑑テクに脱帽。
入江深くクサビ型に引き込まれた船着場には波なんて全く届きません。周囲には錆びてまっ茶色になった鉄骨やらパイプやら太さもまちまちな杭やら,とにかくワケがわかりません。
その入江沿いに進めばその先は多少開けておりまして,こちらにも昔ながらの風情をたたえた遊漁船や屋形船の船着場が並んでおりました。建ち並ぶ建物はいずれも「昭和」を強く感じる風情たっぷり。いずれにしても当時の「海」がほんのかすかに今に伝えられている感だけはございます。古ぼけた桟橋は今にも底が抜けそう。
そしてぎっしり並んだ屋形船の向こうには超近代的といいますか,近未来的といいますか,品川駅東再開発エリアの光り輝く高層ビル郡。うーむ,このコントラストこそが「品川」の真髄なのでございましょうか。
品川浦


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