鎌倉の同窓会U

以下は「鎌倉の同窓会」の続きである。
建長寺に入る。仏殿の本尊が地蔵菩薩であるのが珍しい。寺域は元々は処刑場で、処刑された人たちを弔う地蔵がその地にあった。それでご本尊となった。地獄に仏の仏は地蔵を指すのかな。法堂は住職が須弥壇に立って説教をする場所だ。本尊を安置する仏殿よりも大きく取っているのが禅宗の心意気を示す。円覚寺の仏殿の天井にもあったが、この法堂の天井にも竜が描かれている。近年に描かれた5本指の竜だ。「なんでも鑑定団」からの知識で、清代までは5本指の竜は皇帝専用であったことを知っている。近年ではそんな遠慮は無用になったと言うことらしい。
トンネルを通って鎌倉八幡宮に至る。北の鳥居から社域に入る。ウノハナが固まって咲いている。ここの話題は倒壊したオオイチョウだ。元の位置に残った株から若木が無数に出ている。少し離れた位置に倒木の根元7-8m分を切り取って植え直している。こちらにも若木がわき出している。イチョウの細胞はすべてが万能幹細胞だと実感できる。大木であったことは分かるが、公暁が実朝を暗殺した時代はまだ身を隠すことができるほどの太さがあったとは思えない。ガイドさんとは源氏の池で分かれた。
宴会はたいそうな盛り上がりようであった。会次第は毎年のことなので一定しているからスムースに運ぶ。和室だが椅子席の宴会だった。正座不能の障害者がいるからだ。10品ほどの懐石料理コースでうまかった。味が濃いと思った品もあったが、関東だから仕方がない。宴会時間が2時間と限られているためもあってか、すこしお運びが早いように感じた。アルコール飲料はさすがに量が減った。遠慮のいらない利害関係のない仲間であるから本音が出やすい雰囲気にあるからでもあろうが、年とともに幼年少年時代にかえってゆく傾向があることも否めない。穏やかなのはより穏やかに、朗らかなのはより朗らかに、せっかちはますますせっかちに、のんびりはいよいよのんびりに、怒りっぽいはより怒りっぽくなって行くように思う。私は元々意志薄弱の傾向にあるから、より仏に近くなって行くように思う。これは自画自賛である。相棒と私はどうやら万年幹事になりそうな気配になっている。彼はあと1-2回で動きがとれなくなるよと囁く。そういえば、高校の同学年の同窓会は、毎年開催は本年で終わり、あとは同好会的に随時集まることになった。
翌日朝7時頃に海岸に散歩に出かけた。ホテルはオーシャン・ビューの利く位置にある。鳶が1羽電柱の頂部にあってヒーヨロロと鳴く。これ以外の鳥と言えばカラスと雀であった。海岸には漁船があってカラスが餌のおこぼれを狙っている。雑草ではヒルガオ、ヒルザキツキミソウ、特にアカバナユウゲショウとハマダイコンが珍しかった。私も海岸線に住むが、人工の浜には未だに咲いたのを見たことがない。岡山から来た友が言っていた。瀬戸内海の砂は白い。関東の砂は黒い。前者は花崗岩がソース、後者は火山がソースだからと。
ホテルの朝食は品数が多かった。9時までにチェックアウトし荷物を預けて朝のお寺詣りに出発。最初の寺は鎌倉大仏。朝から観光客で一杯だ。皆に胎内見学を勧めた。モミジの若葉が美しい。奈良の大仏とは対照的に建立の由緒とか創建時の伽藍内容とかが定かでない謎の多い大仏という。白昼の大仏は確かに美男におわす。回廊の外に与謝野晶子の句碑がある。「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」とある。若い頃の与謝野晶子の和歌は感性豊かで好きだ。鎌倉は道路幅が一般に狭く、人と自動車でごった返す。その道を長谷寺に取る。ヒメツルソバが門前に群生している。山際に陣取った小寺である。でも長谷観音は不相応に大きい。天平時代からの古刹という。建物に比して相対的に仏像が大きい点は奈良の古刹に似ている。輪蔵が解放されている。毎月18日だけ解放するという。チベット仏教寺院の映像でよく紹介されるように、このお経の詰まった輪蔵を1回転させるとお経を通して読んだのと同じ功徳があるというのだろう。ここの境内でもナンジャモンジャとウノハナが満開であった。ミツマタはもう終わっていた。
長谷寺から長谷駅に向かう道脇にバンマツリを見た。鎌倉のバンマツリはここだけであった。芳香が流れ思わず顔がそちらを向く。同じく芳香を放つジャスミンは鎌倉の方々にあった。クレマチスもあちこちにある。一旦ホテルに引き上げ荷物を持って江ノ電で稲村ヶ崎駅に行く。海岸にはちょっと風があって、帽子が飛びそうだった。やはりここらあたりも道路幅が狭い。岬の展望台から遠く江ノ島と対岸の中間に富士山が見えた。展望台には兄弟の銅像が建っている。ボート遭難の碑である。真冬に定員以上の12名を乗せたボートが転覆した。海軍まで動員して探索が行われた。小脇に弟を抱えたまま絶命した兄の遺体が上がり、世間の感動を呼んだ。私にも2人だけで水泳に行き、川の急流に流される弟を必死の思いで助けた経験がある。兄弟愛であったのか、義務感からであったか、性善説的行動だったのか、今となれば分からないが、とにかく自分の危険を顧みずに行動した。絶望的状況に陥ったボートの兄の気持ちが伝わってくる。
稲村ヶ崎駅から腰越駅まで乗る。相棒がそば処「川邊」に予約の電話を入れたが、満員で不可能という返事であった。ともかく店前に行き席が空くのを待つこととした。その間に近くの満福寺に出かけた。満福寺は義経が腰越状を書いた場所という。丘にへばりつくように建つ小寺で、山門に向かう石段の第1段が、江ノ電の踏切と重なるというせせこましい配置関係にある。戻ってきたらちょうどそば処の空席ができたというので皆が入室するところだった。要領がよいとパッシングを受けた。ビールと季節のそば料理「生しらすせいろ」を発注した。しらすとはこの時期に解禁になるカタクチイワシの稚魚で、七里ヶ浜の名物だという。普通のせいろそばのつゆに、生しらすを薬味の一つとして入れただけ。このあたりでは江ノ電は道路の中央を走る路面電車になっている。江の島駅で鎌倉に引き返すために皆と別れた。鎌倉でお土産の鳩サブレを買った。京葉線で5時前に我が家に戻った。

('10/05/22)