人口から読む日本の歴史


鬼頭宏:「人口から読む日本の歴史」、講談社学術文庫、'00を読んだ。著者は、以前読んだ「歴史人口学で見た日本」の著者・速水融先生の慶応大学時代のお弟子さんのようだ。表題は殆ど同じだが、説いている内容は師の冊子よりも広く深い。出版はこの文庫本の方が早い。14世紀のイスラムの学者は人口を文明と同意義に使っていると紹介している。それほどに人口と文明の関わり合いは密である。著者も云っているように、有史時代に入ってからの日本は、他文明域と人口上殆ど出入りがなかったから、人口と文明の関係を議論するには絶好の歴史環境であると言えるだろう。それに日本は統計数字も含めて歴史資料が希に見るほど豊富な国である。まだ若い学問らしいが、両氏はいいテーマを見付けたものだ。
「表1 日本列島の地域人口:縄文早期〜2100年」が人口推計の要旨である。8千年以上の昔、日本全体でたったの2万人であった人口が今や1.2億になり、それをピークに100年もすれば7千万を切る。その様子を年代を追い、地域ごとに数え上げてある。勿論本文には数値の信憑性や推算法についても議論してある。ただ惜しむらくは熟語について門外漢には不親切である。求め方ぐらい数式で示して欲しかった。死産児や間引き嬰児が平均寿命の計算に入ってくるのかどうかと言った定義もはっきりして欲しい。平均寿命=出生時平均余命という言葉からは前者は入っていないが、後者は入っているように思えるがどうだろう。しかし出生=出産になっている場合もあるので怪しい。ついでに。旧石器時代遺跡の捏造事件は'00/10のことだった。この冊子は’00/5が第1刷だが、買ったのは'02/3の第8刷である。相変わらず60万年以上昔から日本列島に人が住み着いていることになっているが、早々に改めて貰わねばならぬ。ただし、本の中身にはまったく影響はないと思われる。
「表22 文明システムの比較」が表1の歴史学への反映であろう。今までは文明システムの成熟化とともに人口停滞期がやってきた。その論法で行くなら現代は工業化システムの成熟期と言うことになる。過去の停滞期は次の大変化のための準備期間でその兆しが必ずある。これまでの大変化とは人口爆発であった。高齢化を上回る少子化と言う人口減少の傾向は、大袈裟に云えば、過去40億年の生命進化の歴史から離脱した社会の到来を告げようとしているかのように、私には感じられる。生命進化の歴史とは永遠の生命を願う種の保存本能である。今は、本書も指摘するような個々の利己勘定が、保存本能を上回りだしたと云うことである。
平均寿命は縄文時代にはなんと14.6歳と推計されるそうだ。乳幼児までで生命を終わる率が極端に高い。5割以上なのだ。人間の限界出生力(2年に1度)から換算すると、14.6歳は静止人口実現ギリギリの値だそうだ。女は産める年齢(23歳、生存率26%)になると産めるだけ生んで(7人)死ぬ。これでも楽観的な数字だそうだ。大人の死亡率は時代と共に改善された。しかし4-5歳までの死亡率は依然高いままだった。江戸時代の死産率は10-15%と言う。江戸後期で出生児の1歳未満死亡率が20%近い値で、あとはおいおい減少するが、出生児10人の内16歳まで生き延びたのは5-6人という。
河内の観心寺あたりを訪ねてサイクリングしたことがある。もう30年以上昔の話である。観心寺とは南北朝時代の後村上天皇の御陵のある由緒正しい古寺である。近所のお寺、多分延命寺だったと思う、に水子供養の石仏が多数参道脇に佇んでいた。以来水子供養に関心を持ち続けてきた。最近では下北半島の恐山に水子供養が多いのを見た。東北では間引きが多かったという。戦後になって近代医学の普及・発達で死産・夭折が著しく減少した。NHKテレビドラマの宮尾登美子原作「蔵」では、主人公・烈が9番目の子で、彼女の母はそれまでの8人をことごとく死産または夭逝させている。母の妹を烈の養育係に招く理由に、4歳までは油断が出来ないと言うセリフがある。大正から昭和初期にかけての話である。
下層農民の第三子以降の男女比は不自然である。男児が女児の倍に近い。上層農民に比べて、出産間隔もあとほど長くばらつきも大きくなるなどの不自然さが指摘される。子供数の制限、生み分け(男児選択)が行われている。堕胎や間引きは当時の統計資料には現れぬので学者の腕の見せ所である。堕胎は母体に危険であるから、実際は間引きが優先したらしい。水子地蔵奉納の一番の動機なのではないか。しかし、出生制限の幅広い実施は、生活水準の維持を可能にし、前近代経済成長を助け、1人あたり所得を引き上げることに成功させたと考えられる。それが19世紀後半に工業化の過程へ離陸するに際して、日本と中国の異なる歴史的運命を決定する重要な原因だったと指摘している。清、李朝朝鮮その他諸々のアジア諸国が近代化に立ち後れてしまったのは、基本的には彼ら自身の体制にあるとするのは当然である。
私がこの本を読んだ直接の動機は、歴史小説、時代小説の背景を少しでも現実に近い姿で想像したいからであった。18世紀前半では人口比で86-7%が農漁村民なのだが、小説の舞台は9割以上が都市部である。と言うことで都市のデータを探してみた。100万都市のお江戸は特殊な城下町で、町人よりもお武家の方が数が多く更に僧侶神官が庶民の1割以上いる。町民は狭い長屋にぎゅうぎゅう詰めで生活している。男/女の比率は不均衡で、後年には改善が見られたが、18世紀には1.8倍もあった。結婚も生活も困難で人口再生産力が弱く、地方農村からの人口流入がないと都会として成り立たなかった。大坂三郷は盛時で40万(町人)ぐらい。三郷とは北(大川(旧淀川)まで)、南(道頓堀まで)、天満(天神門前町、本願寺内町)を指すはずである。庶民の暮らしは江戸とそう変わらないようだ。町が詳述されているのはこの2大都会で、中小の都市がどうであったまでは記載されていないのは残念である。

('03/02/21)