
- 私が愛する村温泉でひょっこり狸に出会った。こんなに人里近い土地でも野生でおれるとは驚きである。近頃は狸汁なんて流行らぬから、猪とは違い人間とは共存できるのか。ところでタヌさんや。同じ食肉目の親類筋の話なんだからちょっと耳を貸しておくれ。犬と猫の話なんだ。
- 一時減っていた学内の野犬がまた目立ち始めた。昔闇市の時代には赤犬などおでんの材料として飛ぶように売れたそうだが、今は需要がないんだなア。ここ一月二月の間に新たに住み着いた野犬は飼い犬だったようだ。何という種類なのか知らぬが、中型以下で毛が長く、どこかの首相のように、目を覆い隠さんばかりに生え、町中では頭にリボンなどして貰って、マダムに連れられて散歩しているあの類である。人を恐れないし、鈍だし、しつけの一端を見せることがある。学校の工事現場事務所の残飯を目当てに昼正午頃になるとやってきて、残り飯を辛抱強く待つ。貰えるときはチンと座って待つ。うろうろしない。工事完了引き渡しが済んでそこは無人になった。でもやっぱり時間になるとやってきて人待ち顔である。だんだん意地汚い姿に落ちぶれるだろうが、今は端然としている。
- また一匹子犬が捨てられた。かなり育てられた後である。それがさっきの毛長にまつわりついて離れぬ。こっちはまったくの雑犬タイプである。無責任時代の象徴のような捨て犬どもを見て私は悲しい。私の通学路には大事に育てられているワン助も多いのに。その一匹のシベリア何とか言う目のきつい大型犬は、一人住まいはかわいそうと、何と犬の縫いぐるみを買い与えられている。簡単に動物を始末するなヨ。最後まで面倒を見てやれよ。どうにもならなくなったら自分の責任であの世へ引導を渡せ。つまり保健衛生所に連れて行け。自分に役立たなくなったら親でもこんな風に始末にするのがこんな連中なのだろう。
- 捨て猫は校内では目に入らない。学校とわが家の行き帰りによく出会う。こっちは生まれたときから知っている野猫で、なかなか逞しい。人のお情けなんぞ当てにしていない。親に習ってゴミ袋をかじり開け、いっぱい詰まった残飯を好きなだけ食って居る。成長も早くて、もうすぐ子供が産めるのではないかと思うほどの体付きになった。人には警戒心旺盛である。3ー4匹産まれたが、3匹は確実生き残った。生き残れるという意味では中途半端な飼い主の経験の無いこちらの方に明らかに分がある。それほどでもない中高年がリストらの対象になって、忠勤に励んだつもりだったのにと愚痴を云うのは毎度聞き飽きている。これからの飼い主は雇用もビジネスライクに処理するヨと野犬野猫を例に卒業前にいっぱつこいてみるか。私が云うよりもっと彼らはドライだろうが。
- タヌ公はゆっくり無言で姿を消した。あるいは野生の君の方がもっときびしい論理で生きているのだろう。
('95/06/10)