■インタビュー

三番瀬埋め立て計画の撤回をめざして


千葉の干潟を守る会代表 大 浜  清
(聞き手・中山敏則)



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●東京湾岸はかたっぱしから埋め立てられた

 ──これまでの東京湾の埋め立てについてお聞かせください。

大浜 1950(昭和25)年に千葉市の埋め立て地に川崎製鉄が進出して以降、千葉県の臨海開発は急激に進みました。それと、1954年には船橋市で船橋ヘルスセンターを建設するための埋め立てがはじまりましたが、これは、安い費用で海を埋め立てて、できあがった土地を高い価格(時価)で売り、埋め立てで大儲けするという“先駆け”となったもので、これもその後の埋め立てに拍車をかけました。
 埋め立てた土地の利用をみると、千葉市の川鉄用地から南はすべて工業用です。埋め立て地には大企業の工場が建設され、公共用地はほとんどゼロです。海岸の大部分が工場用地として埋め立てられ、海岸線は、ほとんどがコンクリートの垂直護岸で、しかも企業の専用埠頭(ふとう)となってしまいました。そのため、市民は、まったく海に立ち入ることができなくなったのです。
 一方、千葉市から浦安側の埋め立て地は、最初は工業用や港湾関連用として計画されましたが、社会情勢の変化などにより、その後、住宅用地や公共空間などの多目的に計画が変更されました。しかし、住宅用地や公共空間といっても、内容をよくみると、埋め立てで大企業が大儲けするという利権問題がありました。
 たとえば、千葉市の中央地区(現在の中央埠頭や食品コンビナートなど)をみると、ここは埋め立て事業を県と三井不動産が共同で実施し、埋め立て地の売却で生じた巨額の利益を両者で分け合いました。このように、三井不動産は千葉の埋め立てに密接にかかわりましたが、このため、まったく無名の一不動産会社にすぎなかった同社は三菱地所を追い抜いて、一躍、日本一の不動産会社に急成長しました。三井不動産が千葉の埋め立て開発のおかげで業界トップに躍進したというのは、有名な話です。
 このようにして、千葉市から浦安側はつぎつぎと埋め立てられましたが、売却による儲けが大きな目的でしたから、それは周辺内陸部を含めて地価のバブル急騰などをもたらしました。房総丘陵の山の中にまで地価高騰をあてこんだ土地買い占めがおこりました。しかし、バブル期までは巨額の「利益」をあげていた県企業庁でしたが、バブルが崩壊した今は大量の売れ残りをかかえ、財政面で四苦八苦しています。




 ところで、東京湾岸の東京と神奈川の側をみると、こちらは戦前から埋め立てがはじまっていました。戦後はさらに進み、東京都の漁業協同組合連合会は昭和34年に解散してしまって、大森海岸のノリ漁は終わり、現在、東京都に残るのは人工渚を中心とする葛西海浜公園の三枚洲、埋め立て地間と多摩川河口に現れる大田区の小規模な干潟にすぎず、もはや原形をとどめていません。埋め立て地の利用形態も、東京から横浜は、ほとんどが工業用地と港湾関連用地であり、住宅用地はほんのわずかしかありません。
 それと、東京都は、建設残土の投棄処分のため大々的に埋め立てを行いました。ゴミで埋め立てた土地は、あまり使い道がありません。公園ぐらいしか利用方法がないのです。東京では、海そのものが廃棄物になってしまったのです。現在、都が進めている新海面処分場埋め立てでは、東京港の一部を削らざるをえず、その分の港域を千葉県から借りている有り様です。東京都に「東京湾」を名のる資格はありません。
 一方、神奈川の埋め立ては、房総の山を削って埋め立てました。たとえば、富津にあった浅間山や鬼泪山は横浜や川崎の埋め立てのためにまるまる削り取られてしまいました。
 これに対して、千葉県側は、遠浅の海だったので、海の砂を浚渫(しゅんせつ)して、その砂を使って埋め立てました。浚渫・埋め立て中に汚れたヘドロを東京湾にまき散らしたので、ものすごい水質悪化が起きました。また、大規模な浚渫は、海底の大破壊をもたらしました。深さ30メートルにおよぶような巨大な土砂採取の跡があちこちにでき、これが青潮の発生源となったのです。青潮は現在も発生しています。埋め立て地と等量のこの巨大な穴ボコを埋めないかぎり青潮は永久に発生しつづけるのです。
 さらに、埋め立てによって大半の干潟が消滅したたために、干潟がもっていた強力な生命生産力と浄化力がなくなってしまったことも大きな問題となっています。





