冷戦の内が華


近大付属女子高で教師が生徒を殴った。殴られた子は死んだ。
この高校が進学校なのか落ちこぼれ校なのかお嬢ちゃん学校なのかさっぱり私は知らない。私立だから学校の維持改善に一際気を使っているだろう。それだけ管理側の締め付けも強いであろう。先生は本当に首を掛けてクラスの規律保持に当たらねばならぬ。一人でも 3 SIGMA から外れているのがいると、こりゃ大変である。ここまでは同業のよしみで理解できるし同情も申し上げる。しかし一発かましたとたん事態は急変した。その子は二度と立ち上がらなかった。熱心な教師が陥り易い罠かもしれぬ。我を忘れた。殴り慣れていないと手加減が分からない。相手が無抵抗だと安心して殴る方に集中して馬鹿力が入りやすい。制裁するぞするぞと脅すまではよいが、やってはいけない。腕力に勝っている方がさきに手を出してはならん。
原爆だってホロコーストだって日系人収容所だって南京大虐殺だってビルマ・タイ鉄道建設だって慰安婦だって皆その範ちゅうだと思う。熱い戦争になれば、狂気の渦巻くさなか人間はわが命わが民族の安泰のために何でもやる。悪のりして、それを理由に日頃のうっぷんを晴らそうとする。それが40億年生きてきた生命体の本質である。困ったことに知性が悪らつさを助長する。何百年かを掛けて融合し合い二次大戦で共通の敵と戦い一つの民族と見えたセルビアも唖然とする暇もない内に崩壊した。引き金を引いてしまえばお仕舞なのである。
原爆ケシカラン論そのほか色々聞くが、熱い戦争になってからの「許すまじ」にばかり力を入れては本質から目を奪う。二次大戦を起こした側の申し分、力で世界を植民地分割した列強が取り残した残りを、当時の論理−力だけが唯一の正義−で後発がかき集めに掛かって何が悪いに誰も答えていない。当時の論理では、植民地にされた諸国が恨まねばならぬ事実は、侵略を防ぐ力を蓄えれなかったことなのである。外国で泥棒にやられて警察にかけ込んだら隙を造るのが悪いとばかりに笑われたという話を聞いたことがある。今でもこの論理は欧米の底流を作っているようだ。
日本の過去に謝罪せよとあちこちが云う。現役で戦争を知っているのは村山首相クラスのほんの例外的人物で今を支える日本人は99.9%が戦争を知らない。その我々をいつまでも被告席に並べるよう要求する諸国には警告を出すべきではないか。ついでながらわが政府から戦争を知っている閣僚は遠慮して貰うよう提案したい。腐れ縁をいつまでも問われるからである。

('95/08/03)