| 第19回鬼平ゆかりの地巡りツアー 【江戸城〜役宅見廻り】 第1部 |
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平成16年1月31日 与力たきざわ,本所のご隠居さん,飛び込みのおはるさん,仕立て屋雷蔵さん,入間川のしげさん,鶴間のもくさん,伏見屋おゆきさん,じゅうべいさん(途中合流),谷中のうさぎさん,虚言の木偶の坊さん(兎忠不参加),下野の巫女さん(兎忠不参加),立葵さん,千住の竹蔵さん,章奴さん,長屋の隠居さん(兎忠不参加),代々木のふみさん(兎忠不参加),京屋悟雀さん,悟雀ハニーさん,目黒の彦十さん,飯撮りの伊佐寅さん(途中合流),浮き雲のおかんさん(途中合流),おちょうさん,あきさん(途中合流),神楽純さん(途中合流),土田謙之進忠友さん,鱸とハゼ子さん(途中合流),ひつじぐもさん,高飛車の満之助さん,みかさん,やーまさん,らんぐ亭ぱろおるさん, |
| 【九段下集合】〜【俎板橋】〜【清水門外・役宅】〜【清水門】〜【<北の丸公園>近衛歩兵第一連隊跡記念碑〜国立近代美術館工芸館】〜【<皇居東御苑>北桔橋門〜天守台】〜【<皇居東御苑>石室〜富士見多聞〜松の大廊下跡〜富士見櫓】〜【<皇居東御苑>大番所〜百人番所〜二の丸庭園〜三の丸尚蔵館】〜【将門公首塚】〜【評定所跡】〜丸の内シャトルにて移動〜【南町奉行所跡】〜【警察博物館】〜【「がんこ」銀座一丁目店さんにて兎忠】 |
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平成16年最初の見廻りは畏れ多くも江戸城への潜入でございます。「鬼平」の時代はどう考えても火付盗賊改メの与力・同心や,ましてや密偵が気軽に入れるようなところでは無いのですが(笑)幸いにも時は平成16年。江戸城は北の丸公園や皇居東御苑として誰でも見学可能な場所になっているのでございます。ありがたいことでございます。 さて,1月末日の土曜日正午,とにかく真冬とは思えない見事に晴れ上がった最高の見廻り日和でございます。九段下交差点に集合した密偵は総勢22名(この後次々と8名の方々が合流下さるのでありますが)。 前回の見廻りが昨年の10月ですから,皆さん久々でございます。あいもかわらず洋服から着物まで,年令性別不問で集まった奇妙な一団。で,この集合場所なのですが,実は早くも「鬼平ゆかりの地」でして。第1巻の「老盗の夢」の中で,蓑火のおかしらが畜生盗めの外道3人を殺した場所がちょうどこのあたりではなかろうかと。原作では「九段坂を下りきって,濠端をちょいと右へ入ったところに葭簀張りの居酒屋」(引用)なんて書かれてます。でも,この事実,実は見廻りが終わったあとで気付いたんですわ(笑)皆さん大変失礼を致しました。 というわけで「普通に集合」した後は,目黒の彦十さんのお作り下さった班割表も配られますと,まずは交差点から靖国通りを神田方面に歩いてすぐのところにある俎板橋へ向かいます。 ※この色(紺色)の文字は,原作「鬼平犯科帳」からの引用です。 |
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【俎板橋】 |
![]() 首都高の影にひっそりと俎板橋 |
今では首都高速の高架下に日も当たらずに行き交う自家用駕籠を支えるのみとなってしまった俎板橋。 「鬼平犯科帳」では「五月雨坊主」にて「またしても,俎板橋のたもとに出ているだんご屋で,餡ころ餅をしこたま買いこみ,ふとんの中へもぐりこんで絵草紙でもめくりながら,むしゃむしゃと食っていたのであろう」「よ,よく御存知で・・・」(引用)なんて会話が平蔵と忠吾の間で交わされています。 この俎板橋のだんご屋さんについては,目黒の彦十さんのページ「鬼平犯科帳と江戸名所図会」でも解説されてますので,是非ご覧になってみて下さい。 他にも人気作品の一つである第2巻「谷中いろは茶屋」の中では,忠吾がどーしてもいろは茶屋に行きたくなって役宅を抜け出すところを「役所の北側の塀を乗り越え,堀川沿いの通路を走って飯田町へ出た」(引用)と描いています。ここに出てくる堀川にかかっているのが俎板橋。役宅から飯田町方向に向かったのであれば,まず間違いなくこの橋を通過していると思われます。 |
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ま,細かいことを言いますと,江戸名所図会で見ても古地図で見ても,そして現在の姿を見ても「北側の塀を乗り越え」ますと,川に落ちます(笑)川の南側には道が無かったのでございますが,まぁさすがに「用事が用事だけに」忠吾を正面の門から出すわけにはいかなかったのでしょう。 もっとも,具体的に登場するシーンの有無に関わらず,ここは清水門からもすぐ近く。役宅から見廻りに出掛ける多くの与力・同心がこの橋を渡ったのは間違いないところでしょう。なにせ現在の靖国通り。役宅から本所・深川方面に出掛けるにしても,上野方面に出掛けるにしても,数え切れないほど歩いた場所であることは想像に難くありませんね。 |
