第23回鬼平ゆかりの地巡りツアー 【「谷中いろは茶屋」見廻り】


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鬼平 【天王寺】

天王寺
本行寺を出ますと,今度は谷中霊園に足を向けることに致します。いよいよ「いろは茶屋」も近い?
日暮里駅東側,JRの線路に沿った細道を歩きますと,これは与力が数時間前に新幹線で通ったばかりのところ。へぇ〜,こっちから見ると新幹線ってこんな風に見えるんだ。崖に沿って小路が続いておりますが,しばらく進むと道は右に折れまして,とんとんと坂を上がります。で,左手に天王寺。

天王寺はそもそも感応寺という名前でしたが,天保4年(1833年)に護国山天王寺と改称し現在に至っています。「谷中いろは茶屋」の物語は寛政3年(1791年)ですから,その当時はまだ感応寺だったということになります。つまり「谷中いろは茶屋」では,いろは茶屋を
「貞享の時代から谷中・天王寺門前にひらかれた遊所」(引用)とされていますが,厳密には年代的に「感応寺門前」ちゅうことになります。まぁ気にしない(笑)
しかも門はどうみてもコンクリート打ちっ放しの洒落たカフェバー風ですが,まぁ気にしない(笑)
門から一段低くなっている境内はきれいに整備されてまして,歴史あるお寺の風情というよりも町の公園といった趣。「なんかイメージと違うぞ」と思っていたところに伊佐寅さんの声。言ってみるとすぐ脇には古びた門も残されてまして,こっちの方がずっと「天王寺」という感じがします。でもちょっと「申し訳程度に残しました」という感がなくもなく・・・。
ん?気付けば本所のご隠居さんがお忙しいお役目の中を駆けつけて下さいました。え?酒くさい?・・・スミマセン・・・。



江戸 【谷中霊園・五重塔跡】

谷中霊園
桜の季節はさぞやキレイなのでしょう
天王寺の門の先にはすぐに谷中霊園が拡がります。谷中霊園はもともと天王寺と寛永寺の墓地だったわけですが,現在では区の管理化にあるのだとか。ここには著名人の墓碑も多々あるのですが,本日はまず五重塔跡へ行ってみることに致しましょう。

五重塔は,寛永21年(1645年)7月に落成し,明和9年(1772年)の大火で焼失,その後,天明8年(1788年)に再建がはじまり,寛政3年(1791年)10月23日に再び完成したものです。
先ほども書きましたが「谷中いろは茶屋」の物語は寛政3年(1791年),季節は原作に
「梅雨もあがった午後の夏空は」(引用)と書かれていますから,ちょうど「もうすぐ竣工」というあたりだったのでしょう。
忠吾のことですから,見廻り中には建設現場の職人達を冷やかして歩いたものではないでしょうか。

残念ながら再建された五重塔も昭和32年に再び焼失(無理心中の果てなのだとか)。 せっかく戦火を逃れて生き延びた天王寺の五重塔,本当に残念なことだと思います。
現在では児童公園みたいな感じになってまして,五重塔もへったくりもありません。
一応公園の奥にはここに五重塔があったことを示す碑と基礎と思しき石,説明看板がありまして,その下には健在だったころの2代目五重塔,燃え盛る五重塔,そして鎮火後の五重塔の写真が貼られてありました。物悲しいものがございます・・・。


五重塔跡2
五重塔跡1
Photo by 飯撮りの伊佐寅さん



鬼平 【いろは茶屋】

いろは茶屋1
このあたり,腰も抜けるいろは茶屋

五重塔跡から一本道を歩きますと,そのまま霊園の外に出ます。谷中霊園を背にしてちょっと広い道路に出ますが・・・古地図から考えますと,このあたりがちょうど「谷中・天王寺門前にひらかれた遊所」かと。
古地図にはもちろん「いろは茶屋」なんて書かれた区画は無いのですが,天王寺門前の「新茶屋町」と書かれているあたりにあたるのが,ちょうど谷中霊園の出口付近の一帯ではないかと思われます。これは目黒の彦十さんや谷中のうさぎさんによる検証でもそういうことになりますし,あたしが後で古地図と照らしてみても「たしかにこのあたり」という感じがします。
それにしても何の変哲もないところ(笑)
「いろは」という喫茶店でもあればいいのですが,あたりを見渡しても「コレ」というものもありません。まぁそんなわけで「このあたりで忠吾が汗にまみれていた」という感慨は各自にお任せ致しましょう(笑)
せっかくなのでこの道路を少し右手に歩いてみますと,あれ?いつの間にかさっき見た景色が・・・そう,この道は三崎坂の延長にあたる道なのでありました。つまり「いろは茶屋」は千駄木側から三崎坂をまっすぐに,鶯谷方面からは言問通りから上野桜木で右折したあたりに位置するのでございます。
いろは茶屋2
洒落たお店はありましたけど
Photo by みかさん




