深川佐賀町


佐賀町は大川東河畔永代橋北一帯である。深川江戸資料館は佐賀町江戸末期の町並みを再現した博物館である。当時の記録が残っていたのを足掛かりとしたという。その界隈はぎっしりと町民の家が詰まった市中である。表通りに商家、堀に面して船宿、空き地に茶店。
夏の風物詩の一つは麦湯(むぎゆ)売りである。麦湯は麦茶で、似たものにあられ湯と言うのもあったようである。置いてある屋台(担ぎ荷)をちょっと肩に掛けてみたが、結構重い。「御宿かわせみ」に娘二人が麦湯売りで登場する場面がある。薬研堀の長屋から柳橋の土手までであるから300mほどの距離であったろうが、随分と肩に食い込んだことだろう。ついでだが、使った湯飲みを井戸まで運んで洗う場面の描写がある。結構衛生観念が発達していたんだ。
あちこちの博物館を見て歩いたが、船宿を見たのは初めてであった。捕物帖に限らず江戸時代背景の小説には欠かせない舞台の一つである。堀に船着き場が作られていて猪牙が一艘繋がれている。船宿は数艘の猪牙、屋根舟あるいは屋台舟で経営していたと聞いた。長屋よりちょっと間口の広い程度の二階屋で二階を待合いに使うようだ。部屋数は上下に一室づつで意外にこじんまりしていた。台所に食器類と大きめの炊事道具それから酒樽醤油樽がある。舟内での飲食用だそうだ。
茶屋も初めてだった。全く小さな手あぶりと急須を茶碗と共に出す仕掛けらしい。手あぶりはたばこ盆を兼ねているのだろう。ドラマでは団子が添えて出されることが多いがこの資料館にはなかった。普通は出さないものか。もっともここのはよしずばりのごく簡素な茶屋だからかもしれない。恒久的施設に昇格したら団子があるのかもなどと考える。
資料館を出るとすぐ霊厳寺である。そこに松平定信の墓がある。墓地を取り囲む塀の内二面はどう見ても江戸時代のものである。昔の名は継承していてもコンクリート造りになった社寺ばっかりで、いささかうんざりしていた私はほっとした。ずいぶん背の高い土塀である。やはり「御宿かわせみ」のどこかに、川岸の町民が大火の折に逃げまどったあげく、大名屋敷の高い土塀に阻まれて焼け死ぬという話があったが、なるほどこの高さではとても乗り越えられぬし、乗り越えても中の警備の侍はどうしただろうかなど勝手に空想する。ただし物語の中には、佐賀町と名指ししてはなかったと記憶する。

('97/12/17)