三屋清左衛門残日録


藤沢周平の中編時代小説である。長く江戸屋敷で用人を務め、先代藩主の逝去に殉じて隠居し、故郷に戻った老人の日記からと言う形を取っている。残日録とは清左衛門みずからの命名である。「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」と言う意味だと本人は云う。周りは残り日を数えると理解するだろうと当人も思っている。隠居と言っても年齢は50代半ばで現代感覚で云えばまだ若い。藩侯家の家督相続を巡る争いを軸に、読み切りの小事件を重ねて行く。用人とは、会社組織で云えば東京本社常勤の取締役総務部長と言った役柄か。要職だったから引退後も利用価値があると周囲からは見なされている。本人も世俗事に引き込まれるのを嫌がっていない。
「勤めていたころは、朝目ざめたときにはもうその日の仕事をどうさばくか、その手順を考えるのに頭を痛めたのに、隠居してみると、朝の寝ざめの床の中で、先ずその日一日をどう過ごしたらいいかということから考えなければならなかった。」そうして「今は終日一人の客も来なかった。」作者はサラリーマン生活の中で定年を迎えた人ではないのに、よく引退生活者の身上を言い当てている。その空白感を埋める一つの手段として、主人公は日記をつけることにする。私も似たようなことをやっているから、ついつい引き込まれて最後まで読んでしまった。
どの藩だとは書いてない。藩の石高も記されていない。しかし江戸藩邸に均して350人いたと云うから雄藩である。忠臣蔵の赤穂藩は5万石余りで、その江戸屋敷は50人程度だったと思う。城下町から日帰りで磯釣りが出来、城の西に川がある。雪国で冬の寒さが厳しい。小料理屋の出す肴にマガレイ、ハタハタと北日本でしか獲れない魚が出てくる。ハタハタは日本海側で特に有名だ。私には佐竹家の秋田藩20万石あたりが想定されているように思えた。支藩に松原藩があり、隣国支藩狭沼藩に隣り合っている。だが多分どちらもその他の地名同様に架空のものであるらしい。
藤沢周平には「蝉しぐれ」という時代小説がある。そこでは、少年が父の処刑と言う逆境から郡奉行に出世するまでの出来事を経年的に追っかける。あれも東北の田舎であった。「用心棒日月抄」はお家騒動に巻き込まれた青年剣士の物語で、やっぱり東北の藩だった。藤沢は山形の出身である。
主人公は120石から出発し270石で隠居した。上士身分にまで出世したのである。彼の周辺は宮仕えの間に加増されたり減俸されたりで厳しい差がついて行く。剣道道場の朋友は150石が2回の減俸で25石に落とされた。別の朋輩は右筆で代々130石であったが父の代で80石になり、更に倅が重大なしくじりを犯し減俸お役ご免と云うところを、清左衛門のつてを辿ってうまく家老に取り入り、軽いお咎めにして貰う話が挿まれている。政変では大量の処分が家禄増減の形で出ている。先に弘前の武家屋敷を見学したとき、旧岩田家が300石から5両10人扶持(40石あまりに相当か)まで落とされたと聞いた。身分が固定している江戸時代でも、身分内は厳しい信賞必罰の世界であったと理解すべきなのか迷っていた。作者は肯定していると思った。
江戸時代のどこら当たりを舞台にしているのかもよく分からない。戦国の御代からは遠く隔たった、封建制度が確立した時代以降であることは間違いない。まだ明治の改革の足音も響いていない。藩財政が窮迫しているようでもない。江戸時代を通してお侍が一番輝いていた時期なのであろう。

('01/10/05)