武士の家計簿


磯田道史:「武士の家計簿−「加賀藩御算用者」の幕末維新−」、新潮新書、'03を読む。はしがきに著者が神田の古本屋で金沢藩猪山家の希有な古文書を入手する胸躍る瞬間を描いている。著者の胸の内に問題意識があったから目に留まったのである。その意味で立派である。歴史学は新資料に恵まれるかどうかが運不運の分かれ目だろう。著者は東京という資料集散の中心に住まいしたのも幸運を招いたようだ。私は最近日本の歴史的人口推移について2冊読んだが、磯田氏はその著者鬼頭速水の両氏と同じ慶応大の出身という。歴史計量学と言う表現があるのかどうか知らないが、彼らの、なんでも数量で把握しようとする姿勢は理系にとって馴染みやすい。
猪山家は代々が下士身分のいわゆるソロバン侍で、武士階級では卑しい職種と蔑まれる仕事をこなしていた。だがそれが幸いして、幕末維新の非常時には貴重な財務専門官として藩政府明治政府に重宝され、家系が栄えることとなる。天保14年では親子2人がともに藩に出仕している。武士社会で1家2人は異例である。軽輩ながら親が知行70石、子が切米40俵を貰い、おまけに要職手当のボーナスまで手に入れている。有能官吏タイプであることがあちこちに見える。銀で年3076.19匁の実収入があった。金沢は大坂経済圏で銀遣いだった。本書の表5に天保14年(1843)の家計収支が出ている。幕末のインフレは維新の10年前からだからまだ物価は安定していた。ただ閏年で、1年は13ヶ月であった。現代の1年より19日長い。明治7年孫の猪山成之は海軍省出納課長として年俸1235円を取っている。現代の3600万円だと著者は云う。
確かに過去の経済を身近に感じるには現代価格に換算する必要がある。同じ生活を今やればいかほどかかるか。これは存外に難しい作業である。著者は米価換算も挙げているが、説明は手間賃換算で通している。米価は結構詳しく調べられていて、貨幣博物館でも見たし、江戸東京博物館にもあったように思う。成書もあって私は「江戸の米屋」を読んだ。本書では現在1石=5万円としている。スーパーの米の価格は魚沼産のコシヒカリは別として、300-600円/kgで4.65-9.35万円/石である。741円/匁。米以外の食料では大根1本が昔10文、今100円前後、銀換算すると840円/匁。勤番侍・酒井伴四郎では鰯換算で11.2万円/両であったから、1500円/匁。今は100円/匹に値上がりしているから、2100円/匁。明治7年の米価では当時の1円が今の10000円だった。
手間賃換算で出てくるデータは大工の日当だけだ。筆者は天保14年に銀1匁=4000円とした。大工見習い当時1日2-3匁、今8-12千円が根拠らしい。貨幣博物館では大工3匁、文政年間漫録では5.4匁とある。筆者は5-6匁とした。平成15年の国土交通省の公共工事設計労務単価(大工)は18815円/日で、同じ公共工事でも都道府県の単価はその±20%位である。この労務単価は江戸時代に云う手間賃と内容が何処まで一致しているかよく分からないが、イコールだとしたら、1匁=3500±30%ぐらいなところと思われる。明治7年の大工日当換算では3万円/円だという。
大工だけでは心細いので、適当な人件費目を探してみた。医者、産婆、鍼、僧侶から宅配便まで色々考えたが、現代とはシステムも技術も異なり比較にならない。一つ、サービス費目に料理屋の仕出しがあった。人件費比較にはちょっと純粋ではないが、参考までに上げると、結婚披露宴では5.57匁/人を使った。今ならそこそこ豪華にやっても1.5-2万円/人ぐらいだから3000円/匁ちょっとの感覚だ。会葬料理は仕出し屋で4.57匁/人であった。
天保期には米価換算と手間賃換算の比率が1/4、明治7年では1/3、この比率は現代に近づくほど1に近くなる。昭和10-15年頃を見ると米価換算1800円/円、手間賃換算2500円/円で1/1.4である。手間賃換算は大工日当ではなく当時の新大卒初任給80円を取った。第234回歴博講演会で山本先生が紹介なさった話では、東京1日観光遊覧バスが女性ガイド付き昼飯なしで昭和10-12頃3.3円だったそうである。今なら同じ条件で6-7000円だから2000円/円ぐらいである。参考になるサービス費目である。
さて表5を現代価格に置き換えよう。大工日当で換算する費目は家族配分銀、家来給銀等、祝儀・交際費、儀礼行事入用、寺社祭祀費、医薬代、修繕費、輸送駄賃、その他とすると締めて1117.39匁x3500=391万円、米換算費目は米8石、油・炭・薪代、月々小遣い、付け払い、食品、用品で計1300.74匁x900=117万円。合わせて消費支出は508万円である。黒字は大工日当換算とすると75万円。合計可処分所得は583万円。BIGLOBEマネーには年収700万円の夫婦子供の4人家族の可処分所得が丁度このくらい(590万円)と載っている。'01年の世帯平均所得は602万円だから、並み以上の実質収入を得ていることが分かる。勤番侍・酒井伴四郎では30石取りの生活を年収260-270万円のサラリーマンとふんだ。酒井家の家計の評価は粗っぽかったから実際はもっと低めであったかもしれない。でも当たらずとも遠からずであった。
現代との生活の質の相違には驚かされる。単に和食と洋食の差を云っているのではない。著者が武士の身分費用と称している家来給銀等、祝儀・交際費、儀礼行事入用、寺社祭祀費の多さである。この家は小者に下女各1人を置く。50石取りの「たそがれ清兵衛」も小者1人を抱えていた。登城のとき荷持ちにつれて行く。ちょっと古いドラマで恐縮だが、島田正吾が主演したNHK金曜時代劇「十時半睡事件帖」の1つに小者志願の百姓が、仲違いをした武家の争いに巻き込まれて、危なく命を落としかける話があった。小者は基本的には戦闘要員なのである。いざというときには主人の先頭を駆けねばならぬのである。「半睡」が放映されたころは、身分と役割に関する常識が見る方に分かっていたから、そんなことを知らずにやって来た小者の滑稽さが聴視者に受けたのであろう。本書には小者の懐具合がしっかり書いてある。清兵衛家の小者はひどい待遇だったが、「半睡」に出てくるように、小者身分は総じて百姓にとってはいい小遣い稼ぎの場であったようだ。
全身分費用は消費支出の1/3に及ぶ。小者下女の費用はたいして大きくないが、かさばるのは例えば交際費。訪問だけでも年に86回もあり、来訪のときはおつきの小者にお駄賃15文を与えるのである。勿論それだけの出費では無かろう。町人身分との一番大きな違いはここだという。身分費用相当の交際費や冠婚葬祭費は今の我々にだって必要だが、費用は1桁は確実減っている。著者は身分費用が百姓、料理屋、社寺に還流して行く様を描写して、それがコントロール不能の出費としておいおいと身分利益を上回るようになり、幕末頃には武士階級を窮迫していたと述べている。

('03/06/21)