
- 民間なら係であるが、国立は掛である。この古色蒼然たる言葉を実は私は気に入っている。もっとも民間の組織上の最小単位としての係はとっくに消滅していて、今では課とか部が最小単位であるところが多い。その部や課も危なくなってプロジェクト・マネージャーなんて肩書きの名刺を頂戴することもしばしばである。民間では人的資源の有効利用のために無用の敷居を取り払い、臨機応変に人材を重点投入し、機会を失うまいと勤めている。
- だがお役人にはそんな気はさらさら無い。2ー3人で一人の掛長を頂いて日々是好日である。セクショナリズムは徹底したもので、隣の掛と隣の掛の調整はなんと判を貰わねば進めぬ民間人がやるのである。二つの掛の互いの話し合いによる調整など絶対にやらぬ。今はそれほどでもないにせよ、旧癖は省庁間の立て割行政にしっかり残っている。マルクスが云ったかどうかはしらんが、貰いは働きの量x質ならわが国の役人は今の1/4程度の給与にしても良いのではないか。趣味であちこちよく出かけるが、どの町に行っても最も瀟洒で豪勢な建物はお役所で、良く制御された快適な空間で上履きをパタパタ言わせながら行き来をし、私語に耽っているのを見ると「役人天国」と言う題で脚本を書きたくなる。
- ちょっと脱線が過ぎた。こんな話をするつもりではなかったが、先日貰った税金の明細を見て頭に血が上ってしまった。収入の一割弱が地方税だったからである。本題の挨拶掛とは体育の地方大会の挨拶担当の話である。いろんな競技があるから掛員は大勢必要で、口以外は役に立ちそうもない年寄りばかりを任命してきた。国体張りで総員の入場行進から始まる。寄せ集めのプラスバンドに合わせて行進、壇上の掛長にハイルヒットラーよろしく手を斜め45度に挙げる。掛長も慣れぬものだから帽子も被っていないのに敬礼をしている。こりゃ面白くなりそうだとこちらはゴルフハットのまま拍手した。
- このハイルヒットラーはけしからんと毒付いた団体があるそうだ。日教組青森である。ドイツ人に失礼であると言う。一体本物のハイルヒットラーを見た人が現役に一人でもおるのかしら。幽霊を見ているのではないか。私の感じる本質ではない。私の問題意識は、就職試験前になって挨拶の仕方を教えねばならぬほど基本の生活姿勢が出来ていない若者が多いことである。私らがこんな必要を感じないほど、礼の必要性を感得させてくれているのなら、ハイルヒットラー廃止に賛成申し上げるが、今の状態では廃止に反対申し上げる。
- 私の担当は一回きりとばかし思っていたら何回もある。監督主将審判を集めてまず一回、開始式に一回、終了式に一回。三回とも出ている奴がいるから同じ話は出来ない。そう思うとちょっとは組立を考えねばならぬ。云いたい話は最後の一言だけにした。負けて己を知った奴が大人になれると。ともかく目の前で私の教え子が優勝を決めたので当面ひどく幸せであった。もっとも全国大会目指して練習に入るとかで卒研は上がったりである。
('95/07/23)