行動派の科学者だった宇井純さん


佐藤行雄



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 昨年(2006年)11月11日、宇井純さん(沖縄大名誉教授)が亡くなりました。
 よく知られているように、宇井さんは、住民の立場から、反公害や環境保護の姿勢を最後まで貫きました。「公害は差別だ」と言いつづけ、水俣病の究明や患者支援では多大な貢献をされました。
 また、環境問題にとりくむ市民活動を育てたり、支援することも積極的でした。そういう点では類まれな学者でした。
 宇井さんは、公害を生む企業や研究者、学問、行政のあり方も徹底的に批判してきました。
    《反社会的企業や学者を一貫して批判する行動派の科学者として、国内で広く知られる一方、アジア太平洋環境賞を受賞するなど、国際的にも高く評価された。》(『朝日新聞』2006.11.12)


■東大では「万年助手」だった

 そのため、大学や行政などから徹底的な差別や圧力を受け続けました。  たとえば、東京大学では昇進の道を閉ざされ、21年間も助手のまま据え置かれました。そのため、「万年助手」と呼ばれました。
    《企業や行政の側に立つ学者の姿勢を批判し、公害被害者と共に闘う姿勢は、全国の公害運動に大きな影響を与えた。しかし、東大では昇進の道を閉ざされ、「万年助手」として全国にその名を知られることになった。》(『読売新聞』2006.11.12)
 昇進の道を閉ざされても、屈することなく反公害や市民運動支援の姿勢を貫く──。そういう宇井さんに励まされた人は多かったと思います。


■行政や大企業にたてつく学者はヒドい仕打ちを受ける

 「万年助手」として不当な差別や圧力を受け続けたという点では、中西準子さん(現在は産業技術総合研究所・化学物質リスク管理研究センター長)の言葉を思い出します。
 中西さんは、東大で宇井さんと協力しあい、住民の立場から環境問題にとりくみました。そのため、東大では、宇井さんと同様に助手に据え置かれました。
 そればかりではありません。中西さん個人だけでなく、中西さんのもとで勉強する学生にたいしても就職妨害などがあったそうです。
 中西さんは『都市の再生と下水道』(日本評論社、1979年刊行)の中でこう述べています。
    《(流域下水道計画への)反対運動が強くなればなるほど、私や周囲の学生たちに対する圧力もひどくなってきた。2年くらい前から、就職担当の助教授が、学生が卒論の指導教官に私を選ぼうとすると、「就職できないからやめろ」と脅しをかけてやめさせるということがあった。(中略)
     51年(1976年)3月に卒業する学生たちに対する干渉は、目に余るものがあった。まず、卒論の指導教官を選ぶ段階で脅し、それでも18名中5名が私のところにくると徹底的な就職妨害をした。学生をよびつけては、「流域下水道に反対して、建設会社にいくのはなぜか」「公害反対で、なぜ企業を望むか」などと聞き、うまく答えられないと「覇気がない」「頭がかたい」などと決めつけた。
     その年、厚生省・環境庁は、私たちの学科に2人の割当をしてきていたが、4人の希望者があり、面接を受けた。私のところの学生は、国家公務員上級試験で他の2人より上位であった。
     ところが面接の結果、私のところの学生2人が落され、残りの2人が採用になった。もちろん成績だけで決まるわけではないが、2人とも明朗でしっかりした学生だったので、私は不審に思い、就職担当教官のところにいって根掘り葉掘りきいた。その結果、大学の方で、私のところで公害反対運動をしているなどと厚生省にわざわざいいにいったことがわかった。就職担当教官の講座の教授が厚生省出身であった。
     私のいままでの仕事は、全部私と学生との共同作業の成果であった。毎年毎年出入りはあっても、常に5〜10人の学生が私を助け、土曜も日曜もないというような勤勉さで仕事をしていた。その学生たちを就職で脅すことにより私から離れさせ、それでもいうことを聞かない学生の就職をわざわざ告げ口までして妨害する教授や助教授の卑劣さには怒るよりも呆れた。いままで、私自身に加えられた差別や圧力には恬淡(てんたん)としておられた私も、学生たちに対するこういう仕打ちには本人たちが覚悟しているとはいえ、不憫(ふびん)でやりきれなかった。(中略)就職と研究費の問題には、私も学生もその後もずっと悩みつづけている。》
 行政や大企業にたてつく学者はこういう仕打ちを受けるのです。それでも最後まで屈しなかった宇井さんには感服します。(残念ながら、中西さんは近年、姿勢が変わったと聞きます)


■行政方針を覆すような発言をする学者は審議会に選ばれない

 ついでにいえば、東京湾奥部に残る干潟・浅瀬「三番瀬」の再生事業を審議する「三番瀬再生会議」には、環境派とよばれる学者や専門家が何人か加わっています。しかし、三番瀬海域をつぶす県の提案に賛成しつづけているのをみると、宇井さんとは姿勢がかなり違います。
 昨年(2006年)12月6日の『朝日新聞』は、「宇井純さん 公害史に大きな足跡」というタイトルをつけてこう記しています。
    《今の環境問題の一つの典型は、無駄な公共工事による自然破壊だ。巨大事業を議論する政府の審議会で、政府方針を覆すような発言をする学者は少ない。というか、選ばれない。行政優位の関係は変わっていない。》
 この点は、三番瀬再生会議も同じです。

(2007年1月)


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