東京湾の埋立地の海底土の採取後の分布


●三番瀬埋め立て計画が 再浮上

 ──三番瀬を埋め立てようとする「市川二期・京葉港二期埋め立て計画」はいったん凍結になり、その後に再浮上しました。その経過についてお聞かせください。

大浜 1970年代に入ると、埋め立ては“諸悪の根源”と言われるようになり、埋め立て反対運動が盛り上がるようになりました。鉄・石油コンビナートなどの公害は環境容量をはるかにこえてしまっていましたが、そこへもってきて71年の習志野の埋め立てをきっかけに、私たちは埋め立てという構造的な地球破壊への批判を起こしたわけです。
 そして、72年から73年にかけて開かれた国会に、私たちは「東京湾埋め立て中止と干潟保全」という請願書を提出しましたが、これが国会で採択されました。こうした結果、73年2月に、県の方針を埋め立て抑制の方向に転換させました。
 転換の具体的な内容をいいますと、@木更津北部(盤洲)の埋め立て計画を解除させたこと。A市川二期と京葉港二期の埋め立て計画を凍結させたこと。B富津の埋め立てを3分の1に縮小させたこと──の3点です。73年の秋にオイルショックが起きたこともあり、県は新たな埋め立てができなくなりました。
 ところが、1980年代になると、中曽根内閣がうちだした民活路線がはなばなしくもちあげられるようになりました。その一環として、東京湾では民活路線にもとづいた巨大プロジェクトが100ぐらいもちあがり、その中で、東京湾横断道路と市川二期・京葉港二期埋め立てが具体化してきたのです。
 千葉県は、市川二期・京葉港二期埋め立て計画の新しい基本計画を1993年に発表しました(正確には、京葉港二期は92年、市川二期は93年)。そして、その基本計画を「千葉県環境会議」にかけました。
 この環境会議は、前年の92年に県が諮問機関として設置したものです。現在の大部分の環境影響評価(アセスメント)制度は“事業アセスメント”となっていて、事業推進を前提としたアセス制度になっています。しかし、この環境会議は、計画に対するアセスという機能をもっており、全国的にみてもたいへん意義のあるものとなっています。
 この環境会議の提言によって、「補足調査」という名で三番瀬の環境現況調査を行うこととなり、今日にいたったのです。また、環境会議のもうひとつの重要な提言に「開発の必要性をしぼること」があります。すでに4年前、公共事業のあり方に大きな疑問を投げかけていたのですが、この点については、県はまったく明らかにしていません。



