地獄に仏


ユタ大学の二人の電気化学者がパラジウム電極に還元吸蔵された二重水素の核融合熱を検出し、それが電気分解に必要としたエネルギーの4倍になると発表したとき、世界のマスコミは一斉にこのニュースに飛びついた。
いくら金を掛けても次なる実験設備の壮大な設計図が出てくるだけで、それができても太陽の光を何秒も閉じこめてくれない。熱核融合発電など夢の又夢で永遠の無駄使いであるとやっと気が付きはじめた矢先なので、こんな誰でも作れる装置で大量の熱を引き出せるのなら、エネルギー問題に関しては地獄に仏である。
地震地獄に仏を見たい庶民の素朴な願望をいいことに、出来もせぬ予知研究に日本の研究費を吸い取っているのが東大地震研だと、阪神大震災の時に毒づいたら少々は反響があったので上枠の甲斐があったと喜んだ。地震予知もタラ話の連続でいつまで経っても切りがない。どだいファクターが地殻には多すぎるし、いくらがんばっても地震エネルギーの源たるプレートあたりまでの立体的な地殻地図など造りようがない。シミュレーションの精度を考えたら今の天気予報に近づくにはまだ千年も万年も必要なのではないか。プロジェクト的に取り上げるのはジシン(自信)が出来てからでよい。
ユタ大学からの発表は出だしから科学者の常識を破るものだった。研究仲間も知らぬピア・レビュー無しの新聞発表、再現できない実験、何よりも批判を受けたのは核融合に関する証明不足であった。大学当局は国立研究所設置に政治的に働きかけ、強いかん口令を敷いた。日本の脅威が秘密主義の理由に使われると云うおまけまであった。政治的理由付けに使われるときは大抵わが国は悪側である。
私が読んだ「常温核融合の真実」(J.R.オイジンガー,化学同人,1995)にはその顛末が500P.に余って詳細に書かれている。青木薫氏の訳は外国語を感じさせない名訳である。筆者は調査委員会委員長を勤めた人で、結果的には発熱を検知出きるほどの常温核融合はないと否定した。甲乙付け易い主題だったかも知れないが、明快な語り口で国家の明日に関わる重大な「発見」をよくも断罪したものだと感心した。日本だったら両論併記で終わるかも知れぬ。何しろ肯定側に回ったノーベル賞学者もいるし、常温核融合を可能とする超理論も幾通りも提出された中である。最終的には100件を越える是認的実験が発表されるほどの議論百出の事件であった。
一つ非常に耳痛い言葉がこの本の最後の方に出ている。日本では、常温核融合にきわめて懐疑的な科学者もその研究をしている科学者を公然と批判することは避けたがる。これは、正面切った対立を避ける日本の伝統のせいかも知れぬと。わが国も一つ「地震予知」を種に、重点研究として良いのか、普通研究にすべきか調査委員会を設けたらどうか。うやむやの内に議論もなく何となくムードでというのは危険なやり口である。今が、健康な常識を巨大応用科学に持ち込む機会と思う。

('95/07/31)