日本人になった祖先たち

篠田謙一:「日本人になった祖先たち−DNAから解明するその多元的構造−」、NHKブックス、'07を読む。誰だって自分のルーツには興味を持っている。家族、氏族、地域住民、日本人、人類、哺乳類、動物、生物、地球、太陽系、最後は宇宙。どれにでも関心がある。
最近では3/5 TBS-TVの「キヤノンスペシャル 古代発掘ミステリー 秘境アマゾン巨大文明?歴史が変わる第2弾!!!」で、ドイツ隊が、彼等のDNAが北弥生人に酷似していると云っていた。弥生人ではなくて、北ルートの縄文人だったら、もっと私の感覚にピッタリするのだがと思った。ブライアン・サイクス:「イヴの七人の娘たち」には、ちょっとだけ日本人の祖先に触れた項目がある。そこでは我々の祖先は、北アジア人の縄文人と朝鮮半島からの渡来人である弥生人となっている。サイクスの本は物語性のある面白い読み物であり、ミトコンドリアのD-ループのDNA解析を基本とする、説得力のある書物であったが、'01の翻訳だから現在はそれから6年だ。そろそろ知識をrefreshしていいころに本書に出会ったこととなる。
このHPの「県民性の日本地図」に酒に弱い(強い)人の地域分布と理由が示してある。本書はこの話をより科学的に説明してある。アセトアルデヒド分解酵素をコードする遺伝子がある。酒に弱い人は分解能のない酵素しか作れない変異遺伝子を持つ。その起源は現在は中国南部に住む人々の祖先だ。だからそこから遠離るほど酒に強い民族が住まいする。ヨーロッパ、アフリカ、南米、ミクロネシアなどの原住民は強いんだそうな。中国も南と北では大層差がある。日本人は世界一酒に弱い民族だ。ことに弥生人の進出度の強かった北九州から近畿を中心とする中央日本一帯はダメだそうだ。日本古代の稲作文明は中国の北部より南部に親近性を持つということとも符合する。ハテ弥生人は上海帰りであったのか。鹿児島県人とか東北人は酒に強いと一般に云われているが、熊襲とか蝦夷の血をが濃いということだろう。変異遺伝子分布は初めて聞く話であった。
方法論上でのサイクスの時代との差は、ミトコンドリア全塩基配列の解析に基づく研究が進んだことであろう。D-ループは遺伝的には意味のないコードだから、突然変異を受けてもそのまま伝わる。だから遺伝子コード部分よりは5-10倍も多くの突然変異が蓄積されている。遺伝子コード部分から割り出されるグループはハプログループというのだそうだが、D-ループでは、異なるハプログループに属する塩基配列同士が偶然同じものになることがあるそうだ。特に短い塩基配列を元に比較するとその傾向が強いという。ヨーロッパにはアジア系の民族も次々に移動してきた。しかしミトコンドリアには残るが、現地での混血は、少数派の形質を多数派の形質に作り替えてしまう。4-5代もすれば、全く多数派と同じ顔同じ皮膚色同じ身長になって行く。そこの言葉をはじめとする文化は征服民族のものが残る。文化人類民族学は基準とする物差しが大切だ。
解析は正確になったが、結論がサイクス本と大幅に変わったわけではない。新人のご先祖様はアフリカにいた。進化論のダーウィンが推測したとおりであった。彼は高等類人猿がアフリカに生息しているという事実から推論したと云うが、たいした眼力である。2万人ほどのグループだという。どんな方法でこの数字が出てくるのか興味深いが書いてない。出アフリカは2回あったという。東アフリカから、氷河期のために現代よりも70mも海面が下がったのを利用して紅海の南端を渉った。6-7万年前だ。まずはアジアへ出ていった150人ほどのグル−プ(ハプログループM)があった。この人数の推定理由も書いてない。次のグループ(ハプログループN)はアジアとヨーロッパに末裔が見出されている。新人は新天地で旧人と出会う。ところが例えばネアンデルタール人のDNAの痕跡は、ヨーロッパ人の誰も持っていない。共生期間は何万年にも及ぶのだから、遺伝学的に混血が不可能であったのだ。サイクスは、旧人と新人は馬とロバの関係ではなかったかと言っていた。
インドでは初期に南アジアに到達した人類集団が、他からの遺伝的な影響をあまり受けずに独自の集団を形成していったという。ヨーロッパと同系の語族だし、容貌もあちら風なのでついヨーロッパ人に近い人種と考え勝ちだが、ミトコンドリアDNA的にはアジア人なのだ。東アジアは東南アジア〜中国南部グループとバイカル湖を中心とした北アジアに分布するグループの2つに大別出来る。中間の中国は複雑で、漢民族集団の地域別の近縁関係は東西南北に数グループに大別出来る。文化的には一つの漢民族でも、人類学上はとても一つと言えないと云う。日本人は朝鮮人、北方漢民族(遼東半島、山東半島)に類縁性が認められる。