●干潟を守る運動を続けて28年

 ──「千葉の干潟を守る会」は、かなり前から埋め立てに反対し、干潟を守る運動を続けておられますね。

大浜 「千葉の干潟を守る会」は、1971年にできました。「東京湾を死の海にするな」をスローガンとしてかかげ、結成当初は、習志野市と千葉市幕張の埋め立て反対にとりくみました。生き物の保護、とくに水鳥生息地の保全から出発したのですが、底生生物の大切さが大きく浮かびあがりました。もう一つ、私たちの大事なスローガンとなったのは、この海は「私たちの東京湾」だという訴えです。干潟を走り回ったり、顔まで泥にして遊ぶ子どもの姿は忘れられません。「干潟の水質浄化力」も、私たちの運動の中から広まりました。しかし、県は私たちの申し入れなどを無視し、市川一期と京葉港一期(習志野市を含む)の工事に着手しました。
 市川一期と京葉港一期の工事が始まると、こんどは、前記のような「東京湾の埋め立て中止」運動をおこし、凍結見直しとなった二期埋め立てについても再浮上の動きが出るたびに反対しました。「市川二期埋め立てを考える会」をつくった藤原寿和さんと協力して開いた「東京湾問題勉強会」が出発点となって、1984年には「東京湾会議」も結成されました。
 京葉港一期工事が進んだあとに、50ヘクタールの四角い国有地が水面として取り残されました。ここには、建設省による湾岸道路と習志野市による住宅地造成の開発計画がありました。私たちは、この水面を「谷津干潟」と名づけ、「谷津干潟自然教育園」計画をかかげました。湾岸道反対運動と一体化した強力な住民運動が生まれ、77年、国は国設鳥獣保護区特別地域の設定を約束するにいたりました。これが、今日の谷津干潟のもとです。
 一方、全国レベルでは、干潟埋め立てに反対する運動の連携が成長して、74〜76年、3回にわたる全国干潟シンポジウムが開かれました。75年の第2回シンポジウム・千葉で、私たちは、前々年に公有水面埋立法改正案の対案として出された「海浜保全基本法」構想を提起しました。これは、埋め立てを海浜保全の例外条項としてのみ認めようとする主張です。愛知の辻淳夫さん(現・藤前干潟を守る会)によって成文化され、兵庫県高砂市で74年におこった入浜権運動にも引き継がれました。この考え方は、船橋漁民の大野一敏さんが提唱した、サンフランシスコ湾計画をモデルとする東京湾保全構想(1984年)の中で大きく発展させられ、東京弁護士会も「東京湾保全基本法」の提言を行いました(1986年)。
 1991年には、前述の全国干潟シンポジウムが母体となって、「日本湿地ネットワーク」が結成されました。市川二期と京葉港二期の埋め立てに関する基本計画ができる直前のことです。「日本湿地ネットワーク」は、わずかに残った東京湾全域の干潟と,藤前干潟(名古屋市)、和白・今津干潟(福岡県博多湾)、諫早干潟(長崎県諌早市)の4つをラムサール条約(水鳥などの貴重な生物にとって価値の高い湿地を国際的に保護する条約)に登録させようという運動を進めました。これら4箇所の干潟は、日本でもっとも重要かつ緊急に保全を要する干潟として位置づけたからです。ラムサール条約に登録された干潟は、当時は一つもありませんでした。
 こうした運動の結果、谷津干潟だけがラムサール条約の登録地になりました。しかし、谷津干潟が登録されたことは一歩前進ですが、逆に見れば、日本の干潟がいかに悲惨な状態になっているかということと、日本の行政がいかに自然をないがしろにしているかということを示しています。博多湾人工島と諫早湾の閉め切りがすでに行われ、今、藤前が埋め立て手続き中で、残る東京湾三番瀬が新計画策定中というわけです。
 話をもとにもどしますと、私たちは、市川二期と京葉港二期の基本計画が発表された後、勉強会やシンポジウム、県に対する申し入れなどを続けました。また、環境会議に対しても、94年、241団体の連名を得て意見書を提出しました。意見書の内容は、埋め立て計画の審理においては、科学的、公正、公開ですすめてほしいというものです。
 そして1996年には、署名運動を開始し、「三番瀬を守る署名ネットワーク」を結成しました。この署名は、今年の春に12万人に達し、4月14日の「干潟の日」に県知事あてに12万人分を提出しました。10月には、さらに2万5000人分を追加提出したところです。
 環境庁は,昨年(97年)の9月、「シギ・チドリ類重要渡来湿地目録」を発表しました。この目録では、シギ・チドリ類の重要渡来湿地のベスト5の中に三番瀬が入っています。このことによって、三番瀬の価値が国際的に証明されました。私たちと日本湿地ネットワークは、この発表を受けて、すぐさま環境庁と千葉県に対して三番瀬の保全を申し入れました。
 県は6億円と3年間かけて三番瀬の補足調査を実施しましたが、その調査報告が98年9月に発表されました。新聞などでも大きくとりあげられているように、この調査内容も三番瀬の重要な意義を証明するものとなっています。



