<都子基金>「設立の集い」報告


 2000年7月15日、立教大学のセントポールズ会館にて、〈都子基金〉の設立の集いを行ないました。関係者の方々へ集いの発送をしてから1ヶ月足らずと準備不足の感は否めませんでしたが、直前の新聞報道などの影響もあり、当日は多数の方々のご出席をいただきました。急なご案内で当日ご出席いただけなかった方も多かったのですが、ここに集いの概要をお知らせいたします。

開会の挨拶
基金の事業説明
大山友之氏挨拶
顧問の先生方のお話

宇都宮健児弁護士
川人博弁護士
ヨセフ飯田徳昭氏

講演「国際子ども権利センターの理念と活動」

国際子ども権利センター副代表 甲斐田万智子氏


会員の皆様,こんにちは


 〈都子基金〉は7月15日、都子さんのご両親様、関心を寄せて頂いた市民の皆様、3人の顧問の先生方、併せて約40名ご臨席の元、発足及び第1回事業実施の会をとり行う事が出来ました。
〈都子基金〉成立のきっかけは、1996年春に都子さんの大学時代の友人が集まり、都子さんご一家の追悼会を立教大学のチャペルで開催したことにあります。その折りの寄付残金を、いつか都子さんという私達の大切で忘れがたい友人の存在の証しとして、記念となるものに使いたいと追悼会のメンバーが希望していた事をご両親が覚えていて下さったのです。
 都子さんは、たとえ立場が違い国が違っても、人々が一緒に生きる事ができる社会の実現を願っていました。夫、堤さんの夢も同じだった事でしょう。〈都子基金〉は大変小さな力なのですが、現在の矛盾や葛藤に満ちたこの時代に生きる人々にとって、何がしかの心の伝達となるような会になっていく事ができたらと願います。皆様のご声援を頂きながら進む事が出来ましたら幸いに存じます。


〈都子基金〉代表  逸見登久恵


基金の事業について


 私は立教大学で都子さんとワークキャンプや「結」(ゆい)という読書会の活動を共にした仲間で、2年先輩にあたります。
 都子さんは、堤さんとともに不正や非人間的な行為を憎み、社会的な正義の実現のために実践をした人でした。〈都子基金〉の目的は、志なかばで倒れた都子さんの生き方と人柄を伝えること、そしてこの活動を通じて、新しい人と人との結びつきを実現することと考えています。
 基金の原資は、都子さんのご両親である大山さんから託された1000万円で、オウムの破産管財人からの分配金の一部です。基金では都子さんの「命の値段」ともいえるこのお金をもとに、次の事業を進めていきます。
 第一は事件に関することや、人権をテーマにした公開講座の実施です。第二は、アジアの子どもたちへの支援活動です。基金の最初の事業として、アジアの児童労働に取り組むNGOへ寄付することを、発足の集いでもご報告しました。詳しくは紙面をご参照下さい。第三は犯罪被害者への支援活動、第四は、都子さんの人柄を伝えるための遺稿集・ビデオ等の作成です。これらの趣旨に賛同する方に会員となっていただき、基金を支えてほしいと考えています。


〈都子基金〉事務局長:人見江一


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分身の〈都子基金〉     大山友之さん(都子さんのお父様)


 本日は、暑い中そしてお忙しいところ、この都子基金の発足の会においで頂き有難うございました。
 もうすでに10年という年月を過ごしてきましたが、皆さん方に支えられながら今日を迎えることができたと思っております。
 都子は高校生のころから社会のひずみの中で苦しんでいる方、あるいは体に障害を持って苦しんでいる方、そういう方たちと、同じ立場にたって考えたいと思い、懸命に努力してきました。このような事件に遭わずに、あの家族が社会で10年間暮らしていたならば、もっともっとその思いを実際のものに近づけるような努力をしてきたのではないかと思っております。
 残念なことに、この事件での麻原はやはり「障害者」です。障害を持つ人と一緒に力を合わせてと願っていた家族が「障害者」によって命を絶たれると思うと、本当にはらわたが絶ちきれるような思いです。
 今回、<都子基金>という形で発足しますが、私たちには都子の分身であると考えております。もし都子たちが元気でいたならば、実際の活動の中で、障害者あるいは少年の人権を守るために努力をしてきたと思います。今私たちがあの子たちにやってあげられることは家族の分身となってしまった配当金に頼らざるを得ないのではないかと考えております。
 都子は、この立教大学に入ってお会いできた学友、先輩、そうした人たちに囲まれ、すばらしい青春を送ることができた、その中で学ぶことも沢山あったと思います。私個人では、この配当金をどのように扱っていいのか全く見当のつかない状態でしたが、そうした仲間たちの考えによって、都子たちの思いというものを実現させていただければと考えたわけです。本当に今日このような会が立ち上がれたということに、私たちとしても救われる思いです。
 額が少なくていつまでやれるかという心配もありますが、とにかく私たちとしても、この会の発展を、活動に意義があるように、努力していきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。