鬼平 【諏訪神社】

諏訪神社
つるべ落としに秋の日が暮れていく中,我々一行はちょこっと谷中霊園サイドに戻りまして,今度は細道を左へ。これがまた風情ある古い町家の並ぶ道を歩きますと,ちょうど「ろ組」の皆さんが訪れた朝倉彫塑館の裏手,そもそもの玄関が残されてありました。
更に北に歩きまして,諏訪神社に着く頃にはすっかりあたりは真っ暗。正面がちょうどY字になった感じの右手に大きな鳥居が闇に白く浮かび上がっておりまして,境内も真っ暗です。
またまた荒川区のホームページを見てみますと
「日暮里・谷中の総鎮守で,日暮里の高台の区内を一望にできるところにあり,東は筑波山,西は富士山が遠望できた。元久2年(1205年)豊島左衛門尉経泰が神殿を造営し鎮守として祀ったと伝えられる。」と書かれています。
いわゆる江戸名所図会にも遠く筑波山が描かれてまして,これは目黒の彦十さんのホームページで見ることが出来ますので,ご覧になってみて下さい。今でも筑波山,富士山が見えたりするものでしょうか・・・。

この諏訪神社,鬼平犯科帳にもちゃんと登場しています。「おしま金三郎」では「尾久のあたりの田地の道を歩み,道灌山から日暮里へ出た。これまでに何度も,茶店などで足をやすめてきた小柳安五郎だが,諏訪明神の境内にある茶店で腹ごしらえをしながら,あたりの様子に目を配ってみたが,尾行されている気配もない。」(引用)と書かれています。また「五月雨坊主」では「上野の山内から谷中・天王寺の西側をぬけ,まっすぐに進むと,日暮里の道灌山へ出る。その手前の諏訪明神の手前の細道を東に切れこんだ突当りに天徳寺が在った。」(引用)と書かれていますが,ちなみに古地図でそのあたりを探しても天徳寺なる寺は発見出来ませんでした。あたしの見落としかもしれませんので,ご存じの方がいらっしゃいましたら是非教えて下さいませ。
いずれにせよ
「谷中・天王寺の西側をぬけ,まっすぐに進むと,日暮里の道灌山へ出る。その手前の諏訪明神」(引用)は正に我々が通ってきたような感じのコースにはなりますね。
西日暮里駅
西日暮里駅は別世界のよう



江戸 【西日暮里公園・道灌山】

道灌山
このあたりが道灌山
諏訪神社の境内の奥はそのまま崖状になってまして,見下ろせば手が届きそうなほど近くに西日暮里駅のホーム。真っ暗な中にホームの放つ光が妙に郷愁そそります。お,よく見ると兎忠会場「和民」さんの看板も・・・。

しばし夜景を楽しんだら,間もなくの兎忠に向かって再び歩き始めます。駅に向かって歩くこと1分。正面に西日暮里公園。いわゆる道灌山と呼ばれていたのがこのあたりなのだとか。公園の中も真っ暗なのですが,ちょいとうろうろしてみますとここが道灌山だったことや,江戸時代には虫聴きの名所だったことが書かれた説明看板も建てられてありました。この日は既に日も暮れてちょいと暗くておっかない感じではありましたが,明るい時にもう少し公園内を散策してみるのも面白そうだと思います。
さて,ここでじゅうべいさん登場,一行打ち揃いまして公園脇の小路を西日暮里駅へと下りて行きましょう。



兎忠 【西日暮里で兎忠】

細い階段で西日暮里駅に来ますと,残念ながら兎忠にご参加出来ない数名の方とお別れし,今回の兎忠会場「和民・西日暮里店」さんに向かいます。「向かいます」といったって,本当に駅の目の前,真っ赤なお店の看板に吸い込まれるように和民さんに入りまして,どぉれと草鞋を解きます。ご一同揃ったところで今回最大の功労者・谷中のうさぎさんの御発声で乾杯!
今回もいつものように飲み放題,テーブルには軽いお通しも並んでおりますので,早速めいめい箸をとります。
あたしはまずはえびせんと豚の角煮。揚げ餃子も好きなんですよね〜,ううむ,いかん,幹事特権で自分の好きなものばかり・・・ではなくコースですので皆さん誤解無く(笑)鶏の唐揚げ(ネギソースかな?)が出てくる頃には目の前のグラスはビールから日本酒に・・・。
暖かいお豆腐も出てきて,これはタレが無くても大丈夫なくらいお味がしっかりしてました。和民さんって,こんな美味しいお店でしたっけ?(笑)これも皆さんと一緒に飲んでるからなのかなぁ。
兎忠1
さあサ,グイっといきましょう