●県は埋め立てを強行する構え

 ──“三番瀬を残せ”という世論が強まるなかで、三番瀬の埋め立てについて県はどのように対応しようとしていますか。

大浜 三番瀬がもっている大きな価値がひろく知られるようになり、“三番瀬を残せ”という世論がだいぶ強くなっています。しかし、県は、見直しをしてでも、というか、「見直し」を形だけのものにして、なんとか埋め立てを強行したいと考えています。それで、昨年あたりから、ひそかに見直しの検討をすすめてきました。たとえば昨年、「海浜・干潟創出調査検討委員会」という委員会をつくりました。しかし、県は、計画の見直しを検討していることや、この委員会を設置したことをまったく極秘にしていました。これは、環境会議を無視するもの、あるいは、環境会議を棚上げするものということができます。
 県が、見直しを検討していることをようやく記者会見で発表したのは、今年(98年)の5月になってからです。また、県議会で知事が見直しを検討していると答弁したのは今年の6月です。  そして県は、こうした見直しの一環として、「計画策定懇談会」という名の諮問機関を設置することを決めました。当初は、懇談会を今年の6月に発足する予定でいましたが、委員のなり手がなかなかいなかったため、発足は10月にずれこみました。
 環境会議の提言によって補足調査専門委員会がつくられ、その補足調査が実施されている最中に、ひそかに計画の見直しを検討し、さらに補足調査結果ができあがりつつある段階で懇談会を設置し、そこで埋め立て計画を審議するというものですが、これは明らかに環境会議を無視するものと言わざるをえません。



 ──埋め立て計画の見直しは、どのようなものですか。

大浜 見直しの内容についてですが、県はいろいろ検討しているようです。たとえば、埋め立て面積を3分の2(500ヘクタール)に縮小するとか、「第二湾岸道路」建設予定地の内側を全部埋め立てるとか、コンテナ埠頭の新設はやめて、その用地は川崎製鉄千葉工場(千葉市)の跡地を買収してつくるなどが噂(うわさ)として流れています。しかし、それは単なる噂ではなく、県が検討している内容とみてよいと思います。こうした見直し案を「計画策定懇談会」で審議するというものですが、何度も言うように、それは環境会議を無視するものです。県は、まず、補足調査の結果をキチンと受けとめ、オープンに論議すべきです。
 懇談会のメンバーは、事務局が用意する方針や案をきびしく批判し、くつがえせるでしょうか。さらに、懇談会の開催回数は、発足を含めてわずか4回で、来年(99年)3月までに審議を終わらす予定です。これでは、十分な審議ができるはずがなく、「いちおう反対意見は聴いたよ」ということになって、単なる“お飾り”になってしまいます。



