第23回鬼平ゆかりの地巡りツアー 【「谷中いろは茶屋」見廻り】

「谷中いろは茶屋」見廻り


【地下鉄根津駅集合】〜【善光寺坂】〜【上聖寺・数珠店「油屋」】〜【一乗寺】〜【大名時計博物館】〜【へび道】〜【三崎坂・「いせ辰」さん】〜【観音寺・築地塀】〜【朝倉彫塑館】〜【宗林寺・蛍坂】〜【谷中銀座】〜【夕やけだんだん】〜【本行寺】〜【ちょこっと兎忠】〜【天王寺】〜【谷中霊園・五重塔跡】〜【いろは茶屋】〜【諏訪神社】〜【西日暮里公園・道灌山】〜【西日暮里で兎忠


谷中略図 平成16年11月20日

与力たきざわ,谷中のうさぎさん,土田謙之進忠友さん,立葵さん,四谷の孫四郎さん,成田屋お夏さん(兎忠合流),あきさん,仕立て屋雷蔵さん,お藤さん(兎忠不参加),じゅうべいさん(道灌山合流),上方小僧さん,ひつじぐもさん,入間川のしげさん,伏見屋おゆきさん(兎忠不参加),越南の龍さん,初音町のえんまさん(兎忠合流),京屋悟雀さん,悟雀ハニーさん,神楽純さん,金杉孝之介さん,みかさん,鶴間のもくさん,大川端の仁さん,目黒の彦十さん,飯撮りの伊佐寅さん(日暮里合流),本所のご隠居さん(谷中霊園合流), 千駄木の副長さん(スポット参戦),

平成16年11月20日,初冬の香り漂うとはいえいつもより暖かなお江戸でございます。何故か今年の見廻りは雨に祟られておりまして,前日までしっかり雨模様。予報でも「曇りのち晴れ」程度だったのですが,いやはやいざ集合時点に来た時には「見事!」というくらいの晴れ模様。今年最後の見廻り,絶好のお散歩日和にして下さったお天道様に感謝でございます。
さて,今回の見廻りは正午に地下鉄根津駅に集合。不忍通りと言問通りの交差点が見廻り出発点になります。谷中には70以上のお寺があるのだそうですが,鬼平の世界に思いを馳せながら,谷中の寺町をのんびり歩いてみようではありませんか。
テーマはあの名作「谷中いろは茶屋」(笑)
役宅での内勤職になっていた忠吾がガマンならずに清水門外を抜け出していろは茶屋に向かうコースです。役宅を出た忠吾は飯田町→外神田→湯島→不忍池の西側を根津へ→善光寺坂と通っていろは茶屋に向かいます。今回の集合地点はその根津から善光寺坂へ向かうポイントにあたるわけです。
ちなみに現代のコースにあてはめてみますと,九段下の役宅を抜け出して裏にある現在の首都高速高架下を北上,神田川にぶつかって右折し,川沿いに御茶ノ水へ。昌平橋を渡り,中央通りをまっすぐ北上。不忍池で左折して不忍通りを根津へ。根津の交差点で右折して言問通り・善光寺坂を鶯谷方面に向かい,一乗寺の先を左折したのではなかろうかと思います。

この色(紺色)の文字は,
原作「鬼平犯科帳」からの引用です。



鬼平 【善光寺坂】

善光寺坂
フツーの道です(笑)
というわけで,我々は火盗提灯をかざして一目散にいろは茶屋に向かう忠吾と根津の交差点で合流,一緒に善光寺坂を鶯谷方面へ登りたいと思います。
現在の善光寺坂はいわゆる「言問通り」というやつでして,いやもう完全に「普通の道路」ではあるのですが,途中には昔ながらの「いい感じ」なお煎餅屋さんがあったりして,早速「谷中」の空気をかすかに感じることが出来ます。・・・って正確にはまだ文京区根津なんですけど・・・。
交差点を二つくらい進みますと台東区に突入。

お煎餅屋さん
いい感じのお煎餅屋さん
善光寺坂2
善光寺坂を鶯谷方面から見下ろしてみます



鬼平 【上聖寺・数珠店「油屋」】

上聖寺
上聖寺。境内は決して広くないのですが・・・

でもって暫し歩くと左手に上聖寺です。道に面した門からはすぐに本堂がありまして,決して広い境内とは言えないのですが,なかなかに重厚な趣があります。上聖寺は寛永19年(1642年)の創建ですので,物語より約150年前ということになりますね。この建物がいつ建てられたものかはわかりませんが,本堂は正統派の造作でとてもきれいです。