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顧問・宇都宮健児弁護士


プロフィール

1946年生まれ
1971年弁護士登録(東京弁護士会所属) 
1983年宇都宮法律事務所開設
1993年東京市民法律事務所へ名称変更 
現在地下鉄サリン事件被害対策弁護団団長として、また、非弁提携弁護士対策本部副本部長、司法改革推進センター委員、KKC被害対策弁護団団長、和牛預託商法被害対策弁護団連絡会議代表としても活躍中
著書:「サラ金地獄からの脱出法」(自由国民社)、「正しい弁護士の選びかた・活用法」(ぴいぷる社)、他

暴力的な取り立てにもテキパキと

 都子さんには1984年の4月から4年間私の事務所に勤めていただきました。実は私は坂本提君を学生のころからよく知っていたので、この基金の顧問をお願いされたときはすぐにお引き受けしました。
 昨年、商工ローン・日栄の「腎臓売れ、肝臓売れ、面玉売れ」という暴力的な取り立ての報道がありましたが、都子さんが入ってこられた当時は、サラ金(消費者金融)があの日栄のような取り立てを日常的に行っていました。その1年前に私が独立した時に採用した女性は、一週間で、こんな電話には耐えらない、事務所を辞めたいという、そんなひどい状況の中で都子さんが入られました。暴力的な取り立てに追われて、自殺や夜逃げに追いこまれる被害者の救済活動も行ってもらいました。その翌年には豊田商事事件という、被害者が3万人、被害金額が約2千億円という詐欺商法に多くのお年寄りが虎の子の財産を騙し取られる事件が起こりました。その豊田商事の破産管財人をバックアップする活動も行いましたが、大量のサラ金の被害者が来る、豊田商事事件の問い合わせや相談が来る、その真っ只中で都子さんにはフル回転してもらいました。暴力的な取り立てをするような業者に対してもテキパキと対応し、外見は非常に柔和な方ですが、芯はしっかりした方だと思っております。
 他にも、中国帰国者の方に日本語を教えるようなボランティア活動もやられ、また当時住んでいた松戸の市民オーケストラでフルートをやり、事務所の屋上に出てフルートの練習をよくされていました。
犯罪被害者の救済が求められている
 私は今、地下鉄サリン事件の弁護団をやっております。12人の方が亡くなり5500人以上の方が負傷していますが、被害者に対しては、いまだに国や都道府県からは何の援助もありません。唯一保障としては、先ほど大山さんからも話がありましたが、オウム真理教の破産管財人が、財産を集めて配当した、被害配当だけです。それも約2割で、残りの8割の損害については全然回復されていません。経済的な犯罪被害者の救済には、犯罪被害者給付金と支給法があります。しかし非常にお粗末な制度で、死亡者の遺族とか重傷者に限られ、また多くが通勤途上だった地下鉄サリンでは、労災から一部保障が出た人には給付金は支給されません。また精神的なケアや治療体制も不充分です。全体として犯罪被害者の救済、権利の確立が非常に求められており、この基金の中で、そういう犯罪被害者の支援が1つの項目に挙げられているというのは、私としてはうれしいとことです。いずれにしても、都子さんや堤君は社会的な弱者、虐げられている人の救済とか人権をずっと考えられ、そのような人自身が声を挙げられるような社会にしていかなければいけないと思います。この基金がそういう形で生かされることを願い、私も顧問としてできるだけ活動したいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。


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顧問・ヨセフ飯田徳昭氏

プロフィール

1929年生まれ
1945年海軍兵学校77期、広島原爆のキノコ雲を目撃、長崎原爆跡を訪問
1953年京都大学文学部哲学科卒業
1956年聖公会神学院卒業
1965年バークレー市太平神学校卒業 修士(1984年名誉博士)
1972〜79年立教大学チャプレン
1982年日本聖公会九州教区主教
この間全聖公会中央協議会日本代表、
日本聖公会首座主教代務者を歴任
1996年4月立教大学チャペルでの「故坂本都子さんご一家追悼会」で奨励
1999年5月立教学院チャプレン長就任

都子さんとの出会い

 都子さんが立教大学に学ばれた頃、すなわち私がチャプレンをやっていた頃は60年代後半からの大学紛争が終結に向っておりました。それでも、時折、大学の構内ではゲバ棒がふるわれる状況がありました。しかし大部分の学生は「大学紛争があったけれど、結局、大学の改革はほとんど手をつけられなかった」という無力感の中に沈滞する、いわゆる三無主義「無関心、無責任、無感動」そういう言葉がはやった時期でした。
 大夕張のキャンプ(Cキャンプ)、Cというのはチャペルを中心としたという意味ですが、北海道の大夕張という炭鉱がなくなり過疎になっていく、その地域の人たちが村興しの為に何をやったらいいのだろうかと模索する、そこに私どもの労働キャンプを持っていったわけです。10日くらいのキャンプですから地元に大した貢献ができたわけではないと思います。むしろ、私どものねらいは学生たちに今からの生き方についての問いを発する、大学紛争時代の「既製の物を壊してしまえば何とかなる」という考え方、そして、それがうまくいかなかった。それを踏まえて、「一体本当に建設的な革命をどうやったらいいのか」というのが隠れたテーマだったわけです。都子さんはその2回目に参加なさったわけです。その中で、都子さんは名前を都の子と書いて「さとこ」と読ませるのはめずらしい事もあって印象に残っており、人気者だったと記憶しております。