 ──県はあくまでも三番瀬の埋め立てを強行する構えでいるとみていいのですか。

大浜 そうです。たとえば、98年10月22日付けの朝日新聞で、三番瀬埋め立て計画を担当している県企業庁地域整備部の佐藤健臨海建設課長は、「開発をやめるわけにはいかない。埋め立て地を小さくしたうえで、できるだけ環境への影響を減らすように計画を見直すしかない」と述べています。また、98年10月に、浦安市議会議員の有志12人が、埋め立て計画の変更を求める意見書を知事あてに提出しましたが、これに対して県企業庁は「何年も前からの計画で、今さら反対と言われても……」などとと語っています。これらをみても分かるように、県は、埋め立てをなんとか強行したいと考えています。
 ちなみに、浦安市議に対して県は「今さら……」などと言っていますが、おかしいのは県のほうです。というのは、これまで、三番瀬埋め立て計画について、浦安市は、県から打診や協議を受ける公式の場を与えられていないからです。浦安市は、地図でみればわかるように、三番瀬やその埋め立て計画と深くかかわっています。たとえば、三番瀬が埋め立てられて「第2湾岸道路」ができれば、いちばん被害を被るのは浦安市民です。なのに、これまで県は浦安市をまったく無視してきました。
 また、習志野市も、三番瀬埋め立て計画にかんするプロジェクトチームをつくることにしたようですが、これも当然のことです。習志野市が誇る谷津干潟は、もともとは三番瀬と一体の干潟であったし、現在も2本の水路で三番瀬とつながっています。鳥の行き来もかなりあります。谷津干潟はラムサール条約の登録地となっていますが、もし三番瀬が潰されてしまったら、谷津干潟はたいへんな影響を被ることになります。



●埋め立ては1坪たりとも許されない

 ──「埋め立ての面積を縮小すればいいのではないか」という見方もあるようですが。

大浜 埋め立て面積を減らせば三番瀬への影響が減少するということは絶対にありません。三番瀬は、一部でも埋め立てれば、影響は予想外の大きさになります。新聞報道によれば、県は埋め立て面積を500ヘクタールに減らすことも検討しているとのことですが、この500ヘクタールという面積は全国最大規模であり、三番瀬全体の40%以上を埋め立てることになります。そうなれば、三番瀬の自然環境は維持できなくなります。
 そもそも、東京湾の9割以上が埋め立てられてしまった中で、残り1割の価値はたいへんなものです。それを全面的に保存し、東京湾の環境保全に役立てることこそが、行政のやるべきことです。わずかに残った干潟をさらに潰そうというのは、愚の骨頂です。したがって、縮小でも、埋め立ては絶対に許してはなりません。



 ──大浜さんたちは、三番瀬をただ残せばいいとは考えていないようですね。

大浜 そうです。三番瀬はまず全面的に保存し、そのうえでやるべきことがたくさんあります。たとえば、いくつかあげますと、第1の点は、海底の巨大な土砂採取跡をどう埋めもどすかということです。千葉県はこれまで、海底の砂を採取して埋め立て用に使ったために、東京湾のあちこちに巨大な穴ぼこができ、これが青潮の発生源となっています。これを放置しておいたら、永久に青潮は発生します。巨大な穴ぼこをつくって東京湾の水質を悪化させた県の責任は重大で、これを慎重に埋めもどすのは当然の責務です。
 第2は、垂直になっている護岸をできるだけ自然に近いかたちに復元することです。 第3は、かたちが鋭角になっている護岸は、潮の流れをとめているので、これを改善することです。
 そして第4は、東京湾に流れ込んでいる川の水質を改善することです。県は、流域下水道の推進によって川などの水質をきれいにすると言っていますが、流域下水道は、カネがかかるわりには整備がなかなか進んでいません。それは、整備区域がいくつもの市町村にまたがって広すぎることと、また、管渠などが巨大すぎるからです。県は市川二期埋め立て計画地に江戸川流域下水道の終末処理場をつくろうとしていますが、この江戸川流域下水道も整備がなかなかすすみません。県は、この流域下水道の完成時期を2020(平成22)年としており、また、事業費もあと900億円ぐらいかかるといっています(1996年度までに支出した事業費は2020億円)。しかし実際には、あと12年で終わるという状況にはまったくなっていません。おそらく少なくともあと30年以上はかかるでしょう。そして、事業費も、あと900億円どころではなく、最低でもその5倍はかかるだろうというのがおおかたの見方です。これは、県庁内部でも公然と語られていることです。さらに、流域下水道は水の流れを根本から変えてしまい、水環境にたいへんな悪影響をもたらします。流域下水道の水は、自然の中で一度も循環することなく廃物として海に捨てられてしまいます。都市における中水利用も不可能です。しかも,各市が運営する公共下水道や小規模下水処理施設もムダな廃棄物にしてしまいます。そして、処理水はいっきょに三番瀬に排出されます。
 こうした大規模な流域下水道重視の政策は根本的に見直すことが必要です。見直しは、すでに全国各地でとりくまれており、大局的にみれば、小地域での下水道整備、あるいは合併浄化槽を利用した下水浄化の方向に動いています。このように、下水道政策を転換して、下水を再利用することが求められています。そうすれば、市川二期埋め立てで計画されている終末処理場も不要になります。  ちなみに、県は産廃処分場の埋め立ても計画していますが、これは、ゴミ埋め立てを抑制してきたこれまでの千葉県の姿勢をくずすもので、80年代初めに一度提起されたフェニックス計画(首都圏のゴミを集めて千葉県の海面に捨てようとする悪魔の計画)へ道を開いてしまいます。ゴミ政策の根本的な見直しが必要なのは藤前埋め立て問題だけではありません。