「谷中いろは茶屋」の原作では
「数珠屋と坂道をへだてた真向いにある上聖寺」(引用)と書かれており「川越の旦那」こと墓火の秀五郎の盗人宿である数珠屋「油屋」は,この上聖寺の正面にあったということになります。で,現在の数珠屋を見てみますと・・・うーむ,あろうことか「上野消防署谷中分室」・・・。事件後火盗改メが買い取ったものか(笑)
古地図では「善光寺前町」と書かれてまして,原作の通り
「裏手は松平伊豆様の御下屋敷がぴったりくっついて」(引用)描かれています。
上野消防署谷中分室
盗人宿は今や火盗改メの分室に・・・

忠吾の目線
ドキドキしながら見張る忠吾の目線
事件当夜,一旦いろは茶屋近くまで行った忠吾は「浩妙寺」から賊が出てくるのを発見。その後一味の一人を尾行して,彼が数珠屋に入るところを見届けると,向かいの上聖寺に入り「門傍の土塀へ梯子をかけさせ,これにのぼって塀越しに数珠屋・油屋を見張ることにした」(引用)ということですから(現在の塀は普通の低いブロック塀になっちゃってますが)忠吾が見張った目線は左写真(←)みたいな感じになりましょうか。
それにしてもほとんど現場経験の無い忠吾,見事な抜かりない手配りは同心だった父・祖父のDNAを受け継いだのでございましょう。

そういえば数珠店油屋といえば,ちなみに「山吹屋お勝」で,霧の七郎が盗人宿にしていたのも「油屋」という数珠屋でした。なにかあるのかな?(笑)

ところで賊に襲われた「浩妙寺」ですが,古地図でも現在もちょっとそのお寺を見つけることが出来ませんでした。池波先生の創作なのかなぁ,もしご存知の方がいらっしゃいましたら教えて頂ければと思います。
「襲われた浩妙寺の評判は近辺でもよろしくない。和尚が金儲けに夢中で,ずいぶんとあくどいまねをしていたとか・・・」(引用)なんて書かれてますので,実在のお寺を出すのはまずかったのでしょうか(笑)



鬼平 【一乗寺】

一乗寺
一乗寺。門が迫力です。

上聖寺の少し先の左手には一乗寺があります。非常に立派な山門がありまして,堂々たる「一乗寺」の文字。中を覗くと結構広い境内のようで,上聖寺とは対照的な感じがします。
で,古地図では一乗寺の東側に小路がありますので,忠吾はこの道を通っていろは茶屋に向かったのだと思います。現在でも一乗寺の北東に沿って道がありまして,これが忠吾がワクワクドキドキしながら通った道にあたるものと思われます。
原作では
「一乗寺横の細い路が,これも茶屋町へ通じてい」「通いなれた善光寺坂をのぼりきり,一乗寺の横道へ入った」(引用)などと書かれています。
塀の感じは結構当時を彷彿とさせるかも・・・忠吾だけでなく,坊主連中もこの道を
「笠で顔をかくしもせず,白昼堂々女買いに出向」(引用)いていたものでしょうか。まったくもって,けしからん。
忠吾の通った道
忠吾が通った道



江戸 【大名時計博物館】

谷中の小路1
谷中の道はとても美しい
さて,こちらの見廻りは「いろは茶屋」に興味も無い健全なる一団でございますので(笑)善光寺坂を少し引き返して大名時計博物館に向かいます。
上聖寺の先,細い角を右に曲がり,またすぐ左の道へ。更に右に曲がって・・・うーむ,うさぎさんの手引きがなければ二度と来られないかも(笑)
その大名時計博物館は,陶芸家・故上口愚朗のコレクションが展示されている小さな博物館です。曲がり角に小さな看板がぽつんとあるだけでしたので,うっかり見逃してしまいそうですが,これがまた非常に風情ある外観なのです。
門を入ると中庭のようになっていて,何故か同じ敷地らしきところに普通の民家も。
縁側でお昼寝中だった黒柴にワンワン吠えられながら奥に進めば,その博物館がありました。

博物館といっても小さな公民館みたいな感じで,入口で靴を脱いで中に入ればたった一部屋の展示。といっても展示物の充実ぶりは相当のものがあります。
ご存知の通り,当時の日本はいわゆる「不定時法」でしたので,現在の時計や定時法を使っていた西洋の時計では使い物になりません。でもって日本の時計職人が苦労して作り上げた時計なのですが,なにしろ当時は大名かよほど裕福な商家でもなければ機械式の時計なんて買えません。いわゆる高級品ゆえに機能ももちろんですが,装飾も非常に美しいものが多いんですよね。正に工芸品です。館内にはそうした,日本独特の大名時計が色々と展示されていました。長谷川家や火盗改メにはこんな時計も無かったでしょうが,京極備前守邸あたりには置いてあったかもしれませんね。とはいえ館内撮影禁止ゆえ,中をご紹介出来ないのが残念。
しかし不定時法,いいなぁ・・・と思います(笑)夏は夏らしく,冬は冬らしく過ごす。暗くなったら夜,明るくなったら朝。夏の夜は短く,冬の夜は長い。この至極当たり前なことをベースにしている,非常に人間的なライフサイクルなのではないかと思うのでございます。もっとも暑い最中の方が昼間の労働時間が長くなるので・・・それはちょっときついかな(笑)
大名時計博物館
「鬼平」というよりも横溝あるいは乱歩?



