行政におもねる学者や弁護士たち

〜モラルも良心もへったくれもない〜


鈴木良雄




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 群馬県の吾妻(あがつま)川に計画されている八ッ場(やんば)ダム計画をめぐり、1都5県(東京、群馬、埼玉、千葉、栃木、茨城)で住民訴訟がおきています。
 焦点のひとつは、自治体がダム事業に支出することを争えるかどうかです。行政側は「八ッ場ダムへの財政支出は政策問題なので、住民訴訟では争えない」と言っています。

 (2006年)12月9日の「ストップ八ッ場ダム住民訴訟2周年報告集会」で大川隆司氏(八ッ場ダム住民訴訟弁護団)はこの点についてふれ、相模大堰訴訟で横浜地裁が下した判決を紹介しました。


■事業計画に著しい不合理性があれば、
  その財政支出は違法となる

 横浜地裁は、「事業の推進主体が当該自治体でなくても住民訴訟は成立する」という判断を下しました。つまり、国交省が推進する八ッ場ダムへ自治体が財政支出することについても住民訴訟は成立するということです。

 横浜地裁はまた、事業計画に著しい不合理性があれば、その財政支出は違法となる、という判断も出しました。地方財政法4条1項(「地方公共団体の経費は、その目的を達成するための必要且(か)つ最小の限度をこえて、これを支出してはならない」という規定)に照らし、裁量の限界を超えた公金の支出は違法となる、としたのです。
 さらに、水需要の予測値と実績値が「相当に乖離(かいり)」した場合には、事業主体は計画を再検討する義務がある、という判断もだしました。

 この判断は画期的であり、八ッ場ダム住民訴訟において有益な判断となるものです。


■言説を曲げた弁護士

 ところで、横浜地裁の判断について、B弁護士は『判例地方自治』259号掲載文でこんなことを書いているそうです。
     「この判断を敷衍(ふえん)すれば、長期的な需要予測等に基づいて、計画的に行う公共事業について、適切な分析に基づいて計画を策定しなかった場合、あるいは計画実施後検証を繰り返して適切に事業計画の見直しをせず、漫然と当初計画どおりに事業を進めてきた場合には、事業費支出が違法とされる可能性が高いことになります」
 大川氏は、この見解を評価し、こう述べました。
     「私たちはB弁護士のこの見解を支持し、『可能性』を『現実性』に変えるために、6つの住民訴訟を進める」
 ところがB弁護士は、八ッ場ダム住民訴訟ではまったく逆の見解を示しています。前橋、水戸、千葉の各地裁に提出した準備書面で、被告(行政)側を弁護する立場から次のように書いているそうです。
     「地方財政法4条1項が公共事業の必要性という政策判断の当否をチェックする裁判規範として機能しているなどという(原告の)主張は、全くの的外れである」
 つまり、『判例地方自治』では「事業費支出が違法とされる可能性が高い」と書いていながら、行政側を弁護する準備書面では、「(原告の)主張は、全くの的外れ」と、正反対のことを書いたのです。


■I東大教授も同様
  〜三番瀬円卓会議にて〜

 私はこの話を聞きながら、I氏(東大教授)のことを思い出しました。

 I氏は「三番瀬円卓会議」(2002年1月〜04年1月)で、O会長(大妻女子大学教授)とともに重要な働きをした学者です。

 県の意向を受け、猫実川河口域(三番瀬の市川側海域)の人工干潟化を提案しました。三番瀬保護団体の猛反対でこれがオジャンになると、次は、人工干潟化をにらんだ「砂護岸」(石積み傾斜護岸+人工砂浜)の建設を提起し、これを「三番瀬再生計画案」に盛り込むよう策動しました。

 I氏は、論文「東京湾三番瀬の猫実川河口における底質環境の現地観測」(『海岸工学論文集』第50巻、2003年)で、猫実川河口域についてこんなことを書いていました。
     「表面から約30cmの土砂が、埋め立て工事が完了した1978年前後以降に堆積したことは確実である」
     「1971〜2003年に1m弱の堆積があったと推定される」
 ところが、円卓会議では、まったく逆のことを主張しました。猫実川河口域は地盤沈下しているので土砂を入れて人工干潟にすべき、と言い張ったのです。


■「曲学阿世」の学者

 要するに、B弁護士の場合とそっくり同じです。行政側に傭われると、論文で発表したことと正反対のことを言うのです。そこには、学者のモラルも良心もへったくれもありません。

 「曲学阿世(きょくがくあせい)」という言葉があります。漢の武帝時代(紀元前158−前87)に、韓国という90歳の学者が、若い公孫弘(こうそんこう)を諭して、「常に正しい学問を考え、それにもとづいて発言することにお努めなさい。学問を曲げて世の中におもねることにならぬように」と言ったことから、学を曲げて権力者や世俗に阿(おもね)ることを「曲学阿世」というわけです。
 そんな「曲学阿世」の学者が多すぎるように思います。

(2006年12月)






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