●三番瀬は“生命の源泉”となっている

 ──県は「埋め立ての代償として人工干潟をつくる」と言っていますが。

大浜 現在の海岸の構造を改善するために人工干潟をつくるのであればいいのですが、自然の干潟を埋め立てて人工干潟をつくるというのはまったくナンセンスです。人工干潟は本物の自然の干潟の代わりには絶対になりえません。実際に、人工干潟が自然の干潟の代償になりえないことは、千葉市につくられている人工海浜「幕張の浜」などをみても明らかです。
 そもそも、砂をどこからもってくるのか。また、毎年、多額の金をかけて砂を入れなければならないが、これらをどう考えているのか──。県の幹部はこれらのことをまじめに考えているのか、と言いたくなります。



 ──県は「第2湾岸道路はどうしても必要で、そのためには三番瀬の埋め立ては欠かせない」とも言っていますね。

大浜 道路体系をこれ以上過密化させてはなりません。それと、道路だけでなく、交通体系を全体で考えることが必要です。新しい道路をつくれば、必ず新しい交通渋滞が起こります。たとえば、県などは、第一湾岸道路をつくるときに「首都圏の渋滞解消になる」と言っていましたが、実際にはそのとおりにはなりませんでした。
 また、大気汚染がいっそう深刻になるのも目に見えています。97年度の市民によるNO2 調査によれば、市川市と船橋市は、今でも大気汚染が全国ワースト1とワースト2なのに、それがもっとひどくなるのですから。この点では、第一湾岸道路と第二湾岸道路にはさまれる浦安市も悲惨な状態になります。



 ──「三番瀬は死んだ海になったから、埋めたほうがよい」と言う人もいますが。

大浜 たしかに、三番瀬の局部をみれば汚れたところもありますが、全体はきれいです。これは、実際に三番瀬を見ればよくわかります。
 たとえば、冬になると、三番瀬の海は、一面がノリのベタ流し網とノリひびになります。その間をぬって釣り舟も出ています。そして、巻網船や、底曳船、春の潮干狩りなども盛んです。三番瀬は、干潟も浅場も、日本一といってよいほどの水鳥の生息地となっています。それは、底生生物や魚が宝庫だからです。これを“死んだ海”と言うのは、三番瀬をまったく知らない人か、または、意図的にウソをついて素人をだまそうとするものです。
 三番瀬の局部をみれば汚れたところもあると言いましたが、汚れている理由は、そこに流れ込む川の水がきたないこと、そして、埋め立てや浚渫で水のよどむ場所をつくってしまったこと、さらには、東京湾の干潟の大半が埋め立てられて浄化力が奪われてしまったからです。こういう中で、わずかに残っている干潟が東京湾の水質浄化にたいへんな貢献をしているのに、これを潰すのは愚かなことです。
 水中リポーターの須賀潮美さんは、98年10月21日付けの朝日新聞で、三番瀬に初めて潜ったときの印象について、こう語っています。「ヘドロが全然たまってなかったんです。海底はきれいな砂地。そこをがっと掘ってみると、手のひらにアサリがいくつものってきた。やっぱりびっくりしましたね。まだ東京湾にこんなに豊かな海がのこっていたなんて」と。また、「三番瀬は死の海だ」と言う人がいることについて、「(青潮は)まわりで埋め立てたときのしゅんせつ跡や航路など人為的な所から発生している。水をきれいにするアサリなどが三番瀬にいるから、青潮の被害からも回復できる。むしろ三番瀬が生きている証拠なんです」と言っています。まったくそのとおりで、三番瀬に実際に行ってみれば、「三番瀬はきたない」とか「三番瀬は死の海」などということは言えなくなるはずです。



