浦安散歩


漁師町であった頃の浦安の写真展が、浦安市郷土博物館で開かれているとポスターで知った。私は今までこの町とは全く縁がなかった。だが、ポスターの写真はなぜか懐かしかった。漁師の家に生まれたわけでもないし、水辺に住んだ経験も殆ど無いのにと不思議であった。小舟が犇めく運河の風景の絵に美術館で何度かお目にかかっているからだろうか。思い切ってこの町を訪れることにした。
昭和44年に地下鉄東西線が開通するまでは陸の孤島であったらしい。東京には舟で行ったという。旧江戸川の御蔭で海苔と内湾漁業が栄えたが、昭和30年代から海水汚染が激しくなり、ついに40年代に漁業権を放棄した。埋め立てで町の面積は4倍になり、人口は3村時代の6千人から14万人に増大した。新住民は多分ここをベッドタウンとしているのだろう。戦災も経験している。浦安市郷土博物館は昭和27年頃の漁業華やかなりし頃を中心に町と海を再現している。お目当ての企画展はプロの小泉某氏がその頃に撮影した写真の展示だそうだ。企画展の写真以外にも定点観察写真が張り出されたコーナーがある。変化がとりわけ激しい衛星都市を実感させられる。千葉県の最西部だが、ことに新住民にとっては県民意識より都民意識の方が高いだろう。
昼食に1Fのレストラン「すてんぱれ」であさりめし880円を食った。亀戸にあさり料理専門店「升本」(cf. うそかえ(鷽替え)ガラス工芸品)があって、私はそこが気に入っている。すてんぱれのあさり飯は1人用蒸籠に入って出てくる。道具立ては値段の割には凝っていると思った。だがあさりの味は浸みていなかった。このあと旧大塚家住宅を見学するのだが、そこには漁師の簡素な食事が模型で示されていた。麦飯にあさりの味噌汁である。貝の養殖が生計の一つの柱であった人々の生活が分かる。すてんぱれでは郷土料理と銘打ってあった。このすてんぱれは浦安弁の「すってん晴れ(快晴)」から来ているそうだ。館内に浦安弁を聴くコーナーがある。訛を殆ど理解できない。こんなに東京に近いのに独特の音韻方言を持っているのは、陸の孤島であった証拠なのだろう。
先日中川船番所資料館で見聞した知識で江戸時代を考えてみた。日本橋を出た成田詣での旅人は川舟で小名木川を東に進み、旧中川をよぎり船堀川を通って、旧江戸川を行徳に遡る。そこで舟を捨て1泊後陸路成田へ行くことになる。この航路は大江戸の台所を賄う重要な幹線運搬路だったから、舟の往来ははげしかったはずである。浦安は船堀川口から1kmほど下った位置だ。僅か幹線路から1km外れていたというだけで孤島化したとは現代人には理解できないことだ。その孤島の雰囲気が東西線開通の最近まで持ち続けられたのだから、土地の文化保存にとっては幸運な話である。
屋外展示場に板壁瓦葺きの木造家屋が並んでいる。平屋の三軒長屋だけは茅葺きである。水道も便所も共同利用で屋外に各1基設置されている。江戸東京博物館の江戸期の長屋模型そっくりでしかももう少し狭そうだった。この長屋はテレビ放送が始まる頃まで現役であった。天ぷら屋は山本周五郎:「青べか物語」に出てくる天鉄の再現なのだそうだ。昨年秋に恵比寿の東京都写真美術館で「四国霊場八十八ヶ所−空海と遍路文化展」と並んで「聴く、観る 山本周五郎の世界展」があった。それには浦安の写真もあったように思う。太宰の「津軽」のように「青べか物語」には周五郎が愛した風景が所狭しと並んでいるのであろう。と思って、私は帰途真っ直ぐに本屋に行きその本を買ったのである。掘割にベカ舟や帆の付いた打瀬船が並んで浮いている。全体としては境川川縁の雰囲気を出しているのだそうだ。江戸川増水でたちまち家屋が浸水する海抜ゼロメータ地帯である。旧大塚家住宅では浸水時には家財と人の避難場所として天井裏がすぐに利用できるようになっていたが宜なるかなであった。
焼玉エンジンの実演が始まった。焼玉エンジンは私の中学時代には教科書にも載っていた内燃機関で、軽重油による2サイクル・エンジンである。構造も取り扱いも簡単だから漁船用に重宝された。しかし実物を見るのは、ましてや運転状態で見るのは始めてであった。旧江戸川に沈んでいた漁船のエンジンに付いていたネームプレートを頼りに製作所を探り当て2年がかりで修理したという。製作担当者が生存していたのが幸運だった。エンジンは1基毎に作るオーダーメイドなので、製作担当者が見付からなければ不可能だったのかもしれないと云う。部品も1基毎で大変だったらしい。エンジンの頭をプロパンガスバーナーで先ず加熱する。あとはフライホイールの位置つまりピストンの位置と合わせながら、タイミングよく潤滑油入りの燃料を吹き込ませるのだ。エンジンはどっち向きに回転するか位置加減次第なので、反対回転した時は一旦止めてやり直す。しばらく黒煙を濛々と吐き、やがて白煙に変わった。
郷土博物館の隣にある中央図書館はこの人口にしては立派である。専門と一般を分けているのがよい。書架の分類と整理も行き届いているようだ。利用者数も職員数も多かった。2Fでは映画鑑賞会をやっていた。深作欣二監督松坂慶子主演の「蒲田行進曲」である。半時間ほど覗いてみた。ペーソスの混じったコメディを速いテンポで進めて行く。もう作れない日本映画である。境川に出てみた。今ではベカ舟など1艘も見えない。なにより川が水門で区切られている。高さ数mの護岸壁により町が水害から守られているのが分かる。
博物館で昔の繁華街がフラワー通りであると知ったのでそこを目指した。道幅が自動車1台分のなんと云うこともない通りだ。でも特徴がある。銭湯が短い距離に3軒もある。どれも和風の昔の作りだ。博物館の屋外展示場にも風呂屋が1軒表だけ見せていた。漁師は筋肉労働でしかも潮風に晒されるから、銭湯をしょっちゅう利用する、だから風呂屋が多いとは、その通りに面した旧宇田川家住宅の管理人の話である。今隣の銭湯が開いたばかりだから入ってみたらと奨められた。旧宇田川家住宅は明治初めの建物で当時の商家の見本だそうだ。瓦葺き2階建である。博物館のところで引用した旧大塚家住宅は境川に面して建てられている上級漁師の家で、屋外展示場の家々より少し大きかった。と言っても建坪30坪弱の平屋茅葺きである。通りには駄菓子屋、天ぷら・焼き鳥の店それから久しく見ない布団屋が店を開いていた。私以外にも観光客が2-3組歩いていた。

('03/04/17)