![]() 俎板橋から役宅方面を臨む |
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【清水門外・役宅】 |
![]() 清水門外の役宅は今や駐車場 |
というわけで我々も俎板橋を渡り,川沿いの道を歩きます。堀川に沿って歩くことしばし,最初の橋(ちなみに古地図では,この橋は存在しません)を右にわたると,清水門外の役宅のあった場所でございます。 小説の中で「清水門外の役宅」が長谷川平蔵率いる火付盗賊改メの本拠地として描かれていることは最早説明の必要もございませんですね。 この役宅が実在の場所と異なることについて,「江戸切絵図散歩」(新潮社)の中で池波先生は「私は(鬼平犯科帳)を書くとき,京都から江戸へ帰任した長谷川平蔵が,一時,目白台に屋敷をもらっていたので,どうも,小説の上から,これを役宅にしてしまうと不便なような気がして,清水御門外に(御用屋敷)と切絵図にあるのを利用させてもらい,ここへ役宅を置き,目白台の屋敷には,長男辰蔵を留守番をさせることにしたのだった。」(引用)と書いてらっしゃいます。 |
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一方「江戸古地図散歩」(平凡社コロナ・ブックス)でも,清水門から九段坂をのぞむ景観について「左側の蒼い水をたたえた濠と石垣と城門がかもし出す雰囲気は,初夏の夕闇が濃くなりかかるころ,このあたりを歩いていて,おもわず立ちどまり,ためいきがもれるほどに美しい。私の(鬼平犯科帳)の主人公で火付盗賊改方長官・長谷川平蔵の役宅を,この清水門外に設定したのも,このあたりの江戸城・内濠の景観が好きだったせいかも知れぬ。」(引用)との記述がありました。「こだわりのある,こだわらなさ」とでもいいましょうか,面白い話だと思います。 で,古地図を見てみますと,たしかに清水御門のほぼ正面に「御用屋敷」という文字が見て取れます。上記の記述を見ても,ココが池波先生の想定された「役宅」と考えて間違いないでしょう。現在の地図でみますと住所としては「千代田区九段南1-2」あたりになりましょうか。本当は「それらしい建物」の一つも建っているといいのですが,残念ながら現在では更地となって駐車場。 ちなみに平成12年6月に行ったときはこんな感じでございました。取り壊されちゃったんですね・・・。 |
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【北の丸公園・清水門】 |
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さて,清水門外の役宅を確認したあとは,いよいよ江戸城に潜入でございます。当時の密偵にはまず入ることなど出来なかったであろうエリアに突入でございます。 役宅からまっすぐ正面,清水御門でございます。右を見ると千代田区の建物があったりしますが,左を見れば延々続く石垣と陽光にきらめくお濠の水面。目を細めれば本当に江戸の空気が蘇るような景色です。前出「江戸古地図散歩」に書かれている景色を逆側から見ている格好です。たしかにちょっと立ち止まりたくなる風景ですよね。 清水御門は,いわゆる「門」が最初に一つ,そこを潜るとすぐに右折してもう一つ,更にそこからぐるりと左回りに坂を登るようになっています。こういう作りを実際に見て歩いてみると,いかに防御面を考えて作られているかが実感出来ます。ここが単なる住居ではなく軍事施設の「要塞」であることを改めて認識させられますね。 |
![]() 重厚な趣すら感じさせる清水門 |
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ぐるりと回って坂をあがると,正面に役宅のあったあたりがきれいに見通せます。左の白い建物が千代田区役所かな。それにしても重ね重ね現状更地なのが残念です。 おっとここで清水門に向かって駆けてくる着物姿の方が・・・やーまさんが合流下さいました。 ![]() 清水門内から役宅方面を臨む。御門正面の更地が役宅のハズ。 |
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【北の丸公園・近衛歩兵第一連隊跡記念碑〜国立近代美術館工芸館】 |
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さて,清水御門から階段を上っていけば広い公園が拓けて,右には吉田茂の銅像と日本武道館の屋根が見えてきます。この北の丸公園は国民公園として広く開放されていますが,実はあたしも歩いて入るのは初めて。 日本武道館や国立近代美術館工芸館,国立公文書館といった施設が有名ですが,まずはその豊かな樹木に驚かされます。東京のど真ん中にこれほど美しい公園が整備されているということ,まずそのことが大袈裟に言えば日本の誇りだと思います。 明治以降には近衛連隊の司令部等(あとで訪れますが,国立近代美術館工芸館が旧近衛師団司令部の建物),多くの陸軍施設があった場所ですが,今では本当に「いかにも公園!」という景色が広がっています。 まずは吉田茂の前を通って近衛歩兵第一連隊跡記念碑を見学。二連隊碑もあったのですが,なんだか似たような集団の方々が見学中でしたので(笑)そこはパスして我々は第一連隊を見学です。 |