アメリカ大陸の先住民はベーリング海峡が陸橋で繋がっていた氷河期に続々北アジアから渉ってきた。アルタイ山脈・トゥヴァ・バイカル湖周辺と言ったモンゴルの北方に隣接する地帯に近縁関係がある。彼等は縄文人そっくりなのだ。オーストラリア、ニューギニアの先住民は、アフリカを出てからそう離れていない時代にその地に到達して以後、あまり混血せずに今日に至った。氷河期が終わると数々の海峡が生じて、往来を阻んだのであろう。インドシナ半島に至る最初の経路はインド回りらしい。でもインドはDNA種の独立性が高く、ヨーロッパのように怒濤のような民族大移動は起こらなかったと推定される。ヨーロッパに渡った人類は「イヴの七人(今なら12人という)の娘たち」のあとを継いで今日に至る。
日本人のミトコンドリアDNAデータは1000に達するという。世界の登録数が全部で3000ぐらいというから、驚くべき数字である。でも周辺のデータが貧弱だから折角の蓄積も祖先の追求にまだ力を発揮できていないようだ。学者も内弁慶にならずに外部に学問の輪を広げるべきである。HPの「日本人はるかな旅展」では、最初の日本人は、氷河期最後の頃に陸続きであった北の道を通ってやってきた、マンモスハンターたちであったとした。なにしろNHKの、北九州縄文人人骨のDNAが、バイカル湖のブリヤート人と酷似していると言う指摘は重かった。本書の著者は国立科学博物館所属である。「日本人はるかな旅展」には、国立科学博物館系研究者が人骨研究から南のルートを重視していることを記載している。
旅展の頃は、縄文人の南方起源説にはあまり賛成しなかった。石器に足跡は残るが、鹿児島沖の海底大噴火で移住民の重要部分が、ちょうど恐竜が巨大隕石の落下で消滅したように、根絶されたと思うからであった。だが脈々と、むしろ北の道より多くのDNA痕跡を現代に伝えている。(氷河期には今の大陸棚は陸地だった。でも沖縄県立博物館で見たように、南西諸島にはハブの北限にあたる島がある。太古から海が隔てていたのだろう。だからどうしても日本に渡るためには舟が要る。丸木舟を作る石器の広範囲の分布が南方縄文人渡来説の考古学上の有力な証拠であるとは、「日本人はるかな旅展」で知った。)
本書では現代日本人のDNAから、バイカル湖狩猟民の親戚は朝鮮半島経由であるらしいという。この特徴サブグループが表れる時期が、氷河期よりずっと後である。何度目かの縄文人渡来と云うことらしい。一方で、大陸棚の沖縄よりの位置から生じたとされるDNAサブグループM7aが南西諸島、日本、朝鮮のみの特徴的な広がりを持っている。このような南西諸島経由のDNA対し、陸続きであった頃に津軽海峡を歩いて渉ってきた、従って氷河期末期と思しき、特徴DNAの割合は低い。アイヌ人はこの北方渡来系縄文人の末裔だが、彼等にはオーツク文化人の特徴DNAをも見出せる。オーツク文化は時代が下がった日本の歴史時代まで続いた。別サブグループ化したのだ。現在では北中国、朝鮮、日本はD4を最大サブグループとしている。弥生期以降の流入源が黄海・東シナ海沿岸帯であったことを示す。
アジアの南と北ではハプログループが分かれる。その理由の一つにミトコンドリアのエネルギー発生率の差があるという。北の方が発生量が多いハプログループを持つ人の割合が多くなる。「寒がり屋」と「暑がり屋」が自然淘汰で南北に分かれて暮らしている。初めて聞いた知見であった。
Y染色体による父系の遡及は、ミトコンドリアによる母系の遡及に比して、研究には困難が多い。Y染色体は3000倍ものDNAを持つこと、化石から抽出して分析することが、今の技術では不可能なことなどが主な困難の理由である。でもサイクスの本の時代よりはデータの蓄積が進んだ。その結果大まかにはミトコンドリアDNAの結論を支持することが判った。日本人について云うと、最大グループが朝鮮半島や中国にも分布するO型で、サブグループ的には朝鮮+華北型が華北+華南型よりちょっと多いという分布だ。北あるいは南からの系統はややマイナーだが無視できない数字だ。
何とも理解しがたいのは、Dと言うハプログループで、日本近隣諸国ではチベット以外に見当たらないのだ。筆者は面白い話を出している。ジンギス・ハン由来のY染色体保有者は世界に1600万人を数えると。つまり男に関しては、征服側の遺伝子は一挙に爆発的に撒き散らされる。南米の先住民のミトコンドリアDNAおよびY染色体中に占めるヨーロッパ系の割合を見ると、後者の方が6-9倍に達するという。我が国では縄文人と弥生人は比較的平和理に融合したが、中国大平原では騒乱征服の繰り返しの内にDが減っていった。チベットにDが残ったのも穏和な社会であり続けられたからではないか。なんだかライオン(ハーレム型)とオシドリ(一夫一妻型)の差を見ているようだ。

('07/03/22)