〈都子基金〉発足に寄せて

 今回、お父さんの本「都子聞こえますか」を読ませていただき、オウムの理不尽さに腹わたの煮えくり返る思いをいたしました。しかし、私が一番心を引かれましたのは、お父さんが岡崎被告の死刑判決の所で述べておられる事であります。死刑判決、憎んでも余りある事件だったわけで、当初、お父さんが死刑を望まれたのは当然なのですが、判決が出た時に「都子、お前は死刑を望んでおったのか」と苦悩の問いかけをなさる。そして都子さんが人の死を望んでいたはずがない、むしろ「生きている者同志の交わりと和を望んでいたはずだ。」と思われるくだりを読ませていただいて涙が出てまいりました。聖書の中に「悪をもって悪に報いるな、善をもって報いなさい。それは、悪人の頭の上に火を積む事になるのだから」という言葉がありますが、こうした心境になられたのでないだろうか。殺し合い、憎しみ合うならば、その連鎖反応というのは永久に続くわけですけれど、その連鎖反応を断ち切る思いに達せられたのではないだろうかと思います。そして、この基金設立を本当に一番喜んでおられるのは都子さん自身ではないかと思います。私がこの基金で何ができるかという事は、はなはだ、心もとないのですが、大学に関係しているという事で講演会などで大学との折衝等に少しはお役に立てるのではと思っております。


顧問・川人博弁護士


プロフィール


1949年生まれ
1978年弁護士登録(東京弁護士会所属)
1988年より過労死110番の活動に参加
過労死弁護団全国連絡会議幹事長
1992年より東京大学教養学部「法と社会と人権」ゼミ講師
著書:「過労死社会と日本」(花伝社)、「過労自殺」(岩波新書)、「テキストブック現代の人権」(現代評論社)、「世界人権の旅」(社会評論社)、「現代社会と東大生」(花伝社)他


実行犯の同期生として


 私が都子さんの基金のことでご相談を受け、微力でも何かお手伝いをと思った1つの大きな理由として次のような事情があります。
 坂本君ご夫婦殺害の実行行為の中心人物である早川被告は私の高校時代の同期生でした。都子さんのお父さんが書かれたご本の中に早川被告はまだ本当のことを全部話していないというご指摘がありますが、私もそう思います。なぜ彼らはこういうことを犯してしまったのか、なぜこういう事件が起こったのか、実行犯の近くでかつて生活していた者の一人として、考えなければいけないと思っております。
 一連のオウムの事件に関しては、まだまだ闇の部分、全く不可思議で明らかにされていない部分がたくさんあると思います。私自身の体験で申し上げますと、地下鉄サリン事件が発生するまさに数日前、警視庁の方から電話がありました。その数年前に私の自宅の庭に花火が放り込まれた事件についてオウムとの関連で再捜査したい、オウムと少しでも関係ありそうなものは全部調べているということでした。それなのになぜ地下鉄サリン事件を阻止できなかったのだろうかと多くの方々が問題にされています。あれは警察がオウムを泳がせたとはっきり言っている論者もおります。私自身もごく限られた体験からではありますが、私の小さな事件のことまで捜査していた状況の中であのような大事件が発生したというのは大変不思議です。これからも様々な方々が一連の事件の真相究明をされていくと思いますが、私も二度とこういうことが起こらないための原因と教訓を明確にしたいと思っております。その意味でも基金にご協力していきたいと考えております。


人を不幸にするものに対して敢然と


 私は坂本君のことを知っておりましたが、彼がこういう形で亡くなったことについて、私たち弁護士の間で様々な反省があります。それは当時彼だけが矢面に立ったということ。オウムについてまだ相談が少なかった中で彼が本当に弱い者の立場に立とうとして、人を不幸にするものに対する怒りから敢然として闘った。そして、不幸にもこのような結果になり、私たち残された者としては、もっともっと、彼のような研ぎ澄まされた感性そういうものを、この痛苦の事件から改めて学び、今も形を変えて起こっている様々な人権侵害に立ち向かっていかなければならないと思っております。基金は国際的な問題も含めた様々な人権の活動に寄与されていくということですので、これについてもご協力し一緒に活動したいと思っております。

 私は毎日のように過労自殺をした方のご遺族の話を聞いております。失われていく命がある今の社会の状況に対して、残された我々は坂本君や都子さんの歩んだ道から学んで生きていくことが求められていると気を引き締めております。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


 


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