国分寺

歴史の時間に、東大寺が建造されたとき、国ごとに国分寺国分尼寺も建立されたと聞いた。そのときは急には信じ難かった。東大寺は遠足で親しんでいるが、国分寺国分尼寺は身の回りにはなかった。だから始めて国分寺の、習った通りの規模を想像させる大きな礎石を見たときは大層感激した。書紀の記事は正しいのだと。場所は千葉五井である。その近くでは当時国分尼寺の発掘中であった。
それから暇を見つけては国分寺国分尼寺遺跡を訪ねるようになった。この春休みに訪ねたのは備中国分寺である。峠を越えると五重塔を遠望できる吉備路はハイキングコースの白眉である。現在の建物はいずれも江戸に入ってからの再建である。遺跡の保存状態はよく、一帯を古墳その他の遺跡と共に風土記の丘として公園風に管理維持している。対岸の讃岐国分寺も保存状態の良い遺跡で、こちらは寺跡だけが公園になっている。僧坊の一部が再建されていて展示館になっている。焼失再建が繰り返されて今の国分寺があるのも備中とよく似ている。両地方だけでなく、国分寺は、宗派は変わって行くものの今日に生きた姿で伝わっている。これに反し、国分尼寺が今日に伝わった例をまだ見ないのは何故だろう。讃岐のそれは法華寺の名で残っているが、尼寺ではない。備中国分尼寺も礎石だけを残している。尼寺は遺跡すら一般に保存状態が悪いように思うが、ここは例外的にしっかり残っている。ずいぶん広大な敷地である。
わが国の地上の文化遺産は木造が多くて焼失し易い。燃えなければわが国は文化遺産に満ち溢れた文化大国だろうにとその点は残念である。城郭遺跡金属製遺物などを除けば権力構造に依存する遺産は殆ど残らない。権力移転と共に解体か焼失し再建されずに忘れ去られる。それに反して、信仰に基づく遺産は長寿命である。優れた遺産となるとほとんどが仏教関係である事が如実に示す。
考古化学と言う単語はなかったと思うが、今は化学特に分析化学は考古学に大層な貢献をしている。錆びたはい剣、冠の隠れた貴金属文字などはX線の好適の題材らしい。そこの考古館にも冠の金モールを浮かび上がらせた写真が張り出されていた。古絹のフィブロインの特徴解析から産地を推定する発表を高分子討論会で聞いたのは昨年であった。サリンで恐怖を味わい、金モールの写真に文化遺産への貢献を知る。化学も馬鹿とはさみの類である。



千葉みなと公園の蓮('97/07/31)

('95/04/17)