お通し3点盛
お通し3点盛
Photo by 飯撮りの伊佐寅さん
豚肉味噌鍋
お鍋の美味しい季節になりましたなぁ
ビア樽?
樽でビール頼む輩まで・・・
Photo by 飯撮りの伊佐寅さん
その他諸々
鶏唐揚げネギソースに焼サバ寿司
うどん雑炊
最後はおうどんで締め
鍋に火が入れられますと,だんだんいい香りが・・・。お鍋はキムチも入った豚肉の味噌鍋。ちょっと辛目の味付けがお酒に合うのでございます。残った鍋にはうどんと卵を入れて雑炊風に。卵がとろとろしていて美味しい。もうすっかり今年も鍋の季節になったんですねぇ。本日のお料理,特別「大絶賛」というわけでもないのですが,味付けが結構ベーシックになっておりまして,それがかえって美味しく感じるのかもしれません。
おっと,気が付けば焼サバの押し寿司なんかも出てくるじゃあございませんか,油断出来ねぇ。
いつのまにやらビールは樽で出てきてるし(笑)この樽が冷えてて美味しいし・・・あれ?既にワインのデカンターまで・・・あたしはチビチビ冷酒だぁ。

そんなこんなで飲むこと食べること喋ること騒ぐこと2時間余り。今回も残念ながらお開きの時間となってしまいました。



兎忠 【やっぱり・・・】

どーも疲れが溜まっていたらしく(毎度の言い訳)兎忠途中からは記憶が徐々に失われていくのではありますが,一次会(昼酒をした方には二次会か?)でお帰りになる方とは残念ながら西日暮里駅でお別れ。
残った懲りない面々は金杉さんの先導で日暮里方面へ。ウラウラと夜道を歩く中で呼び込みのお兄さんと交渉して白木屋さんへ入ります。え?似たようなお店じゃないかって?いいんですよ,お酒が飲めれば(笑)
金杉さんの交渉も成立して,再び飲み放題におつまみもしっかり。和民さんであんなに飲んだというのに,いつのまにかテーブル上にはビール瓶が森のように林立。いったいどれだけ飲めば・・・。あたしは日本酒控えてグレーピフルーツサワーにチェンジ。グレープフルーツは体にいいんですって・・・って,結局アルコールなんですが(笑)
二次会2
ビールが,チューハイが・・・

二次会3サーモン
唯一覚えてるのがコレ
Photo by 飯撮りの伊佐寅さん
二次会1
話は尽きません



白木屋さんを出ますと,火照った顔にあたる初冬の空気が気持ちいいですね〜。 いつのまにか日暮里方面へ歩く数名の密偵達。「あっ」と気が付いたときには日暮里駅前の「酒蔵・豊田屋」さんの暖簾をくぐっておりました。うーむ「みちのく地酒各種」なんて書いてある・・・いかんなぁ,今日こそは「二軒で終わりにするぞ〜」と思っていたのに。
でも川越の旦那も言ってたじゃあありませんか,人間という生きものは,悪いことをしながら善いこともするし,善いことをしながら悪いこともするものです(笑)たまには(え?)無礼講で三次会,ご一緒下さった皆さん,まずはお許し下さいませ。
与力はその後コテコテにご機嫌のまま,鼻歌交じりに入谷の旅籠に向かったのでありました・・・。

というわけで,今回も多くの方と一緒に鬼平・お江戸・下町散策を楽しむことが出来ました。事前,そして当日ののコース立案・嘗役・お手引きを頂いた谷中のうさぎさんは勿論のこと,ご参加下さった皆さん全員のお陰でございます。本当に有り難うございました,毎度のことながら心から感謝申し上げたいと思います。
今回の見廻りはお天気にも恵まれまして,まさに「日暮(ひぐらし)の里」を実感しました。誰がつけたか日暮里,本当にステキな地名ですね。
見廻り途中では何組もの「他の見廻り」集団(散策のサークルでしょうか)を見ましたが,それだけ谷中という土地が多くの散歩好き人間に愛されている,そういうことなんだと思います。また是非見廻る機会を設けたいと思いました。

そういえば「谷中いろは茶屋」で,兇盗・墓火の秀五郎は谷中でのいそぎばたらきの後,奥州は仙台城下にて大掛かりなお盗めを計画していたのでした。墓火の秀五郎捕縛後,平蔵は佐嶋与力らを仙台に派遣し,墓火一味・天神の文治らを逮捕したのでしたね。翌日仙台に帰る与力はさしずめ「一味の捕縛に向かう佐嶋」ってぇとこでござんしょうか(笑)


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