ヴェネツィア共和国の一千年W

塩野七生:「海の都の物語−ヴェネツィア共和国の一千年−4」、新潮文庫、'09を読む。
前半は大帝国トルコと都市海洋国家ヴェネツィアとの攻防を描く。トルコ民族は2大帝国に挟まれた草原地帯の民であった。2大帝国とはモンゴル帝国とビザンチン帝国である。より強大なモンゴル帝国の圧力をかわすために、必然的に衰退傾向著しい西側帝国の方に民族は移動する。黒海沿岸から今のトルコ一帯を版図とする勢いを示す頃になると、ヴェネツィアをはじめとするイタリアの通商国家との間に摩擦を生じる。私はオスマントルコの歴史をまともに勉強したことがないから、ヴェネツィア側から見た歴史小説とは云え、トルコの記事には興味深々だ。本書はトルコ側の調査にも意を注いだようだ。イスタンブールの海軍博物館見学記がある。でも満足できるほどの資料を収集出来なかったようだ。トルコに関する記事も主に西側文献に頼っていると思っていいのだろう。その点は要注意である。
私は昔から世界史的視点からの野蛮人の序列に興味を抱いている。事の起こりは、朝鮮人の対日感情の分析に、中国宮廷における倭人の地位を持ち出した議論を見たことであった。倭人は朝鮮人よりも序列の低い(野蛮な)民族として扱われていたと思う。千何百年もの昔の中国宮廷での扱いを、今に持ち込むなんて迷惑も甚だしいと思っていた。西側が見たトルコの野蛮度はどうだったか。小アジア一帯のイスラム圏に海賊行為を繰り返した十字軍時代は、西洋文献からでも、イスラム圏の方が文明度が高いと考えられてきた。
「行動の主導権を握った側は、常に非良識的に行動するものである」と当時のヴェネツィア外交官の報告書に残っているそうだ。広島、長崎原爆投下で市民虐殺をやっても、終戦を早めた分だけ日本人に貢献したという、アメリカの今日まで続く「正論」もこの類なのだろう。カトリック教徒国間の争いなら捕虜が残虐に首切られることもなく、身代金を払えば解放される「良識」が通用していた。彼らとて異教徒には冷酷だった。スルタンは輪をかけて残忍非道であり得た。外交官も命がけで、大使ですら気に染まぬ返事をしようものなら入牢だった。租界を作るヴェネツィア人も外交官と変わらぬ処分を受ける。スルタンが怒るとフィレンツェなど他のイタリア人も巻き添えを食った。要塞攻防戦で防衛軍側が首を切らない条件で降伏すると、胴体を生きたまま切ったそうだ。敗軍側の姿のよい若い女はハレム行き、その他の男女は奴隷、指揮官を含めて兵士は全員死刑。ペスト流行で都市人口が激減すると、穴埋めに全住民をその町に引っ越しさせる。
ヴェネツィア以外ではハンガリーとアルバニアがトルコの侵略に対し健闘した。当時はハンガリー領であったルーマニアのドラキュラ伯爵が、スルタンの通り道に串刺しのトルコ兵を並べたという逸話が伝わっている。どっちもどっちだ。西側の征服には順調だったトルコもティモールのモンゴル軍には大敗する。敗戦から立ち直るのに20年を要した。たぶんトルコ側文献であろうが、そのモンゴル軍の残忍さについて、「モンゴル軍の通過した後は、・・・、子供の泣く声も聴こえない。」とある。同じ著者の「ローマ人の物語」にローマ帝国から見た蛮族の記述に、フン族の残忍ぶりが際立つように書かれていた。草原の民は力だけに頼って生きていたのであろう。スラブ族もトルコ族には恐ろしい蛮族であったようだ。
アルバニアが陸軍大国トルコに対しとった戦法は山地のゲリラ戦であった。ヴェネツィアの援軍と言っても陸兵の数は知れている。10倍は超すトルコ軍を何度も撃退する。まるでユーゴスラビアがナチス・ドイツと戦った戦法そのままのようであった。チトー元帥に匹敵する英雄を出したのもアルバニア側に幸いした。彼の死後は要塞戦になる。スクターリをアルバニアはトルコ軍から3回にわたって守りきった。スクターリは現在のアルバニア北端の海岸よりの町であったらしい。インターネットでは検索できなかった。ヴェネツィアは16年に及ぶトルコとの戦闘を終結するときに、ヴェネツィアの生命線である交易航路と拠点の回復を条件にアルバニアをトルコに引き渡す。スクターリ市民はイタリアに全員が移住する。未だにアルバニア語に近い言葉を話す移民村があるという。西欧諸国は戦いはヴェネツィアとハンガリー、アルバニアに任せて高見の見物であったのに、キリスト教不倶戴天の敵との講和に対しては非難の大合唱を送った。
