青べか物語


山本周五郎:「青べか物語」、新潮文庫、'64を読んだ。なぜ今頃この物語かは、浦安散歩に書いた通りである。漁師町としての浦安は今では郷土資料館と川沿いの町並みに面影を残すのみとなったが、盛時の町裏の人情話を周五郎が活写していると知ったからである。周五郎は大正から昭和にかけての3-4年をここで過ごした。小説家として駆け出しの頃であった。私の親が結婚生活をはじめた頃である。一通り読んで思い知ったのは、浦安が、親が示した社会通念とはあまりにもかけ離れた世界だと言うことだった。当時の日本は、今では信じられぬほどに、地方色豊かであったと云うことかもしれない。私の両親は丹波の山奥の出身である。
この町に住み着いたとたん筆者(先生)は爺さんにべか舟を1艘買わされる。べか舟とは一人乗りの平底舟で、貝や海苔取りに使われ、帆走も出来るようになっている。実物は郷土資料館で見たが、深川江戸資料館で見た猪牙舟と似たようなものだった。ただし猪牙にはべか舟のような帆桁がない。売りつけられたべか舟は青ペンキで側面を塗った太めの不格好なやつで、土地の小学生からもぶっくれ舟と軽蔑されている、もう何年も乗り手がないボロ舟である。爺さんは木訥な表情を作り、間合いを計り、狡猾に先生を罠にはめてゆく。先生は取材の下心があるから、後々の評判も考えたら無下に断れないでズルズルと引き込まれて行く。インテリぶりたい気持ちもマイナスに働くらしい。ここら辺の心理が上手に表現されていて健康な笑いを誘う。この青べかに乗っていると子供達が無遠慮にあざけりの言葉を投げかける。繋いでおくと投石の恰好の標的になる。先生の浦粕生活は散々のスタートである。
繁あねと言う少女乞食がいる。先生と知り合うまえの年に両親に捨てられた。父親は腕のいい漁師だった。捨てられた理由は深刻だが、ここでは省いておこう。「あね」が付くのは、コミュニティの一員であった証拠である。しかしもう誰も構おうとしない。子供達も悪罵の対象にすれ仲間にしない。それもそのはずである。躯はできものだらけで、胸のところは腫れ物の膿のため、着物がはりついて取れなくなっている。垢だらけで臭くて敵わぬ。小料理屋や洋食屋の裏に回ったり、墓場の供え物で生きている。夜は仕事小屋や物置小屋で寝ている。好戦的と書いてある。その理由の一つは、捨てられたときはまだ生後100日だったという赤子の妹を育てているためだろう。繁は数えで12-13歳だから小学校6年の年頃だ。身体に第二性徴が目立ち始めている。読んでやりきれぬ想いがする一章である。その内に「あね」でなくなり、「お繁」でもなくなり、ただの乞食として漁師町から排斥され、先ず妹からだろう、いずれ短い生涯を終えるであろうと思うと哀れで腹立たしい。
ごったくやとは普通名詞で、表は小料理屋を称しているが、メイン・ディッシュは女という淫売屋のことだそうだ。そこの女たちは海千山千を自慢にしているが、何処か抜けていて、いつも男に簡単に騙されてその境遇から這い上がれない。「ごったくや」の章では、札を見せびらかすよそ者を「合法的」に、小便も出ないほどに絞り上げる手練手管の話として出てくる。女達は勿論、女将から料理人まで、広義に解釈すれば巡査までが結託して、翌朝かもを震え上がらす様が軽妙な筆致で描いてある。文中先生の弁解じみたコメントはあるが、先生はその遊びを堪能しながら材料ノートを埋めていったらしい。「毒をのむと苦しい」の章は偽装心中の騙し合いっこの話で、まさに抱腹絶倒の漫才である。女が実は頭痛薬にメリケン粉を混ぜた催眠薬、男も負けずに重曹の催眠薬を用意して、仲良く飲んだあとの顛末である。役者は男の方が上だったが、最後にばれて、豚箱(留置所)と罰金が待っていたという。
留めさんの女房は八兵衛あがりである。八兵衛とは潮来あたりの遊郭の妓を指す。鹿島香取なんかへ参詣するときに、ゆきにしべえ(四兵衛)か帰りにしべえかっていうので、合わせて八兵衛というと解説してある。江戸時代のケンペルの旅日記を読むと、宿場には悪所がつきもののように書いてあるが、昭和の初めでも殆ど同じ環境であったのであろう。留めさんよりは10は年上で、玄人であった間に身請けする人も現れず、年期を最後まで勤めたという。実は夫婦約束をした男がいて、そこへ年季明けで荷物と共に転がり込んだら、待ってくれと言われ、馴染みであったお人好しの留めさんの処へ腰掛けのつもりで押し掛けた。だが、約束の男は彼女の荷物と共にほかの女とドロンしてしまった。女房の荒れぶりが紹介してある。「なげえことしょうばいをした躯だから、留めさん一人じゃ保たねえって、・・だれかれなしに引っ張り込むだよ、代わり番こだ、・・」と留めさんと同じ船会社の船員が語る。周囲にはかわいげがなく見境なく人に噛みつく嫌なやつと評価されているらしい。想像を絶する世界だが、何かペーソスを感じざるを得ない。
漁師町の東南には、百万坪という名の荒れた草地が広がっている。川獺や鼬が住んでいる。絶滅したニッポンカワウソが東京近郊に生息していたなんて信じられぬ話だ。狸も出るという。水路には鮒やカワエビ、やなぎ鮠(ハヤ)など豊富である。大潮のときは水際から4-5キロも沖まで水が退く遠浅地帯である。運がよいと鮭くらいの大きさの鱸(スズキ)を拾うことが出来る。汐が引いたときに海に戻れなかったドチ魚だ。なれた漁師や船頭は干潟へ月夜に魚を踏みに行く。足の下の影に魚が入ってくるので、踏みつけて捕まえるのである。たいていは鰈(カレイ)である。絶好の潮干狩場であるから始めての素人でもたっぷり貝の収穫がある。ただし養殖しているので代金が必要である。釣りに出ると黒鯛、鯊(ハゼ)、鯉などがお目当てになるらしい。どの話にも溜息が出る。今の東京湾と比較してなんたる別天地であったかと。
周五郎は「青べか物語」を小説と言っている。だが、原風景が浦安生活時代の材料ノートとスケッチ絵にあることは確実である。浦安が浦粕に、旧江戸川が根戸川にと言う風に固有名詞は架空の名前に代えられているが、中身は、これは誰の話と土地のものにはすぐ見当が付くルポルタージュ的な生々しい話のようだ。留さんとか、引用はしなかったが、長とかは何度も物語に顔を出すし作品発表後に会っているようだから、まずは忠実に描写されていると思ったらいいのだろう。だが、少女乞食繁あねの話は丹念に書き上げられているのにもかかわらず、その章以外には噂にも出てこない。繁あね自身は実在したのだろうが、かなりの創作と材料の合成が加えられていると思う。巻末に解説を書いた評論家はノン・フィクションに見せかけた精妙なフィクションで、周五郎風理想郷を浦安を借りて表現したと云った。
いずれにせよ、私にはまた一つ心の糧が増えたような気がした。

('03/05/28)