江戸 【へび道】

貸本屋?
今年で取り壊しなのだそうです
見事な大名時計の数々を見学したら,再び谷中の細道を歩きます。
古い町家と比較的新しい町家が混在する風情ある道が続きます。少し北に歩けば「これぞ木造町屋の傑作」と言いたくなるようなステキなお宅があったり,へび道に繋がる道路の角には傾きかけた貸本屋さんがあったりしました。
さすがにお店は開いてないようで,建物も屋根がかなりゆがんで見えます。
今年で取り壊すそうなのですが「もったいない」と思ってしまうのは部外者だからのでしょう・・・。

その「へび道」ですが,谷中のうさぎさん情報によれば「宗林寺の池あたりを螢沢と呼び,藍染川(現在のへび道とよみせ通り)を蛍川と呼ぶ」とのこと。たしかに古地図を見ますと,現在のへび道・よみせ通りあたりに細い川が描かれています。古地図ではあまりくねくねした感じはありませんが,おそらく道は当時の川のまんまに作られているものと思います。
実際に歩いてみると,道は本当にくねくねと細い曲線を描いて,その両側にはぎっしりと民家が並んでいます。一区画先も見えない感じ。現代では川を埋めて道を作ったら,こうはしないでしょうね〜,本当に小川の流れるままに道を作り,家を建てた・・・という感じがします。住宅の密集度はかなり高いのですが,高層建築もありませんのでお日様の通りもよく,不思議なことに圧迫感もありません。この不思議な気持ちよさが谷中なのかなぁ。
しかし「へび道」とは巧い名称を考えたものですが,とにかく人一倍ヘビ嫌いの与力としては大変恐ろしい名前ですので,願わくば「ウナギ道」とかに改称してほしいところ・・・。
へび道
昔の小川のまんま道になっている感じ



江戸 【三崎坂・「いせ辰」さん】

三崎坂1
三崎坂を見上げてみます

へび道をしばし歩きますと,三崎坂にぶつかります。左に下れば間もなく千代田線千駄木駅。結構回り道しながら(笑)ちょうど一駅歩いた感じになります。千駄木駅から西側は団子坂,その反対側,日暮里方面が三崎坂です。まずは日暮里方面に坂を登ります。
しばし歩きますと,なんだか「いい感じ」の履物屋さんがありまして「いかにも谷中」を感じさせてくれます。こういうところが観光にはたまらない(笑)
そしてそのお店からすぐ先に,江戸千代紙で知られる「いせ辰」さんがありました。千駄木駅近くにもお店があったと思いますが,本店はこちら。創業は1864年とのことで,140年の歴史を誇る老舗ですね。いせ辰さんの千代紙やグッズ類は,あたしの住んでいる仙台のお店でも,よく見かけます。千代紙のきれいな文様はどんなものにも合いますからねぇ,小物類にはもってこいだと思います。というわけでしばしお買い物タイム。あたしも毎年使っている卓上カレンダーに干支飴(来年は年男の与力),さらには谷中の散策地図などを購入しました。
履物屋さん
ステキな履物屋さん

いせ辰さん
「いせ辰」さんは入口もきれいです。
いせ辰さん2
ディスプレイがまた,いいですね。
季節柄,来年の干支関連が目立ちました。
年賀状や日めくりカレンダーがジャパネスク。

三崎坂3
寺町っぽくなってきました
「いせ辰」さんでお買い物をすませたら,更に三崎坂を登ります。「これが小学校?」という谷中小学校の建物を過ぎますと,だんだん商店の数も減り,「いかにも寺町」っぽい色彩が濃くなってきました。
三崎坂は,いわゆる「首ふり坂」とイコールのようでして,谷中小学校の先にあった道標には
「『三崎』という地名の由来には諸説あるが,駒込・田端・谷中の三つの高台にちなむといわれる。安永2年(1773年)の『江戸志』によると,三崎坂の別名を『首ふり坂』といい,30年ほど以前,この坂の近所に首を振る僧侶がいたことにちなむという。」と書かれていました。他にも「坂が長くて読んだら振り向かなくちゃならない」とか,色んな説があるようです。
池波正太郎先生の作品でも「谷中・首ふり坂」というのがありますね。茶屋の女に入れあげちゃう物語ですが,うーむ,いろは茶屋ってそんなに魅力的なところだったんだ。
「一度,いろは茶屋へ足をふみこんだら,足がぬける前に腰がぬけてしまう」(引用)っていうんですから,まぁ魅力的だったんでしょう(笑)

三崎坂周辺にはステキなお店がたくさん

谷中カフェ?
Photo by みかさん


谷中カフェ?
Photo by みかさん


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