コンスタンチノープルの陥落は1453年である。トルコ陸軍は20倍からの兵力であった。海軍でもヴェネツィア−ビザンチン連合艦隊は1/4の艦船数だったが、海戦経験ではトルコを遙かに上回っていた。トルコはコンスタンチノープル郊外に要塞を築き、大型の攻城砲でもっとも弱い位置を破壊した。有名な船団の陸上輸送による海上封鎖の突破など、勝因はいろいろあるが、スルタン・マホメッド二世の断固たる決意が最後を決めたとある。敗戦の指揮官は打ち首がトルコ軍では普通の仕置きだったという。フェニキア出身のカルタゴの兵団がやはり同じルールで動いていたことを思い出す。小アジア以東には非情が当然という雰囲気だったようだ。東ローマ帝国のコンスタンチノープルを陥落させたのは同じキリスト教徒のヴェネツィア人だったから、文明は維持されたが、今回はそうはいかなかった。3-3/5万ほどに減っていた市民は根こそぎ消滅する。これからはイスラムの町イスタンブールなのである。ビザンチン帝国滅亡とともにイタリアに避難するギリシャ人も多かった。彼らの町が存在するという。ローマ帝国時代のギリシャ由来の町とは別にあるのだろう。
1481年にマホメッド二世が死ぬ。法王は神の恵みとキリストの敵の死を感謝するミサを開く。ヴェネツィアは20年の平和を享受できることとなった。
本書の後半はヴェネツィア共和国の新商売・観光旅行公社の事業案内である。海に浮かぶ都ヴェネツィアをたっぷり案内してから巡礼専用大型帆船でイェルサレムに行き、聖地拝礼で免罪を受け、同じコースをたどってヴェネツィアに戻るか、さらにシナイ半島とエジプトを経由してヴェネツィアに戻る。後者はオプショナル・ツアーである。私は中欧パックツアーに参加したことがあるが、添乗員の至れり尽くせりのサービスにほとほと感心した。当時の旅行記は数多く残っている。その一つ、ミラノのキャリア官僚の巡礼記が本書のネタだ。情報に疎く旅行経験皆無のツアー客に手取り足取り準備させ導いてゆく様は、日本の旅行会社も顔負けである。国は巡礼事業法なる法律を定め、船の食事から船医と武装兵の乗船、死去の場合の遺体処理、遺品返還、旅費返還まで規定していた。イギリス人フランス人ならマルセーユからの乗船の方がずっと有利なのに、ヴェネツィア・コースが定番だったのは、ヴェネツィア海軍の制海権、定期航路とこのような法整備があったからと言う。1480年の旅行だから、トルコとの講和が成立したものの、聖ヨハネ騎士団支配のロードス島では、まだ戦火が消えていなかった物騒な時代であった。ロードス島情報をクレタ島で聴いたツアー客60人の1/3は、旅を諦めて引き返す。
ツアー料金は100ドゥカートだが、さらに50ドゥカートを予備費に持参する。病気などの不時の出費に備えるためとある。中の上階級の年収が100ドゥカートの時代だ。今の日本の中の上の年収は900万円ぐらいだろう。世界一周のクルーズ船の船賃はこのクラスなら500万円。ただ世界一周は103日が標準だが、巡礼ツアーは少なくとも6ヶ月かかった。8割増しとすると900万円。だいたい一致する。予備費はカードでもってゆくから現代は安心だ。では1ドゥカードの現在価値はいくらか。慶長小判17.84g/両は高品位85-6%(残りは主に銀)で、江戸初期だから平均現代価値は20万円/両ほどだったろう。ドゥカード金貨は3.4909gで、さらに高品位の98.6%という。品位は似ているからその差は無視し、比較すると3.9万円/1ドゥカードになる。ヴェネツィア人の中の上の年収は390万円。江戸末期の禄高30石の下級武士の年収は190万円ほどだとかって結論づけたことがある(本HP:「勤番侍・酒井伴四郎」)。100石取りぐらいが中の上だからベネツィア人の中の上よりもちょっと上なのかと思った。
仏教大寺院には塔の礎石中央に仏舎利(仏骨)を入れた瑠璃容器が安置されている。でも骨以外の聖遺物は見たことがない。四国八十八カ所の巡礼を2回やった。空海の墳墓は高野山にある。しかし聖遺物はどの寺にも置かれていなかった。この巡礼記で驚くのは行く先々の聖遺物の多さである。キリストご本人、聖母、聖人と元の所有者も数多い。キリストに刺さったトゲという眉唾の聖遺物にさえ有り難がって拝礼している。それからなお不可解なのは参拝によって得られる免罪。重要聖遺物なら完全免罪、そうでない聖遺物なら7年4ヶ月の免罪。対象によって免罪に格差が付く点は分かる。でも巡礼を成し遂げたときに入手した数多くの「免罪」はどういう意味があるのか。罪1件に対し1免罪が必要なのだとすれば、意味が分かる。免罪とは罪を贖うことを赦すと言うような意味だろうから、完全免罪とは教会坊主に告白しただけで法の成敗を免れるという意味なのだろうか。極端な話が、10人殺しても10枚の完全免罪符を持っていたなら無罪放免か。中世西洋人の無知蒙昧ぶりとカトリック教の堕落ぶりは、まさに精神的野蛮社会を意味している。巡礼出発に際し、ビザ、パスポート以外に法王の聖地巡礼許可書が必要だった。これがないと聖地参拝による免罪が無効になる。全くばかばかしい話だ。
イェルサレムのアラブ人・イスラム教徒のキリスト観が出ている。キリストは預言者の一人という位置づけだ。マホメッドも預言者だから、イスラム教徒としてはキリストをそれ以上に奉ることは出来ない。イスラム教とキリスト教を同根視しているらしく、イエス生誕の洞窟を礼拝している。けっこう評価は的確である。

('09/08/12)