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![]() 近衛歩兵第一連隊跡記念碑 |
全国近歩一会による説明看板には「近衛歩兵第一連隊は,日本陸軍最初の歩兵連隊として創設され,明治7年1月23日,明治天皇より軍旗を親授せられて以来,昭和20年大東亜戦争の終末に至るまで71年余りの間この地に駐屯して,日夜皇居の守護に任じ,大正天皇,今上天皇も皇太子であらせられたとき,それぞれ10年の長きに亘り御在隊遊ばされた名誉ある連体である。西南・日清・日露の各戦役及び日華事変には,軍に従って出征して輝かしい勲功を樹て,大東亜戦争に於いては,帝都防衛の一翼を担った。近衛兵には,毎年の徴兵検査で全国から厳選された優秀な壮丁を以って充てられていた。」(引用)と書かれています。但し書かれたのは昭和42年ですので,皇室に関する記述は当時のものとしてお読み下さいますよう。 近衛歩兵第一連隊跡記念碑を見た後は,公園を南へ。池があったり芝生が整備されていたりと,本当に気持ちの良いところです。 |
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北の丸公園の南端には見事な煉瓦造りの建物が残っていますが,ここが国立近代美術館工芸館になります。 もともとは近衛師団司令部だった建物。このあたりには近衛師団関係の建物がいくつもあったわけですが,残念ながら現在残っているのはこの工芸館のみということになろうかと思います。もとは明治43年に建てられたものとのことで,赤レンガの非常にきれいな建物。よく見れば通風孔に星型のデザインが施されていたりと,なかなかに凝ってます。時間も無いので中には入りませんでしたが,工業デザインを中心とした展示となっているようで,機会があったら個人的に見てみたいものだとは思いました。 建物の前に灰皿があったので,大喜びで一息入れていると,向こうから浪人姿の剣客風の男が・・・というわけでここでじゅうべいさん登場でございます。 |
![]() もとは近衛師団司令部。絵を描いている人がいましたね。 |
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【皇居東御苑・北桔橋門〜天守台】 |
![]() 天守台の跡・石垣が迫力です。 |
さて,赤レンガの工芸館を出ますと,北の丸公園もおしまい。出口から道を挟んだ正面には乾門が見えますが,ここから先には入れませんので,一旦道を左に下り,北桔橋門へ。 再びお濠を渡り北桔橋門から皇居東御苑の中に入ります。門の正面にはすぐに立派な石垣が目に入りますが,これこそが江戸城の天守閣のあったところ。北の丸公園に比べても「いかにも城内に入った!」という実感が湧いてきます。 江戸城の天守閣は明暦の大火により焼失してしまいますが,何故か再建されないままに明治維新を迎えてしまったようでございます。建物は焼失してしまってますが,立派な石垣が当時の天守閣を想像させてくれます。それにしてもとにかく整然と石が積まれた様に驚きます。不揃いの石を積み上げたのとは違って,多くの石がきれいに切りそろえられているようで,まるで巨大なレンガか,あるいはピラミッドのような感じがします。 |
![]() 天守閣が残っていたら・・・ |
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天守台は南側から登れるようになっていました。石垣の感じからすると当時とほぼ同じような形でのアプローチでしょうか,くねくねと曲がりながら登るのも防御のためかもしれません。天守台の上からは先ほど入ってきた北桔橋門から北の丸公園方面がきれいに見渡せます。で,北桔橋門をしばし見張っておりますと,なにやら怪しげな人物が城門を潜ってくるではありませんか。む?あれは土佐の坂本龍馬!桔梗の紋が染め抜かれた着物,袴の下には革のブーツ・・・「門番はナニをしておるのだ」と怒りに震えてよく見れば神楽教授(笑)の合流でございます。 この天守閣に続く南側の一角にあったのが本丸,そして「大奥」といわれています。そういや去年はフジテレビで「大奥」が放送されましたっけ。浅野ゆう子の迫力と池脇千鶴の素朴な演技がよかったわい,等と思いながら大奥のあったあたりを歩きます。といっても残念ながら何かしら「大奥らしい」跡が残っているわけではありませんで,広い芝生の中に艶やかな衣装を想像するしかないのですが・・・。 |
![]() この芝生のあたりが「大奥」だったんじゃないかな |
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