●三番瀬は国際的にも注目をあびつつある

 ──最後に、大浜さんたちが運動などで今後の課題としていることについてお聞かせください。

大浜 マスコミも三番瀬を盛んにとりあげてくれるようになり、三番瀬が全国的な話題になりつつあります。これまでは、船橋市民でさえも三番瀬のありかを知らず、埋め立て計画があることも知らなかったのですから、ずいぶんと状況が変わりました。私たちは、これからも署名などを旺盛にすすめ、県民の意志表示を行政に示していきたいと考えています。
 それと、県はこれまで情報の非公開をおしすすめてきましたが、私たちは情報公開を強く求めていきます。県は、「審議中だ」と言って、諮問機関の審議内容などの公開を拒んでいますが、そういういいわけは許されません。決まった計画のお知らせでは、今までと変わりません。審議の内容を公開し、審議や検討に県民の意見を取り入れるべきで、こうした情報公開を強くせまっていきます。
 それから、三番瀬の大切さは、けっして地元だけの問題ではありません。東京湾の環境問題とも密接にかかわっています。たとえば、神奈川県の漁業関係者は、東京湾の水質悪化や、産卵場、稚魚の生育場の破壊を心配していて、三番瀬の動向に強い関心をもっています。
 さらに、日本の重要な干潟がつるべうちに破壊されつつある中で、三番瀬は国際的にも関心がたかまりつつあります。たとえば、渡り鳥が行き来しているオーストラリアからも署名を寄せられています。今年10月の第2次の署名提出の際は、オーストラリアで集められた230人分の署名もいっしょに渡しました。4月の第1次提出の際も、アメリカのオーデュボン協会副総裁やオーストラリア市民の16人分がありました。
 来年(1999年)5月には、コスタリカで第7回のラムサール条約締約国会議が開かれます。そこでは、日本の諌早、藤前と並んで三番瀬が世界中の注目をあびることになるはずです。私たちは、運動をいっそう発展させて、三番瀬を守るという意思表示を世界中に示していきたいと考えています。東京湾保全法と東京湾の浅海域のラムサール条約指定は、21世紀に向けての私たちの将来目標です。
 最近、美術愛好家が「三番瀬アート100人展」を開くなど、三番瀬を守ろうという自主的な運動が一斉に起こっています。私たちも、11月15日には「海辺の集い」を催します。12月には名古屋の国際干潟シンポジウムに集まる外国ゲストを三番瀬に招きます。来年(1999年)2月には「三番瀬コンサート」も開催されるでしょう。いま、“三番瀬の保全”は、国民の間に浸透し、全国的な動きとなりつつあります。これには、山下弘文さんたちの諌早の運動が大きな力となって国民に働きかけてくれています。環境庁も県の環境部もがんばってもらいたいと思います。
 三番瀬埋め立ては、私たちの東京湾、子どもたちの地球の破壊なのです。

(1998年11月)








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